その手に栄光を その3

 沈黙の凍土から、一つの影が飛び立ったのを見た。

 その軌跡が地平の消失点の彼方へと消えていく様を、サイアノプは見送っている。


「……アルス」


 それは、第二試合の結末を知る者は誰も、生存を予期せぬ存在だった。

 大地の下の暗黒で何が起こったのかは分からぬ。

 おぞましきトロアは、一つの因縁に決着をつけたのだろう。


「死んだか。おぞましきトロア」


 かつて拳と刃を交えた相手の死に、サイアノプは感傷を抱きはしない。

 彼がそうすべき者たちは、もはや殆どが死に絶えている。


 生ける強者にのみ。彼が戦うべき相手にのみ、集中せねばならない。

 雪に覆われた光景にあっても、地平砲メレの射撃に完膚なきまでに打ち壊された後であったとしても、その大地の明白な異変は分かる。

 そこには目に見える境界が存在するからだ。


 深く罅割れた岩盤と、黒く凝縮し捻れた地質。

 ――冬のルクノカのブレスを受けた大地と、そうでない大地。


(トロアの技に未熟があったとは思えん。……恐るべきは、星馳せアルス)


 この地形のどこで、何度その攻撃が行われたかは分かる。

 災害という言葉にすら収まりきらぬ最強のドラゴンブレスを使わせ、そして今もなお生き残っているというのか。


 地上のあらゆる魔具を所有し、それを全種の適正によって使いこなし、伝説を踏破した経験と知能すらも備えた、空中最速の鳥竜ワイバーン

 魔剣使いに絶対の死を与え続けた恐怖の伝説すら、届くことはなかった。

 全てを失った冒険者は、何を目指しているのか――


「……黄都こうとか」


 遠く、その存在が飛び去った空を見る。冷たい風だけが吹きすさんでいる。


――――――――――――――――――――――――――――――


 広い街路に馬車が次々と停まり、市民を乗せては走り去っていく。

 黄都こうとの東端。外郭に当たる居住区では、警報の以前から避難誘導が始まっていた。

 市民の誘導に当たる将は、弾火源のハーディ配下の二人だ。

 即ち第十八卿、片割月のクエワイ。及び、第二十一将、紫紺の泡のツツリ。


「はいはい、馬車に乗せるのは子供とお爺ちゃんお婆ちゃん、それと病人や怪我人優先だからねー! 家族連れで逃げないこと! 車の番号覚えてれば、中央広場でちゃんと合流できますからねー!」

「ツツリさんこれでは車の数が足りないのではないですか」

「はい大丈夫大丈夫、落ち着いてねー! ……フッ、そんなの分かってるよ。クエワイも声出してくれないと、ちょっと困るぜ。あたしだけ頑張ってんじゃん」

「私はツツリさんのように非効率なことはしませんから」


 喧騒の中、足を揃えて佇む、陰気な若い男だ。

 先程から直立不動のままで弄んでいた計算儀を、ツツリへと示す。


「エヌさんの住民調査統計から老人若年者障害者の割合を予想しました。結論から言いますと星馳せアルスの予測到達時間に二割の余裕をもって全員を輸送するためには四人乗り馬車にして計二十二台の応援が必要です。これよりハーディ様に掛け合い軍用戦車をこちらに申請します。市民の生存が最優先ですから」

「二十二台。ふーん」


 白髪交じりの髪を後ろでまとめた女は、軽薄に笑って返す。


「そんだけでいいんだ?」

「はい」


 ツツリは振り返った。大通りには見知らぬ車の一団が到着している。

 それらは整然と、横並びに停止し、扉を開く。

 蒸気を吹いていながら、蒸気自動車ですらない。

 尋常の避難用馬車ではなく……馬も御者も存在しない、無人の機械だ。


「来た来た。四十三台追加だ。どうよ?」

「――なんですかこれは」

機魔ゴーレムだよ。ぜーんぶ、戦車機魔チャリオットゴーレム。へへへー。ケイテの部隊が解散されたからね。あいつが隠してたやつ、もらっちゃった。どうせアルス相手には役に立たないし、避難に使ったほうがいいっしょ」

「そういうところは抜け目がないですねツツリさん」

「普段が非効率的なもんでね。さーて、間に合うかな」


――――――――――――――――――――――――――――――


 星馳せアルスへの警報を発令したヒドウはその足で交換室へと向かい、そこをすぐさま対策本部へと変えた。据え付けられたラヂオの幾つかの配線をまとめて、その場に居合わせぬ複数の将と同時に通話を交わしている。

 それは兵舎より指示を下す、軍閥の長。第二十七将、弾火源のハーディ。

 そして、商人組合に多大な影響力を持つ内政の要。第三卿、速き墨ジェルキ。


「観測所からの報告では、星馳せアルスは南東方向から接近している。そのまま侵入させれば商業区と大橋に被害が出る。俺としては、そいつは避けたい展開だ。ジェルキ、どうだ」

〈――同意見だ。商業区で食い止めた場合、住民の被害をゼロと仮定しても、経済損失が無視のできない規模に上る。六合上覧りくごうじょうらんの続行も、それでは不可能だ〉

〈フッ! じゃあどうする。どこならブッ壊していいって話になるが〉

「住んでる連中には悪いが、東外郭の三条から六条までの範囲のどこかを襲ってもらうしかねえな。文化財もレクト王時代の頂剣塔くらいしかない。ハーディ、実現性を教えてくれ」

〈それでやるなら、三十八番城砦を中心に展開した部隊で、一斉に砲撃をかけて迂回を仕向ける。殺せなくとも、『面倒だ』と思わせるだけで十分だ。進路が東に逸れてくれれば、その先は東外郭しかねえからな。建物の背は低いし、到底空への守りに向いた作りでもねえが、却ってやりやすいかもしれん――〉


 葉巻の煙を吐く音が、ラヂオの雑音に混ざって響く。


〈奴にとっても、飛ぶ高さの障害物が少ない側に向かうのは自然な流れだろ。何より、空が見えた方が勇者候補の連中が。俺の軍がやる作戦だったら間違いなく反対したとこだが、今回は話が違うだろう〉

「なら東外郭で決まりだ。すぐ動かしてくれ。集められる勇者候補の数も知りたい。出られるのはどれだけだ、ジェルキ」

〈まず、二名は不在。サイアノプ、トロア。今朝早くマリ荒野に発っている。あるいはアルスの今回の行動の発端となった可能性もあるが、今は無用の議論だ。メレ、ゼルジルガ、シャルクは確認済み。私の兵が接触を図っている最中だ。オゾネズマ、クゼは不在だが、市内であることは確実。ツーについてはフリンスダの回答待ち。キア、メステルエクシルは現在も捜索中。ジギタ・ゾギ及びウハクは試合中だ〉

「――ソウジロウは使えそうかよ、ハーディ」

〈正直あの傷で出したくはねえが、奴がやるつもりなら勝手にやるだろうな。どのみち、片足の剣士じゃあアルス相手には戦力にならん。除いて考えておけ〉

「くそっ、ロスクレイの試合でキアを抑えられてりゃな……。敵がアルスとなると、やれそうなのは実質、クゼとメレか。メレの傷のことも考えると、クゼを相手に攻撃してもらうのが一番いい。あまり借りを作りたい相手でもないけどな」

〈フハッ! どうしてもアルスに勝てねえなら、今からイガニアまで行って冬のルクノカを呼んでくるか?〉

「あのなハーディ。笑えねえ冗談だぞ。部隊はもう動かしてるのか」

〈俺の参謀をナメてんのか、ヒドウ。通話が終わる頃には展開完了だ。ダントの応援を待つまでもねえ――砦の弾薬はありったけ使うだろうが、綺麗に追い込んでやる〉

〈……第二十七将。一ついいだろうか。星馳せアルスに先制して撃つべきではない〉

「ああ。俺もそれを言おうと思ってた。連絡塔をやられたとは言っても、交戦が避けられるならそいつが一番いい。を得られる手段は何かあるか」


 この時点で黄都こうとは多くの人手を動かしている――

 だがそれが杞憂に終わり、アルスが黄都こうとに向かわず何処かへと姿を消すのが、最良の展開ではある。

 次善としては、黄都こうとに向かうが、交戦には至らないという展開。

 黄都こうと側から先制攻撃を仕掛けたならば、それは最悪の展開の確定を意味する。


 星馳せアルスが黄都こうとを襲う魔王自称者であるという確証を、犠牲を伴わず得る必要があった。それは限られた時間の中で回答を出さねばならない難題だ。


〈三十八番城砦の南方に、確か放棄された区画があったな。紡績やってたとこだ。名義上はもう黄都こうとに含んじゃあいない廃墟だが、。工作兵を二班か三班動員して、馬車でも残して明かりを灯せば、人家に見せかけることくらいはできるだろ。そこが破壊されれば、民間施設に危害を加える意思があると見ていい。すぐ迎撃だ。放棄区画を攻撃せずに越えたなら、三十八番城砦も出来る限り攻撃態勢を隠して、停止を警告。奴の先制攻撃に備える〉

「放棄区画の攻撃を以て俺たちが反撃したって流れにするわけか」

〈ついでに、これから死ぬ兵の何人かは、放棄区画の哨戒任務についてたように記録を書き換えてもいい。いくらアルスの暴走の確証を取っても、あくまで奴の方から仕掛けたことにしねえと、下の連中がうるせえからな〉

「馬車馬何頭かの犠牲で、アルスの出方を確認できる。悪くない。どうだジェルキ」

〈支持する。世論誘導は任せてもらおう。ただし、そちらに第二十七将の兵力を回すとなると、東外郭の市民の避難はその分遅れると見る。市民をただ避難させるよりも、それ以前。広く周知し説明するためには相応の人手がいる。第二十四将は試合中だが、彼の応援到着を見込む調整で構わないか〉

〈――それは私が担当しましょう〉


 ジェルキの危惧を見越したが如く、涼やかな声が会議に割って入る。

 第二将。絶対なるロスクレイ。


「ロスクレイ。状況は把握してるか」

〈通話はたった今繋いだところですが、誤りがあれば言ってください。星馳せアルスの誘導先は東外郭。恐らく、経済損失の軽微な四条から六条の範囲。ハーディ将の部隊は一部を誘導作戦に割く必要があり、現在の議題はそれを埋め合わせる住民の避難勧告手段〉

「合ってる。フフ……! 全部お見通しか。さすがだな」

〈私が住民に呼びかけ、彼らを動かします。ヤニーギズ将にも掛け合い、流動的に動かせる人員を可能な限り確保します。私の部隊も含めて、ハーディ将の補佐で動く形で構いませんか〉

〈フッ……! ありがたい話だが、脚は大丈夫なのか? 試合に響いたらことだろう、ロスクレイ〉

〈お気遣いに感謝します、ハーディ将。しかし、ご心配には及びませんよ〉

「悪いが時間がない。ロスクレイには俺から改めて詳細を説明するが、ハーディは部隊指揮、ジェルキは内部調整だ。もう動いた方がいい。何か懸念事項はあるか」

〈そんなもんがあれば俺の自由にやる。任せておけ〉

〈私も時間が惜しい。すぐさま始めさせてもらう〉

「頼んだぞ」


 彼らの決定を以て、黄都こうとは厳戒態勢に突入した。

 非常事態を知らせる警報は、まずは東外郭の住民の避難勧告のために鳴り……魔王自称者アルスの放棄区画への攻撃を以て、市内全域へと響き渡った。

 黄都こうとの全てが、ただ一つの脅威を迎撃するために。


――――――――――――――――――――――――――――――


 炎が駆けた。それは無人の市街の住宅を熱と光に轢き潰して、無残極まる破壊の軌道を描いた。

 東外郭五条。つい先程まで市民が日常を送っていた住宅街の蒼天には、恐るべき一つの影がある。


 左の翼は金属であり、右の翼は生身であった。

 星馳せアルス。その成れの果ては、いま一つの建物へと向けて、引き金を引いた。


「雷轟の魔弾」


 光。瓦礫。そしてそれらを追うように続く轟き。

 マスケット銃から放たれたものは、一切の比喩なく雷光である。


 この地平に今や九つしか現存しない超常の魔弾は、僅か一射で地形すらも焼き払い、並んだ戦列の防御を貫いて全滅に至らしめることができた。

 最速の飛行より放たれる、稲妻。それがブレス持たぬ鳥竜ワイバーンブレス

 堕ちた英雄がその一撃を用いる以上は、それを用いるべき敵が地上にいる。


「――まあ、噂は聞いてる」


 眼下。声届かぬ地上で、それは鳥竜ワイバーンへと呼びかけていた。

 たった今雷轟の魔弾が落着した地点からは、街路二つ分も離れている。

 正しく電光の速度の一撃であった。


「星馳せアルス。空中最速って話だったか?」


 アルスの眼下は無人だ。偽りはない。

 生命持つ者がそこに存在しない以上、それは死せる骸魔スケルトンである。

 音斬りシャルク。


「地上は別のようだな」


 天空の銃口がそちらへと向く。シャルクは再び加速を開始する。

 彼は槍兵であり、彼方の上空へと対応する手段を持ってはいない。だが……


(俺が最初に到着しちまうとはな。損な役回りだ)


 その存在が、理外の機動力を誇る星馳せアルスをこの区画に食い止めている。

 彼は逃走する。入り組んだ瓦礫の隙間を蹴り、長い大通りを刹那に駆け抜け、生きて街を焼く地走りの業火を避けながらも、アルスより奪ったヒツェド・イリスの火筒ほづつを携えて逃げ続ける。


「おれの……宝」


 豪雷が、一つの尖塔を消し飛ばす。大地を抉って焦がす。

 常軌の視力には捉えられぬほどの高速軌道を間断なく続けているのにも関わらず、その魔弾が放たれる瞬間は、正確に彼の位置の付近を捉えている。


 一方的な距離を隔てた狙撃。第七試合にて味わった、地平咆メレの戦いに近い。

 だが……一つ違う点がある。彼の白槍が足がかりの存在しない上空に到達する手段は、極めて少ない。


(炎がやばいな。動く炎が、恐らく本体か。動かないやつは延焼したただの炎だ――俺の視界と逃走経路を塞ぐのが目的だろう。どこまで時間を稼げばいい……)


 高速の思考で、彼は反撃の糸口を探し続けている。

 だが、接近は必ずシャルク自身を危険に晒すことになろう。

 アルスは、魔弾と地走りの他の攻撃手段を見せていない。

 シャルクが隙を晒したその時、知らぬ新たな魔具を取り出してこない保証もない。


 走る。瓦礫を駆け上がる。自然落下の時間すら惜しみ、壁面を蹴って着地する。

 炎が壁を成して阻む。急転回の軌跡が路地に焦げ跡を残す。

 尖塔が倒れ、住宅を押し潰して燃える。続く雷轟。細い河川が沸騰して干上がる。

 破壊。一方的な破壊。


 シャルクは走り続けている――その前方に影。


「……来たか!」

「シャルク!」

「俺が引きつけている」


 その一言を伝えるために僅かに速度を落としたが、それでも交錯は一瞬のことだ。

 鮮やかな栗色の三つ編みが、巻き起こる風に波を描いた。


「君は、もしかして――」


 彼女もまた、何かを伝えようとしたのか?

 その意味を考えようと思ったが、すぐに無用だとも思った。


「ア」


 ――魔法のツーは、シャルクとは反対の方角に駆け出している。


「ル、スーッ!」


 地上からでも届く大声で、彼女は叫んでいる。叫びながら、全速力で走っている。

 傾いた尖塔の起伏を恐るべき力で掴み、自身の体重を指の瞬発で跳ね上げ、鈍角じみた急角度を駆け抜けていく。

 “本物の魔王”を倒すためだけに作り出された、地上究極の戦闘生命。彼女の体力は、無限だ。


「星馳せアルス! どうして! こんなことを! するんだ!」

「……」

「燃えてる! こんなに、ひどい……人がいたんだぞ! 生きていたのに!」

「うるさいな……」


 魔法のツーは武器を持たない。自らの肉体で突撃し、殴り、蹴る他を知らない彼女は、音斬りシャルクよりもさらに短い戦闘射程しか持たない。それでも。


「君だって、英雄のはずだろ! なら、わかってるはずだ!」


 彼女は、瓦礫に足をかけた。大きく、体そのものを発条のように。

 そして無理矢理に跳躍した。傾いだ尖塔から、別の尖塔へと。さらにその壁面を蹴って、三度。


 まるで光線のように軌跡を描き……

 飛行するアルスの眼前へと、その身体能力のみで肉薄した。


 速度ならば完全に凌駕していたはずの擬魔ミミックの動きを、しかし強引極まる接近のために予測できず――それは、両者の到達点が交わる一瞬でもあった。

 偶然ではない。ツーが建造物を駆け上がったその時。追われ続ける音斬りシャルクもまた、そのように判断して鳥竜ワイバーンを誘導していた。


「英雄としての、仁」


 雷轟の魔弾の接射が少女を貫いた。

 止まらない。破滅的な雷撃に些かの硬直も見せず、それは空中で手を伸ばした。

 だが同時、ツーの腕を高速で斬撃するものがあった。キヲの手。


 当然に、それは無敵を誇る肌に弾かれている。しかし反作用によって、アルスの体は大きく沈んだ。そうして致命的なかいなを逃れた。


 絶対の好機を躱され、魔法のツーは遥か上空から地面に墜落して、瓦礫の山を高く巻き上げた。アルスはそれを一顧だにせず、シャルクの探索を開始した。


「ああ……どこだったかな……」


 全てが消え去ろうとしている。

 どこに向かうつもりだったか。どこに帰るべきだったか。

 ……ヒツェド・イリスの火筒ほづつ。それは大切なものだっただろうか。


「どこかに……あるんだ」


 虚ろな景色。遠くまでが見えるが、どこにも行けないように思える。

 焼ける。燃える。彼の見下ろす光景の、この国のように。


 遠くの川沿いに、薄汚れた小屋を見たように思えた。

 そこまで行けばいいのか。


 彼は反転した。


――――――――――――――――――――――――――――――


「状況ハドウナッテイル」

「あんたが三番目だ。だが、遅すぎたな」


 頭上の鳥竜ワイバーンの変調を確認したその時に、シャルクは移り気なオゾネズマへの接触を果たした。

 第三試合に見た異常な印象から、もっと恐るべき獣であろうと身構えていた相手であったが、間近で見れば、今はその正体不明の恐怖はない。


「俺は奴の宝を持っている。アルスをそれで足止めするつもりでいた」

「……。ソレガ不可能ニナッタカ」

「察しが良い。まずいことになっている。奴が……宝への興味を失った」


 一言を続ける間すら惜しい。

 シャルクであればその間に、一つの区画を走破できる。


「どちらでもいいさ。奴を追う役目は必要だ。俺はアルスの誘導を続ける」

「ソウカ。悪イガ、私ハアルスヲ討ツツモリハナイ」

「好きにしろ」


 無影の速度で、槍兵の姿は掻き消える。オゾネズマの知覚ですら追えぬ。

 残された混獣キメラは、炎上する市街を振り返った。


「仕事ハ、山ホドアル」


 黄都こうと二十九官が手際を尽くしたとはいえ、取り零した市民は皆無ではなかろう。

 炎の壁を越えて、瓦礫を動かせる者はいるか。

 極限の環境の中で生命の気配を探る能力を持つ者はいるか。

 無差別の重傷者を、接触期間に依存する生術せいじゅつによらず治療できる者はいるか。


「私ナラバ……可能ダ」


――――――――――――――――――――――――――――――


 ――同じく、東外郭。

 絶対なるロスクレイは、車椅子の上より市民に呼びかけを行っている。

 第四試合に負った両脚の負傷は、到底癒えきってはいなかった。


 危険度の高い地区から優先的に避難誘導に当たっていた彼は、その時にヒドウよりの報告を聞いた。


〈ロスクレイ。星馳せアルスが軌道を変更した。東外郭二条に向かっている〉

「……それは、本当ですか」

〈ああ。下層区だから、避難も今のところ遅れている。多少の被害が出る可能性は覚悟しておけ。とりあえず、すぐに勇者候補に伝達して、待機させていた部隊を追加の避難誘導に出す〉

「私も出ます」

〈……何言ってるんだ?〉

「いえ……いえ。忘れてください。計画を乱すつもりでは。まずはこの場の避難を最優先に行い、その後です」

〈お前が下手に動くと残った奴らが混乱するからな。こっちは任せてくれ〉

「……ええ」


 通信を切った後も、ロスクレイは呆然と動かずにいた。


 ……これは黄都こうとの英雄としての仕事だ。彼は確かに、市民の命を救っている。

 そして、他の勇者候補と違って、自らの命を晒さずにいることができる。

 だが、アルスの向かう先に……もしもその可能性があったのだとしたら。


 何よりも大切なものが。

 突き立てた剣の柄に額を預けて、英雄は声もなく呻いた。


(……イスカ)

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