第8話

 手紙を書くことにした。これで書くのは人生で二度目だ。どちらも受取人は同じ。一通目は生まれて初めて愛し、そして憎んだ人。二通目は憎い人。この手紙は渡すつもりはない。私を普通にしてくれた彼は最後に憎むということを教えてくれた。あの日、待ち合わせ場所に来ること無かった。

 私は20歳になった。聴覚も少しずつだけだが、戻ってきている。担当医にも今日まで生きているのは奇跡だと言われた。そしてこれからはいつ死ぬか分からない。明日かもしれないし、今日かもしれない。だから国立国会図書館に行くことにしたのだ。

 少し前までは行きたくて生きてきたのに、改めて来てみると何も感想が浮かばなかった。やはり彼がいないからだろうか。そんな考えが浮かんだが直ぐに頭から消した。

 一時間ほど色々な本を漁った後、備え付けの食堂に向かった。そこで飲み物だけ買い、手紙の続きを書くことにした。幸いひと気は少ないため周りの目を気にせずに書くことができる。

 

 「すみません」


数行ほど書き終わったころ、少し白髪の混じった人の良さそうなご老人に話しかけられた。

 

 「えっと、どちら様ですか?それと私は話せないのでノートを使ってもいいですか」


急いでノートを使い言葉を伝える。もし、彼に会う前の私だったら見知らぬ人に自分の病気を教えることなんてしなかった。

 

 「ああ、そうでしたか。構いませんよ。申し遅れました。昔、遊園地で迷子になっていた子供の祖父です。あの説は本当に助かりました」


言われてみればこんな感じの人だったかもしれない。何せあの後のことが衝撃的だったので記憶から消えてしまっていた。

 

 「お連れの男性のことは残念でしたね。未来を創っていく若者が命を落とすというのはやはりこの世の損失でしょう」


え?ご老人が放った一言は私を凍りつけるのに十分すぎた。息の仕方も忘れ、頭の回転も止まる。震える手でノートにミミズが這ったような文字を書いた。

 

 「命を落としたってどういうことですか」

 

 「ご存じ無かったのですか?道路に飛び出した男の子を庇って轢かれてしまったとお聞きしたのですが」

 

 「誰から聞いたんですか」

 

 「ご両親からです。私と彼は約束があったのですが、果たせなくなり連絡をいただきました」


約束ってなんのこと?ご老人の話は知らないことだけで埋め尽くされていた。何も分からず、質問しかできない自分を強く恥じた。


 あの日の出来事を一年越しで知ることができた私は、自然と、ある場所へと向かっていた。

 遊園地だ。正確に言えば観覧車を目的としている。彼と一緒に来た遊園地ではないのが少々残念だが致し方ない。

 

 夕方だからなのか分からないが園内は空いていて並ばずに乗ることができた。一番高い所までは約8分らしい。その間、手紙を書きなおすことにした。まずは宛名の憎い人を消す。この言葉はふさわしくない。自分の命を犠牲にしてまで他人を助ける彼には。

 ふと、窓の外を見ると景色を一望できた。そして思い出す。彼との思い出を。初めての遊園地。初めて異性とでかけた。初めて人を好きになった。思えば初めての事ばかりだ。君はどうだったのだろう。やはり何回も女の子と一緒に遊んだりしていたのだろうか。いるかも定かでない女の子の顔を浮かべると少し苛立つ。これが俗に言う嫉妬なのかもしれない。なんであれ、また初めてを経験した。私は変わったと思う。話せないことを隠すことが無くなった。普通になろうとして逃げて、結局普通ではなくなっていた。

 彼が亡くなった今、この気持ちはいったいどうすればいいのか。死んでしまってから余計に想いが募る。どうしても伝えたい。そして私を知ってほしい。だから君といくつもの言葉を通わしたこのノートに書くことにしよう。ここならきっと私の想いだって空の上にだって届くはずだ。声帯からではないけれど、告げよう。一画一画に君が教えてくれた気持ちをのせて。

 

 「あなたのことが好きでした」


届けよう。君に一番近いこの場所で。

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君に一番近いこの場所で 京野空 @kyouno

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