黄都 その12

「彼岸のネフトの双斧の一つだ」


 城下劇庭園。六合上覧りくごうじょうらんの名が定まるより以前である。


 史上に残るその王城試合は、名目上は身分や種族の別なく勇者自称者を募ってはいたが、一般募集より兵の審査を通り、出場資格を得られる者などは存在しないと目されていた。

 最低でも黄都こうと二十九官の最上位を打ち倒す実力があり、あるいは市井にそうであると認識された者であること。

 これは第三卿ジェルキの命であり、表向きは史上最大の王城試合に相応しい戦いの水準を保つという理由。その真意は、現状の二十九官の手で対処可能な者などはこの機会に消し去る必然がないという理由による。


「……既に、三名の鑑定人から真であると証明を受けた斧だ。僕を候補者として認めてもらいたい」

「先輩。粘獣ウーズですよこれ。こんなよく喋るの、俺初めて見ました」

「ああ、故郷の水辺にはこの手の獣族じゅうぞくがよくいたものだ。夕方になると夕陽の色が中にこもって、なかなか面白い」

「…………」

「……思うんですが、こんな仕事必要あります? どうしようもない奴しか来ないじゃないですか。勇者の噛ませ犬なんざ、どうせお偉方が勝手に集めてくるでしょう」

「仕事は仕事だ。気を緩めるな。確かに無礼で品のない連中ばかりだがな、その連中を遠慮なく叩き直せるのが普段と違う。悪くはないぞ」

「ヘッ、なるほど! 昨日やった奴は随分長く入院するみたいですよ。あの野郎、先輩が女だからって舐めくさりやがって――」

「……貴様らの戯言を全て聞き終える必要があるのか?」

「ああ?」

「早々に審査を始めろと云っている。僕は“最初の一行”の一人を打ち倒した、無尽無流むじんむりゅうのサイアノプだ」


 返答はなく、代わりに兵の蹴りが飛んだ。

 サイアノプは仮足すら用いぬ体重移動のみで、衝撃を双方無傷で止めた。


「こッの、粘獣ウーズ……! 頭おかしいんじゃねえのか!」

「公募の触れ込みには、身分種族の区別をつけぬとあったな。昨日も一昨日も、大一ヶ月近く毎日確認している要項だ。あるいは、僕の聞き違いで追い返されているのではないかと。明日もそうさせるつもりか?」

「やめろ、足……離れっ……放せ!」

「眼前で、技を受けて、何も見えんか。確かにこれは不要な仕事だったろうな。少なくとも、貴様にとっては」

「……ま、待て」


 女兵士が剣を抜いたのを見て、粘獣ウーズはようやく兵の足が離れるようにした。

 見える動きは一切なかったが、兵は重心を崩して、頭から倒れた。


「……僕を侮るつもりならば、戦士の方法で侮るがいい。そちらの女。やるか」

「……っ」

「やらぬが、候補に入れるつもりはないか」


 それはサイアノプなりの強い侮辱であったが、驚くべきことにその兵も、粘獣ウーズを候補者として認めるより、その言葉を受け入れることを選んだようであった。

 失望と呆れの色とともに、サイアノプはその日も立ち去ろうとした。

 ネフトの斧を拾う。誇りある戦いが、この街においては何の証明にもならない。


「……」

「明日も来る。二十一年待ったのだ。労でもない」

「――あ、あの」


 ごく小さな声が割り込んだのは、その時であった。

 サイアノプが見ると、厚い前髪で顔を隠した女がいる。


「あの……い、今、『そちらの女』……と言いましたよね……?」

「そうだ」

「……それはもしかして、私のことなのでは。わ、私も……女です」

「……」


 この女兵士の誇りを庇ったのだと分かった。サイアノプは答えた。


「ああ。貴様の見立てた通りだ。僕は――貴様と立ち会いたい」


 彼女は単に、勇者候補者を視察するべく通りすがったに過ぎなかった。

 それでも、サイアノプが彼女と出会ったことは偶然ではない。必ず、そのような者がいると信じて出てきた。

 名を黄都こうと第十将、蝋花のクウェルという。


――――――――――――――――――――――――――――――


 夜も深いが、その暗闇で両者の動きに迷いが生まれる様子もない。

 クウェルは長大な戦斧の半径を生かして距離を保ちながら戦い、一方でサイアノプは、恐るべき加速で繰り出される斧を一手ずつ丁寧に凌ぎ続けている。


 軌道が銀の円盤を描き、頭上を円の内に収めるように、斧の刃が後方より迫る。

 サイアノプは僅かな動きでそれを避ける。戦斧は地面を掠って、その回転の速度のままにクウェルは体を倒す。運動は大きなうねりとなって、今度は横薙ぎに払う。サイアノプは仮足を伸ばして受ける必要がある。

 触れるだけでそれはサイアノプの体を滑り、再び別の動きへと変化していく。


 一手の誤りが死を招く攻防を、呼吸をするように自然にできる。

 最初に出会った時の戦いよりも、今は互いが互いの技に慣れていた。


「……そうだ。斧の技においては動き続けなければならんが、そうして常に停止を意識していろ。それは拳から槍まで、全てに通ずる基本の意識だ」

「は、はい……なんか、言葉だけだと、分からなかったことですけど」


 汗を拭って、クウェルははにかむように笑む。


「サイアノプさんと手合わせしていると、分かるような気がします」

「手本がいれば、その技は伝わる」


 だからサイアノプは二十一年かかった。

 彼の師はかつてどこかで生きた武闘家の人間ミニアであり、技や会話を交わしたいと望んでも、書物越しにそれはできなかった。


「……おぞましきトロアは若かった。良い手本がいたのだろうな」


 動作の見えるように、ゆっくりと仮足を伸ばし、正拳を放つ。

 クウェルは長柄の中程を使って、寸前で防いだ。それほど速さに差があるのだ。

 攻めへの集中力は大したものだが、受けにはまだ甘さがある。


「あ、あの……それなら……サイアノプさんは、どうして私なんかの手本になってくれるんですか……?」

「僕とて得られるものはある。それに砂の迷宮で学び鍛えた技、誰にも継がずに終わるのは惜しいとも思えてきた」

「……六合上覧りくごうじょうらんで……死ぬ、つもりなんですね」

「……」


 生術せいじゅつの行使による余命の消耗は、一度の全再生で五年。それを残る三試合で一度ずつ。それでサイアノプの命は尽きる。

 既に旅を終えた“最初の一行”の最強を証明したその時点で。

 

「わ、私にできることはありませんか」

「ない。これは僕の生き方の問題だからだ」

「……あの。あの! サイアノプさん!」


 長柄戦斧の刃は寸前で通り過ぎて、逆側の石突の一撃が来る。

 サイアノプは僅かに触れて柄の軌道を外し、地面に突き込むように導く。

 実戦であるならば、これで戦斧を持つ手首に反動が返り、終着となる。


「わ、私は……その、これまで生きてて、ずっと強さしかなくて……それ以外は全然駄目で、だからせめてこれだけはと……そう思ってて、あの。サイアノプさんは……は、恥ずかしいんですけど……初めて同じだって思えて……」

「強さしかないか。前々から疑問だったが、その割には鍛錬が足りていないな」

「えへ……そ、そうでしょうか……」

「――技の話ではない。どのような体質かは知らんが、その細身でこの膂力を繰り出せるのならば、体躯をさらに鍛え上げれば戦術も広がっただろう。技とは違い、筋肉の鍛錬は常に可能なことだ。何故太く鍛えない」


 次には、クウェルは打ちかかってこなかった。

 物思いに耽るように後ろ手に戦斧を回して、呟く。


「……私も。できるなら、太い体が欲しかったです。男に生まれてもみたかった。せ、精一杯に鍛えても、私は……これ以上になれないから」

「貴様は人間ミニアだろう。ならば鍛えられぬことはない」

「はい。けれど、その……違うんです。げ、厳密な話だと……その」

「……」


 そこで口や拳を挟んだところで、気弱な第十将は話を途切れさせてしまうだろう。

 少なくともサイアノプは、それは彼女のためにならぬと思った。


「……血鬼ヴァンパイアをご存知ですよね。もう随分狩られてしまって……残ってる数も、少ないんですけど」

「生態は知っている。貴様がそれか」

「ほ、本当なら……そうなる、はずだったのかも」


 月下にくるくると長柄戦斧を回しながら、クウェルは曖昧に笑った。

 普段、自分自身について彼女が語ることはない。


血人ダンピール、というらしいです。生まれてくるとき、体は作り変えられても……すごく稀に、血鬼ヴァンパイアの病原が無毒化していて……か、感染への抗体ができてしまった、変種だって……」


 人間ミニアを元に生まれる限り、血鬼ヴァンパイアは肉体的に人間ミニアとの差異があるわけではない。彼らはその骨髄と血液で、人族じんぞくに害を成す存在であると区別される。

 ならば人と隔てる血液が無害である限り、それは定義上人族じんぞくの範疇へと入るか。


「肉体が血鬼ヴァンパイアならば――後天的な鍛錬で肉体の均整が崩れることもないか。貴様のその異常な膂力にも、漸く得心がいった」

「……」


 血鬼ヴァンパイアの肉体は、他者を魅了する姿形と、流血を招く身体能力を兼ねる。

 それは細胞の段階で綿密に設計されており、寄生主に鍛錬を必要としない。

 逆に言えば、それは真性細菌の機構である以上、融通も効かない。生まれつき完璧に構築された肉体からの逸脱を、細胞の設計が許さないのだ。


「だ、だから私はきっと……鍛えても無駄で、ずっと……生まれつき強くて……技を努力しても、もしかしたらそれは私の力でもなくて……」

「全ての血人ダンピールが貴様の域に達してはいまい。誇らぬことがむしろ侮辱だ」

「……そう。でしょうか……。思うんです。私……私が、もしも人間ミニアだったら……どうだったのかな、って」


 この場にただ一人の血人ダンピールは、小月を見上げる。

 どこかの地方では、太陽と対極にある月こそが血鬼ヴァンパイアの象徴なのだという。


「同じ鍛錬をしたら……どうだっただろう。も、もっと体を太くできて……今の私を、越えられたんでしょうか。それとも……私の鍛錬なんて、人間ミニアの皆と比べたら、やっぱり大したことはなくて……こんなところにも、辿り着けなかったのかも……」

「――クウェル」


 サイアノプは諭すように言葉を投げた。


「僕は、粘獣ウーズだ」


 クウェルもまた、サイアノプと同様に種族の枷を背負っていたことを知った。

 生まれながらに強くあることと、生まれながらに弱くあること。

 武の頂を目指す者にとって、そのどちらが幸運であっただろう。


 ただ一つの頂点であることは、生まれの強弱などとは別の次元にある。

 それはきっと、誰にも計り知れることではない。


「えへ……えへへ。そうですよね……。サイアノプさんは、粘獣ウーズだ……」

「貴様は強くなる。生まれの強さに驕らず、高みを目指し続ける意思がある。それは……もしかしたら貴様と同じ意思だけが、僕がここまで至れた理由だからだ」


 サイアノプは死ぬのだろう。一つの最強を示して、生きた証明はそれだけで良い。

 だがトロアを倒した今になって、欲の雑念も生まれていた。


 ――あるいは、彼女に全てを継ぐことができたのなら。


「まだやるか、クウェル」

「はい」


 前髪の隙間から覗く大きな瞳で、クウェルは笑った。

 種族や身分の別なく、純粋な強さを信ずることのできる目。


「私は、あなたと立ち会いたいです」

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