第六試合 その3
「何が起こってる! イカサマじゃないのか!」
「無効試合だ!」
「これで終わりなの!?」
「とっとと殺しあえや!」
唐突な試合終了への落胆と不満。非合法ながら、
「静粛に。――たった今、死による決着を求めたのは誰だ。そこの者か」
裁定者のミーカは明瞭に通る声で言い放ち、一際下卑な野次を飛ばしていた一団へと厳しい視線を向ける。
「……各々、よろしいか。これはこの場の者全てに問うています。諸君らの立場は何か。歴史の節目を見届けるべき審判者である。この囁かれしミーカ、試合裁定の大役を担う身なれど――ただ一人の
両腕を後ろに組み、有無を言わさぬ口調で演説を続けながら、ミーカは場内を回るように歩いた。観客の一人ひとりを、その眼力で黙らせた。
「この試合は本来、
その建前に反論できる者はいない……だが。
「それでも諸君らは、壮烈なる闘争の娯楽こそが望みか? 結構! このミーカの名に懸けて、最も近い距離で存分にその娯楽を味わうことを許そう! 商店に支払った金銭の補償を求めるか? 結構! たった今名乗りを挙げるのならば、王城試合の報奨を存分に与えると約束しよう! 皆の者! 降伏を選んだメステルエクシルの怯懦を嘲るならば……まさに貴様こそが全てを懸けた
まだ、微かに交わされる囁き声の波はある。それでもミーカの一喝で、不満の大波の兆しは目に見えて凪いだ。
ケイテは未だ、先程起こった事態の全貌を把握しきれぬ。彼は歯噛みした。
(……詭弁だ)
多数の商店がこの
土地の貸し出し。『商標』の使用権。単に商店を介しているだけで、
それにも関わらず、試合をここで終わらせようとしている。それはメステルエクシルの敗北を意味する。
(狙撃を……駄目だ。もはや試合は終了している……! 今の段階でゼルジルガを狙撃したとて、誰の目にも明らかな反則! どうにかして試合を再開させなければ……! だが、おのれ……何ができる……!)
あの一瞬、狙撃隊の射線を遮った煙幕。ケイテの策にとってのそれは、致命的な不運であった。メステルエクシルが動けぬ場合に備えて用意した狙撃が、備えの意味をまったく成さずに終わっている。
あるいは、策の全てを読まれていたのか? 恐ろしい予感が冷や汗となって、ケイテの背筋を走った。
「クソッタレが! アタシが直々にブッ殺してやる!」
「おい、やめろ婆ちゃん! 待ッ……やめろ!」
出し抜けに立ち上がったキヤズナを、ケイテは必死に抑えた。彼女ならば本気でやりかねない。やるだろう。
小柄な体でジタバタと暴れながら、老婆は叫んだ。
「あんなクソふざけた
「済むわけないだろう! 危ない! 落ち着いてくれ!」
一方。ミーカの演説が終わると同時、渦中の
「えーと、ミーカ殿? どうでしょう。全力を尽くさねば勝てない相手であったといえ、一撃の決着が却って客の不興を買ってしまったこと、確かに道化の名折れでございます。埋め合わせとして……少しばかりの芸で、彼らの目を楽しませる時間をいただくというのは……」
「厳正な試合において、それは許容できかねます。しかし
「アッヒャヒャヒャ! ありがたき幸せ! それと、ついでの幸せを願いたいというか、だいぶ申し上げにくいのですが……私、今はこうしてこのように、メステルエクシルをどうにか抑えております」
ゼルジルガは蜥蜴めいた顔を僅かに歪めて、糸を引き直すように両腕を引いた。
その手の動きに合わせて、メステルエクシルはガタガタと揺れる。
「そこで、そのう……これを解いた後の私の安全の保証などは?」
「……」
「おや? ございません? ならば大変ですよ? 観客の皆様! ただいま私、この試合への皆様の期待を越える大技にて、心ばかりのもてなしを……と、思っていたところなのですが……こ、これは……おおっと……っと……どうしても! 両手を使わなければできない芸でございまして……!」
ゼルジルガは何度か腕を引き直し、大きな力に引かれたように三歩よろけ、再び体勢を持ち直した。
観客のいくらかが息を呑んで、旧市街広場に緊張が走った。
「お気をつけください」
試合結果に不服を唱えていた観客も、そこでようやく気付いた――メステルエクシルは、決して戦闘可能のまま降参したのではなかった。
ミーカはまさしく勝敗を裁定していた。彼が戦闘することができなかったのは……気球の墜落に紛れる早業で、
「……どうか、お気をつけください! お気をつけください! 無双の
「ウ、ウ、ウウウ、ウ、ウ……!」
観客の悲鳴が左右に割れて避けていく中、メステルエクシルは不明瞭に起動した。
そして砲弾の如くゼルジルガへと突進する。ゼルジルガは回転した。
「……さあて、皆々様!」
回転と共に奔った糸に、軌道を逸らされたように見えた。
巨重は突進の勢いで転倒し、広場の外へと飛び出していった。
糸使い。触れずとも縛り、操り、敵を裂く力。
「本日はぜひとも、ご老人からお子様まで! 笑顔で帰っていただきたい! アッヒャッヒャッヒャ! このように! ……奈落の巣網のゼルジルガの、王城道化にも劣らぬ芸当の極致! どうか長く御照覧あれ!」
流れるような動きで極彩の小花火を放り、ゼルジルガが大道芸を開始する。
キヤズナは席を蹴った。ゼルジルガとの試合に乱入するためではない。明確な危機を予感していた。
「……おい」
「婆ちゃん、落ち着けったら……方法はまだ考えてる!」
「違う。メステルエクシルはどうした。どこに消えた」
「何?」
ゼルジルガの大道芸が繰り広げられている。糸は空中で鮮やかな蜘蛛の巣を織り、いくつものボールが、まるで意思持つように宙を飛ぶ。
視線誘導だ。観客の目はそれに釘付けになっていて、先程まで戦っていた危険な
客席を越えて消えたメステルエクシルは、なぜ戻ってこないのか?
ケイテとキヤズナは旧市街を走った。
商店を曲がり、裏路地へと入る。メステルエクシルの消えた観客席の影。
どこにもいない。消えている。
「……どうなっている……!」
第四卿は、激情を抑えるように口元に手を当てた。
「そもそも、糸の拘束程度でメステルエクシルを止められるわけがない……奴の膂力を抑え込む強度の繊維など存在しない! 音の兵器を使う様子もなかった……! ゼルジルガが事前に機能を破壊していたのか? もしくは、メステルエクシルが裏切ったとでも……!」
民は疑いを持たぬだろう。第一試合や第三試合の如き理外の達人を目にした者に対し、今日見た全てが糸の技であると納得させる材料は揃っている。
観客は――どころかケイテ以外の擁立者の大半すら、メステルエクシルが真に無欠なる戦闘生命であることを知らない。彼が、ただ負けたように見える。
ならば、最初からそのための糸使いだったのか。
敵を縛り操る、別種の力から目を逸らすための。
「あいつの意思じゃねえ。独り立ちなら裏切られてもいいが、あれは別物だ!」
「ならば制御を奪う術でもあるのか……!
「違う。不正侵入やら権限偽装なんてのは、そりゃ“彼方”の機械だけの話だ。
旧市街の裏路地に差し掛かったところで、老婆の足が止まった。
二つの意思によって制御される、地平でただ一例の
「……ある。そうだ。命は二つとも等価だが、権限は“彼方”の知識を持ってるエクシルのが上だ……! 同じ権限で判断させちまったら、命令系統の衝突が起こるからだ! 理屈が分かるかケイテ!」
「つまりどうなる!
「胸の装甲が割れてたのは、中身に到達させるための傷だ。生身の生き物相手なら、上位権限に割り込める奴らがいるだろう!」
「……
「奈落の巣網のゼルジルガは
“黒曜の瞳”。それは一人ひとりが恐るべき傭兵であり、斥候であり、全貌は一切不明の集団。構成員は決して口を割らず、末端を討ったとて中枢に辿り付けぬ、闇の奥底の不可解なる組織であった。
構成員の急激な離散によって壊滅が確認された後も、その組織の核心までを証言する者はいない。
「連中の実態が
「そいつもとっくに支配下だろうよ。ブッ潰すしかねえぞケイテ。戦争だ」
「……だが、奴はメステルエクシルに降参させた。
「じゃあ他にあんのか! 時間がねえだろうが! ああ!?」
「だから今考えているだろう! 婆ちゃんは知らないかもしれんが、
思考を続けていたケイテは突如として襟首を掴まれ、地面へと引き倒された。
致死の円盤が、上を向いた鼻のすぐ上を通り過ぎていった。
「すぐやらなきゃなんねえんだよ! 始末に来やがった!」
キヤズナは、路地の突き当たりの屋上を見据えている。そこには四足で構える、異形の
「――婆ちゃんッ!」
影のように現れていた
今の瞬間まで、接近に気づけていなかった。この巨体にして、あり得ざる無音の足運び。並の剣士であれば機に間に合わず、二人諸共に引き裂かれていた筈だ。
唸りと共に、握力が鍛えた鋼を引き裂いていく。ケイテは剣から手を離し、耳を塞ぐ。
「よく塞いだケイテ!」
輝きが破裂した。暴力的な轟音が
「よしッ、ずらかるぞ!」
「何を言ってるのか全く聞こえん!」
閃光と爆音の消え去った後、二人の姿は消え失せている。
攻防の寸前、キヤズナが地に転がした小さな六角柱の正体を知る者もいない。
M84スタングレネード。
全てが収まった後で、変動のヴィーゼは光摘みのハルトルへと合流した。
「……無事かハルトル。先の武器は。あれが“彼方”の代物か?」
「平衡感覚の回復に、多少時間がかかった。支障はない。追い詰め、殺す」
最大の生産手段を喪った今、敵に残された反撃の武器は限られている。
まして、逆転の可能性に至っては……
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