極点 その1

 黄都こうとの中央を横切る大運河は、夜でもガス灯の光を煌々と反射して、道を歩く二名の影を映していた。

 枯草色の軍服を纏う髭面の男と、その背後に続く粘獣ウーズである。


「こういう場合、勇者候補者はいい。能力に信頼が置ける」


 歩きながら、みはりのモリオは独りごちた。既に魔王自称者指定を解除されたとはいえ、個人の力でオカフ自由都市を興した、世界逸脱の“客人まろうど”である。


「尾行はないな。サイアノプ」

「あくまで、尋常の手立てに限ればだ」


 粘獣ウーズは無愛想に返す。


 見られていることを確信できる達人があり得るとしても、見られていないことを確信できる者は、この世に多くはない。このサイアノプの如く、自らの知覚の範囲と精度に、絶対の確信を持つ武芸者である必要があるからだ。


「中央には、機械仕掛けで会話を盗む技術もあると聞いたことがある。そこまでは僕の知れたことではない」

「防諜なら“彼方”で随分やった。盗聴の危険性はない。そういう場所を選んでいる」

「ふん。そこまで臆病になるような相手か」

「あんたにとってはそうじゃないだろうがな」


 答えながら、モリオは鉄造りの大倉庫を開ける。各所に点在するこうした資材保管庫は、ジギダ・ゾギが六合上覧りくごうじょうらんを戦うべく遺した資産の一つだ。


「好都合だ。僕からもこの機に、一つ訊いておきたいことがあった」

「なんだ」

「何故、音斬りシャルクをアレナだと見た」


 この両者が行動を共にするのは初めてではない。最初の接触は第七試合の直後、モリオ自らがサイアノプを訪れている。

 彼はかつてマリ荒野に打ち捨てられた白槍を手渡し、サイアノプにとって驚くべき事実を告げた。今なお消えぬ執着である、“最初の一行”の安否に関わる報せを。


「俺のオカフには……出身も経歴も、色々な奴がいた。殺し合いしか誇れるものが残ってないような連中ばかり、“本物の魔王”は随分作ったもんだ。その中に、“無明の白風”と同門だった男がいた」


 自ら灯したランプで葉巻に火をつけて、モリオは自分のこめかみを指で叩いた。


「ここ……左の側頭の辺りだが、六年前、黄都こうとの連中との小競り合いで銃弾がかすめてな。今じゃあ涎も垂れ流しっぱなしの、ボケた爺さんだ。だが人生の業ってもんは、簡単には消えやしない。どんなに速い太刀筋も、目で追うんだ。実の娘の名前も覚えちゃいない有様だが、戦いの記憶だけははっきりしてる」

「その男が、第七試合を見たのか」

「……アレナだ、と言った。間違いない、一番の天才だったあいつの技だってな」


 サイアノプがルクノカに破壊されたマリ荒野の有様を見ることができたのは、第八試合の最中の旅でのことだ。

 第七試合の最中、戦闘で負った傷を癒やしていた彼にその余裕はなかった。シャルクの槍技を直接目撃したわけではない。だが……


「根拠にならん。到底、信憑性のない話だ」

「俺もそう思う。だからに、回収した槍を渡した――お前の見立てはどうだ、サイアノプ」

「……」


 サイアノプは、あの一瞬にすれ違ったシャルクの存在を思う。

 “死”は、何にも勝る激変である。人格の変化は、立ち振る舞いも、言動すらも変える。骸魔スケルトンと化した場合、生前身につけた技術すら同一である保証はない。

 モリオが語った老兵の有様でさえ、かつての自己との連続性が残されていた――“死”ではないのだ。


 シャルクにアレナの面影はない。死に怯え、素直に感情を表現し、常に誰かと共にいたあの少年ではない。

 もしも残されたものがあるとすれば、それはサイアノプが目にしていない槍の絶技だけだ。仮に本人であったとしても、たったそれだけしか残っていないものを、あのアレナ本人と呼ぶべきであろうか。


「可能性はある」

「……根拠は?」


 モリオは、サイアノプ自身と同じ問いを返す。粘獣ウーズの表情は読めない。


「地平咆メレに勝った」

「フッ」


 葉巻の煙が、愉快そうな笑いと共に揺れた。


「あんたも、人のことを言えないじゃあないか」


 “最初の一行”という者達がいた。伝説の英雄。とうに死んでしまった仲間に対する粘獣ウーズの信頼と執着は、どれほど大きなものだっただろう。

 サイアノプはきっと、みはりのモリオと同じ類の戦士なのだと感じる。戦いのために戦っているが、それは自らの心を納得させるための信仰に近い。


「いずれにせよ、確かめる機会は十分残っている。奴が真に“最初の一行”なら、勝ち上がり、僕と立ち会うことになるはずだ」

「……大した自信だな。あのルクノカをどう殺したかは知らんが、あんたの消耗だって軽くはないだろう」

「その時まで生きていれば、僕は構わん」


 モリオは預かり知らぬことであったが、サイアノプは既に残る命の全再生を消費し尽くしている。

 今こうして彼が生存しているのは、まさしく余命。に過ぎぬ。


「――どうでもいい話だ。貴様の用件はいいのか」

「……。なかなか切り出しにくい話の流れだな」

「ふん。どの道、こうして人目を憚る類の話題ではあるのだろう」


 傭兵の長は、右のポケットに手を差し入れた。

 武器ではないことは、サイアノプの見立てで分かる。


「これの話だ」


 投げ渡されたのは、指先ほどの小瓶だ。サイアノプは仮足でそれを受け取る。


「何だこれは」

「薬だ。俺が今こうして、盗み聞きに臆病になっている理由でもある」

「……」


 彼は瓶を透かすように見た。

 中には透明な液体が収まっていて、ガス灯の橙の光できらきらと光った。


「ただ力比べをしている連中は知ったことじゃあないだろうが、六合上覧りくごうじょうらんの裏で、誰にも知られずに全てを掌握しようとしている連中がいる。見た目じゃあ支配されていることすら分からん斥候を、ありとあらゆる勢力に送り込んでいる。……言葉通り、組織を冒す病原体だ」

血鬼ヴァンパイアか」

「物知りだな。だがお前の知るそいつらより、万倍も厄介な敵だ」


 軽口を返しながら、今はモリオも笑ってはいない。

 倉庫の暗闇の逆光で視線を隠しながら、言った。


「そいつは……感染を防ぐ抗血清。当然、この世界じゃ黄都こうとの技術力でもなきゃ精製できん代物だ。俺達は医療部門に伝手があって、そこから流してもらった」

「……何を……」


 サイアノプの声色は変わらない。

 それでもモリオには、煮えたぎるような恐れの色が分かった。

 肌が引き裂かれるほどの脅威を感じる。


「…………。何を……言っている……」


 膝丈よりも低いはずの粘獣ウーズが、全てを殺滅する爆弾以上の。

 だからこそ、みはりのモリオがここに来たのだ。


「サイアノプ。血鬼ヴァンパイアの治療薬の作り方を知っているか」


――――――――――――――――――――――――――――――


「無謀だ」


 中二階の粗末な木箱に座り込んだまま、ケイテは呟いた。


 市街が発展するほどに、その死角も広大になる。人族じんぞく最大の都市である黄都こうとともなれば、これほどの軍勢が居並ぶほどの死角すらあり得る。

 とうに放棄された造船所と思しいが、内部は要塞にも等しい武装化がなされ、原型を留めていない。


「……まったく無意味な有象無象だ。この数で黄都こうとには勝てまい」


 この建物のみで百名以上。その規模の集団が複数。

 それを認識した上で、旧王国主義者の軍を見下ろす円卓のケイテからはそれ以上の評は出ない。


「我々には地の利があります」


 彼を監視するように立つ摘果てっかのカニーヤの顔には、笑みが貼り付いている。

 旧王国主義者を率いる軍団指揮者の一名である。生まれつき筋骨が極度に肥大した、男性以上の膂力を持つ女傑であった。


「今は亡きギルネス将軍は、アウル王時代からこの地を熟知していました。入り組んだ地下水路や、無人区画を貫いて通る『道』をも含めて。この国は、我々にとっては自らの庭のようなもの。加えて軸のキヤズナの量産した、高性能の機魔ゴーレムの軍勢を駆使するなら……黄都こうと軍の定石剣術ごときは、一方的に奇襲できるわ」

「フン。そうか」


 杖のように立てた剣の柄に、顎を乗せる。


「ならば貴様。その上でこの蜂起の勝率、何割と見る」

「二割」


 カニーヤは即答した。


「……運が向かなければ、一割。次はないでしょう。しかも黄都こうと側にも余裕がない今は、兵の殆どが死ぬ」

「チッ……分かっているではないか」


 不機嫌に返す。“黒曜の瞳”の追撃より救助された後、ケイテとキヤズナは、彼ら反逆者の作戦に幾許かの協力をした――それが半ば脅迫に近い強制であったとしても、絶対の窮地を救われた借りがある以上、それ自体は納得している。だが。


「俺は、このような玉砕をさせるために情報や機魔ゴーレムを提供したのではないぞ。戦うならば、勝つべくして戦え。それが将として最低限の責務だ」

「我々には、もういないのですよ。円卓のケイテ」


 かつて大敗を喫した軍勢の生き残りは、傷に削がれた視線を兵士達に落とした。


「そのような理で熱狂を押し止めるには、力を持つ――信頼と英雄性を備えた将が必要だということは分かるでしょう。破城のギルネスだけではなかった。率いる力を持っていた者は、かつては幾人もいた……」

「当然、そうした将から削ぎ落とすのが戦というものだ。サブフォムやカヨンも元は旧王国の将であったそうだな」

「……」


 正しい王国を取り戻そうとする軍は、勝利の予感に沸いている。

 ギルネスの敗北以来、かつてない数の兵力が集い、圧倒的な魔王自称者の力を借り、元第四卿ケイテの後ろ盾を得て……今度こそ、勝てるつもりでいる。


「……戦争は、将が始めるものではない」


 カニーヤの呟きを、他人事のように聞いている。

 必ず敗北すると分かっていても、止まらないことがある。

 ケイテが最も忌むべき、蒙昧な愚民達の洪水によって。


(……間違いない。この連中の裏で手を引いている……否、手を引いていたのは、千一匹目のジギタ・ゾギ。奴がやったことは、装備の納入時期で蜂起の時期を調整することだけ……つまり、連中が攻めはじめたその隙にと言っている)


 ジギタ・ゾギは、第八試合で死亡したと聞く。その事実にも、一切の意味がない。

 現に彼の起動した作戦はこのように、本人が死しても、否応なく全てを動かしつつあるのだから。


 接触もない。口に出して指示されてすらいない。

 だが絶好の機会を差し出すことによって、と言われている。

 円卓のケイテが目的を果たすには、仕組まれた旧王国主義者の暴走に……黄都こうとと『見えない軍』両者の注意を引くこの陽動作戦に乗ずるしかない。


(――メステルエクシルに対抗できる札は、俺達だけ)


 絶対の不滅。無限の進化。究極の兵器。

 この地平の全存在に対処不能の力が、今や敵の手駒だ。


「皆の者!」


 階上から、摘果てっかのカニーヤが進軍の号令を開始する。

 彼女が呼びかけている民の一人ひとりが、ケイテには愚かな昆虫のように見える。


「今こそ、反撃の時は来た!」

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