君に一番近いこの場所で

京野空

第1話

 ページをめくる音と、ペンを走らせる音だけが耳に入る。生活音は無い。本に囲まれた通路を歩き目的の場所まで向かう。

 図書館の隅。二人分だけの机が置いてある異質の空間。そこで一人、本を読む女の子。彼女の前に机を挟んで置いてある椅子に腰かける。


 「こんばんは」

 

周りに人はいないが、図書館なので一応、小さな声であいさつをする。


 「こんにちは」


そう書かれたノートを見せてくる。彼女と話すときはいつも筆談だ。声を聴いたことがな

い。昔、なぜ話さないか聞いたことがある。

 

 「図書館は静かに利用しないといけないので」


と、やはりノートで書き伝えられた。しかし、僕は諦めきれなかったので、ここ以外で会おうと誘ったが拒否されてしまった。その時の顔がどこか寂しそうだったからそれ以上深堀することを止めた。

 いまだ痛みの引かない腹部を押さえつつ空いている席に腰をかける。

 

 「今日はどんな本を読んでるの?」


その言葉を待っていたかのようにあらすじをノートに書き始める。問いかけてから答えるまで時間はかかるが、その待ち時間を苦に思った事はない。時の流れが遅く感じ、じれったくなり、まるで告白の返事を待っているようで好きだった。


 彼女のことは何も知らない。連絡先も通っている高校も、名前でさえ。分かっているのは本が好きで、この図書館に来れば必ず会えるということだけだ。会うたびに違う本を読んでいる。毎日学校もあるというのに凄いペースだ。

 僕と彼女が出会ったのは高校一年生の夏休みだった。その日は今年一番の猛暑と言われていて、家で課題をするには暑すぎた。クーラーの温度設定を寒いと感じる程にしたが、親に怒られたので仕方なく近くの図書館に行くことにした。受験の時には大変お世話になったので、設備も配置も全て知っている。

 炎天下の中歩いたせいで着くころには汗だくだった。事前に用意しておいたタオルを使い不快感と一緒に拭う。館内は飲食禁止なので、入館する前に自動販売機で買って飲む。乾いた喉が潤いやる気が出る。

 

 「よし。終わらせるぞ」


確実に今日だけで終わる量ではないが、自分に言い聞かせた。



 図書館の中心に本を読むことのできる場所があるのだが、満席で僕が入る余地は全くない。このまま帰るのも癪だったので少し回ることにした。何せ外は地獄だ。出来るだけ涼しい場所に居たい。

 まず、図鑑コーナーに行く。背表紙から深海生物の本を選びその場で流し見する。体が透けていて臓物が見えている生物もいたりなど、地上ではいないもので埋め尽くされていて、生命の神秘を少しだけ感じる。こんな写真と説明だけで感じてしまうとは、自分でも単純だと思う。

 数分間、それを眺めると次に文学コーナーに向かった。しかし、特に気になるものがなかったので素通りした。そして、そこを抜けた先にそれはあった。何回か来たことはあるが、ここを見るのは初めてで、思わず息をのむ。机と椅子、たった一人の女の子しかいないが、それだけで完成している。ここに自分という存在はいらない、そう思わされた。踵を返し、来た道を戻ろうとしたとき、目があった。そのまま無視することもできたが、椅子を引かれ微笑まれたら座るしかない。


 「ありがとうございます。お隣失礼します」


どうぞ、そう書かれたノートで彼女は返事をした。なぜノート?という疑問が浮かぶ。少し考えていると、顔に出ていたらしくノートに新しく書き込んだ。

 

 「図書館は静かに利用しないといけないので」


 「あ、そうですよね」


確かにその通りだ。納得したところでリュックから勉強道具を取り出し、緊張したながらもそれをかき消すように、目の前の問題に向き合った。

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