🐈🐈🐈🐈たいちょーはご立腹です。

幸太郎はとても反省しているので、どうか許してあげてください。

 ばしん、と床に尻尾を打ち付けて銀二は激しく抗議した。


 許すまじ、幸太郎。


 銀二はとても怒っている。

 世の中にはやっていいことと悪いことがある。そしてこれは明らかに後者だ。


 銀二はバシバシと尾を打った。


 だって。


 すごく怖かったのである。




   🐈🐈🐈




 幸太郎はテレビを見てぽんと手を打った。尻尾をぱんぱんに膨らませて爪先立つその姿には見覚えがある。


 可愛かったなぁ。たいちょー。


 出会った頃のことを思い出して幸太郎の顔がだらしなく弛んだ。

 その顔が気持ち悪い、と猫たちに思われていることを幸太郎は知らない。知らなくてもいいことというのは割とあるもので、これも幸太郎が知る必要のないことだ。むしろ知らなくてラッキーだと言える。


 よっこいせ、と立ち上がり幸太郎は冷蔵庫を開けた。


 おー。あったあった。


 じゃじゃーん! と取り出したのは、なんの変哲もないきゅうり。板摺にするととっても美味しいビールのお供である。因みに幸太郎のビールはスーパーで一本九十八円で売っている本当は違う名前のお酒だが、そこを突っ込むと売られていく仔牛のような目で見つめてきて面倒臭いので、スルーすることをお勧めする。


 兎にも角にも、幸太郎は取り出したきゅうりを窓辺にちょこんと座る鯖トラの左斜め後ろにそっと置いた。

 本来ならとろくさい幸太郎の動きになど翻弄される銀二ではないのだが、折り悪くこのとき彼は窓の向こう側で揺れる洗濯物に夢中だった。気持ち浮かせたおしりをぴくぴくと動かして、幸太郎のぱんつが風に揺れるのを凝視している。

 きゅうりなど目に入らない。


 どのくらいそうしていただろうか。幸太郎はじっと待った。もともと気が長い幸太郎は待つことが苦にならない。揺れるおしりは可愛いし、寧ろほっこりしながら頬杖を突いて銀二を眺める。

 すると、何に満足したのか銀二がほっと息を吐いて腰を落とした。そのまま何気なく振り返る。


「……!!」


 声にならない悲鳴をあげて、銀二は飛び上がった。


 おおー。

 さっきのテレビの猫と一緒だ。でも、たいちょーの方がずっと可愛いな。


 幸太郎は相好を崩した。もともと弛みきっていた、と指摘する者は今はここには居ない。


「すごいなー。全く矯めも無しでよくあんなに飛び上がれるもんだ」


 呑気にヘラヘラ笑う幸太郎をキッと睨んで、全身の毛を逆立てたまま、銀二はぱしんと尾を打った。




   🐈🐈🐈




 銀二は怒りを込めて幸太郎を睨んだ。毛が逆立ってまるで狸のようになった尻尾をばしんばしんと床に打ち付ける。


「にゃあ」 

(何をする)


 最大限の抗議をぶつけたつもりだったが、幸太郎にはイマイチ伝わらない。間抜けなのである。


「ごめんな、たいちょー。びっくりした?」


 のほほんと笑われて銀二の怒りはますます募る。


「にゃにゃにゃにゃにゃっ!」

(びっくりした、なんてもんじゃないわ。いったいどういうつもりだ。幸太郎)


 因みに、副音声でお伝えしているが幸太郎は銀二の言葉を解さない。銀二には幸太郎の言葉が分かるのに、何故幸太郎には分からぬのか。解さない幸太郎が阿呆なのか、伝えられない銀二が低能なのか。考えてもわからないので、銀二は考えることをやめた。幸太郎には銀二の言葉が分からない。でも、何となく通じている。それでいいか、と銀二は思う。


「だからごめんて」


 いつまでもビシビシと尻尾を振り続ける銀二に幸太郎が詫びる。けれど、銀二には分かっている。こやつ、全く反省しておらん。


「でも、何であんなに驚くかなぁ」


「にゃあ?」

(はあ?)


 ほら見ろ。と銀二は思う。全然反省していない。


「たいちょー、強いじゃん。飛んでる鴉も叩き落としてたし」


 強い、と誉められて銀二の怒りが多少和らぐ。しかしその手には乗るか。群れのボスたるもの、それくらいは出来て当然なのである。


「にゃあ」

(だからどうした)


 銀二は半眼で幸太郎を見上げる。ちょっと誉めたくらいでは許してやらないのだ。


「なのに何であんなにびびってたの? たかがきゅうりに」


「にゃにゃっ」

(たかが!?)


 たかが、だと?


 僅かに治まりかけていた銀二の怒りが再び燃え上がる。


「うにゃ? うにゃにゃ!? うぎゃあああぁぁぁぉ!!」

(たかが? あれが、たかが!? 私がどれだけ怖かったと……!)


 銀二は幸太郎の間抜け面に飛びかかった。飛びかかられた勢いと顔面に抱きつかれた不安定さに、幸太郎が後ろに倒れる。


「おわっ」


 仰向けになった幸太郎の顔面を、銀二はがしがしと踏みつけた。


「にゃ! うにゃあ!! うにゃにゃにゃん? にゃん、にゃああぁぁぁんん!!」

(ばか! お前、ばか!! 何でびびったのか、だとぉ? そんなの、知らん間に後ろをとられてたら驚くに決まってるだろうが!!)


「うがああぁぁぁん!」

(何か分からんもんがあんなところにあったら、怖いに決まってるだろおぉ!)


 がしがし、がしがし、と銀二は足を踏み鳴らした。


「痛い! 痛いって、たいちょー!」


 幸太郎は悲鳴を上げる。

 とは言え、銀二の爪はきちんと仕舞われている。がしがしと怒りをぶつけてはいるが、銀二には幸太郎を傷付けるつもりなどない。だって、大好きなのである。


「うにゃああぁぁん!」

(幸太郎のばかーー!!)


 銀二は涙目だ。


 怖かった。

 怖かったのである。

 尻尾をぱんぱんに膨らませたまま、銀二は幸太郎の顔を叩き続けた。




     🐈🐈🐈




「ごめん」


 神妙な声で幸太郎が言った。


「ごめんな、たいちょー。怖かったな」


 幸太郎の手が、銀二の背を優しく撫でる。二度三度と繰り返すと、膨れた銀二の尾が落ち着いてゆく。


「にゃあ」

(許さん)


 銀二はぽすぽすと幸太郎の頬を叩いた。


「ごめんな」


 幸太郎の手が銀二を撫でる。首筋を宥めるように擽られて先程までの怒りなど霧散してゆく。でも。


「にゃあん」

(許すか、ばか)


 穏やかな昼下がり。他にはだあれも居ない幸太郎の部屋で。一人と一匹はじゃれ続ける。


 とても群れの奴等には見せられない。

 たいちょーはちょっぴりご乱心なんである。

 


 

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