黄都 その13

 最近の“穴倉の牡牛亭”には、演奏者の姿も滅多にない。

 一年前までは店主の娘が拙い鍵盤を弾いていたが、“本物の魔王”が倒れたことを機にトギエ市へと嫁いでしまい、それで客足も僅かに減った。


 それでも、このような半地下の薄暗く埃っぽい店構えを好む偏屈はある程度残るもので、彼らのようなならず者も、まさにそうした類であった。


「矢印じゃねーよ! 俺ぁ知ってるぜ。この『ハート』ってのがな……へへ、どういう意味だと思う。心臓だ」

「心臓はこんな形してないだろ。本当かよ」

「上の丸くなってるやつが心房ってこと? “客人まろうど”ってどういうセンスしてるんだろうね」

「でも俺が来たお陰で分かっただろ? 弟のやってる店の取引相手によォ、いるんだよ“客人まろうど”が。間違いねえ。『ハート』だ」

「分かった分かった。『ハート』が心臓だとしよう。『クラブ』が木のマークだろ。『ダイヤ』が宝石だ。じゃあ『スペード』はなんだ」

「『ハート』よりはこっちのが矢印っぽくない?」

「バカお前、他の三つと同じで、これも形のある代物のマークなんだよ」

「木じゃないのか」

「『クラブ』と被るだろ。やっぱり俺が思うに、こういう形の『スペード』があるわけだな。あっちの世界によ」

「楽しそうだな」


 三人の席へと無遠慮に割って入る、人ならぬ声があった。

 益体もない会話は緊迫で止まり、襤褸を纏ったその男を確認して、僅かに緩む。


「……よう、“音斬り”」

「何か楽しい報せでもあったか。“音斬り”」

「どうだかな。そいつは“彼方”の遊びか?」

「今朝の仕事で見つけてきたんだよ」


 机に散らばるカードの一枚を摘み上げる。その指はこの場の誰よりも細く、関節の継ぎ目も露わで、言葉通りの意味で純白だった。

 名を、音斬りシャルクという。かつての命と記憶を失い、なお虚ろな骨格のみで生き続ける魔族まぞく骸魔スケルトンであった。


「賭けをするなら、色札の方が面白いだろう。“彼方”の娯楽の質は微妙だからな」

「勿論そうだが、たまには気分を変えたい時もあるだろ」

「用件は何なの?」

「俺の試合も近いんでな。他の候補者の情報を探っているところだ。第四試合まで、試合をどれか見に行った奴はいないか」

「じゃあ俺だ。第一試合、第二試合、第四試合」

「私は第三試合と第四試合だけだ」

「俺は第二試合と、第四試合……あー、第五試合も席買っちゃったんだけど。しかも彼女の席まで」

「ククッ、最っ悪だな!」

「金は返ってきたのか?」

「全然。エルプコーザ行商、最悪だよ。もうあそこの品物、絶対買わないから俺」


 十六名の勇者候補者は、これまで自らの力と技を慎重に秘してきた。今やそうではない。広い黄都こうとに、六合上覧りくごうじょうらんを目撃した観客が無数に存在する。この王城試合のためだけに黄都こうとの市民権を買った者も少なくないと、シャルクは聞き及んでいる。


 無数の証言者の中で、シャルクが敢えて後ろ暗い事情を持つ者たちを選んで接触する理由もある。ならず者の仕事が魔族まぞくたる彼の行動圏内に近く、そして、ある程度腕の立つ者が含まれるためだ。

 ツーとの接触の日より、このように地道な情報収集に努めている。無論、『頭のいい』候補には筒抜けの動きであろうが――シャルクが欲しているのは敵の戦い方だ。自分自身の情報の流出について重く見てもいない。


「――俺は第二試合の他は全部見ている。第五試合もな」

「第二試合は?」

「……キャラバンの抽選に漏れた。死体を乗せて、葬送車に間違われるのが嫌だったのかもな。そもそも第二試合は、日程も強行軍だった」

「その辺りは、さすが俺だな。俺は第一試合の前に車を手配してよ、すぐ次の便に乗れる支度をしてたんだ。この中じゃ俺が一番勝ち組だろ」

「……確か、第二試合は途中で避難誘導の入った試合じゃなかったか? キャラバンの分割高だし、損だ」

「ハッ、お前はそういうケチくせえ尺度でいるから駄目なんだよ! 冬のルクノカだぜ! あんなとんでもねえブレスは見たことねえ……! 星馳せアルスの宝だって、見たぜ俺は」


 グラスが三つ運ばれてくる。シャルクの頼んだ酒だ。

 それらを目の前の三人へと奢って、骸魔スケルトンは続けて問う。


「その目が俺みたいな節穴じゃないなら、第二試合についてはお前から聞いたほうが良さそうだな。その前に、第一試合についてはどう見ている」

「ああ、あれか? 確かにおぞましきトロアの魔剣は本物だったよな。あれだけゾロゾロ魔剣を揃えて、それなのに、たかが粘獣ウーズに負けた――」

「ほう」

「……とか抜かす奴らがいるがな。そこは俺だ。俺はしっかり見てたぜ。トロアの技はまともな剣術の鍛錬で身につくものじゃねえ。剣の持ち替えひとつを、目の前にいて見切れたかどうか。正直、怖気が走るね」

「……。俺も同じ意見だ。あの試合は、サイアノプが恐ろしく強かった。魔剣を切り替える瞬間と、その性質。まるで八百長を疑うくらいに正確に読んで対応していた。そこが奴の強みなのかもな」


 第一試合の光景を思い返す。同時にシャルクは、この騒がしい男についても評価を上方修正していた。あの試合におけるトロアの強さの要の一つを観察できている以上は、第二試合についても、後ほど有益な情報を引き出すことができるかもしれない。

 さらに、別の無頼にも話題を向ける。


「第三試合を見たのは、お前だけか」

「この手の祭りは好きじゃないんだが……第十四将には個人的な借りがあって、私はその縁で見させてもらった」

「なら聞かせてもらうが、あの試合、オゾネズマは……」

「…………」

「……どうも、あの試合の話は調子が狂うな。お前だけじゃない。今夜会ってきた他の連中も、俺もそうだ。見ごたえのない戦いでもなかった。なんだったんだ?」

「……私は、あまり考えたくないね」


 オゾネズマは恐るべき――あるいは地上最強の混獣キメラだった。それは確かだ。

 間違ってはいないのだろう。人体を冒涜するかのような無数の腕。光線めいて放たれる刃の投擲技術。肉体の分離と再合体。

 だが、と音斬りシャルクは思う。


(……その程度のことを、今さら怖がるものか? 死人の、俺が)


 シャルクはその恐れの正体を探ろうとしているが、理由を正確に言い当てられた者には、未だ出会ったことはない。ともかく、オゾネズマは負けた。残りの参加者にとって、悪い結果ではない。

 空気を変えてしまった沈黙を見かねてか、別の男が口を挟んだ。


「第四試合の話をしようよ」

「ああ、待ってたぜ! やっぱりロスクレイは最高の騎士だったな。よくぞあそこまで耐え抜いたもんだ」

「いーや、何度も言ってるけどさ。足を折られる前にキアを斬るべきだったね。もしあの娘が利用されてたとしても、共犯は共犯でしょ。ロスクレイは馬鹿だよ」

「ああ? ゲス野郎が何か言ったか? ガキの命助けて何が悪い」

「だーから、敵はそこを織り込み済みで世界詞のキアみたいな子を表に出してきたんだろ! キアを斬れなかったってことは、結局そういう罠に嵌ってるんだよ!」

「……待て、待て。そもそも、犯人は結局誰だったんだ。私はそこが気になる」

「分かんないけど、あんな化物みたいな詞術しじゅつができるとなると、イズノック学舎……にもいないか? まだ、議会も正式に発表してないでしょ」

「どうでもいい。大事なのは、そういう化物みたいな攻撃にロスクレイは耐えきったってことだ……! 最後までガキを傷つけねえでよ。あいつには本当に倒すべき敵が分かってたんだよ。本物の英雄だろ。それを言うに事欠いて馬鹿呼ばわりってのは、どんなお偉いゲス野郎様だ? あ?」

「分かった……分かった分かった。謝るよ。ロスクレイ様は英雄様。レバーのパテでも奢るから、機嫌直しなよ」

「チッ……お前が食いたいだけじゃねえのか」

(……茶番だな)


 第四試合の評については、シャルクが敢えて口を出すべきことは何もない。そもそも傭兵である彼は公正公平を掲げる心積もりなど毛頭なく、だから絶対なるロスクレイに関しては、むしろ感謝しているといってもいい。


 世界詞のキアがどのような仕掛けであれらの攻撃を駆使していたかは、不明だ。故に第四試合を勝ち上がられて厄介だったのは、間違いなくキアの方だった。ロスクレイは完全に確定したはずの勝敗を無理矢理に覆して、しかも自身は重傷を負いながら勝ち上がってくれている。


(負けた奴のことについては――まだ、考えなくてもいいか?)


 世界詞のキア。もしも彼女自身にあのような絶大な詞術しじゅつがあるとすれば――シャルクは到底それを信じてもいないが――彼女がまだ黄都こうとのどこかに存在するというのは、あるいは恐るべき脅威であるのかもしれない。


 同じことを、魔法のツーに関しても言える。かつて“青の甲虫亭”で、僅かに交流した少女。彼女すら負けた。あの無敵の肉体を持ちながら、真業しんごうを恐れて第五試合を辞退したのだという。違う。無論、何かの裏があったはずだ。


(……俺は、第七試合だ)


 単純な偶然か、対戦組み合わせの作為か。対戦順序の遅い音斬りシャルクには、六合上覧りくごうじょうらんの全貌を見通す機会の幸運が与えられている。

 ただの戦闘能力のぶつかり合いだと高を括っている者は落ちる。それが分かった。順序が早かったならば、シャルクもそのように敗退していたかもしれない。

 どの道シャルクは、正面からの技をぶつける他にないが――。


(やはりヒャッカの奴には、少し悪いことをしたな)


――――――――――――――――――――――――――――――


 城下劇庭園を正面に臨む喫茶のテラスにはここ数日、一人の男が張り込み続けている。注文は決まって焙煎豆茶と、塩漬肉と揚げ豆のサラダ。部下や訪れた客と会話を交わし、気まぐれに女性を口説いたりもしつつ、日暮れまで居座っている。


「――ハイゼスタ殿!」


 彼の名を呼ぶ者がいた。遠くからでもよく通る高い声の主は、黄都こうと第十九卿、遊糸のヒャッカ。

 体格のよいハイゼスタとは正反対の、小柄な男だ。姿勢正しく小走りに近づき、テーブルの横でぴったりと停止する。


「第十九卿、遊糸のヒャッカです! 連日、こちらの場所で何をなされているのですか! まずはお答え願いたい!」

「おいおい……なんだ。まるで尋問だな。何か悪いことでもしてたかい、俺は」

黄都こうと二十九官の席に座す以上、品位の堕落は害悪ですよ! ハイゼスタ殿が口説かれた女性より苦情が届いています! なぜか、この私のところに! お分かりですか! 厳に謹んでいただきたい!」


 黄都こうと第十五将、淵藪えんそうのハイゼスタ。六合上覧りくごうじょうらんにあたっては、恒例の素行不良の他は特段に目立った動きを見せてもいないものの、それでも彼を苦手とする者は多い。

 対して、ヒャッカは二十九官内での立場こそ弱くとも、彼に気圧されず話を通すことのできる一人であった。


「そうかい。いい女には声をかけない方が失礼に当たると思ったんだが、そういうことなら気をつけてみるかね……」

「そもそも、あなたのこれは何なのですか? 遊んでいるのですか? 任務ですか? 劇庭園を見張っているとでも?」

「ンッフフフフ……ま、見張ってるフリさ。あまりにヒマなもんで、ついつい他のものにばかり気がいっちまう」

「ああ怠慢! 職務怠慢ですよ! まったくあなたといいシャルクといい……!」

「――フ。音斬りシャルクがどうかしたのかい」


 ハイゼスタの声と笑いは常に、歌劇の男声歌手よりもさらに低い。

 ヒャッカは神経質に頭を掻き、その向かいの席に座る。そして愚痴を零した。


「毎日無許可に外出して、素行の悪い連中とばかり接触しています。私は何度も重ね重ね忠告しているというのに……! 何らかの事件に巻き込まれたらどうしますか! 同行者の顔で、市井に悪評が立ったとしたら?」

「お前さんの出世が遠のくだろうね」

「そう! あっ違う! 私は純粋に、英雄としてどうなのかと!」

「ンッフフフフ……ま、俺には分からん話だが……候補者の手綱をしっかり握るのも含めて、擁立者の器量ってことなんだろうよ……。ヒドウ辺りはよくやってたぜ。コツを聞いてみな」

「だ、誰があんな新参者に……! そもそも星馳せアルスは、負けてしまったではないですか!」

「なるほどねえ……。候補者を上手いこと操って、しかも勝ちたいと」

「はい! あっ、そうではなくて! ああもう、どうしてあんな条件を受けてしまったのか……!」


 この六合上覧りくごうじょうらんでヒャッカが動かせる条件の数は、決して多くはなかった。皆無だったと言ってもいい。

 その上、音斬りシャルクの相手はあの地平咆メレだ。シャルクの動向を把握し切れていない以上、得体の知れぬ他勢力の裏工作から守ることもできない。


 彼の擁立した骸魔スケルトンは、紛うことなき本物の強者であった――あの黒い音色のカヅキを打ち倒した。だが……この試合は、ただ強い者を引き連れるだけで勝てる戦いではないと、ここまでの五試合で思い知らされてもいる。


 ヒャッカはテーブルへと突っ伏す。これは、この世の誰も経験したことのない戦いだ。どのように戦えばいいのかなど、教えてくれる者はどこにもいない。


「私……どうすればいいでしょうか……」

「さあねえ」


 ハイゼスタは大きな欠伸をした。他の二十九官と同様に、ヒャッカの小さな現状などには、心底興味がないようであった。

 ヒャッカは机に伏せたまま、恨みがましげに眼前の劇庭園を見る。黄都こうとの権威の如く聳え立つ、この最大の王城試合の象徴を。


(勝ちたい。私だって……この戦いを、勝ちたい)


 第六試合まで、残り一日。

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