第2話

 アスファルトが溶けるような暑さが僕を襲う。一歩、また一歩と足を進めるたびに体から水分が汗となり無くなっていくのを感じる程だ。手元のスマホに目を落とし、姉さんから送られてきたメールを読む。

 

 「今日、家で友達と鍋するから材料買ってきて」


ふざけてる。なぜ僕が行かなくてはならないのか。ちなみに姉さんは今、自分の部屋で寝ている。部屋から出たくないから弟にメールで頼みごとをし、家から出たくないから友達を呼ぶ。自分で食を用意しない分、ナマケモノよりたちが悪い。どうも姉というものは弟を従者かなにかと勘違いしている節がある。きっと、全国であなたのお姉ちゃんは傍若無人の王様ですか?というアンケートを取れば九割の弟や妹たちはイエスと答えるはずだ。逆らえずにおとなしく買い物をしてしまう僕も悪い。そのうち身の回りの世話を全部任されそうだ。そうなってしまったらもう終わりだ。

 大学病院の近くにある商店街に着く。愛用のロードバイクを駅の駐輪所に置き、チェーンをかける。この辺りは控えめに逝っても治安がいいとは言えない。鍵をかけなければ1日で、チェーンをかけていても盗まれないとは限らない。だから、これは安心を得るための方法だ。

 姉さんからは鍋の食材としか使いを受けていない。つまり、どんな鍋になるのかは僕しだいということだ。お菓子をいれた甘ったるい鍋や、明らかに合わない食べ合わせの鍋など色々思いついたが、結局野菜多めの肉少なめの健康的なものにすることにした。決して後が怖かったわけではない。・・・・・・決して。


 商店街の入り口から一番遠い、病院近くの八百屋に向かう。わざわざここにした理由は一番安いからだ。自分の参加しないお食事会の食材をわざわざ買いに来てあげたのだ。浮いたお金は貰ってしまっても構わないだろう。それに比べたら汗をかくことなど造作もない。

 顔見知りなだけあって、思惑通りスーパーより安く購入することができた。後はお肉だけだが、これもどうにかなるだろう。

 精肉店へ向かうために踵を返そうとした時、知った顔が見えた。毎日のように図書館にいる、本の虫の彼女が。外でみかけるのは初めてだ。声をかけようとしたが、呼ぶことができなかった。


 「名前がわからない」


呼ぶも何も、なんて呼べばいいのだろう。せっかくの声を聴く機会を無駄にしてしまった。次に図書館で会った時名前を聞こう。別段、何か問題があって知らなかったわけではない。ただ二人しかいないあの空間でわざわざ名前を呼ぶ必要がなかっただけだ。それがこんな時に弊害を生むとは思ってもみなかった。君の名前は、そう訊ねよう。


                 *


 「それで、彼女いない歴イコール年齢が色気づいてたら肉を買い忘れた、と」


正座する僕をさらに威圧するように姉さんが喋る。ただでさえ背が高く、モデル体型なのだからそれに声音と鋭い眼つきをプラスすると余計だ。

 

 「別に色気づいてないし・・・・・・」


 「は?どうせ好きなんだろ」


何も言い返せずに下を向く。確かに心惹かれているが、この気持ちを形容することはできない。なにせ僕は恋を知らないのだ。いくつもの少女漫画、恋愛小説を読んだが何一つ理解することはできなかった。

 

 「まあ、弟の恋事情なんてどうでもいい。その子はどんな病気だったんだろうな」

 

 「え」

 

 「いや、病院から出てきたんだろ。てことは体調が悪いってことだ」


そうだ。今までそんなこと気づかなかったが、少し考えれば分かる簡単な話だ。名前だけに意識があり、頭から消えていた。よし、次に図書館に行ったときに聞こう。名前と理由を。

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