第三試合 その1

「……ソウジロウ。剣は、ずっとそいつでやってきたのか」


 座ったまま壁にもたれて目を閉じる“客人まろうど”を、ハーディは一瞥した。

 ただ余分な活動を好まぬだけで、彼が眠っているわけではないと理解している。


 政府機関である中枢議事堂に黄都こうと第二十七将が出入りすることは殆どなかった。

 彼の居場所は、平時ですらこの兵舎にある。


「ウィ」


 “彼方”の剣士は、短く答えた。肯定の意味合いであった。

 異界のジャージに身を包み、両生類の如き印象の顔である。


「そいつはナガンの練習剣だぞ。しかもナガンは軍学校でもないから製造技術も悪い。つまり……あれだ、最低限、剣の動きを覚える程度の軽い剣だ。素人が振ると、人間ミニア一人斬るだけで駄目になるやつだな。砂人ズメウ辺りは一人も斬れん」

「そうかい。じゃ、なんでおれはこいつで斬れてる」

「力で斬ってねえからだろう。物の“目”や“隙間”を斬る――ってのはこっちの達人でも大なり小なりやってはいるもんだが。お前の技は常軌を逸してるな」


 振り抜いた刃の先端が、水が染み込むように鋼鉄の装甲に沈む。

 その最初の速度さえあるのならば、いかなる材質であろうが、そこから滑り込む如くに切断できるのであろう。無論その上で、振り抜く終わりまでに一切刃筋を違えることのない、尋常ならぬ技量を伴えばの話であろうが。


 “客人まろうど”とはそのようなものである。それは誰よりも多くの戦士の技を目の当たりにしてきた弾火源のハーディですら理解のできぬ原理だ。

 りゅうの前肢がそうであるように、巨人ギガントの長命がそうであるように、魔剣魔具がそうであるように――その最初の異常性だけは、どのような科学や詞術しじゅつを以てしても再現することはできない。

 その逸脱の故に、彼らは“彼方”を放逐された存在なのだから。


「おれも、剣の良し悪しくらいは分かる。別の剣拾ってりゃ、そいつにしてたわ」

「……なるほどな。つまり上等な剣さえありゃあ、もっと上の技ができるか」

「なけりゃあないでいい」

「魔剣をやる」


 老将が戦術卓の下から取り出したものは、鞘に収まった一振りの剣である。

 ソウジロウの“彼方”での生まれを知って選んだのか、その長剣は刃が緩やかに湾曲しており、片刃だ。


「世界には剣先が触れただけで爆発する魔剣だとか炎を吐く魔剣だとか自分で動きを変える魔剣だとかがある。一本が一軍に値する、解析不能の神秘だ」

「いらねえ~」

「フ! やっぱり言いやがったな。安心しろ。そいつには何もない」


 爆発を伴う剣は、打ち込みの反動を乱す。炎を吐く剣は、破壊の範囲と性質が既に剣ではない。自ら動く剣など、精妙なる技の最中には論外の代物である。

 あるいは……そういった魔剣の性質すらをも自らの技とする真性の怪物も、広い地平のどこかには存在するやもしれぬ。

 しかし魔剣を無条件に無敵の力へと結びつけるのは、剣の道を知らぬ者の幻想だ。たとえば爆砕の魔剣を用いた破城のギルネスなどは、それを知るからこそ恐るべき剣士であった。


 自らその希少を語った魔剣を、ハーディは無造作に放る。ソウジロウは立ち上がらず、目を閉じたままであったが、空中にある内に鞘を掴んでいる。


「アルクザリの虚ろの魔剣」

「どういう剣だ」

「折れず、欠けない。それだけだ。金属のしなりだけがあって、歪みは残らねえ。そいつは無尽の剣でありながら不落の盾でもある。そういうやつでいいんだろう」

「……グッ、グッ」


 ソウジロウはくつくつと笑った。

 光の線がいくつか走った。続く鍔鳴りで、空を試し斬ったことが分かった。


「フッツーだ。並の剣と同じ。それに、盾はねェな。刀で受けたことはねェんだ」

「その割には調子が良さそうじゃねえか」

「まァな」


 ハーディは、ソウジロウの練習剣の剣筋を見ている。

 それを尋常の重量へと持ち替えた今、重さがむしろ速度へと変わるかのような。

 ましてやその斬撃の威力などは――鉄と炎に積み上げたハーディの人生の上においてすら、一切の想像も及ぶまい。


 流血の予感を待ちわびた獣のように、剣士は嗤っている。


「グッ、グッ……なあハーディ。悪いこと、考えてンじゃねえか」

「クハハハ……! まァな……」


 第二十七将も、同じ凶暴の笑みを浮かべた。


――――――――――――――――――――――――――――――


 黄都こうとの大橋を渡り切る直前で、その蒸気自動車は止まった。

 前の宿場では、オゾネズマを乗せられる大きさの車両はこの一つしかなかった。


「ここまでですよ! もう進めません!」

「――了解ダ」


 荷台の扉はすぐさま開き、巨怪な獣が飛び出した。

 背には肥満体の第十四将を乗せ、それでも自動車を凌駕する走行速度である。

 舗装を蹴り、色が走る。


「いやー、随分遅れちゃったね。でもどうにか試合には間に合うかなあ」


 恐るべき向かい風に晒され、巨獣の揺れる背に掴まりながらも、光暈牢こううんろうのユカは一切取り乱していない。それはオゾネズマにとってはありがたかった。


「……ソウ思ウカ? ギミナ市ヲ発ツトキ、最初ハ三日ノ余裕ガアッタ」

「運悪いよね。車がなかったし、途中で回り道もしなきゃなんなかったしなあ」

「先ノ車ノ石炭不足モ、不運ノウチニ入ルカ? 少ナイ燃料モ、オオカタ裏市場デ無理ニカキ集メタモノダロウ」

「まあ、そういうこともあるんじゃないかな」


 ――この男と長く付き合っていて、オゾネズマにも理解できたことがある。

 彼は決して、周囲に与える印象ほどに愚鈍ではない。一連の出来事が第二十七将ハーディの妨害工作であろうことなど、とうに気付いているはずだ。

 その上で和を乱すことを選ばぬ男だ。治安の維持という自らの役割に、自らが損を被ることすらを含む矜持があった。


 それは決してオゾネズマの嫌う性質ではなかったが、それでもユカのそうした姿勢が、六合上覧りくごうじょうらんに明確な不利を招いてもいた。

 ジギタ・ゾギの読みがなかったのならば――あと半日でも出立が遅れていたのならば、戦場への到達自体ができなかった。そのような未来があったとすれば、オゾネズマはこの時点で敗北している。


「……他ノ者ト会ウ時間ハ、モウ作レナイカ?」

「ははは。俺は別にオゾネズマが負けても損じゃないから、そっちを先にしてもいいけどさ。でも、もう正午には始まる。まっすぐ行かないと、ちょっとやばいよ」

「理解シタ」


 寸前まで黄都こうと入りを遅らせる戦術を選択したのは、オゾネズマ自身だ。

 無論その対価を甘受するつもりではあるが、心残りでもあった。


 黄都こうとの地図は、事前にジギタ・ゾギの配下に手渡されたものを記憶している。

 路地を急角度で曲がり、壁を蹴って馬車を回避し、通行人の目にも留まらぬ猛速で進む。この全速力も、これから先の戦いに比べれば毛程の消耗でもなかろう。


「――魔法のツーのことでしょ? 悪いね。俺もフリンスダとは割りと仲いいし、頼めばギミナ市まで連れてきてもらえるかもしれなかったけどなあ」

「楽観的ニ過ギル見解ダ。他ノ擁立者ガ、試合ノ事前ニ出場者ヲ黄都こうとノ外ヘ連レ出スナド、提案ダケデモ不審ヲ招キカネン。不可能ダ」

「でもさ、本当に今会っておかなくていいの? オゾネズマ、試合で大怪我するかもしれないじゃん」

「死ヌカモ、トハ言ワヌノダナ」


 急停止する。怪物的な巨体は、背の低い建物の浅い窓枠を足がかりにして、体重が存在しないかのように登る。車で進入することはできなかったが、入り組んだ黄都こうとの中にあっては、オゾネズマはどの道このようにしていただろう。


 ユカにはやはり、一連の動きによる消耗はない。強靭な男だ。

 仮に擁立者が文官であったのならば、このようには行かなかったはずだ。


「会エヌノナラバ、ソレデモ良イ。奴ニハ奴ノ意思ガアルノダロウ。今ノ奴ガ、ドノヨウナ道ヲ選ンデイヨウト、尊重スベキハソチラダ」

「まるで知り合いみたいに言うなあ」

「……向コウハ、私ヲ知ラヌダロウナ」

「じゃあ何なのさ?」

「…………。難シイ質問ダナ。敢エテ、答エルナラバ……ダガ」


 屋根を飛び、二つ跨いだ路地へと降りる。

 試合がじきに始まる。ユカの言った通りに、彼女と会話をする時間はないだろう。


 この路地を真っ直ぐに進んだ先に劇庭園がある。

 オゾネズマは答えた。


「妹」


 再び地を蹴って、混獣キメラは駆けていく。

 きらびやかな黄都こうとの景色に好奇の心を輝かせる猶予もなかった。

 だがその引き換えに、勝つことができる。試合が始まるその時まで、ハーディとソウジロウは、彼が用いる真の手段を何も知らずにいる。


(コノ初戦ヲ勝ツ)


 それは第一回戦にして、最も困難な戦闘となる。

 敵はロスクレイに匹敵する派閥を擁する弾火源のハーディであり、その組織力による有形無形の妨害が、試合の以前から現に彼を追い詰めている。


 だが、それはヒロトの仕組んだ組み合わせだ。勝利する価値があった。

 ソウジロウを討てば、ロスクレイに匹敵する黄都こうとの対立派閥を崩すことができる。

 それは主流であるロスクレイを倒すこととは全く違う。主流の派閥ではないからこそ、崩れた後ですら、彼らにはロスクレイという共通の敵がなお存在する。


 ちょうど、ギミナ市での旧王国主義者と同じ状況となる――散った勢力を再び纏め上げることができる者がいれば、その者が新たな『首』となる。

 逆理のヒロトである限り、それはあまりにも容易な作業だ。


 故に、この第一回戦だけだ。万全たる奇襲を組み立てる必要性があった。


(……勝タネバナラヌ)


 黄都こうとに入らぬままであった彼は、他の出場者の外見も人格も知らぬ。勝利のために、ジギタ・ゾギの調査した戦力の程を知っているに過ぎない。


 柳の剣のソウジロウは果たしてどうだろうか。

 魔法のツーであっても、そうであるのならば致し方ないと決意している。


(偽リノ勇者ヲ根絶スル)

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