黄都 その2

 どこに行っても、同じような出来事に行き会う気がする。

 ……きっと、それは錯覚なのだろう。だがシャルクのごく短い自我において、その二度か三度の不運の繰り返しは、十分すぎるほどに人生を占める密度であると言っても良いのではないか。


 ともあれそれは、世界最大の都市。黄都こうとでも起こった。

 “青い甲虫亭”という酒場の片隅で、飲めぬ酒の一杯を座席代の代わりに、陽気な管楽器の旋律に乗せた女詩人の歌を聞いていた。

 自分自身が骸魔スケルトンであるためなのか、陰鬱な曲は好みではない。勝手の分からぬ黄都こうとに見つけたこの店は、その時点では当たりと言ってよかった。


「わーっ、綺麗! どれにしようかなあ!」


 それが誤りだったと気付く最初の兆しは、底抜けに明るい少女の声だ。

 何が楽しいのか――カウンターの棚に並んだ酒瓶の色を眺めているようであった。


「おじさん、これ! 緑のやつ! 樽奥酒をくださいな!」

「……」


 音楽とは不釣り合いに寡黙な主人は、黙々とグラスの準備を始めている。

 少女は軽い足取りで、シャルクの席の向かいへ、迷いもなく座った。


「おいおい」


 本来引き止めるべき主人がその有様なので、シャルクが咎めることになった。


「……その年で樽奥酒か? 知らないなら、別の酒に代えてもらえ。一口目で潰れちまうぞ」

「? 大丈夫だよ! あっ、向かい座っていい?」

「もう座っているだろう。止めたかったらそう言ってるさ」


 猫のようにしなやかな印象を与える、栗色の髪の少女だった。

 座ってもなお落ち着きのない動きに合わせて揺れる長い三つ編みは、事実、一つの尻尾のようでもある。


「ふふ、ありがとう。ぼくは魔法のツー。君は?」

「“音斬り”。音斬りシャルクで通っている」


 ――魔法のツー。

 六合上覧りくごうじょうらんの後見人……遊糸ゆうしのヒャッカに教えられた参加者の名を思い出す。今朝方のことで、シャルクも真剣に記憶してはいない。

 だが出場者の一人が、そんな奇妙な二つ目の名を名乗っていただろうか?


「……酒場なのに。君は、お酒飲まないの? 氷が溶けちゃってる」

「幸い、呑まなくても酔い歩けるようになった身でね」


 黒いローブの下から、シャルクの指先が覗く。

 宝石じみて純白に脱色された、生命条理に反して動く人体の骨格そのものである。


 彼の眼前の席のみが開いていた理由でもあった。

 音斬りシャルクは魔族まぞくである。彼が旅したどの街でも……多種族が共存する黄都こうとにあっても、なお忌避される種族の一つだ。


「いつ覚めるか分かったもんじゃないのさ。こんな酒で良ければ、奢らせてくれ」

「いいの? やった、得しちゃった!」


 ツーは両手でグラスを持って、ブランデーをごくごくと飲み干した。

 ぎゅっと目を瞑って、グラスをテーブルに置く。


「ううっ……苦い! でも、おいしいな!」

「本当にそう思ってるか?」

「うん! お酒って、皆好きなんでしょ? クラフニルも言ってた!」

「……」


 本人が喜んでいるとはいえ、軽率に勧めるべきではなかったのかもしれない。

 とはいえ……明らかに酒に慣れている風ではないのにも関わらず、水でも飲み下すかのようにグラスを空にできるのは、余程に強い喉の持ち主なのだろう。

 

(……こいつが、六合上覧りくごうじょうらんの敵か? 俺の素性を知って近づいてきているのか?)


 ニコニコと体を揺らしながら詩人の曲に聞き入る姿は、とてもそうは見えない。

 試合開始まで小一ヶ月。力を測るには、悪くないタイミングか。

 シャルクは、壁に立てかけた白槍の位置を意識している。


「あっ、そうだ、シャルク!」


 少女は振り返った。彼女の注文した酒を、給仕が運んできていた。

 そしてシャルクは辟易の溜息をついた。

 ――どこに行っても、同じような出来事にばかり行き会う。


「ああ!? 黙ってろクズが! 何遍会っても金、金ってよォ……たかが一ヶ月か二ヶ月でテメェ、ああ!? 小せえこと抜かしてんじゃねェ!」

「おう、踏み倒す気か!? 上等だコラァ! そんじゃあその腹ん中ブッバラして、ロクでもねえ酒代の代わりにするか!?」


 喧騒に紛れる口論の声。シャルクは詩人に向けた顔を動かすことなく、それを知覚している。一方のツーは、まったく注意を払っている様子がなかった。


 内の一人が、銃を取り出すのが分かる。まさか装填状態で呑んでいたのか。

 銃口が上がる。相手の喉に突きつけられる。

 シャルクの速さであれば、今からどのように動いたとて、間に合う初動だ――だがならず者どもの問題は、彼ら自身の自由に任せるべきだと彼は考えている。


「――テメェが先に死ねや!」


 座席が倒れる音。銃声。客の悲鳴がその後を追う。

 シャルクは沈黙したまま、対面の席を見ている……僅かな一瞬で消えた同席者を。

 その時には全てが終わっている。


「やめろッ!」


 ツーが、二人を同時に押さえつけていた。

 明らかに暴力の世界に身を置く屈強な大人二人が、少女の細腕の一本ずつで、まったく身動きができていないようであった。


「皆、音楽を楽しみにしてるんだ! 君たちの喧嘩じゃない! 迷惑かけるなよ!」

「う、ぎぐっ」

「まだ続けるなら、蹴っ飛ばしてわからせてやるぞ!」


 無論、シャルクの目は全ての過程を認識していた。

 シャルクの席へと向かって飛ぶはずの流れ弾が、止められた瞬間も。

 盾でも武器でもなく、ツーの体に当たったはずだ。肉を貫かずに止まった。


 だが、それ以上に明確な異常を、シャルクは認識している。


「……ツー。そいつらは」


 槍を手にして立ち上がろうとした時、次の異変が起こっていた。

 木材が強く弾けるような、パチ、という音が響いた。

 酔客の手の内から、何かが吹き飛んで背後のランプの一つを砕いた。

 二人は逃げていく。一人は入口側。一人は、それが吹き飛んだ地点――裏口へと。


 裏口はシャルクの席の対角に当たる、酒場の最奥だ。

 それでも遥かに速く……欠伸混じりでも、シャルクは回り込むことができる。


「……!」

「――お前はナイフと結婚しているのか?」


 裏口の暗がりに寄りかかったまま、酔客の到達より早く奪ったそれを……

 機械仕掛けのナイフを、彼の眼前に取り出してみせる。


 “鍵埋め”という通称の特殊武器であった。

 馬で牽くほどの強靭な発条ばねを柄の中に仕込んで、杭じみた形状の厚刃を接触距離より打ち込む。その名の通り、持ち手を固定し、鍵穴を破壊するために使う、一発限りの代物だ。人体に用いるには、余りにも過剰な火力であることは間違いない。


「不躾な質問で悪いな。あんなかわいい娘に押し倒されてこっちを選ぶってのは、俺にはそうとしか思えないんでね……」

「そいつを返せ」


 何が起こったのかを推測できる。ツーの体に隠れた死角で、この剣呑な兵器を突き立てたのだ。刃は通らず、反作用でむしろ“鍵埋め”の側が吹き飛んだ。

 尋常の人体ならば、内臓ごと爆散している。どのように防御したのか。


「……誰の差し金だ」

「シャルク!」


 後ろから、ツーが呼び咎めた。

 肩越しに彼女の腹部を見る。布地の穴が二つ。彼女の受けた攻撃と一致する。


「……ぼくは大丈夫。放してやりなよ」

「分かってないようなら言うが、こいつはお前を殺そうとしたぞ」

「そうなの? 大したことないよ。でも喧嘩はだめだ。皆、音楽を聞きに来てる」

「……お前」


 そうした会話を交わす間に酔客が逃げ去ったことも、知覚している。

 店を出て、路地の分岐が二つ。その先に、それぞれ三つと四つ。シャルクの速さであれば、全てを当たって十分に追いつける。

 取り押さえて背後関係を尋問する時間はあるはずだ。まだ……今すぐなら。


「本当に無事か? まずは手当てだ。俺と違って生きてるんだろう」

「大丈夫だって! あっ、引っ張らないでよ!」


 骨の指先から伝わるツーの腕の感触は――無論、骸魔スケルトンの感ずる触覚だが――ごく普通の少女のそれだ。肌の滑らかさがあり、力を込めれば肉の弾力がある。


「……。お前の体はどうなっている」


 結論から言えば、シャルクの懸念はまったくの見当外れだった。

 致死的な二種類の武器に貫かれたはずの肌には、傷一つ残っていない。

 肌どころか、内の筋肉にも内出血一つ見当たらなかった。


 腕に触れて分かった通りに、鋼鉄の体などではないのだろう。ただ硬度が高いだけであれば、“鍵埋め”の衝撃で簡単に割れている。ならばこのツーの柔らかな人体が、事実上破壊不能の靭性を備えているとでもいうのか。


「あはは! ぼくも難しいことは分かんないんだよね。でも、ぼくはこういうの……生まれつき、大丈夫な体だから」

「大丈夫だからって、軽々しく体を張るな」

「……うん。ありがとう。シャルク、いいおじさんだね」

「おじさん」


 存外にダメージを受けている自分自身に、シャルクは困惑した。

 彼は、自分が何者であるかの記憶を持たない。当然のことながら、それは可能性の一つとしてあり得るはずだが……


「……おじさんに、見えるか」

「あれ? 嫌だった? ぼくはおじさん、好きだけどな」

「いや、いい。大した問題じゃない。拘るような男は馬鹿だ。そんなことよりも、もっと重要な話がある」


 それを隠し立てているほうが、音斬りシャルクにとっては有利なのだろう。

 だが、所詮は死人が、僅かな保身のために矜持を捨てるほど愚かなこともない。


「魔法のツー。お前は六合上覧りくごうじょうらんの出場者だな」

「うん!」

「話は早いが、素直に答えるんじゃない。俺もそうだ。音斬りシャルク。今の連中が、ただの酔客じゃなかったことも分かるな」

「えっ、そうだったの!?」


 シャルクは、空洞の頭蓋を押さえた。呆れた少女だ。

 最初に酔客を取り押さえた時からそうだ。ツーの心構えは、何もかも戦士ではない。まさか身体能力一つだけで、これからの試合を勝ち抜くつもりでいるのか。


「……奴らが揉めていた時、流れ弾はこの席に飛ぶところだった。そいつにどうやって対処するかを見ようとした奴がいる」

「シャルクが回り込んだみたいに?」

「いいや。間違いなく、お前の方だと思う。“鍵埋め”を人に向けて突き立てようとするなんて、正気の沙汰じゃない。そいつを正気のままやったのなら、そうする意図があったはずだ――たとえば、お前の防御力の限界を見ようとしたとかな」


 ここは人族じんぞく最大の都、黄都こうとだ。

 シャルクが渡り歩いてきたような、ならず者の吹き溜まりとは違う。

 どこに行っても、同じような出来事に行き会う。しかし、この黄都こうとに至っても同じことが起こるのであれば、それは不運の領域ではない。間違いなく異常な事態だ。


「……恐らくは、参加者の誰かの差し金だ。試合まで小一ヶ月もあるが、もう探り合いが始まっている。俺やお前の知らないところでな」

「そっか。シャルクは頭いいなあ。ぼくは全然思いつかなかった」


 ツーはニコニコと笑いながら、続けて頼んだ青柑橘酒を飲んでいた。

 彼女は気にも留めていないが、そうだと仮定するなら、相当に早い動き出しだ。

 兵の手配。襲撃計画の立案。『防御力』という標的の保有能力の絞り込み。


 知らされたのは、つい今朝方。

 それだけは、シャルクの速度でも追いつけない種別の速さだ。


(――相当に切れるやつがいるな)


 そして眼前に座るこの少女すらも、シャルクの敵となり得るのだ。

 伝えるべきでない情報を与え、不必要な不利を招いただろうか。

 僅かな矜持と引き換えにしたものが、いずれシャルクを追い詰めるだろうか。


「やっぱり、シャルクは優しいね」

「美人と手を繋げただけで、男にとっては十分な釣りだ」

「ふふ。ぼくの手、柔らかかった?」

「……。まあな」


 六合上覧りくごうじょうらんが始まっている。既に、与り知らぬどこかで。

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