第三試合 その2

 城下劇庭園は、本来より王城試合の場として建造された施設である。

 石造りの客席の下には選手用通路が設けられており、擁立者である二十九官はこの位置に待機し、自らの候補者の戦いを見守ることになる。

 ――今は、弾火源のハーディのみがいる。光暈牢こううんろうのユカはまだ現れていない。


 彼に走り寄る、年嵩の女がいる。


「ハーディ様。ご報告がございます」

「交通封鎖は失敗したか」

「……はい」


 参謀の様子を見れば、その成果の程は分かった。

 表沙汰にならない範囲で……より厳密に言うなら、ユカが表沙汰にしない範囲で妨害の手を尽くした。黄都こうとにおいて最大の軍閥を誇るハーディがそこまでをして、なお敵の力が上回った、ということになる。


「蒸気自動車への対処が後手に回ったのが痛いな。蒸気の車はまだ中央への登録が甘い――こっちからじゃ見えねえ車があった。ジェルキ辺りならもっとよくやれたな」

「オゾネズマはすぐにでも到達します。もう直接妨害は不可能です」

「ダントに連絡を取れ」


 それは危険を伴う次善策であったが、ハーディはこの状況下で迷う男でもない。


「第二十四将に……しかし、本当にダント様がこの一件に関わっていると……?」

「九割はな。九割は間違いねえ。蒸気自動車の制度の穴を抜けられて、しかもこっちが勘付いた途端に闇市場を押さえやがった。ただ頭がいいだけじゃあ無理な芸当だ。広く伸びる手が必要になる。軍勢だ」

「……それがロスクレイ様の軍である可能性は?」

「ねえな。ロスクレイが黄都こうとから出した兵だけじゃあ、敵の動きの規模が合わねえだろ? 千一匹目のジギタ・ゾギは……いや、ダントかもしれんがな。オカフの連中を惜しげもなく黄都こうとの外に出した。――狙いの一つがこれだったかもしれん。そいつらに市外のオゾネズマを守らせてたわけだ」


 黄都こうと軍に匹敵する規模の兵力を動かせる者は、ジギタ・ゾギしかいない。

 ロスクレイやケイテも軍勢を動かせる点は同じだが、曲がりなりにもそれは黄都こうとの兵だ。誰かが兵を動かせば、それは他の二十九官にも筒抜けになる。

 ……ハーディが今こうして市外で兵を動かしていたことも、把握されている。


「ジギタ・ゾギとオカフがオゾネズマの後ろにいるのは間違いねえ。ダントの奴とも、足並みを合わせて結託してやがるな」

「……オカフは黄都こうと撤退の際に、他の勢力に紛れさせていた間諜を皆殺しにしていますが。ただの読みだけで、こちらの戦術を看破していたと?」

「偽装だ。そこまでの戦術家がいるとしたら、俺も勝てねえ。情報戦から身を引いたと見せかけて、本命の間諜を残していたんだろう……が、それをやっても問題のねえ統率力があるのだとしたら――どのみちただの傭兵の域じゃあねえな。あいつらは」


 僅かな違和感がある。

 間諜の人員を使い捨てにすることを初めに見せておきながら、果たして残された間諜が士気を失わずに動けるだろうか? 

 ……それは歴戦の将たるハーディの経験から鑑みれば、あり得ないことのように思える。セオリーではない。


 だが、現にこうして裏をかかれた。目立った動きを見せていないだけで、今も組織のどこかに間諜が紛れているのだ。ジギタ・ゾギは、彼の想像以上に強大かつ危険な存在である。

 冬のルクノカではない。ケイテでもない。今、黄都こうとに最も差し迫った脅威は他の誰でもなく、オカフとジギタ・ゾギだ。


「今からダントに渡りをつける。ソウジロウが負けた時には、俺が連中の勢力に潜り込むしかねえ」

「……ソウジロウが、負けると?」

「そうは言ってねえだろう」


 老将は口を歪めて笑う。

 ソウジロウは強い。彼が本物であるからこそ、ハーディは彼を使うと決めた。

 しかしハーディとて、策に費やすリソースには限りがあった。この第一回戦を必勝せねばならないが、衆人環視の試合において、ソウジロウを守る策は何もない。

 旧王国主義者の扇動によるユカの排除。この三日を使ったギミナ・黄都こうと間の交通妨害。打てるだけの手はとうに打ち尽くしている。オゾネズマを到達させないことこそが、彼の勝利への最短の道であった。


「戦わずに勝つ策が潰れたとなりゃあ、勝率は絶対に十割にはならねえんだよ。戦っちまったら、もう戦場なんだからな」

「では、ダント様に連絡を取らせます。ハーディ様も直接同行したほうがいいかと」

「元よりそのつもりだ。行くぞ……と」


 ハーディの足は止まる。遅れて参謀も止まった。

 視界を埋め尽くすような巨獣が、煉瓦造りの通路の前方より歩んでいた。


 規格外の体躯。蒼銀の毛並みを持つ、狼じみた不自然の獣。

 二十九官随一の巨体を誇る光暈牢こううんろうのユカですら小さく見える。


「――君ガ、ハーディダナ」

「よう。移り気なオゾネズマ」


 第二十七将はその怪異に動じるどころか、悠然と笑う。

 新たに葉巻を咥えると、横に歩み出た参謀が着火する。

 彼は目を閉じてそれを吸った。


「……遅かったじゃねえか。観客が待ちわびてる。何か問題でもあったか?」

「所用ヲ済マセルニ十分ナ時間ハアル。今……ココデ」

「フハッ」


 ハーディは煙を吹き出すように笑った。


「悪いが、俺もこれから所用を控えてるんでな? 通ったって構わねえだろう」

「ははははは。あんまり悪いことしちゃ駄目だよ、ハーディ」


 その場の緊張を意にも介さず、ユカは脳天気に口を挟む。

 今は互いに勢力を違えているが、二人には同じ武官としての信頼があった。無慈悲な戦術家として恐れられたハーディも、ある意味では、この男に遠慮をしていたのかもしれぬ。


「市民に被害が出てたら、俺も容赦できなかったからさ。お互い、よかったよね」

「……ああ」


 僅かに首を振り、吸い終わった葉巻の殻を参謀へ手渡す。

 運を天に任せる他ない。彼の打てる手はここまでだ。

 陰謀の主は、オゾネズマらの横を通り過ぎていく。


「そうだユカ。来月には誕生日だったか?」

「そういえばそうだったなあ」

「俺もまだボケちゃいねえようだ。何か祝わせてくれ」


 ――第三試合の戦士が揃った。

 移り気なオゾネズマ、対、柳の剣のソウジロウ。


――――――――――――――――――――――――――――――


 第二十六卿、囁かれしミーカは女としては大柄な部類である。

 故に、片方の男は彼女と比べて小さく、片方の獣は彼女と比べて大きすぎた。


「両者。真業しんごうの取り決めについての異論はないか」

「理解シタ」

「りょーかい」


 第一試合と同じく取り決めを行った後で、ミーカはその場を離れる。

 広い劇庭園でそう望んだのならば、中距離からの開始もできたことだろう。

 しかしオゾネズマは剣の距離を選択している。ソウジロウもそれを受けた。


「オメェ……面白ェ体してんのな……」


 ソウジロウは低く呟いた。

 楽隊の砲火が空を打ち、それでも両者は動かずにいる。

 剣の距離であるにも関わらず、剣豪が斬りかかっていない。


「……グッ、グッ、グッ。オメェの命は、いくつだ……?」


 弱い部分がない。

 オゾネズマの規格外の巨体は、その四肢の隅々までもが英雄のそれに等しい筋肉で構成されている。

 相手が動かずとも、ソウジロウにはそれを見て取る逸脱の戦闘勘がある。それは人域の第六感を超えて、未来の予知にも等しい絶対の声だ。

 それだけではない。遍く生類が抱えるべき致命点が――この混獣キメラには。


「君ハ剣士ノ体ダナ。他ノ武器ハ一切合ウマイ」


 その点で、第三試合の両者は似通った能力を持っていたと言えるのかもしれない。

 ただしオゾネズマのそれは、積み上げてきた経験による肉体の看破である。

 本来は技術を持たぬ獣であるはずの彼の本質はまさしく医師であり、皮膚の内と外とを問わず、この地上で誰よりも多くの英雄を観察してきたものだ。


「ソシテ、君ハ警戒シテイルナ」

「……」

「私ニ反撃手段ガアルト考エテイルノカ。安心スルガイイ」


 ――剣の距離の切り札を持っている。


 それを隠すことは、オゾネズマにとっては保険の一つではあった。ソウジロウの斬撃に合わせてその手段を確実に当て、一撃で倒す。

 それが読まれていたとしても、無関係にこの男を削り落とす『手』だ。


「聞イタ話ダガ――遠イ鉤爪ノユノ、トイウ少女ガイルソウダナ」

「……あァ?」

「知ッテイルカ? 彼女ハソ」


 ブウ、と空気が震えた。

 六連もの手術刀を投擲していた。

 それは連続ではない。大きく開いた背中に群れる腕の六つを用いた、完全同時の精密投擲である。


 そして、今空気を震わせたのは、オゾネズマの腕のみではない。

 ソウジロウは、物理的に不可能なはずの回避を成し遂げている。

 狙われた左足を引くとともに左の掌底で胸への軌道を弾き。右は完全に二点を結ぶ軌道で二つの手術刀の刃の側面を撫で。一連の動作で半身になった体が、残りの二つを避けた。


 尋常の法則下であれば、それは奇跡的な幸運と解釈されるものだ。

 偶然、一動作で全てが避けられる位置をオゾネズマが狙ったのだと。

 ――そうではない。


(“客人まろうど”。彼ラコソガモットモ恐ロシイ)


 ソウジロウの筋肉の動きの全てを、オゾネズマの眼は確かに見ている。

 如何に優れた身体能力を持つ者でも……それが英雄であったとしても、そこには骨格があり、筋肉があり、その条理に従って動く。

 “客人まろうど”は違う。今の回避すらも必然である。


 筋繊維の一本までもを認識する観察眼を以てしても、観測自体が起こる現象を乱しているかの如く、その動作の過程を捉えられぬ。

 目を逸らす恐怖があり、気が付いた時にはもはや、人間ミニアではあり得ない加速度と膂力で動いている。法則の基底を揺るがす、抗い難い種別の恐怖だ。

 それは水の一滴と世界の果ての大海ほどに、規模において大差があるとはいえ……


(――マルデ魔王。“客人まろうど”ノ全テガ……起コス現象ノ、全テガ)


 無数の腕は、新たな手術具をぞろぞろと備える。

 尽くが、英雄に到達し得た筋繊維、英雄に到達し得た神経のみで形成されている。

 自身で自身の改造を続け、最高の素材で形作られた混獣キメラ。それがオゾネズマ。


 背から生えた腕が投擲の動作を見せる。ソウジロウが回避の予兆で応える。

 狼の四肢の動きは別だ。突進する。

 ソウジロウはすぐさま動きを変える。剣の軌道がその頭頂に滑り込み――


「……!」


 そのまま、頭からの突進を受けた。吹き飛ばされる。

 斬撃に合わせてソウジロウを掴もうとしていた一本の腕は空を切る。

 ソウジロウは劇庭園の地面を一度跳ねて、無様に倒れ伏した。


「グホッ、ガッ……!」


 避けられたはずの突進。恐るべき巨重の一撃を受けた。

 それですらまだと確信できる程の脅威を感じていた。

 ……脅威。


(違ェ。なんだ)


 立ち上がろうとしながら、ソウジロウは自分自身の腕を見た。

 震えていた。負傷によるものではない。剣を振るう部分だけは、全て庇っている。

 違う理由で震えているのだ。


 “彼方”の剣豪が、戦火の中でとうに忘れ去ってしまったような、そんな理由で。


「……なんだ。こりゃ。おい。どうなってる……」


 オゾネズマの背から伸びていた一本の腕は、するすると体内の闇へと戻った。

 彼の背より生える無数の腕は全てが死人の白で、腱と金線で補強され、複数種の筋肉が見事に継ぎ合わされていた。


 その一本だけが違った。

 ただ一目見ただけだったが、それはとても美しい腕だと思った。

 柳の剣のソウジロウが、そう思うのだ。


 恐怖だった。


「なんだ、そりゃ」


 最高の素材によって形成された混獣キメラである。その一本は、柳の剣のソウジロウすらも一触れで戦闘不能と化す切り札であった。

 彼には特権があった。他の候補者の誰も持たぬ特権が。

 ……それは。


「魔王ノ腕」


 それは、“本物の魔王”であるということ。

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