第6話
彼女にとって特別となったらしい僕は駅にいた。
「遊園地に行こう」
そう言った彼女を否定する理由もなく、2つ返事で了承したのだが、前日になって緊張し始めた。16年間生きてきて、女の子と二人で出かけたことがない。服装も無難なものを選んだつもりだが、どうだろう。一応姉さんに聞いてみたが『知らん』の一言で切られてしまった。薄情な事だ。
待ち合わせの時間が1秒、また1秒と迫るたびに吐き気がしてくる。帰りたいと思うくらいには苦しい。こんなことを世の男女は当たり前のようにしているのかと考えると、敬意に値する。プランなど持ち合わせるはずもなく、頭を抱えていると後ろから肩を叩かれる。振り返ると挨拶代わりに手を振った彼女が立っていた。
「ああ、おはよう」
出来るだけ平静を装ったつもりだが、噛んだ前科があるだけにどう思われているのか心配だ。
「それじゃあ、行こうか」
駅は待ち合わせの場所にしただけで、電車に乗るわけではない。大きな観覧車が目立つその場所は、地元のカップルがよくデートに使うらしい。一度だけ友達と来たことがあるが、なんの変哲もない場所だった覚えがある。
「なんで行きたかったの?」
彼女が答えを、はいかいいえ、で答えられるような会話を心がけようとしていたが、初めから失敗した。長文でなくては無理な質問をしてしまった。自分のコミュニケーション能力が低いことや、言葉選びが下手なことに不甲斐なさを感じる。
「遊園地みたいな人の多い所には行ったことがなくて。人の目をあまりにも気にしてしまうんだ。少しでも悪口が聞こえて来たら自分のことなんじゃないかと思うくらいに」
手にしたスマホにそう通知が来た。あの喫茶店以来、僕たちは図書館ではなくこうしてSNSで会話をしている。彼女は言葉を通じて僕に言葉を伝え、僕は声で彼女に伝える。
「なるほど。でも、なんで行こうと思ったの?そんなことを聞いてるとやっぱり辛いんじゃ」
「君がいるから大丈夫。君といるだけで楽しいんだから、他の人の声なんて聞こえないよ」
そう満面の笑顔で答えた。あまりの可愛さで心が破裂したように感じた。きっとこの世で一番可愛いと言われても疑わない。
「そういうこと、あんまり言わない方がいいよ。心臓に悪い」
赤らめた顔を見られないように少しだけ彼女の前に進んだ。
*
他愛もない会話を一つ一つ楽しみながらだと時間が早いようで、実際にかかった時間より体感時間の方が何倍も短く感じた。アインシュタインはきっと、モテ男だったのだろう。
チケットを2人分購入し、入園すると、やはり人は少なかった。これは、これで待ち時間が短いので色々なアトラクションに乗れて有り難いが、少しは活気が欲しいものだ。彼女が気落ちしていないか心配で横目で様子を見たが、そんなことはなく、寧ろ目がキラキラしていた。
「楽しい?」
「うん!とっても!」
まだ入り口でアトラクションに乗っていないのだが、楽しいなら越したことはないので、流しておく。パンフレットを見ながら記念すべき最初を吟味した結果、定番のジェットコースターになった。
「怖くないの?」
「いや乗ったことないから分かんないかな。体験したことのない恐怖は想像つかなくて」
「そうだよね。でも、あんまり怖くなかった気がするよ」
少ない待ち時間でそんな会話をする。他のお客さんから見たら違和感を感じるかもしれない。僕だけがずっと話しかけているように見えるだろう。別に周りからどう思われていても構わない。普通の会話とは違い、聞かれることがなく、僕たちだけのものになるのだから。
係員の誘導で席に腰掛ける。残念ながらここからは携帯を取り出し禁止なので、話すことは出来ない。動き出し、徐々にスピードが速くなった時には、手すりを握りしめていた。
地上が分からなくなる。今だに足元が揺れている気がする。想像の何倍も怖く、鼓動が早くなる。速くなるのはスピードだけにしてほしい。細胞分裂と恐怖が関係するのかは分からないが、もし早死にしたらこれのせいにしておこう。彼女は降りて近くのベンチに座った途端に携帯で何かを打ち込んでいる。涼しそうな顔をしているので、僕も何とか平静を保っている。水を飲んでいると携帯に通知が来た。
「ほんっと楽しかった!徐々に上がって行って、最後に落ちるとき凄いビックリした。感動以外で初めて息が詰まったよ。落っこちるまでにもちゃんとストーリーがあって、物語の中に入ったみたいだった。他のジェットコースターも乗ってみたい!」
彼女から送られてきた長文だった。入った時と同じようにキラキラとした目でこちらを見ている。
「そうだね。初めてだもんね。楽しかったね」
いつもの態度からは想像できない反応だったので笑ってしまう。
「なんで笑うの?」
「だって、あまりにも子供っぽくて」
仕方ないじゃん、と言い訳をしている彼女をみてまた笑ってしまった。こんな風に笑顔を見せている彼女は一年以内に死んでしまう。そんな悪い考えを断ち切るように、彼女の手を引いた。
ジェットコースターの次に、お化け屋敷。そしてトロッコ型のジェットコースター。コーヒーカップ。色々な種類のアトラクションに乗った。全てが楽しくて、昼ごはんの時間をとるのも惜しくて、簡単な屋台で済ませてしまう程だ。
そして、閉園まで残り一時間になった。
「あー、いっぱい乗ったね。あと一つ位かな。最後はどうする?」
そう聞くと彼女は一番目立つ観覧車を指さした。
「うん。そうしようか」
最後に観覧車というのも定番だろう。ドラマや映画でもよく見る。観覧車の下まで向かっていると、泣いている男の子を見つけた。迷子だろうか。近くに知り合いの大人らしい姿は見えない。道行く人も見て見ぬふりをしている。僕たちもどうすることもできない。ここでは通り過ぎることが普通の行動だろう。
「ねえ、観覧車って―――」
いると思っていた場所に彼女はおらず、いつの間にか少年の下にいた。
「どうしたの?おとうさんとおかあさんは?」
子供にも分かるように平仮名で打ち出された文字を見せている。
「パパとママはいない。じいちゃんがいる」
泣きじゃくりながら答える。祖父と一緒に来たということだろうか。この年でここまで状況説明できるのだからしっかりしている。それより彼女だ。悩むことなく助けに向かった。誰にでも出来ることではない。他人を演じ続けようとした僕を罰せられている気分だ。
「お兄さんたちに付いてきて来てくれるかな?」
優しい口調で聞くとカクンと首を縦に振った。とてもいい子だ。少なからず僕なんかよりも。
観覧車とは逆方向にある迷子センターに着き、呼び出しをしてもらうと直ぐに保護者の人の良さそうなおじいさんが迎えに来た。おじいさんのにお礼を言いなさいと促されると、ありがとう、と目元が腫れた顔を見せながら言った。お礼なんて言わないでくれ。僕は君を放っておこうとしたのだから。そう思いながら迷子センターを後にした。
既に閉園まで20分。今からでは観覧車に間に合わない。彼女もそれを把握しているようで二人おとなしく出口まで向かう。
「聞きたいことがあるんだ。なんで君はあの子を助けようと思ったの?」
「なんでって、困っているからだよ」
さも当たり前だと言わんばかりに答えた。確かに当たり前だがあの状況で当たり前を実行するのは難しい。
「それに、君にされたことをそのまましただけだよ」
「僕は何もしてないよ」
「いや、したんだ。無意識かもしれないけど確かに。人は助けられ、人を助けて回っていくんだよ」
心当たりはないが、彼女がそう思うならそれでいい。言葉にはしないが、僕は君に人として教えられていることが沢山あるから。それでも言葉にしたいことがある。君に伝えたい思いがある。
「僕はね。やっぱり君が」
―――ドサッ。言葉を遮るような音が背後からした。振り返ると、荒い息で倒れこんでいる彼女がいた。
「どうしたの!?」
直ぐに駆け寄る。いつ命がなくなってもおかしくないと彼女は言っていた。だから、怖くて怖くて仕方がない。周りに人はいる。しかし、傍観者になるだけで助けてくれるような人はいない。
「誰か!係員か、救急車を呼んでください!!」
呼びかけても誰も応えない。この世界は他人に優しくない。震える手で携帯を取り出そうとすると、彼女に掴まれた。
「大丈夫?なにかして欲しいことは?」
そう問いかけると、真っすぐバックを指さした。急いで取り寄せ中身を全て出すと、薬ケースが出てきた。これを欲していたのだろう。過呼吸のような息をする彼女にケースと、僕の飲みかけの水を渡す。
おぼつかない手つきで薬を飲むと呼吸がだいぶ落ち着いてきた。
「死なない?」
「縁起でもない事言わないで。まだ、死なないよ」
文字を打てるくらいには安定している。とりあえず一安心だが、油断はできない。忘れようとしたが、やはり無理だ。死はすぐそこまで迫っていて、逃げることはできない。
ならば、僕の役目は最後のその時まで彼女が楽しめる手助けをすることだろう。他の人が彼女に優しくなくても、僕は彼女の特別なのだから。
遊園地の後、何回か遊んだが、その度に症状は酷くなった。僕の声は徐々に届かなくなり、ついに聴こえなくなった。二人の会話に声は完全になくなる。視力も低下し、眼鏡をかけるようになった。その内、姿を見ることも出来なくなるだろう。考えたくもないが、そう遠くない未来に訪れる。そうなる前にどうにかして、彼女を国立国会図書館に連れて行きたい。
昔、といっても彼女の病気を知らない頃だ。ほとんどの本が揃っているから行きたいと言っていた。18歳未満は入れないから無理だと言っていて、疑問を覚えた記憶があるが、今なら分かる。規則だから仕方ないかもしれないが、彼女が諦めてしまっているのだ。僕だけは諦めたくない。
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