第三試合 その3

 ビルの瓦礫の向こうでは、炎に溶けた送電鉄塔が倒れていくところだった。


「――なあ! おい、クソッ、先行くんじゃねえって、宗次朗!」


 塚厳つかよしの到達は、宗次朗が歩兵を斬り尽くしてから三分は遅れた。

 四十代前半であろうか。市街戦の風景には滑稽しか生まぬ、着流しの装いである。


 柳生新陰流最後の正当継承者を名乗っていたが、果たして。


「歩きにくい格好してっからだ。バーカ」

「おまっ……お前、そうやって師匠馬鹿にしてるとな、そのうちバッサリ行くからなマジで。“月影”でバッサー行くぞコラ」

「誰が師匠だ」


 若き剣士は退屈を持て余していたようで、切断された歩兵の腕を転がしている。

 固く握られた指には、突撃銃のグリップが握られたままだ。

 あるいは、レベルIVボディアーマーごと綺麗に輪切りにされた胴が同様に打ち捨てられていると言えば、彼の剣の異常性が理解できるであろうか。


「弟子より弱い師匠があるか。いつになったらその剣抜くんだ」

「舐めんじゃねえぞ……。お前みたいにな、刀ブンブン振り回して喜んでるような段階じゃねーんだよ俺は。こういうのはほら、言ってるだろ? 合一だ。宇宙と自ら、そして相手の呼吸が一つに合ったその時には、打たずとも自ずと敵が退くと。つまり、恐れを持たない和の道ってやつがな――」

「オメェ、この前ゲリラ相手にビビり倒してたよな」

「いや、あれは一種……一種の兵法ってかさ……」

「刀も逃げる時にブン回してたろ」

「……」


 うんざりしながら、宗次朗は刀を鞘へと納める。

 彼の剣閃には血管から溢れる血の一滴も追いつかず、よって、この一本の刀で記憶に収まりきらぬ数を斬れた。


 柳生新陰流を名乗るこの男に出会ってから、どれだけの時間が経っただろうか。最初の一本の刀を与えられたから、こうして付き合いを続けている。

 他に恩義を受けた記憶を思い出そうとしてみたが、特になかった。


「またエムワン来ねェーかな」

「……あのな、戦車なんて来るのはマジの時だぞ。七発目の原爆が落ちた時じゃねーかよ。次来たら、もう俺たち完全に死ぬわ」

「あァ? 歩兵とか装甲車ばっかじゃつまんねェよ」

「……くそっ。大体、なんで戦車斬れるんだよお前さぁ……。人間じゃねーだろ。絶対人間じゃねえ……」


 斬れるように作られているのだから仕方がない、としか答えられぬ。

 確かに宗次朗の剣は万能ではないし、斬れないものは、世の中のどこかに間違いなくあるのだろう。そして戦車は他のものよりは斬りにくい。否定するつもりもない。

 だが、やはり根本的な認識に齟齬があるような気がしてならなかった。


「斬れなきゃおかしいだろ。元から戦車の形で出てきたやつじゃねーんだからよ」


 如何なる装甲であろうとも、人が作り出している限りは、それをどこかの時点で曲げたり、溶かしたりしているはずだ。それができないのなら、望む形になるはずがない。そして組み上げる以上、完全に隙間なく、歪みもなく作れるはずがない。人が壊せない道理もどこにもないはずだった。宗次朗はただ単純に、刀でそうしている。

 塚厳つかよしに対しても、常々そのように主張しているのだが。


「お前……お前さぁ……工作機械とか化学処理とか……いや分かんねーよな。もうお前の世代だと分かんねーよな。ってか学校自体ないんだよな、もう」

「ウィ。学校。塚厳つかよしの時は楽しかったか。戦車斬るよりいいか」

「……。比べるもんじゃねーよ。柳生の話にしようぜ」


 塚厳つかよしは頭を掻いた。そうした話を振ると彼は決まって口を噤み、話題を逸らそうとする。

 もはや誰も真偽を確認できぬ柳生新陰流の後継者を名乗り、胡散臭い剣の心得を語り、着流しを着て、帯刀すらしている。

 彼はむしろ、平和だった頃の人生を厭っているようでもあった。


 ――けれど、役にも立たぬ理念の話などより、宗次朗はそちらの話が好きだった。

 戦争もなく、物資を持ち込む兵士も現れないのに、どのように暮らしていたのか。

 相原四季が現れる前の世界はどうだったのか。生まれた時からそれを知らない。


「……オメェさ、ホントは柳生でもなんでもねェんだろ」

「ハァ!? ほ、本物だし!? お前……そういうとこだからな! もう完全に“花車”だわ。ブッた斬られてから後悔すんじゃねえぞお前」

「おッ、あれ次の爆撃機じゃねーの」

「ひッ!?」


 ――呆れるほどに弱い師だった。


 刀身でライフル弾を逸らすことも、走っている装甲車に刃を差し込むことも、それどころか、ただ戦いを楽しむだけのことすら、何一つとしてできなかった。言動だけが偉そうで、役に立ったことは一度もなかった。

 それほど弱いのにも関わらず、刀で戦えることを信じているのが不思議だった。


 柳生塚厳つかよしはそれから二年と生き延びられず、当然に死んだ。

 だから宗次朗は、この異世界に至ったのかもしれなかった。


――――――――――――――――――――――――――――――


「死体ダ」


 複数の声が混ぜ合わされたような音声が告げる。


「タカガ、蛋白質ノ塊。何ノ意味モ持タヌ」


 ソウジロウは先程と同じく斬り込んではこない。しかし、もう違う。

 それがあることを知ってしまった後では、決定的に違うのだ。

 恐怖を知らずに戦うことができた先程までと、同じではない。


 “魔王の腕”には、かつての“本物の魔王”の影響力など微塵も残ってはいない。

 それは単なる死体だ――このように体の一部に繋いですら、大数ヶ月ほどを悪夢に狂い、自らを殺し続けるで慣れることができる。


 もはや異常性のない、ただの少女の死体にすぎない。

 あれは彼女に生ある時のみの恐怖だ。今のオゾネズマはそれを理解している。

 ……だが、それを初めて目の当たりにする者にとっては。


「……ハァーッ、ハァーッ……!」


 粘性の汗が、全身からとめどなく滴っていた。

 地上で斬れるものは斬り尽くした。だから理解してしまう。


(おれ……おれは、もう)


 美しい腕を見た。ただそれだけだ――敵は同じままで、それしか違いはない。


(こいつを斬れねェのか……)


 次の手は突進。再び突進が来る。


 先程の一撃のように、“魔王の腕”で触れる間合いで止めはしないだろう。

 あれは交差の斬撃で脳天を割られぬための、減速を絡めた惰性の突進だ。

 今も肋骨に罅が入っているに違いないが、オゾネズマの質量が減速なく衝突していたならば、ソウジロウの五体は血煙になっていたはずだ。


「ハーッ、ハーッ」

「精神性発汗。手ノ平ニ汗ヲカイテイルナ」


 オゾネズマは、むしろ焦らすようにゆっくりと告げる。


「ウマク剣ヲ握レルカヲ、意識シ続ケテミルガイイ。呼吸ヲ整エ、手元ニ集中シロ。生死ニ関ワル沙汰ダ。絶対ニ取リ落トシテハナラナイ……絶対ニ」


 火薬の爆発のように大地が爆ぜた。

 ソウジロウは構え、真正面から迫るオゾネズマを捉えた。

 構えることができた。絶対不壊の虚ろの魔剣。到達の前に斬る。

 斬れる。鈍化したソウジロウの認識の中で、それは確かな事実だ。


 斬れる。残り三歩。恐怖。斬れる。残り二歩。

 恐怖。斬れない。


 恐ろしい。


「……ッ!」


 土煙が舞った。ソウジロウは蟇めいた低姿勢でオゾネズマとすれ違いに潜った。

 到達寸前の僅かな一歩の間にしか生まれぬ、ごく僅かな空間。物理的に“魔王の腕”の届き得ぬ腹の側。

 その位置であれば。


「シャ……アッ!」


 剣閃が閃いた。頭上のオゾネズマは、胴で両断された。

 あまりに遅い。遅すぎる。

 恐怖が彼の剣術を破壊している。斬れてはいない。


 通り過ぎた上半身が方向を変える。展開された手術刀の光が無数に閃く。

 そちらではない。


「言ッタダロウ――」

「おおおおおおッ!?」


 叫びとともに、死角から迫っていた腕を蹴り離れた。

 自発分離された混獣キメラの下半身は無数の腕と後ろ足で不気味に蠢き、敵を掴んで捕らえる、神経節への単純命令を実行し続けていた。


 そして回避の先には、知性持つ上半身がある。

 無数の腕を同時に用いた加速で、既に突進している。


「絶対ニ、取リ落トシテハナラナイト」


 恐怖に止まった刀身を、狼の牙が捉えている。

 獣の力で掌中より引き剥がされ、魔剣が奪われる。


 口の後には膨大なる腕が続く。手術刀の群れ。

 ソウジロウは極限の時間の中で、その内の一本を見る。

 その可動域を。速度を。


 銀の刃が殺到する。解体される。嵐と共に三本の腕が飛ぶ。三本。

 それは死体の腕だ。


「――“無刀ッ……取り”!」


 ソウジロウは、奪い取った手術刀を振り抜いている。

 同時に繰り出された“魔王の腕”の僅かな外側に仰け反りながら、やってのけた。


 オゾネズマは慣性のまま過ぎ去った。

 残された下半身を通り過ぎる一跳びの間に、再び接合する。

 以上の全てが刹那の交錯であった。それで仕切り直しと――


 ブウ、と空気が震えた。一呼吸の間すらない。


「カッ!」


 続くソウジロウの叫びは、飛来した七つの手術刀を弾き飛ばした喚声ではない。


 刀身の短い手術刀では凌ぎきれぬ範囲にあったか。

 交錯の一瞬で神経を酷使し過ぎた故の反動であったか。

 得体の知れない恐怖に、“客人まろうど”の技すら衰え果てているのか。


 彼は刀で受けたことはない。六本を逸らし弾いた。

 ……一本の手術刀は、右腿に直撃していた。その声は苦悶の呻きであった。

 そしてその一本は、オゾネズマの身体性能で投擲された刃であり……


「……恐怖ノ過ギ去ッタ直後。ソノ一瞬コソガ、最モ精神ノ隙ヲ生ム」


 機関砲の如きその威力は、腿から膝までの肉を完全に爆散していた。

 迷宮機魔ダンジョンゴーレムとの戦いにあっては空中を駆ける力があり、刀を蹴り込むほどの繊細な技があった。剣士の脚であった。

 右脚欠損。


「グッ、グッ……グッ」


 動けず、短い手術刀の一本しか持たず、それでもソウジロウは嗤った。

 ……今、全てが読めた。

 この先の展開は見える。ソウジロウに打つ手はない。それが分かる。


 最初の突進と同様に、近づき、“魔王の腕”を伸ばす。

 ソウジロウは斬りかかることができない。それは絶対の恐怖だ。

 腕が到達して、そこから先は……ソウジロウの想像は及ばぬ。そこで終わりだ。


 魔剣は奪われた。ソウジロウがただ一本持つ短刀で可能なことは何もない。

 ならばこの場の代わりに誰がいたとしても、そうなのだろう。

 だが、分かった。


「――見たぞ。オメェの命」

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