穢れなき白銀の剣 その2

 ソウジロウは、第三試合を勝ち進んだのだという。

 彼の戦いに興味がないわけではなかったが、遠い鉤爪のユノには、それよりも遥かに優先すべきことがあった。


 第四卿ケイテと共に黄都こうとに反旗を翻した軸のキヤズナを、彼女は追い続けている。魔王自称者キヤズナは、彼女の故郷のナガンを滅ぼした、直接の仇だ。

 足取りはある一点で途絶えていて、何処かの組織がケイテらを匿っているのかもしれない。あるいは黄都こうとを遠く離れて逃走したかもしれない。あるいは……


 そうして、ソウジロウの優先順位を後回しにし続けていた。

 彼女のような凡俗が傍にいなくとも、ソウジロウは無敵だ――


「ソウジロウ」


 病室の扉を踏み越えた地点で、ユノは立ち尽くしていた。

 ソウジロウはベッドに横たわっている。


 右腿から先が存在しない。


「なに、それ」

「んァ」


 剣豪は、心底面倒だとでも言うように欠伸をした。


「オゾネズマにやられたに決まってんだろ」

「決まって……き、決まってるわけないでしょう。どうして。あなた……あの迷宮機魔ダンジョンゴーレムだって、無傷で――“彼方”の兵器も倒してきたんでしょう!?」


 最強を名乗る強者が集う真業しんごうの戦い、六合上覧りくごうじょうらん。当然、柳の剣のソウジロウの敵も、それに並ぶ最強であろうと理解していたはずだ。

 強者を前にソウジロウの剣が折れる様を、歪んだ復讐として切望すらしていた。


「だって、そんな、今さら――まるで」


 ――まるで普通の人間ミニアみたいに。


 手足の一本を失うなど、殺し合いの場においては当然の負傷だと知っている。

 当然の負傷を当然に負っていることが、あり得なかった。

 黄都こうとまでの旅路で、柳の剣の強さを幾度も目に焼き付けてきた。ソウジロウはいつだって、無敵の“客人まろうど”だったのだ。


 頭を殴られたような、ひどい衝撃だった。


「グッ、グッ……そりゃ、オゾネズマがその連中より強かったってことだろ。戦車でも、戦闘機でもよ……あんなに速ェ旋回で、狙いが正確で……考えてこっちを殺しに来る野郎はいなかったもんなァ……」

「あ、脚……生術せいじゅつで、治らないの……?」

「ハーディは無理って言ってたな。つーか、俺よりオメェの方が詳しいだろ。手足を生やす生術せいじゅつなんかあンのか」

「……」


 そのようなことができる者は存在しない。この世界に訪れたばかりの“客人まろうど”に対して、そこまでの生術せいじゅつを行使できるような者は。

 欠損部位への再生の生術せいじゅつは、極度の熟練を要する上に、その対象が失った部位について、対象本人以上に熟知していなければならない。


「…………。ごめん」

「何がだ」

「……私……全然、分かっていなかった……。あなたが傷つくのを見たら、もっと、何か……気分が晴れるものだと思ってたのに……!」


 彼女が、ソウジロウを黄都こうとまで連れてきた。そうでなければ……彼女がハーディに彼を紹介しなければ、彼は気ままな“客人まろうど”のままだったはずだ。

 ソウジロウが……真に無敵の、認識の及ばぬ怪物のままだったなら、ユノが罪悪感や責任を覚えることはなかっただろう。だが、彼はただの人間ミニアのように傷を負って、きっと死んでしまいすらする。

 ――勝手だ。


「さ、最悪……なんでこんなに中途半端なの……! リュセルスが死んだのに、なんで一つも……あの子のためにやってあげられないの!」

「だから言ってることが全然分かんねェーって」

「私は……ッ、私は、あなたを殺すためにここまで連れてきたの! 自信満々のあなたを、もっと強い誰かが叩き潰して……! 惨めに死ねばいいって思ってたわ!」

「あァ?」

「どうせ『わけが分からない』って思ってるんでしょう!? 私もよ! バカみたい……! 脚まで千切れて、いいザマよ!」


 ユノは、壁に拳を叩き付けた。


 ソウジロウは、まったく不可解なものを見る表情で彼女を見ている。

 ただ楽しむために敵を斬り続けてきた剣豪は、それ以外の動機で他者を攻撃する者を理解できない。


「つーか俺が何かしたのか」

「したわよ! わ、私の……皆のナガンを皆殺しにした機魔ゴーレムを! 『大したことない』って言った! バカじゃないの!? わよ! あの日、機魔ゴーレムが動き出したのは、どうしてだったか考えたことあるの!?」

「……ああもう、落ち着け」

「落ち着けるのは……あ、あなたが強いからでしょう……! 絶対に死なないって思ってたんでしょう! “本物の魔王”に殺されて……みんな、簡単に死んでいったのに……。リュセルスは、私と……生き残れたはずだったのに……」


 “本物の魔王”が倒れて、恐怖に怯える未来もなくなったこの世界なら……未来に夢を見ることだってできた。

 リュセルスは死んだ。夢は永遠に叶わない。


 何よりも美しい友を失った心の穴に生まれた、地獄の如き憎悪と憤怒の力であってすら、魔王自称者キヤズナを追い詰めることも……世界最強の剣豪を殺す覚悟も遂げることができないのだとしたら。

 リュセルスの死が、その程度のことだったということになるではないか。


 ――オメェ。死ぬのが好きか。


 少女は、病室の床に蹲った。


「死ぬのが……好きに……決まってるじゃない……。リュセルスのために、何もできないままで……皆も……いつか私も、リュセルスのことを忘れて……。そんなの、耐えられない……死んでしまいたいわ……」

「オメェ、あれだなァ」


 ソウジロウは頭を掻いた。彼が潜り抜けてきたのは刃に命を預ける極限の戦場であって、その世界では、ユノのように悲嘆に暮れる暇などなかった。死ぬからだ。


 焼き滅ぼされた故郷の光景は同じだったとしても、ソウジロウとユノは、やはり異なるものを見ていた。

 ――死が日常と化してしまった“彼方”の者達が喪失したものを、ユノは持ち続けているのだろう。


「面倒くせェ奴だな」

「そういうこと言うの!?」


 何も持たないことを自由と捉えられる才能を持つ者は多くはない。

 全てを失っても、ユノは自由ではなかった――復讐心と犠牲の重みが、彼女に不明瞭な義務を課し続けていたのだ。


「……どうすればいい!? 今さらあなたの脚を元に戻す方法なんてない……私のせいなのに、あなたは……!」

「バカ言え。百年かけても、オメェが俺の脚なんざ斬れるか。やったのはオゾネズマだ。あいつじゃなきゃやれなかった。ナメた口叩くんじゃねェーぞ」

「……」

「ってか、オメェは面白くねェのか? 次のロスクレイは、黄都こうと最強の騎士だっつー話だろ。で試してみるのも、いいじゃねェか」

「ま……待って。やるつもりなの。その怪我で、次も」

「そりゃそうだろ。オメェにゃ感謝してんだ……」


 彼は、ユノが何故怒り、謝るのかを理解できない。ソウジロウにとってのこの六合上覧りくごうじょうらんは、まさしく“彼方”において求め続けた、極限の戦闘であった。

 自分自身の死すらを知覚できる……真の命が存在する死地。


 彼は獣性のままに嗤った。


「こんなに楽しいモンは、“彼方”にだってなかったぞ」

「……ソウジロウ」


 ただの少女と、世界逸脱の剣豪。

 同じように死ぬ人間ミニアだが、両者はあまりに隔たっていて、到底、互いを理解できていない。きっとこの先もそうなのだろう。


「あなたは戦いたいの? 戦って……死にたいの?」

「ウィ。俺は最後の柳生新陰流だからな。それが望みだ」

「……っ」


 ユノは下唇を噛んだ。


「もしも戦いたいなら、ソウジロウ。あなたは――」


 言葉を遮って、病室の扉が開いた。

 医師と兵士の一団が踏み込む。ソウジロウはベッドの脇にある刀を取った。


「何の用だ」

「生憎ですがあなたへの要件ではありません。柳の剣のソウジロウ」


 先頭に立つ陰気な若者の名を、黄都こうと第十八卿、片割月のクエワイという。

 首を水平に回して、彼はユノへと視線を向けた。


「え……」

「遠い鉤爪のユノ。第八試合での一件は既にご存知かと思いますがあなたには屍鬼ドローンの嫌疑がかかっています。念の為の確認ですが検査にご協力いただけますか」

「……待ってください、クエワイ様。私が……?」


 そのような心当たりはない。

 大きな傷や粘膜接触でもない限り、感染などしないはずだ。


「どうして?」


――――――――――――――――――――――――――――――


 ――強者と強者がいる。


 彼らは互いに対等な条件で……持てる力の極限を尽くし、それを見る者に熱狂を与えるような、華麗にして壮絶の死闘を見せることがあるかもしれない。

 それは強者同士の戦いの、一つの形だ。


 読者諸兄の知る通り、六合上覧りくごうじょうらんはそうではない。


 その勝負が真に生死を決するのならば、そこに観客の目線などは介在しない。

 これは全ての力と知、技巧と策謀、暴威と政治を尽くす、真業しんごうの戦いである。

 

 これより始まる四つの試合に、正常に成立した試合は

 第二回戦は、六合上覧りくごうじょうらんの全期間において、最も多くの犠牲を出した戦いになる。

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