立入禁止
梅榎
第1話
※
ぼくは……いつも……彼女を見つめていた。
夕焼けに反射した紅色に染まる頬や、うなじに生える微かな産毛や、どこか謎めいた雰囲気を持つ黒塗りの瞳は、彼女の意思とは無関係に、ぼくの心を虜にした。
夕暮れ時、彼女とともに公園の遊具で遊んでいたが、とうとうそれにすら飽きて、2人はマンションや家の見えない遥か地平線の彼方をジャングルジムのてっぺんから眺め始めた。
時刻はすでに5時を回っている。彼女は、時折寂しそうに遠くを見つめる、という変わった癖があった。何が良いのか、その頃のぼくには到底分かりもしなかったが、精一杯の背伸びをして彼女の真似をした。
風の鳴らす木々のせせらぎも、虫の奏でるキリキリとしたコーラスも、こんな時だけ空気を読んだかのように押し黙っていたが、それがかえって彼女との会話のなさをより一層引き立てていた。
すると、遠くから彼女を呼ぶ声が聞こえる。彼女の両親だろうか。柔らかな声質だが、決してこちらに届く前に萎んでしまうことはなく、しっかりと耳の奥底に響いた。
「」
彼女はジャングルジムからひょいっ、と身軽に降りると、ぼくの名前を言いながら手を振り、声の方向へと駆けて行った。
それが、ぼくが彼女を見た最後のシーンとなった。
※
8月中旬、ぼくは大学の夏休みを利用して、地元へと帰省していた。
ここらあたりは小さな集落がいくつか合併して出来た市の最南の町で、1時間に一本程度電車が通るぐらいに、この町は廃れていた。そもそも、ぼくが生まれるすこし前から今日に至るまで、市は中央部の開発に追われていたため、あまりこの町に開発の焦点が当たらなかったのだ。ぼくは子供の頃ここに住み、学校に通っていたので、今回はその小学校の同窓会に誘われたというわけだ。
電車に体を揺さぶられながら、外へと視線を向けた。すると予定通り、電車から無機質なアナウンスが聞こえてくる。
次は〜、《上代町》ぃ〜。上代町に〜到着しま〜す
上代町とはぼくの故郷の名だ。
もともと、神代という漢字を使っていたのだが、合併する時に変わってしまったと、両親には聞いている。
中学に入るとき、両親とともに東京の方へ転校してしまい、その後も大学に入学するまで、この町とは随分と長い間離れてしまっていた。すでに21になり、かれこれ10年ほど、この町を訪れることは無かった。
駅のホームに到着すると、懐かしい空気を直接肌で感じながら、子供の頃登下校の際に通った細長い一本道を歩いた。
自分でも不思議なくらいだ。小学生の頃のことを思い出せるかと大学の友人に聞いても、大概は記憶にないと答えられるのが常だった。だが、ぼくは驚くほどにこの町で過ごしてきた毎日を、頭の中のタンスにしまっておくことができた。別に全てのことを、少しの間違いもなく思い出せるかといえばそうではない。が、この町にはまるで、魂を縛られているかのようにいつも、記憶の片隅に残っていたのだ。
細い曲がりくねった一本道を抜けると、目の前に懐かしみのある小学校が現れた。
学校の正門まで行くと、今では見下ろした位置に構えている錆びれたプレートが目に入った。
〈蓮ヶ崎小学校〉
この学校の名前だ。
小学生のころ見たっきりだったから、校舎や校庭の小ささにいささか拍子抜けしてしまっていたが、やはり学校自体は変わってなどいなかったのだ。
ぼくが大きくなったのか…
そんなことを考えていると、校舎の入り口から1人の男が出てきた。背が高く、なかなかの好青年だが、子供の頃からの人懐っこそうな目や、両端がハの字のように垂れ下がった特徴的な眉は相変わらず彼を特定するのに十分すぎる情報だった。
「よう、久しぶり。俺のこと覚えとる?」
「忘れる訳ないだろ。ピンちゃん」
「おいおい、あだ名まで覚えてるなんて相変わらず変わらんなぁ、お前の記憶力の良さは」
「とかなんとか言って、光だって覚えてんじゃん。俺が誰だか」
彼の名は、【阿澄 光】。ぼくと彼とは小学校のころ1番と言っても過言ではないほどに仲が良かった。
「ところで、後ろの方は誰だい?知り合いか?」
光は後ろに目をやると、こちらの方へ向き直して尋ねた。
うしろ?
ぼくは体を180度くるりと回転させると、そこには白のワンピースを着た、可愛らしい‘しょうじょ’が立っている。少女はこちらをじーっと見つめながら、そのストレートに腰まで下ろした長い髪の先端を、指でくるくるといじっていた。
気配すら感じなかった。ずっと後を付けて来たのだろうか。
ぼくは驚いて、しばらくの間硬直する。
ぼくは彼女をじっと見つめ、その真っ白なワンピースにすら劣らぬ透き通った肌を、身体の輪郭を、太陽に反射する髪の黒を、目でなぞりながら追っていた。
すると突然、何かの近親感に襲われる。
うっ…………
目眩がした。右手で頭を抑え、なんとか頭が混乱しそうなのを制止した。
自分で言うのもなんだが、記憶力だけは人並み以上に優れていると思った。(それがぼくにとっての唯一の自慢だった)が、どうしてなかなか思い出せない。
すると後ろから、
「あれ、もしかして、あいかわ?」と、光がやっとのことで、彼女へ質問を投げ掛けた。
あいかわ…、【鮎川】【会川】【愛川】…
いくら考えても、聞き覚えがなかった。
「久しぶり、光くん……だよね?あと、……えっとごめん、なまえ……なんだっけ」
「……なるせ、【成瀬 誠】だよ」
「久しぶり、成瀬くん」
「いやー懐かしいな。一気に2人に会えるなんて、今日はやっぱり運が良い」
光には、悪い癖があった。何でもかんでも占いに頼ったり、神に祈ったりするとこだ。昔、興味本位で買ったオカルト雑誌にハマってから変になってしまった。
今日のラッキーカラーはピンクだとか言って、彼の姉のパジャマを勝手に学校に着て来た日にはみんなの注目を集め、彼の姉は高校生の癖にピンクのパジャマを持っていると、バカにされてたりした。
彼にピンちゃんなどと、変てこなあだ名を付けたのは紛れもなくこのぼくだ。付けた本人が忘れるわけが無いのだが、光はぼくがあだ名を付けたことをすっかりと忘れているようだ。それから彼はずっと、周りからピンちゃんと呼ばれ続けていた。
「ほらほら、2人とも中に入って。全員じゃないけど結構来てるから。この学校の閉校も兼ねてやってるから今回は集まりいいんだよね」
そう、蓮ヶ崎小学校は今年で閉校だ。
長い歴史を持つものの、ここら一帯は中学高校も無く、小学校を卒業すると町から出なければいけないため、ぼくの通っていた頃をピークに生徒数は激減し、今では1桁ほどの人数しかいない。
「みんなってどのくらいきてるんだ?」
「ざっと見積もって、全体の7割くらいかな」光はそんなことはどうでも良いかのようにそっけなく答え、
「それよりそれより、おまえ、いつの間にあいかわと親しくなったんだよ」と、耳元で囁いた。
「なあ、あいかわって…俺たちのクラスの子だっけ」
光のあまりにも的外れな質問を無視し、まずはあの少女の正体を確かめようとする。
「何言ってんだ?あいつは俺たちのクラスだったろうが。6年A組、【相川 由紀】。まさか忘れたなんて言わねぇよな?」
おかしい……。どうにもしっくりこない。
ぼくはあれこれと考えながら、光に導かれるようにして6年A組の教室の前まで来た。
「みんなー、成瀬と相川が来たぜー」
ドアが開けられると、そこには男女合わせて20名程度の知人がいた。いや、もっと多かったかもしれない。
背の高さや声の特徴、そして何より顔が随分変わっていたため、自己紹介をされるまで光のときのように、すぐに人物を特定することはできなかったが、彼らの新しい情報を聞くと、頭の中の引き出しにそれをすぐさま上書き保存することが出来た。
ぼくは東京という‘都会’に行っていたため、何人からかはよってたかられた。東京というコミュニケーションの少ないところに長く住んでいたせいもあってか、ここで物珍しそうに自分のことを聞かれるのは、かなり嬉しかった。
「誠くんまだ東京いんの?」
このやたら親しげに質問を投げつける少しボーイッシュな彼女は、【水樹 真帆】だ。
彼女とは幼い頃家が隣で、よく、さっきの通学路を一緒に歩いて学校に通った仲だ。子供の頃は分からなかった彼女の顔立ちの良さに、少々見とれてしまう。
ふと、相川のことが気になりだし、辺りを見回した。すると、相川は相川で、教室のほとんどの男子に囲まれ、質問ぜめにあっている最中だった。確かに、相川はかなりの美人さんだ。水樹 真帆がどれだけ可愛かろうと、相川の美しさには勝てないだろう、と思うほどだ。顔だけでは無い、全身から放つ神々しいオーラは、他の女性にはとても追いつけそうに無いような格の違いというものを、まじまじと見せつけられているかのようだ。
ぼくは真帆のいつまでも成長の見込めないまな板を見つめながら、相川の魅力をできるだけ納得のいくように頭の中で結論づけた。
「あんた何真帆ちん見てんのよ、もしかして新手の痴漢行為でもしてんの?」と、ぼくの真帆への視線を遮るように、間に割って入ってきた。
【横槍 桜】、小学校時代から見ないうちに、随分と“ゆるく”なったもんだ。みんなすでに二十歳を迎えているというのに、こいつは高校生のギャルのような濃いアイメイクと、甘ったるい香水の匂いを周りに撒き散らしていた。夏だからなのか、その黒く焼けた肌を、露出度の高い服からチラつかせている。
これでは目のやり場に困る、何せ彼女はハーフなだけあって、そのボディラインは真帆なんかとは比べ物にならないくらい刺激的で 、暑さのせいか上着を脱いでむき出しになった大きな胸は、こちらを無言に、かつ大胆に誘惑した。
「なんだよ、新手の痴漢って。」
「ほら、髪の匂いとか嗅いで興奮する変態いるじゃん?あんたも都会行って変態になったのかなーて」
なんてアホらしい。俺がそんなことをする変態に見えたのか、こいつは。
桜は真帆を抱き寄せ、彼女の頭をよしよしと撫でた。真帆の顔に桜の胸がこれでもかというほどに押し当てられ、真帆は顔を一気に赤らめた。
「そんなカッコして、隼人はなんも言わないのか?」
「あいつすぐビビるからさ、私が強気に出たらなんも言わんくなったよ」
【横槍 隼人】彼女らは双子だ。災難なことに、こっちのアホの方が姉なのは、隼人に同情せざるをえない。
隼人はいつも臆病で、姉の下にいつも敷かれていた。女子にかなり人気があったが彼自身はあまり興味がないようで、いつもこいつの近くにいた。
俺は子供の頃の記憶を、少しずつ少しずつ出してはしまい出してはしまいを繰り返した。相川の人気がようやっと落ち着き始めた頃、時計の針は6時を指していた。
かれこれ4時間ほど、彼女の周りには男子がハエのようにつきまとっていたのだ。
ぼくはその間、光や隼人と昔話をしていた。
話がいったん落ち着くと、突然光が教壇に立ち、みんなへ声をかけた。
「えぇ〜、本日はお集まりいただき。誠にありがとうございます」いいぞいいぞーと、どこからか歓声が飛ぶ。
「同窓会は明日まであるので、心置き無く話せるのですが。この学校自体はもう閉まるので、これから事前に予約しておいた旅館へと向かいましょう」
そう言うと、光は周りに片付けをするよう促した。あらかた片付けが終わると、警備員さんにお礼を言い、学校を後にした。
旅館は学校の裏に構える、巨大な山の反対側にあり、その裏山を随分と迂回して行かなければいけないため、各自での移動となった。
予想はしていたが、相川の周りには相変わらず男子が群がっていた。
これじゃあ帰りに誘うのは無理か。
そう考えていると、
「おーい、乗ってくか?」と後ろから声がかかった。
振り返るとそこには、車を横に佇む男が見えた。
「おっ、ありがと。用意いいんだな。」
そう言って後部座席に乗り込むと、さっき話していたメンバー(桜・隼人・真帆・光)に加え、【西園寺 美香】と【長谷川 達也】がいた。
達也の方は、よく光と3人で遊んでいたので知らないはずも無かったが、西園寺 美香は小学校の頃からよく分からないやつで、学校内では一度も話したことがない。いつも難しそうな本を読んでいる、変わったやつだと認識していた。
さっき声をかけてくれたのは【神無月 正人】、 この町の町長の孫にあたる人物だ。彼は随分としっかりしており、いつかはおじいさんの跡を継いで、町長なるのだろうと、誰もが思っている。それほどまでに、周りからの信頼が厚いのだ。運転を正人が、補助席に光。中央に達也、真帆、ぼく。そして後ろに西園寺、桜、隼人の順で座った。
車は移動を開始し、まだ日も沈まぬうちに旅館へと向かった。
途中、裏山が見える場所に差し掛かる。窓際の俺は、当時と変わらない図体で構える“オソロシヤマ”を眺めた。オソロシヤマと名がついたのは、うちのばあちゃんの口癖によるものだった。いつもあの山を通るときは決まって、おそろし〜、おそろし〜と、呼ぶばあちゃんが面白おかしくって、ぼくが学校に言いふらしたのが原因だ。こう考えると、ぼくは随分とあだ名を付けたな。
人の記憶力には限界がある。もちろん、ぼくも例外というわけにわいかない。だが、より多く覚えるためには、自分の“知らない・知らなくともいい”を“知っている・知りたい”に変換し、出来るだけ分かりやすくすることが大事だ。
そのために付けた。
だから、自分のために変換した言葉が、みんなに面白がられるのはとても気分が良かった。もちろん、光と仲良くなったのも、ぼくがピカちゃんとあだ名を付けてからだ。それまでは彼の占いどころか、名前すら知る気にもならなかったので、自分としては面白半分で付けたに過ぎないのだが、やい俺に変なあだ名を付けたんは誰じゃと探し廻られた時は、かなり驚いたもんだ。
ぼーっとオソロシヤマを眺めていると、山の頂上付近に、一件の屋敷が見えた。
そこには山の中としては随分と似つかわしくないキラキラとした明かりがついていた。ぼくは不安に思い、いったん目を車の中へと戻した。すると、真帆に見つめられていることに気がついた。彼女と目が合うと、真帆はすぐに達也のいる方を向いた。
「水樹?」と念のため、自分の顔にでも何か付いているのかとふと思い、尋ねた。
真帆はううん、なんでもないと首を横に振る仕草を見せた。
「おや?真帆ちんは大胆だね〜」
「ん?なんかあったのか、お前ら」と達也。
「いや…それよりさ、今日、お前ら相川となんか話した?」
運転をしている正人以外は、こちらを見て不思議そうな顔をした。
「いつもと変わらんと思うけど。どしたの?」
「いや、変わらないんならいいけど…」
光は、相川とぼくのことをいちいち着色しながら話し、ぼくを茶化した。
「やっぱり、…成瀬くんもそう思う?」
突然、みんな不意を突かれたかのように笑いを止めた。その発言をしたのは、西園寺だった。
「え、どうしたの?美香っち」
西園寺が他の人と話しているのを、ぼくはほとんど見たことがない。そんな西園寺に、桜はどうも人と絡むことが好きなこの性格からか、よく仲間に誘おうと話しかけていた。今でもそれは変わりないらしい。
「私も、やっぱり彼女は少し、その、おかしいと思った。なんと言うか、違和感?の、様なもの」
「な、何言ってんだよ。相川は相川だろ?」
光はこちらを向かずに西園寺に聞いた。
いくらかの気まずい雰囲気が流れる。すると、正人は気を利かせてくれたのか、スマホを車のスピーカーに繋ぎ、音楽を垂れ流した。
「これ、なんて曲?」
真帆はそんな静寂を打ち切った。
「確か、『立入禁止』。俺たちがちょうど小学生の頃人気のあったアニメの曲だよ。」
「よく分かったな。なかなかこういうの聞かないよね。意外といいもんだよ、アニソンってのも」
正人は根っからのアニメオタクだ。これは父の影響らしかった。アニメオタクといっても、最近のぼくでも見たことのある様なメジャーなアニメだけでなく、自分の生まれる前の作品にまで手をつけるほど、アニメが好きだった。
「相変わらず正人はアニメ好きだな、そんなんじゃまたお前の母ちゃん心配すっぞ」
「悪いが、アニメ鑑賞をやめるつもりはさらさら無いね。最近のアニメもいいぞ、みんな好き嫌いせずに見れば絶対面白いから」
正人や達也のおかげで、悪くしてしまった車内の雰囲気はある程度、元に戻りつつあった。
しばらく車を走らせると、やっといくつか商店街や、町の明かりが戻ってきた。
田舎とはいえ、観光業はまだまだ捨てたもんじゃない。ここは有数の温泉スポットだから、案外宿泊客は多いのだ。ぼくたちはそんな商店街のスポットライトや、巨大なネオンのちらつくホテルを後に、自分たちの泊まる旅館へと急いだ。
旅館に着くと、学校にいた全員が、こちらを待つ形になっていた。
「じゃあ、ここから大体5人くらいに分かれて。もちろん、女性と男性は別々です」
周りからブーブーと不満を表すものが出た。まあ、これも一種のノリというものだろう。
「大丈夫です。ちゃんとこれから交流できます」
ヒューヒューと思いっきりの手のひら返しが、光へと飛んだ。こういうのは、二十歳辺りの独特の雰囲気だ。別に嫌いじゃ無い。好きでも無いが。
ぼくたちは班を作り、エントランスで自分たちの部屋の鍵を受け取った。光の話だと、この宿の予約を取るとき、今回の同窓会のことを話すと大いに喜ばれ、随分と宿泊代をまけてくれたらしい。老夫婦2人で切り盛りするこの旅館も今年で終わってしまうらしく、僕たち以外にほとんど客は居なかった。
ぼくは、隼人、光、正人、そしてチビとノッポの計6人で班を作ることにした。2人の名前は【狭間 勇気】と【烏間 通】。小学生の頃のガキ大将として、2人して君臨して居た。チビは喧嘩が強く、図体と威圧だけは一丁前のノッポをひき連れて、よく悪さをして居た。もちろん、2人の仲が悪いという噂は一度として聞いたことがなかった。
ぼくは、先に部屋を出ると、旅館の中を探索し始めた。大好きだった。知らない場所に行って探検をすることは、少し馬鹿げているかもしれないが、探究心に歳など関係ないのだ。
部屋を構える3階から、大きなホールや、食事会場なんかのある1階へと階段を下る。すると、1階から登ってきたのか、西園寺が自分の肩を抱き寄せながらブルブルと震えていた。顔も真っ青になり、まるで生気の吸われた生き霊のように虚ろな目をしている。
「どうした、何か気分でも悪いのか?」
「……」
西園寺は答えない、探索を一旦中止し、3階の彼女の部屋へ連れ添った。ドアに出た【工藤 陽子】は随分と驚いた様子だったが、一度深呼吸し、ありがとうとだけ言って西園寺を中へ引き入れた。
ぼくはもう探索する気も起こらなかったので、迷わず食事会場に直行することにした。
1階へ降り、光のくれた旅館案内の地図を見た。
「……ねぇ」
背後から聞き覚えのある声が聞こえ、思わず背筋を伸ばした。そのか細く今にも消えてしまいそうな声の主は、他ならぬ相川だった。
「どうしたんだ、食事会場なら俺もいまいくとこだぜ。一緒に行くか?」
「ちょっと、付いてきて欲しいところがあるの、ダメかしら」
「いいよ」
彼女の誘いを断るべきだった。だが、彼女の事を知りたいと思ったぼくに、理性はそれを止めることが出来なかった。
彼女は進路を食事会場とは逆の、長い通路へと向かった。ぼくも仕方なしに、彼女の後を追う。次第に明かりは少なくなっていき、その感覚はすでに旅館の雰囲気ではなかった。ぼくはたまらずスマートフォンの明かり機能を使い、先行する彼女の足元を照らした。
〈立入禁止〉
そう書かれた赤コーンと出会ったのは、僕たちが歩き始めてからすぐのことだった。相川はそんなもの、最初からなかったかのように、通り抜けて行った。
「おい、流石にまずいって。早く戻んないと怒られるぞ」
すると、相川はその白い肌をより一層見せながら、
「あなたは、来ないの、いつもそう、あの時も……」
と、言った。
うっ……うぅ…………。
あの時……何のことだ、分からない。思い出せない。
ぼくは彼女の言葉を、その意味を考え、その場で大量の汗をかいた。 なぜ思い出せないのか、彼女との記憶の交わりを、齟齬を、共有を…。浮かんでは消え浮かんでは消えを繰り返す。
更に脳は混乱する。また、頭を抱え、爆発するのを必死に堪えた。
※
「まこっちゃんはこの町、好き?嫌い?」
「……」
「私ね、この町が好き。」
「……」
「お母さんが好き、お父さんが好き、家で飼ってる猫のミャー太も好き、駄菓子屋も好き、学校が好き、先生も好き、皆んな大好き。それに、まこっちゃんもだよ…。でもね、1つだけね、嫌いなもの出来ちゃった。嫌だよね、こんなに好きなのに。まこっちゃんは分かってくれる?」
「……」
※
ハァ……ハァ……やめてくれ、何なんだ、この記憶、いつのだ…子供の頃?何だって今なんだ、思い出して何になるんだ。ほっといてくれ……、ほっといてくれ‼︎
「誠くん⁉︎」
近くに駆け寄ってくれたのは、真帆だった。
「大丈夫⁉︎どうしたの?何でこんなところに」
何も答えられなかった。答えようがなかった。
「相川さん、何でこんなことするの?誠くんがこんなになってるのに、助けることすらしないわけ‼︎」
額に手を当てると、自分が大量の汗をかいている事がわかった。頭も同様に痛い。
「大丈夫だ、それに相川は何にもしてないよ。俺が勝手について行ったんだ。突然気分が悪くなっただけで今はもうすっかり良くなったよ」
嘘だ。まだ頭がズキズキと痛む。真帆は俺のことを支えて戻ろうとした。
すると、今度は相川が真帆の腕を掴み離さない。真帆は驚き慌てて戦闘の構えをしたがそれは空振りに終わった。
「ごめん……なさい。私、分からなくって。どうすればいいのか。ごめんなさい、ごめんなさい……」
ぼくらはぎょっとした。それまであまり表情を見せなかった相川が、その白い顔をグチャグチャにして、泣き崩れていたのだ。
ぼくは真帆に、もう歩けると、視線を送り、真帆もぼくを支えていた手を相川の方へと伸ばした。
「ごめんなさいは私の方ね、誠くんのことばっかりで、あなたのこと何も聞こうとしなかった」
真帆の声は、まるで泣き崩れた幼稚園児をあやす母親のように柔らかな口調で、相川に接した。
このことは3人で内緒にしようと約束し、しっかり涙や汗を拭いて食事会場へ向かった。すでに何人かは来ていたが、できるだけ目立たぬよう、長机の端っこに身を寄せ合って座った。
その後、他の人が来るまでの間に何とか気持ちを立て直そうとしたが、その間3人に会話が生まれることは無かった。それにしても何だったのだろうか。相川は何を伝えたかったのだろう。
ぼくは彼女や、さっきの出来事について、しばらくの間考えるのをやめた
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