その2「わしと宮ヶ谷殿のクリスマス」
「……今日もこの国は守られているのじゃな」
横須賀にある米軍基地の入口。大きな錨のオブジェの前で私、修善寺雫は一人呟いた。
今日はクリスマスという大きなイベントで世間が賑わっている。仲間と集まる者、想い人に告白する者、恋人と聖夜を楽しむ者……きっと沢山いるのだろう。だがこんな日でも汗水垂らして働いている者もいる。だから私を含むクリスマスを謳歌する人間はそういった労働者に敬意を払う必要があるだろう。いつだって目立つ人間は目立たない人間によって支えられているのだ。
軍人さん、今日もお務めありがとう。
勢い余って敬礼ポーズをとろうと手が動いたが、寸前でやめた。誰が見てるか分からないし流石に恥ずかしいよ。
「修善寺さーん!」
ほら見ろ。一人で変な行動をとるのはやめるべきだって……この声は宮ヶ谷君か。
くるっと後ろを振り返ると予想は的中。宮ヶ谷君が手を振りながらこちらに歩いてきた。
「集合時間の午後三時ジャスト。宮ヶ谷殿、お主には体内時計でも入っておるのか?」
「いやいや偶然だよ。本当は五分前ぐらいに着きたかったけど途中で少し道に迷っちゃったからね」
ほほう、宮ヶ谷君も道に迷うことがあるのか。何でもこなせるイメージがあるから少し意外だな。
「それよりも修善寺さん……今日もやっぱ制服なんだね」
「あぁ、他に着る服が無いからのう」
自嘲気味に笑う。公に見せられるような私服は本当に持っていない。でも制服があれば大抵困ることは無いし経済的なので、年中無休で同じ格好をしているのだ。もちろん下着やシャツなどは洗濯しているけど。
「まあそれは良いとして……今日はわしの家に招待すると伝えたが本当によいのじゃな? 狭くてつまらない家じゃぞ?」
「そんな事はないよ。修善寺さんの家なら絶対楽しいって」
「ほっほっほ。なーにキザな事を言ってるのじゃ。お主、浮かれておるのか?」
普段と違う空気に乗せられて変な発言や行動をしてしまう――クリスマスあるあるなのかな?
「あはは……でも修善寺さんの家に行くのは初めてだし楽しみだよ」
「ふむ。……どちらにせよお主はわしが貧乏人であると信じざるを得なくなるじゃろう。今のうちに心の準備でもしておくと良いぞ」
約四ヶ月前――宮ヶ谷君や瑛美達が通う東羽高校に転入した時、私は貧乏だとカミングアウトした。
でも誰も信じてくれなかった。初対面のクラスメイトも私が私立鶴岡学園から来たという事で「お嬢様じゃん、凄ぇ」と崇められる始末。やっぱり肩書きの力は絶大なんだって思った。
確かに鶴岡学園は名門のお嬢様学校だ。「ごきげんよう」と挨拶をしてくる連中も沢山いた。私も所謂名家と呼ばれる血筋の人間で両親の手元は富と財産で溢れていた。
でもそれは昔の話。今は大転落して貧乏人。何故そうなったのかは……またの話としよう。
「それじゃあ行くかの。ここから大体徒歩三十分くらいじゃ」
「え、そんな歩くの!? バスとか使って行こうよ」
「金の無駄じゃ。歩けばタダだし、運動になるから健康的じゃぞ」
宮ヶ谷君に言われて気付いたが、私は路線バスに乗ったことが無い。幼稚部や初等部に入りたての頃は召使いが運転する高級車での移動ばかりだったし、その後は金がないからと極力徒歩で移動するようになったのだ。
しかし庶民として生活するのであれば路線バスぐらい一度は乗っておかないといけないだろう。乗り方が分からないって周りに知られたらまたお嬢様扱いされるだろうし。
「宮ヶ谷殿。バスで行くぞ」
「え、でも……」
「気分が変わったのじゃ。それにこちらの事情でお主に長時間歩かせるのは申し訳ないからのう」
適当な言い訳をしてバス停に進路を変える。
「それと宮ヶ谷殿……悪いのじゃがバスの乗り方について少し教えてはくれないか?」
「え!? あ、あぁ……」
目を見開いて、随分と驚いた顔をする宮ヶ谷君。まあこの年頃でバスに乗れない子なんてほとんどいないだろうからね。
それからバス停の前で待っている間、私は宮ヶ谷君に乗り方についてレクチャーしてもらった。どうやら乗った時にお金を払えばそれで良いらしい。あとは降りる時にボタンを押せば良いのだそうだ。
◆
「ここがわしの家じゃ」
自宅の前で立ち止まって一言。
築年数が古そうな一軒家が立ち並ぶ中、一際目立つボロさで周囲を圧倒している平屋建ての家が私の自宅だ。
トタン屋根の一部は剥がれているし、軒下にある雨|樋(どい)は朽ち果ててしまっており使い物になっていない。
とても名家の一人娘が住むような場所ではないのだが、これが現実なので仕方無い。
「……確かに表札に修善寺って書いてあるな」
宮ヶ谷君はとてつもなく困惑した表情を浮かべていた。知人を家に招いたのは初めてだったが、やはり驚いてしまうのか……。私も最初にこの家を見た時は「家畜の寝床かな?」って思ったけど。
「どうじゃ? これでわしが貧乏だって信じてくれたか?」
「ま、まぁな……」
「ほっほっほ。じゃあ中に入るとするかの。因みに母は深夜まで仕事をしているから家には誰もいないぞ」
「おぅ……そっか……」
宮ヶ谷君が目を逸らす。これはもしかして変な事とか考えちゃってる……?
「わしと二人きりじゃが、興奮して襲ったりするのは厳禁じゃぞ?」
「ちょっ、いきなり何言ってんだよ!?」
あたふたと焦る宮ヶ谷君。今のセリフ、一度言ってみたかったんだよね。
◆
様々な雑談で盛り上がった後の帰り際。午後六時を過ぎたぐらいだが、辺りはすっかり真っ暗だ。
玄関で外靴に履き替えた宮ヶ谷君と向き直る。剥き出しの蛍光灯がチカチカと点滅するせいで彼の顔が時折隠れてしまっていた。
「今日はありがとう。家に呼んでくれて」
「それはこちらのセリフじゃ。わざわざこんなボロっちい所に来てくれて感謝なのじゃ」
正直な話、この家を他人には見せたくない。私だってお嬢様としてのプライドが無くなった訳でもないのだ。
でも私は嘘をつきたくない。あの大転落の後、私は言い訳をして逃げる事だけは絶対にしないと心に固く誓っているのだ。
過去の私は過去の話。生きているのは今の私。だから自己紹介する時はもちろん「貧乏です」って言う。宮ヶ谷君は大切な友人だし、本当の私を知ってもらいたいから醜い我が家へ呼んででも信じてもらう。強引なやり方って分かってるけど私にはこれくらいしか思い浮かばないから許して。頭が悪いから……私。
「あのさ、もし修善寺さんが良ければなんだけど……また来ていい?」
「え…………? あ、あぁお世辞じゃな? それとも社交辞令? それかまた遊ぼうぜといってその後一生遊ばない知り合い同士的なパターンのやつか……?」
「全部違うよ。こうやって修善寺さんとゆっくり話すことは今まで無かったし、凄い楽しかったからまたしたいなって思っただけだよ」
宮ヶ谷君は真っ直ぐな目で私を見ていた。そして彼が嘘をついていないと瞬時に分かった。何故なら長年私の傍にいて偽りを貫き続けていたあの人とは明らかに違う目をしていたから。まあ要するに過去の経験則と照らし合わせた結果って事。
でも宮ヶ谷君がまた私の家に来たいと言うなんて想定外だった。普通なら嫌になって二度と来なくなると思うのに……。
「駄目……かな?」
「いや、全然そんな事はないのじゃが……お主、少々頭がおかしくはないか?」
「そうだな。堂庭によく言われてるから間違ってはいないのかもな」
「あの……そうじゃなくて……」
笑いながら答える宮ヶ谷君に戸惑いが隠せない。彼はなんだろう……凄い不思議な人だ。
でも同時に私は確信していた。
――あいつが惚れている理由を。
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修善寺さんの過去はスピンオフにできそうなストーリーなので余力があれば書きたいなって思っています。
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