第六試合 その4

 時は第六試合の最中に遡る。

 もっとも、最中と呼べるほどの時も経たぬ一瞬の出来事ではあった。


 空を塞いで気球が迫りつつある中で、対峙する両者には些かの迷いもなかった。

 ゼルジルガは糸を投げかけるための小さな錘を掌中に揃え、メステルエクシルは音響兵器の照準を完了している。

 銃声が鳴った。気球からは煙幕が溢れて、両者の狙いは厚く白い霧に遮られた。


「ははははははは! み、みえるぞ……! ゼルジルガ!」


 同時にメステルエクシルは、その知覚を熱源感知へと切り替えている。

 しかしその時、彼が捉えた反応はゼルジルガの一つのみではなかった。


「【レシプトよりハレセプトの瞳へ r e s i p k t i o h a l e s e p t 土中の歯 w i n h a l t e l k花弁は金の膜 n e r t a k m a m e r t ――】」


 すぐ頭上に、忽然とその存在がある。

 三枚の羽根で滑空するだけの形状。流線型の小型の機魔ゴーレムである。


 今しがたの気球自体がこの一体を運搬するための機魔ゴーレムであったと、メステルエクシルが理解したかどうか。

 その存在を脅威であると認識する。噴射炎と共に敵が飛来した。左腕と一体化した銃口を向けた。


「【――閉じる黄昏 s a k n a m o p 抉れ l a s t a r m o k g 】」


 敵の詞術しじゅつの方が速い。気球内に潜んでいたその時より詠唱を始めていたからだ。

 装甲の傾斜はケルテックKSGの散弾を逸らし、大部分を破損しながら交錯した。


 牙がメステルエクシルの胸部を穿った。ハレセプトの瞳を用いた熱線では、もはやその装甲を貫くことができないが――


「あつい! あつい! ははははは!」


 接触距離からの直接の熱照射であれば、可能である。自らの熱に溶解しながら、厚く防護された内核の造人ホムンクルスまで、それは執拗に突き進んだ。

 レシプト改二。突撃と穿孔と感染の他の機能を持たぬ、メステルエクシル打倒の一点のみを目的とする特攻用機魔ゴーレムである。


「――ジ」


 合金のあぎとの内から感染血液を収めた金属管が現れ、突き刺す――


「はははは!」


 それよりも早く、メステルエクシルの拳に破砕される。

 あらゆる機魔ゴーレムを単独で凌駕する膂力は……“彼方”の散弾銃に耐える装甲すら、ひとまとめに破壊した。


 胸部の傷からは内の造人ホムンクルスを収めた羊水が流れ、熱された装甲に沸騰していた。

 魔王自称者キヤズナの最高傑作は、白く染まった世界の中で笑う。


「くもの、なかに、い、いる、みたいだなあ……!」


 ここまで、常人には身動きも取れぬ間の一瞬である。

 小型の機魔ゴーレムが出現し、迎撃の弾丸を放ち、即座の拳でそれを破壊したのも、瞬きの最中の出来事。

 故にその仕掛けも、同じく刹那の内に為されたものということになる。


 機魔ゴーレムの笑いは停止した。四肢は唐突に硬直し、それ以上の動きを許さなかった。

 目を凝らしてようやく視認できる細い糸が、胸部の亀裂へと伸びているのだ。


「お嬢様」


 糸の先端を手繰る砂人ズメウは、誰にも聞かれぬ報告を呟く。


「奈落の巣網のゼルジルガ――ご信頼の通り。無明の中でも、一芸為遂げました」


 レシプト改二は、続くゼルジルガの攻撃の誘導者でもあった。

 機体後部から発した赤い光は、煙の中でも散乱せず到達する波長である。

 その向こうに、糸を差し込むべき装甲の間隙があることを示していた。


 そして数多の武器の中で、糸の攻撃だけが、液体の粒を繊維の表面張力で保持したまま遠距離へと到達できる。

 僅か一滴の血液病原が……羊水を介して造人ホムンクルスを冒した。


「……」


 メステルエクシルは沈黙している。今や上位系統となった母体が、強力な停止指令を下し続けているためだ。

 煙幕が晴れていく中で、病原母体は別の行動に移っている。


「……どうか、常のような言動でお振る舞いください。私がお願いするのは、ただ一つのことです」


 観客席である。

 ミーカの座す石段を囲む民の中から、その声は囁いている。

 既に傀儡と化したミーカは、リナリスの方向を振り向くこともできない。


「この私の動きを縛ったな」


 その状況にあっても第二十六卿に動揺はなく、不正者を威圧した。

 この六合上覧りくごうじょうらんにあって、試合の裁定者は誰よりも多くの脅迫の危険に晒される立場でもある。


「要求は通らぬ。貴様の行いは、その事実を確かめるだけのことに終わるだろう」

「いいえ。私の行いではございません」


 昏いヴェールの影に隠れて、令嬢は静かに告げた。

 試合場が旧市街広場である限り、観客は裁定者に近づくことができる。直接の声が届く、その距離にまで。


「全て、あなたが行うことです。ミーカさま」


 この第六試合で、リナリスが言動を操作した対象は、メステルエクシルではない。

 敗北の裁定を下す側の存在。囁かれしミーカ。


――――――――――――――――――――――――――――――


「前向性健忘、ですか」


 澄んだ琥珀茶をテーブルに置いて、老人はリナリスの言葉を繰り返した。

 第六試合の行われた当日の深夜。“黒曜の瞳”の邸宅内である。


 向かいの席に座る令嬢は、瞳を閉じたまま琥珀茶に唇をつける。


「新たな出来事を覚えることができない、記憶の病状をそう呼ぶのだとか。もっとも、名前ほどに珍しい症状でもございません。ミルージィさまは子供の頃……ひどい熱に寝込んだ時など、夜中に起きたことが夢か現か分からなかったことは? 強く頭を打った前後の出来事の記憶を覚えておられない方も、稀におられますわ」

「なるほど。ならば症状自体が一時的だったとしても、後からは思い出せない、という道理になりますな。長く症状が続いた場合には、ある時点より先の出来事を、意識がありながら覚えていられないことになりますか」

「……ええ。記憶の機能自体が、その時には働いていないのですから。人の脳は、時にそのような振る舞いを示すのです」


 ならば血鬼ヴァンパイアの支配の技の一つとして、そうしたこともできる。

 劇庭園への侵入の際のように、感染時の記憶の消去という芸当すら可能だ。


「つまりミーカ卿は、ご自身がそのような判断を下した理由を覚えてはいないと」

「試合のことを後から思い返したとすれば……そのようになるのでしょうね。けれど、ゼルジルガの勝利を宣言した記憶は残っているのです。もちろん勝利を判定するに足る根拠も揃っているのですから、自分自身が行ったかのように、自ら記憶を埋め合わせることになります」


 糸の技でメステルエクシルを制したように見せ掛けたのは、観客にそう信じさせることだけが理由ではない。

 ミーカ自身にその判断を信じさせるためでもあった。


「しかし、気球の一件は? レシプト改二の運用のために必要な一手ではありましたが……あれが何らかの不正行為であったと、第六試合を見た者の目には明らかであったと思いますが」

「そのための旧市街広場です。城下劇庭園とは違って、狙撃が可能な試合場でございましたから」

「ふむ。“黒曜の瞳”は狙撃手を置いていなかったのでは?」

「――ええ。狙撃を構えていたのは、ケイテさまの方です」


 第六試合の直後、“黒曜の瞳”はケイテの陣営を襲撃している。

 ならば、既にその存在が明らかであった狙撃班を逃す道理もない。彼らを無力化し、不自然でない形で官憲に引き渡す手立ては、千里鏡のエヌが整えている。

 

「既に不正は明らかとなりました。が。城下劇庭園を爆破し、狙撃を構えるべく旧市街広場に試合場を移し……気球からの煙幕で観衆の目を塞いだその一瞬に、既に照準しているゼルジルガの位置へと、撃ちかける手立てであったと」


 気球を撃ち落とさせたことで、彼らが現に発砲した証拠すらも残されている。

 ゼルジルガはその奇襲を幸運にも逃れ、メステルエクシルを逆に撃破したという筋書きとなる。


「ふふ。旧市街広場へと試合場を移したのは、ケイテさまのお考えだとお思いですか? ……そうではございません。最初から、そのようになっております」


 ゼルジルガの糸の攻撃では、どのように策を講じてもメステルエクシルを打ち倒すことはできない。ならば円卓のケイテはその事実に安閑として、試合の当日をそのまま待つだろうか。

 そうではなかった。彼自身が手段を選ばぬ暴君である以上は、敵も同じく手段を選ばぬ者であると信じるのだ。


 その疑念を裏付けるように、エヌの測量調査が始まる。ケイテは敵が劇庭園に仕掛けを施すと考える。ゼルジルガだけでは勝利の手段はないのだから、試合場を用いた策でメステルエクシルを倒す他にないと、その策の正体を探ろうとする。

 だが、そこには何もないのだ。エヌはただ測量を行っていただけなのだから。


 が、

 ……その危惧から逃れるためには、一つの手段しか残されてはいない。

 根本的に試合場を変更する、ということ。


「もちろん、こちらはケイテさまの反応を監視しながら、必要な時に適切な情報を流しておりましたから。……『何を仕掛けるつもりだった』。『狙撃か、罠か』。最初に喩えに出した策は、狙撃。それも後に続く『罠』という言葉よりも具体的です。だからケイテさまが最も恐れ、そして自分ならば仕掛けるであろう策は、『狙撃』。ならば、先んじてそれを行える試合場に誘導してしまえばいい――きっと、ケイテさまはそのようにお考えになったはずです」

「……凄まじい。そうしたことまで読み切って策を巡らせていたのですか?」

「決して、そのようなことは。こうして言葉に出して説明するまで、私の頭の中でも漠然としているものですから」


 全てが計画の通りではない。ケイテが試合場の変更のために城下劇庭園の爆破という強硬手段を用いたことは、確かに彼女の計画を大きく狂わせていた。

 ――しかし、それと第六試合とは全く別の話だ。

 リナリスの前では、ケイテ程度の策士は問題にもならない。


 陰謀の側面において、実力にあまりにも大きな開きのあった試合であった。


「ともあれ、感謝をいたします。リナリス嬢。私は……新たな友の力を借りたのだとしても、この日にこうして、軸のキヤズナに勝利することができた。一つの結論を覆すことができると、想像だにしておりませんでした」


 ミルージィは、やや冷めた琥珀茶に口をつけた。夜の小鳥が、窓の外で囀る。

 ……彼が倒すべき敵は、軸のキヤズナの他にいただろうか? それを思おうとすると、何故か得体の知れない不安があった。前向性健忘という症状が存在する。今のこの会話を、ミルージィは真に記憶できているだろうか?

 美しい令嬢は、上品に笑った。


「――メステルエクシルさま?」


 背後には巨大な影が佇んでいる。

 それは闇そのものの如き沈黙と共に、棺の布告のミルージィの勝利を示していた。


「……」


 メステルエクシルは、今や“黒曜の瞳”の一部と化した。

 機魔ゴーレムであり、造人ホムンクルスであり、屍鬼ドローン

 “彼方”の兵器を生産する工場であり、滅ぼすことも能わぬ不死の兵士。


「まずは、一つ」


 この六合上覧りくごうじょうらんに彼女が参戦した理由は一つだ。

 最大の強者が、一切の護衛をつけず、傷を負うべき戦いの場へと現れる。


 “黒曜の瞳”にとってのそれは、究極の兵を招集するための感染経路に過ぎない。


――――――――――――――――――――――――――――――


 第六試合の決着からは、半日程度の時が経過していた。夕刻である。


「……まずいな。こっちの出口も張られてやがる」


 探査用の機魔ゴーレムを引き戻して、キヤズナは舌打ちした。

 ケイテとキヤズナは廃住宅の一つに潜伏しているが、未だに旧市街を抜け出ることすらできていない。


 彼らを襲撃した兵は信じ難い練度であり、キヤズナが即席で作成した機魔ゴーレムのみでは、正面からの突破も不可能なことは明白だった。


「やはり“黒曜の瞳”としか思えん。どのように相互に連絡を取っていたものか……連中め……組織ぐるみで、この六合上覧りくごうじょうらんを乗っ取るつもりか……!」

「ッたく、こういう時に備えて地下に抜け道でも作っておかなかったのかい。使えない弟子だねえ」

「そんなものがあったとして、この状況では真っ先に抑えられるに決まっているだろう……! 情報が漏れているのだ!」

「じゃあなんだ、こんな辛気臭いところでこのまま干物になれってのかい!」

「……その手立てしか、ないかもしれん」


 ケイテは思考を重ねていく。先の強襲を逃げ切った後、敵と思しき存在は路地や下水道を巡回しており、逃げ道と思える経路の全てが抑えられていた。

 一方で、こうして潜伏している二人はまだこのように生きている。この動きは……


「連中の動きは、俺たちを見つけ出すというよりも、俺たちを逃がさないためではないか……? 外部との連絡を断ち、痺れを切らして現れたその時を奇襲して殺す。ただ追い詰めれば、俺たちが“彼方”の兵器で反撃すると分かっているからだ。それを警戒している。奴らも“彼方”の手の内までは把握しきれてはいないのだろう」

「フン……要はビビりのクソ野郎共ってこったな。じゃあアタシらはどうする」

「待てば、俺の兵が行方知れずとなった俺を捜索しに来る。その時に合わせて逃れれば、敵もおいそれと奇襲はできまい」


 どちらにせよ、黄都こうと第四卿を襲った先程の一事のみでも、敵の罪を糾弾する材料は十分にある。ゼルジルガを国家転覆の罪人の一派として裁くことができれば、裁定を覆す材料足り得るのではないか。

 ケイテは、まだ勝利を諦めてはいない。


「とにかく、婆ちゃんは機魔ゴーレムの量産を続けてくれ。いくら間に合わせだろうと、次の遭遇ではせめて戦力がなくば、到底切り抜けられん」

「チッ、黄都こうとは土が悪いんだよなァ……! 部屋に戻りさえすりゃあ、いくらでも希少材料が用意できるってのに」

「……! 待て」


 外の市街から響く声に、ケイテの動きが止まった。

 それは間違いなく、ケイテの所在を探す声であった……しかし。


「元第四卿、円卓のケイテが、この市街の付近に潜伏しています! 罪状は六合上覧りくごうじょうらんにおける重大な不正行為、及び先日の城下劇庭園爆破! ケイテに指揮された爆破実行犯は、既に議会に出頭しており――」

「ばッ……!」


 呼びかけているのは黄都こうとの兵だ。それは指名手配の通告であった。


「馬鹿な……! 馬鹿な! おのれ、なんだ、それは……!」

「ッたく、悪いことばっかしてっからそうなるんだ」

「だが、これは何かの間違いだ! 何なんだ奴らは!」


 ケイテは座り込んだまま、拳で床を叩いた。あまりにも惨めだった。

 陰謀と悪意が、彼らを追い詰めている。助けの望みすらも絶たれた。

 黄都こうと二十九官の内で第三の勢力を築き上げた円卓のケイテが。


「やっぱりこいつを使うしかねえな」


 舌打ちとともに、キヤズナは一つの器具を取り出した。

 ディスプレイが備わっており、単純な電池を繋ぐと、淡い二つの交点が浮かぶ。


「クソッ……そいつは……何だ。婆ちゃん」

「相手が血鬼ヴァンパイアなら、もう手は二つしかねえだろ。母体のゼルジルガをブッ殺すか、エクシルをブッ殺してもう一度ゼロから再生させるかだ」

「……一度再生させてしまえば、感染前の状態に戻すこともできるということか」

「正確には、メステルの上位権限者の消去だな。エクシルが毒や病気を食らったとしても、本来はメステルの生術せいじゅつで即座に治療できるようになってる――それができないのは、上位権限の命令でその自動回復が抑え込まれてるからだ」

「だが……あのメステルエクシルの装甲を貫き、中を殺すとでもいうのか? 誰であろうと、全く容易い話ではないぞ……!」

「バカ、それ以上だ。エクシルの保存羊水も血鬼ヴァンパイアの病原にやられてンだろうが。エクシルを殺すだけじゃあ、再生の端からまた感染して終わりなんだよ。中の羊水ごと全部吹っ飛ばすような攻撃じゃなきゃあ、まず無理だね」


 メステルエクシルの完全なる機構は、今や彼らに牙を剥いている。

 “黒曜の瞳”が全ての情報を封じて、彼らを始末しようとしている。

 罪人と化した彼らにとって黄都こうとの全てはもはや敵だ。


「……無理、だとしてもだ。メステルエクシルがいる場所なら分かる。迷子になった時のためにな……追跡だけなら、どうにかできる。まさかこんな形で役立つとは思ってなかったけどなァ」

「追跡……その画面は、発信機か……!」

「さすがにこっちの世界でGNSSは使えねえ――星の向こうにまで人工衛星を打ち上げまくらなきゃならないからな。LORAN形式で座標を出すしかないから、精度は全然当てにならねえ。大雑把に距離と方角が分かる程度のモンだ」

「待て、なぜメステルエクシルの追跡が星の向こうの話になってる? 本当に大丈夫なのか、それは」

「ヘッ、アタシが間違ったことが一度でもあるかよ? やるのか、やらねえのか!」

「……やる」


 それでも、彼らはまだ生きている。

 全ての結論が出てしまった後ですら、悪党は決して諦めない。


「そうだ。まだ終わりにはさせんぞ。メステルエクシルを取り返す。連中の不正を暴き、試合の勝敗を覆させてやる……! 俺が、このケイテがッ! 諦めるものか!」


 第六試合。勝者は、奈落の巣網のゼルジルガ。

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