第2話



            ※


「あの山、行ってみない?」


 指差す先は、学校のある方角を向いていた。


「ねえ」


 彼女の華奢な身体の指の先に、ぼくのピンク色の唇が重なる。彼女の指を舐めて見たかったが、それだけは我慢することにした。


「聞いてるの?はぁ…まこっちゃんって、変な癖あるよね」


 変な癖…なんのことだろうか。


「いっつもどこ向いとんの?あっち」


 そう言って彼女はぼくの顔をその指定の位置へと無理やり傾ける。


 いつも、どこを向いてるかだって?それは君の方じゃないか。君の癖だろう。


「ほら、あそこからなら見えるよ。来て」


 そう言って、正四角形の並んだ、いかにも小学生の好きそうな、大きなジャングルジムに登った。ぼくも彼女の後を追う。


「ほら、あそこ‼︎凄いでしょ、あんなところにお屋敷があるんだよ。今は見えないけど、あそこに住んでるオババとオジジに今度招待されたんだ。仲のいい子連れておいでって。まこっちゃんのことだよ」


 あんなとこに屋敷?どこだろうか。ぼくは黙っていた。山なんかどうでもいい、今はそう思う。

 彼女もとうとう、こちらが喋らないことに気分を損ね、口をへの字に曲げる。その顔が、世界にたった1つしかない宝石よりも美しく見えた。


今日こそは言わなくては……


言うだけでは駄目だ……


伝えなくては…


彼女の脳に……


意識に……


いや、記憶にか……


彼女の記憶の奥底に……


明日になっても消えてしまわぬように…

 頭の中で何度もリハーサルを重ねる。彼女はずっと黙っている、少しまずかったか、だがここで引き返すわけにも行かない、今しっかりと、決着をつけなければ。


           ※



 気がつくと、他のみんなは既に集まっており、光が部屋の前方で、司会を務めている最中だった。ぼくの向かいの席には、相川が隣にいるにもかかわらず、群がる男たちの姿はなかった。真帆が気遣ってくれたのだろうか。すると、隣に座っていた真帆はこちらに気がつくと、誰にも気づかれぬよう、こっそりと耳打ちした。


「他の男子に言い訳するの、大変だったんだから。あとで肩の1つでも揉んでよね」


 ありがとうと返事を返す。

 どうやらぼくは、あのあと疲れて、ひとりでに寝落ちしてしまったらしい。相川はというと、こちらはピンピンしており、さっきまで泣きじゃくってた少女は、どこかに行ってしまったようだ。泣いたであろう目の周りの充血の跡は、まだ完全になくなってはいないようだが。


 食事が始まると、辺りは賑やかとなった。料理は和風の、どこか懐かしさを感じさせられる品ばかりだ。ぼくは無言でそれを噛みしめる。

 食べていて気づいたのだが、非常に気まずい。

 真帆の権限が強すぎたのか、男性のほとんどはこちらの席とは反対側の長椅子に追いやられていた。ぼくの周りは女性に溢れ、左に相川、右に真帆と、まさに両手に花だ。


「なあ、ちょっとやりすぎなんじゃないか?」


「なに、気まずいの?せっかく周りが女子ばっかりなのに、意外と気が小さいのね」

 くっ、なにも言えない。あとで肩じゃなくて、そのまな板を揉みほぐしてやる。心の中で、そう、悪態をついた。

 真帆を見るついでに、長机の向こう側ー僕らと点対称の位置ーに目をやると、そこには西園寺と付き添いの工藤、そして桜がひと塊りになって座っていた。西園寺はさっきからあまり食事に手をつけていないらしく、たびたび箸を休めている。その顔には、やはりまだ、生気が戻っていないようだった。



「と…ちょっと、成瀬くん?聞いてる?」


 突然の投げかけに、少々戸惑いながら、前方を向き直した。


「ごめん、聞いてなかった」


「まあ、いいんだけれど。明日の予定、どう思う?」


 とんがった口調で話す【本城 優】は、小学校の頃と、なんら変わっていないようだ。彼女は集まりを開くたびに、その悪い酒癖を皆んなに披露していると、真帆からよく聞かされていた。


「予定って、観光地巡りですよね…」


 急な質問に、なぜだか丁寧語になってしまう。


「ちょっとつまらないと思うの。だって、ここの観光なんていつでも来れるじゃない」


「本城さんは退屈してるの?」


「みんな思っているわ。あなたぐらいよ、今日まで何度呼んでも来なかったのは」


 確かに、ぼくはこれまでの出会いの場を何度か断ってきた。別にわざとではない。たまたまスケジュールの会わない日に重なってしまったからだ。

 ぼくは言い訳をするでもなく、ははぁ…と申し訳なさそうに頭の後ろを掻いた。


「何かいいところはない?案を出して案を。私たちが考えつくものなんて、結局ガイドに先を越されちゃって新鮮味がないのよ」


「そんなことをいきなり振られても、ぼくに答えられるわけないじゃないか」


 本城はええいっ、と言わんばかりにぼくを睨んだ。随分と酒が入っている様子だ。



「オソロシ山」


 本城はいきなりの言葉に酒の手を止めた。


「……、それって学校の裏山のこと?」と真帆。


 なにを勝手に口走ってしまったのだろうか。ぼくはひどく後悔した。


「成瀬くん、あなた、相当探索が好きなのね。あそこに行ってどうするの?いくら山と付けられていたって、大きさはただの丘程度よ?呆れたわ」


 本城は大げさに笑った。その声は大きく、部屋全体の注目を浴びる羽目になってしまった。近くにきた男性陣は、こぞって話を聞きつけ、周りに寄ってきた。(もちろん、相川の近くにだ)


「オソロシヤマに何かあるのか?」と達也。


 もうさすがに引っ込みがつかなくなったと観念したぼくは、今日ここに来る途中、山の中に見たものの話をした。話し終わると、辺りはしん、と静まり返って、まるで怪談を聞かせているかのような気分に陥った。


「それは、本当に明かりが点いていたのか?」


 とどこからか聞こえた。


「すぐに目を離したから、100パーセントとはいいきれないけど、確かに見た」


 次第に、辺りは真冬の雪の中にでもいるかのように、凍えきっていた。

 ようやく、その重い口を正人は開いた。


「そこは、もう廃屋敷なんだ。かれこれ10年以上、その屋敷に住む者はいないはずだ。明かりが点いているだなんて、あり得ない…」


 一気に自分の言ったことの重大さに気がつく。

 さすがに本城も度肝を抜かれたのか、怯えた様子だった。


「いいねぇ〜、成瀬。お前、人を怖がらせる才能あるよ。明日はそこ行こうよ。もしかしたら、凄い発見があるかもよ?」


 こいつは相変わらず変わらない。【苗木 充】、誰かの話に乗っかるのが好きなやつだった。今回もそうやって、皆を調子付かせる。


「ちょっと待て、そんなとこ行って、もし何かあっても責任取れないぞ。」


 やはり正人は頼りになる。この悪い流れを断ち切ってくれそうだ。苗木はそんな正人を気付かれぬように睨んだ。奴が正人に口で勝てたことなんか一度もない。口だけではない、全てが正人に劣る。彼らは同じ中学、高校と進んだようだが、周りは仲の悪い噂しか、聞かなかったという。

 そのとき、隣からその死にそうな声は聞こえた。


「オソロシ山…」


 相川は、こちらに聞こえるか聞こえないかほどの音量で、声を発した。

 男たちは皆、さっきの正人の言葉でようやっと静まりかけた心臓に再び、エンジンをかけた。


「相川も興味あるのか?なら行こうぜ、オソロシヤマ。どうせそんな起伏も高さもないし、朝のうちに登ってしまえば昼までには帰ってこれるさ」


 苗木の調子のいい掛け声に、周りは拍手を重ね、歓声をあげる。女性たちはと言えば、こちらもそれはど悪くはないようで、男たちに悪ノリしている。相川は未だ、ぶつぶつと何か言っていたが、それを聞き取っていたのは、ぼくだけのようだ。


「やっと……会える……フフッ…………」


  ==================================


「じゃあ決定だ、明日の午前はオソロシヤマの屋敷探索だ」


 そう光は言い残して、みんなは各部屋へと散り散りになった。明日も早いので、できるだけ明日の予定を早く組み直し、就寝することにした。今夜はやけに肌寒い、夏の夜だった。


 随分と目覚めがいい。起きるのもぼくが1番早かったし、いつもできてるはずの目の下のクマは、昨日の疲れとともに吹っ飛んでいた。

 僕らは早速着替えをし、出発の準備をした。

 朝食を食べ終わると、みなすぐに荷物を持って1階のエントランスへと集まった。だが、2人ほど見当たらない。あとで事情を光に聞くと、急に帰らなくてはいけなくなったとかで今日の朝、出て行ったという。

 計26名、この人数で、これからオソロシ山へと向かおうとしていた。

 オソロシ山の入り口は、基本的には3つほどあるが、そのうち2つはもう閉鎖されているとのことだ。この山にも寿命が来たということか。町はやはり、ぼくの予想通りに衰退している。人工物だけでなく、上代町の自然自体が、人を拒んでいるかのように。

 オソロシ山の登山口へは、バスで行くことにした。バス停が、その入り口の目の前にあると示されていたからだ。


 バスに乗り込むと、運良く相川と隣になれた。

 相川は相変わらず手ぶらで、昨日と同じ白のワンピースを着たままだ。光から、着替えを持ってくるよう言われなかったのだろうか。

 ぼくはバックの中から、つばのついた無印の帽子を彼女に差し出した。幸い白だったので、色合い的に文句を言われる心配は無さそうだった。彼女はその帽子を手に取ると、嬉しそうに、こちらに笑顔を向けてきた。


「気に入ったのか?それ。欲しいならあげるけど」少し照れくさかった。


「本当?じゃあ、はい、お返し」


 そう言って、左手の人差し指に付けた銀のリングを、こちらに手渡した。

 それは何の装飾も施されていない、ただのリングだ。


「これ、何か大事なものじゃ無いの?いいの?俺なんかが貰って」


「いいの、私なんかが持つより、ずっと安心よ。ほら、私、よくものを無くすから」


 ぼくはそれを左手の人差し指に付けた。

 なぜ薬指に付€なかったのか、多分恥ずかしかったからだろうか。

 そこでふと、昨日のことを思い出した。

 そういえば、昨日は結局相川が何を伝えたかったか分からずじまいだったな。

 今聞くのも少し憚れるが、やはりここではっきりさせておかないと、また後悔したまま相川と別れてしまう 気がしたから…

 また…相川と……


「くん…成瀬くん。どうしたの、顔色悪いよ?」


 相川の声で、ぼくは現在へと引き戻された。


「ごめん、ちょっとぼーっとしてた」


「大丈夫?」


「ああ、それより、昨日のことなんだけどさ」


「昨日のこと?」


 彼女は、?マークを浮かべたかのような顔をした。無理もない、昨日の相川は何か変だった。きっと思い出したくも無いのだろう。当たり前だ、いきなり男の前で泣き崩れたのだ。

 ぼくだったら恥ずかしすぎて、ろくに相手の顔も見れやしない。

 ぼくはできるだけ相川の気持ちを察して、何でも無いと会話を無理やり終わらせた。

 相川の方はというと、ぼくがいきなりそっぽを向いてしまったことに動揺したらしく、望んでもいないのに謝られた。

 そこからは、できるだけ他愛のない会話を続け、バスが目的地に着くまでずっと、彼女の相手をしていた。バス停に着く頃には、すっかり打ち解けあって、お互いを名前で呼び合えるぐらいに親しくなった。

相川の笑う時の可愛らしさを独り占めしていると考えると、とても気分が良かった。

 パスの窓から外を覗くと、今までカンカンに晴れていた空が、どす黒く淀んでいた。山は、入り口のすぐそこまで草木をボーボーに生やし、そのすぐ先闇で覆っている。ぼくの不安をよそに、相川は帽子をかぶり、外へと出て行く。

 彼女の後ろ姿に目を凝らすと、そのワンピースのスカートの位置に、汚れがあることに気がついた。

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