黄都 その11
「だ……第四卿。お話を」
足を止め、そちらの方向を眼光で刺すと、三人の書記が身を竦ませた。
彼らを見下ろす顔立ちは精悍だが、それ以上の酷薄さがある。
「斬首だ」
「は……」
「この俺に陳情したい事があったのだろう。然るべき手続きを踏まずこの俺の時を貪った罪、無論自覚しているのだろうな。そして具申の結果を覚悟もしているのだろう――ならば先払いをさせてやる。斬首だ」
彼らの姿を見て、ケイテは鼻を鳴らす。体が震え、しかし拳を握りこんでいる。
どのような類の要件で現れたのか、その程度は一目で察することができた。
「処断の日取りは追って通達する。貴様らの取るに足らぬ話などは、その申し開きの機会にようく聞いてやろう」
「……ま、待っ……お待ちください、第四卿!」
血相を変えて追いすがる者たちに、もはや気を払いはしない。
今のケイテにはより重要な案件があり、そちらに力を傾ける必要がある。すなわち
……しかし。
「おーい。やめとけケイテ。あんま苛めてやんなよー?」
行く手の方向から引き止めたのは、柱に寄りかかって腕を組む女だ。白髪混じりの髪を後ろでまとめている。名を
「連中は貴様の差し金か」
「いや、だって可哀想じゃない? そいつらナガンの出身なんだって。あの街、あんなことになっちゃったしさー。要は軸のキヤズナから謝罪も釈明もないのが不満ってわけ。聞くだけでも聞いてやんなよ」
「……ほう? 貴様らの用向きについて分かっていた積もりだったが、どうやら俺は早合点をしていたらしい」
ケイテは嘆願者へと向き直った。先程以上に酷薄な、侮蔑の視線と共に。
「――よもや、この俺の想像以上にくだらぬ陳情であったとはな」
「くっ……く、くだらなくなど! ナ、ナガンは我々の故郷です! 友が、家族がそこにいたのです! もはや彼らは戻らず、我々には悲憤のやり場がありません! なぜ軸のキヤズナに一切の罰なく、彼女を
辛うじて恐怖に竦んでいない一人が口答えを返した。
円卓のケイテを前にしてそのような勇気を振り絞れる者は、極めて希少である。
ケイテは苛立ちと共に答えた。
「度し難い見当違いだ。その愚かさ、一族ごとの罪に値するが……そうか、貴様にはその家族がいないか。フン」
「ケ、ケイテ様。俺……俺も彼と同じように……」
「――黙れ。俺は最初に進み出たこの男にのみ話をしている。故に答えるのも今の問いのみだ。口を噤み、死ね」
威圧的に剣の柄へと手をかけながら、ケイテは言葉を続ける。
最初に進み出た男も既に勇気を使い果たしたようで、それ以上の反駁は続けられないようであった。
「まず、賠償を為すべき主体の認識にそもそも誤りがある。
「な、な……そんな」
「異論があるか? 魔王自称者、軸のキヤズナが――貴様ら如き有象無象を住まわせるためにナガンを作り上げたとでも思っていたのか? あれは人里離れた地に製作された、個人の巨大な財産だ。それを勝手に迷宮と呼び、技術の盗掘を目論み、あまつさえ住居や学舎をぬけぬけと構えはじめたのはどこの誰だ?」
「け、けれど……ナガン迷宮市街は、わ、私の生まれた頃から」
「ハッ! 理解しているではないか。貴様らなどは生まれながらの野盗の群れに過ぎん。いや……? 命の責を自ら負わぬ点で、それより劣るな。――だが喜べ。この件の示談も既に終わっている。貴様らナガンの民を不問に処すという形でな。この結果に不満があるのならば、すぐにでも再審議にかけるとしよう」
「う……うう……ぐ、うう……」
「見苦しい。斬首の価値もない。とく失せるがいい」
嘆願者を追い払い、今度こそ本来の執務へと戻っていく。
その背後から歩調を並べるようにして、ツツリが話しかけてくる。
「だーから、すぐ斬首とか磔とか、脅かすのやめなって。悪いとまでは言わないけどさ、そう極端なこと言ってると逆に真実味がないじゃん? 逆に」
「俺は常に本気だが? ……貴様も貴様だ。そのようにして無為にうろつき回るだけが貴様の得手か。働け」
「いやー、あたしだってお仕事はあるんだぜ? その時まで動けないっからさぁー。ケイテ構ってよーん」
「……貴様の“上”は誰だ?」
「へっへっへっへー」
魔人相食らうこの政争において、第二十一将ほどの女がどの勢力にも与していないとは思えない。ナガン出身者を焚きつけたのも、あるいは不用意な発言や約束を取り付け、そこをケイテ失脚の足がかりとする心積もりだったか。
ならばロスクレイか。ハーディか。動きを見せていない者にこそ、却って注意を払うべきであるとケイテは理解している。
「消えろ」
「……ま、そこまで言うなら別のところで暇潰そっかな。じゃね」
ツツリは出現と同じく気まぐれに去り、ケイテは軽く首を鳴らして再び歩む。
回廊から見下ろす民の流れに苛立ち、舌打ちをした。
既にこの都市は平和ではない。だが、平和なふりをしている。
執務室にまで辿り着いたケイテは扉を開き、そしてその光景を見た。
「……何だ。これは」
書架に綺麗に並べられていたはずの書物は床に乱雑に散らばり、見たこともない実験器具が並べ立てられていた。
窓は大きく開け放たれ、ケイテには得体の知れぬ導線を大量に外から引き込んでいるようである。
火も焚かれていた。薬瓶を熱し、あるいは金属を加工するための火が、最重要の一室で堂々と焚かれているのだ。
「おう、遅かったじゃねえか」
その惨状を作り出した者は床に座り込んだままニヤリと笑って、あまつさえ、ふてぶてしく部屋の主へと命じた。
「まあ座ってけや」
軸のキヤズナという。既存の権力の一切に縛られることなく、無秩序に
そして最高傑作たるメステルエクシルを擁し
「……。おい」
ケイテの酷薄な眉が動き、その尊大な口調すら乱れた。
彼は乱暴に背後の扉を閉めた。
「――婆ちゃん! 俺は文献を見せるのみだと言っただろう! このような実験まで許した覚えはない!」
「今分かったことはすぐやらねえと忘れちまうだろうが。婆ちゃんってのもよしな」
硝子皿の中身を覗き込むレンズの度を合わせながら、キヤズナは飄々と答えた。
「アタシに血縁がいるなんて誤解されたらどうすンだい。お前は孫でもなんでもないし、ましてや『子供』でもねえだろうが」
「目立つ動きをされて、困るのはこの俺だ」
苦虫を噛み潰した顔で、ケイテは足元の本の一つを棚に戻す。
この膨大に発散した室内状態を前にしては、あまりに虚しい作業に思えた。
「今日はナガンの連中が苦情を告げに来たぞ。
「ケッ! だからアタシが力を貸すんじゃあないかい。これまでの資金の融通やら世論の調整やら諸々の借りを、この魔王自称者が一発で返してやろうってんだ。悪くない話だろ? エエッ?」
「力だけで簡単に事が運べば、誰も苦労はしまい。ただでさえこの俺の派閥は、ロスクレイやハーディと比すれば小さいのだ。その上、愚民どもの反王室派は軽率に俺を担ぎ上げる気でいる……!」
「フン……アホガキが。いっちょ前に政治屋みてェな言葉語るようになりやがって。似合わねェ真似はよして、弟子らしく素直についてくりゃアよかったんだ」
「婆ちゃんに生身の
第二将ロスクレイ、第二十七将ハーディに次ぐ勢力を誇る、第四卿ケイテ。
実質は全く異なっている。それはケイテの陣営ではなく、ずっと以前から魔王自称者キヤズナの陣営であった。
故に彼らの真の味方は限られている――恐怖と冷酷で名高いケイテとて、キヤズナとの繋がりを隠し立てながら動く必要があるからだ。
外からは大勢力として標的とされやすく、内からは味方を取り込み難い。
この
彼らの味方はごく少ない。ケイテ。キヤズナ。そして……
「おいおいおいおいおい……」
いつの間にか、扉が再び開いている。よく通る、とても低い声だ。
皮肉めいた笑みを浮かべる壮年の男が、新たに執務室へと入室してきている。
「足の踏み場もねえや。随分散らかしてるねぇ……」
「……礼節を欠く無頼はこの俺の陣営に不要だ。殊に、鍵を勝手にこじ開けるような輩はな」
「ンッフフフ。ちょいと出入りするだけでクビにされちゃたまんねえな」
軸のキヤズナと並んで制御困難な、危険な男であるとケイテは認識している。
「調査報告だって持ってきたんだぜ。ここ大一ヶ月、ゼルジルガが“黒曜の瞳”の構成員と連絡を取ってる様子はない……裏切り者って触れ込みも本当なんだろうよ……」
「その程度の話はアタシの
「ンッフフフフフ。いいねぇ~、後先考えねえ策……ますます俺好みの女だ……」
その笑いにケイテは更に苛立ったが、共有すべき情報を明かした。
「エヌが測量を始めている。城下劇庭園の測量だ。仕掛けるつもりかもしれん」
「へえ……? あそこは試合中以外は俺たちでも立入禁止の取り決めだろうに。複数勢力の兵で守ってやがる……測量なんざ、どうやって?」
「無能め。内ではなく、外よりの測量だ。エヌの都市計画管轄の権限を使われている。周囲の建物との距離を測り、方角を仔細に記録し、それを都市調査に紛れて行っている」
「……ケッ! あの庭園を狙撃するつもりってか?」
「不可能だ。射線が通るような立地ではない。だが」
動いている以上は、内容が分からずとも警戒すべきに変わりはない。
窮知の箱のメステルエクシル。当代最高の魔王自称者の手による無上の傑作。
如何に“黒曜の瞳”の戦士であれ、正面からぶつかって勝てるものではあるまい。
ならば策があるに違いない。完全なる不死の設計を持つメステルエクシルを打倒し得る策は、ケイテにすら思い当たるものはないが。
「奈落の巣網のゼルジルガは糸を用いる。地の利を活かす策が何かあるのだろうよ」
「だが、戦場はもう合意済みだろ? 俺らの試合も……ンッフフフフ。その問題の城下劇庭園だぁ……さあ、どうするかね」
「知れた話よ。今からでも変えさせればよい」
「……何?」
ハイゼスタの笑みが消える。ケイテは酷薄な表情のままで続けた。
「戦場も条件も、俺が定め直す。何一つ奴の思うようにさせるつもりはない」
「また口だけでデカいこと言いやがって。ブッ殺しちまったほうが楽だろうに」
「……だから婆ちゃんは、そういう短絡的な物の考えをやめろと……! 千里鏡のエヌは、この勝ちに執着してはいない。執着していないという姿勢で、他の二十九官よりの追求を躱している」
“黒曜の瞳”掃討の功労者であるゼルジルガに、報酬としてこの王城試合の出場権を与えている――それ以上の他意を持ってはいないと考えるのが、もっとも自然な成り行きではある。
――恐らく、ことはそのように単純ではない。ケイテはそう考えている。
ロスクレイ陣営が、ゼルジルガとの試合を避けている。与し易い対戦相手に見えて、ロスクレイですらその不確定の要素を厭ったのだ。
「俺の圧力に対しどの程度の抗弁をするかで、奴の真意の程は窺い知れよう。勝ち進むことが奴の目的ならば、俺の陣営へと取り込む余地が出てくる。第三試合が終わり、エヌが準備をやり直す猶予のある今だからこそ、奴が戦場を変更するかどうかを見定める価値がある」
「やれやれ、相変わらず乱暴なガキだな……ンッフフフフフ……じゃあ俺は、劇庭園周りの動向でも見張っていりゃあいいのかい」
「そのようにでもしろ。
「ンッフフフフ……い~い女になら、俺は魔族にされても一向に構わないがね……」
「ッたく、いちいち気持ち悪ィやつだねえ~!」
扉の向こうの通路が、巨重に軋む音がする。
言うまでもなく、彼らの陣営の最後の切り札が帰ってきたことを示している。
ケイテは呟いた。
「……メステルエクシル」
金属が震えるような声が壁越しに響く。
「か、か、かあさん! きょ、きょうも、た、たくさん、あそんできた!」
「……そうかい。メレは元気してたか」
「う、うん! い、いつもおおきくて、げんきなんだって! ち、ち、ちいさくなったら、げんきじゃなくなるかなあ!?」
「そいつは試合で確かめてみな。奴を小さくするくらい、お前はわけねえだろう」
「は、はははははははははははははは!」
母子の会話を背にして、ケイテは再び作業を始めている。
ハイゼスタは怪訝そうにその様子を眺めた。
「おいおい、ケイテ……何してるんだい、そりゃ」
「片付けだ」
かくして、
円卓のケイテ。軸のキヤズナ。
「――貴様も手伝え」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます