黄都 その3
幾度かの大規模な都市計画によって、
中でも王宮に近い山の手には、市民のそれに混じり、政務に携わる二十九官の邸宅も存在する。
第二十四将、荒野の轍のダントの住まいなどは、ごくささやかなものだ。
共同住宅の二階には、老いた母と、ダントが書斎に使う程度の間取りしかない。
今は母を別の邸宅へと移し、さらに別の一室に暮らす者がいる。
一つの窓のみで大通りを見下ろす、暗い部屋である。
「
「もう少し自由に外出できればいいんですがね。まあ、大した不便は感じませんよ」
「どのみち、戦の実働は全てジギタ・ゾギがこなすのだろう。ここに至って、貴様自身の目で何かを見て回る必要はあるまい」
「確かに」
ヒロトは遅い昼食を取っていたようで、少ない食事を残してフォークを置いた。
母のとる食事より少ない。ダントの目から見れば、際立った少食だ。
「私はこと戦いにおいては、腕も頭脳も、まったく役には立ちませんからね。こうして姿を匿ってもらっているほうが、余程安心できるというものです。ただ、その分進捗の程度は確認しておきたい」
今はこのように手を結んでいるが、逆理のヒロトの存在はダントにとって不安要素以外の何物でもない。こうしてあからさまではない形で軟禁し、事が露見する兆しがあれば、寸前に始末できるよう方策を整えるのも、当然の備えではある。
無論、そのような時にはモリオの兵が行動を開始する手筈になっている。だが、いかに強大な抑止力も、眼前に刃が迫ったその時に、どれほどの効力を持つだろうか。
「オゾネズマの件は、他の者に探られてはいませんか?」
「……ああ。幸いにして、
「試合開始直前までは、オゾネズマの
「だが、その動きが続けばさすがに目立つ。いずれ、探りを入れる連中は現れるだろう。俺はどうすればいい?」
「――いずれ、ではありませんな」
部屋の隅。床上に
逆理のヒロト配下の
「“青の甲虫亭”。十六名の名が伝えられたこの初日から、どうやら強行偵察に出ている連中がおりましてね。最初に潰すべきは、その一名と見ます」
「……
「二つの陣営より多くはありません」
逆理のヒロトと同様……一日、ジギタ・ゾギはこの一室から出てはいない。
彼もまた
「
「……いいや。それとて方策はある。外部からの傭兵を――そうか」
ダントは、その段になって初めて気付く。
……ジギタ・ゾギ。ヒロト子飼いの参謀。この世界に現存した
そこまで先の展開を読み切って、行動の流れを組み上げていたというのか。
「そのための、オカフか……!」
「御名答です。オカフ自由都市を味方に引き込んだのは、自在に動かす戦力の手駒を得る以上に、他の勢力に自在に動かせないようにするため、ということになりますなあ。彼ら以上のまとまった数と質の傭兵を探し引き入れるとなると、そいつは相当に難儀する仕事になります。しかし、こちらの相手は軽々と先んじた」
「確かに、そうなるか。しかし
「そちらも考えにくい話です。ダント殿でもそうするように、素性がすぐさま割れる
「逆に言えば、この相手は私兵を用いている。そして性急すぎる、ということか」
「そうなりますな」
その時には、ダントも腰を据えて地図を覗き込んでいる。
一度協力の道を選んでしまった以上は、ヒロト陣営とダントは一蓮托生だ。国家を守るべき役目の二十九官ではあるが、彼には老いた母がいる。いずれ後戻りのできない道であるならば、本気で戦い、生き残る必要がある。
機会があれば彼らを始末する心積もりだとしても。
「……候補者の連中には不明な点が多いが、俺の持っている擁立者の情報は提供できる。用兵能力ならば、たった今言った通りに、弾火源のハーディと円卓のケイテの二人。奴らならば、自前の軍でなくとも上手く動かせるはずだ」
「兵力以外の強さとなると、どうです?」
「一番は、絶対なるロスクレイ。正体を知ったからとて舐めてかかるな。こいつは一切弱くない。工作部隊を動かす能なら、千里鏡のエヌ。残りは、空雷のカヨンもあれでなかなかやる」
「……小一ヶ月」
席についたままのヒロトが呟いた。
昼食をようやく食べ終えたようで、口元を拭っている。
「候補者に小一ヶ月の猶予を与えている理由は、ロスクレイですか?」
「表向きは、
「なるほど。極めた
むしろ、突出した
故に、個人差の大きすぎるこの理由はあくまで表向きの建前でしかない。
「実際は、探るためだ。俺たちが今、こうしているようにな。ロスクレイならば情報収集に
「
「……ならば、ヒロトのような戦略を仕組んでいる候補が他にいるのか?」
「ジギタ・ゾギ。“青い甲虫亭”の連中の素性は洗っているよね」
「無論です。ただのゴロツキならばすぐさま辿れるでしょうが」
――そうではない、ということになる。
ジギタ・ゾギの推測は、敵が十分に訓練された兵であるという前提に基づく。
胡座をかいた渋面のまま、ダントは口を開いた。
「俺の方針は決まった。その一名は開催前に落とす。危険だ」
「アタシも同感ですな。オゾネズマ隠しの策はあくまで一時しのぎ程度です。相手がこちらを上回る諜報網を持つのなら、暴いた情報を別の候補者に流すこともできます。そういう権利は、できればこちらが握っておきたいもんですからな」
「私は、ジギタ・ゾギの決定に従う。今後も任せたよ」
「……ええ。まあ慣れたやり口ですから。この出場枠も使える分は使って、せいぜい、オゾネズマの勝つ状況くらいは整えときますわ」
そこで、ザラザラという雑音の混じった声が響いた。
床に無造作に転がされていた、偵察兵用のラヂオである。
ジギタ・ゾギの短い腕が、素早くそれを取った。
「こちら茶九。名と報告を告げよ」
〈赤零より茶九。“雀”の素性が判明。名の裏付けが取れました。順に――〉
続く報告を、ジギタ・ゾギは眉一つ動かさず受けた。
だが、彼が深刻な事態に直面した時に、こうして頬を膨らませるような顔を見せることを、ヒロトは知っている。
「まずいですな。ヒロト様。ダント殿。連中の身元が分かりました」
「……何か?」
「オカフ自由都市の兵です」
……沈黙が走った。
勢力の根幹を支える大兵団。オカフの傭兵が、制御を外れた行動を取りつつある。
ヒロトは口元に手を当てて、ジギタ・ゾギへと尋ねる。
「私はそうは思わないが、念のためだ……モリオは裏切ったか?」
「いいえ。裏切るとしても、まだです。疑うのは敵さんの思う壺でしょう」
性急すぎると見えた行動も当然のことだ。彼らは正体が看破されかねないタイミングで、強行偵察の手に打って出た。不審を招かぬ程度に素性を隠しながら、むしろその成り行きを誘導していたのだ。今、
出場者を探りはじめているのは、第三勢力の得体の知れぬ兵ではない。
それは
他の候補者に素性が辿られたその時、致命の傷を負うのはヒロトの陣営となる。
離反か。偽装か。以前から潜ませていた工作員なのか。何者かが影から糸を引いている。最悪の場合には、陣営が内側より崩壊しかねない。
「モリオ殿は信用できます――だからこそ、まずい」
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