vi ラスボス

 1

 

 白い廊下を歩く。まっすぐな廊下が延々と続く。見慣れた光景はやっぱり何度も思った同じ感想を抱かせる。この光景はさぞかしVRイメージにしやすいことだろう。九月になっても慈恵総合病院の8階は外界から遮られ、まるで時が止まったように見えた。

 頭に手をやればつけなれたヘアバンド型端末とそのすぐそばにつけられたヘアピン型の通信妨害装置。一体どういうメカニズムなのか結局理解できなかったが、確かに今の僕はネットワークから切断されている。それらの装備に僕は懐かしさを覚えていた。

 大体半月ぶり。たったそれだけなのに、随分久しぶりに思える。

 僕は802号室の一つ手前、手術室、と書かれた扉の前で思わず足を止めた。扉の上の、手術中、というランプに灯りがついていた。これほど不吉な感じを抱かせる灯りもほかにないだろう。これくらいでひるんではダメだ。僕の目的地はここじゃない。僕は一つ深呼吸して、足を踏み出した。

 802号室の扉を開く。

 ひかりはいつも通り、部屋の真ん中に据えられた白いベッドの上で、枕に全身を預けるようにして座っていた、

「お久しぶりです、水城さん」

「久しぶり」

「今日はどんなご用件で来たのですか?」

 ひかりが訊く。

「メールで言った通りです」

「つまり私の作りたかったゲームについて理解したと?」

「そうですね……言ってしまえば僕はラスボスを倒しに来たんです」

「ラスボス?」

「あるいは犯人とか」

「それはつまり私がラスボスだと?」

「はい」

 ラスボスは――ひかりは嬉しそうに笑みを浮かべた。

「まだそのバンドつけてくれているんですね」

「一応最後まで僕のプレイデータは取っておこうと思いまして」

「プレイ、ですか」

「ええ、プレイです」僕がうなずく、ひかりは少しためらい、おずおずと問う。

「それは露出プレイとかそういう」

「うん、全然違う」

「………………………………………………………………………………………」

「そんなに悩むことじゃないですよね……?」

「となると、他に何のプレイが……?」

「君の中ではプレイと言ったら露出プレイなのか!? 普通にゲームのプレイって意味ですよ!」

 僕は思わず突っ込んだ。なんだか久しぶりの感覚に胸が高鳴る。これは……恋? そんなわけないか。

「というか前は普通にわかってましたよね? なんでいちいちボケるんですか?」

「水城さんの緊張がほぐれるかと思いまして」

 ひかりは当たり前のように言い放つ。

 それは、優しさなんだろうか。もしそうなら微妙すぎる……

「話を聞かせてもらえますか?」

 ひかりがまっすぐと僕を見る。印象的な榛色の瞳が僕を射抜く。

「ひどい話ですよ」僕が答える。

「構いません」

「残酷で、意味のない話です」

「いいんです」

「それに間違っているかも」

「気にしないでください」ひかりが言う。「水城さんが何を考え、何を思ったか。水城さんの言葉で教えてもらうことに価値があるのです」

 それならば、僕がためらうことは何もない。僕は話し始めた。

 

 2

 

「まず最初に、ひかりがやったことをまとめたいと思います。ひかりは二人の人間の脳の状態――どのタイミングどのニューロンが発火したかを記録していました。名目としては世界で一番のゲームの作成のためと言い、そのデータを用いてVRゲームを作成していました」

 ひかりがうなずく。

「でも、実際にできたゲームは世界一番面白いゲームではありませんでした。人生のようなゲームでも、世界そのもののようなゲームでもありませんでした」

 僕は思う。ひかりの作ったゲーム、『ライフ』は面白いゲームかもしれない。けれど、特別なゲームではなかった。

「それならば何のためにひかりはそんなことをしたのでしょうか? 何かほかの理由があったのでしょうか? 僕はそうは思いません。なぜならひかりのゲーム制作にかける情熱は本物だと感じたからです。ひかりの根底にはどうしても作りたいゲームがあった。だからやっぱり、ひかりはゲームを作るために僕たちに協力を求めたのだと思います」

 僕は続ける。

「それじゃあひかりが本当に作りたかったゲームとは何でしょうか? 僕たちは最初、僕たちが生きるこの世界こそがその答えなのかと思いました。ニューロンの活動とは人間の意識、認識のすべてであり、ひかりが集めたそれは、まさに一人の人間の世界そのものと言ってもいいからです」

 けれど、と僕は続けた。ひかりは口を挟まない。

「けれど、それはおかしいと西條さんは二つの問題を指摘しました。一つ目は、世界はわざわざ作らなくても僕たちの周りにあるという点です。言ってしまえば、僕たちは生まれたときからこの世界をプレイしています。だからわざわざ作る必要なんてない。それからもう一つは、僕たちの人生はそれほど面白おかしくないと言う点です。もしも世界が最高のゲームならば、僕たちの人生はもっと面白いはずだ、だから世界は世界で一番のゲームではない。それが西條さんの主張でした」

 西條さんのことを思い出す。今日話す話は、西條さんがいなかったら絶対に思いつかなかった。だからこの半分は西條さんのおかげである。

「僕も西條さんの指摘はもっともだと思います。確かに世界は作るまでもなく存在し、それほど面白可笑しくもありません。でも、僕にはその発想はそれほど間違っているとは思えませんでした。だって世界は世界であり、まさにひかりが作りたかったゲームだからです」

 僕は、だから、発想を変える。

「だから発想を変えました。どうして人の人生は面白くないのでしょうか?」

 僕は一拍間をおいて続けた。

「僕は自分がそれほど面白おかしい人生を送っているとは思いません。人間関係は面倒だし、勉強は退屈だし、思い通りにいかないことが山ほどあります。そしてそれは、ひかりにとってもそれは同じだったと思います。世界は素晴らしいはずなのに、自分の人生はこんなに面白くない。なぜでしょう? 僕にはその答えはわかりません。でも、ひかりならその時どう考えるでしょう?」

 ひかりは何も言わない。

「外に出て遊びたくても、ベッドの上から離れられず、ショッピングモールに買い物に行くこともできません。体はいつもだるいし、海水浴に行くことすらかないません。それはなぜでしょう? 自分が楽しくないのは、無意味な制限がかかっているからではないか、やりたくもない縛りプレイをしているからではないか、とひかりが考えても、それは無理がないんではないでしょう」

 ならば、と僕は続けた。

「ならば、どうしたらいいでしょうか? ひかりの答えはとてもシンプルです」

 僕はひかりを見た。ひかりはいつも通り色白で、はかない雰囲気の美少女だった。

「プレイ方法を変えればいいんです」

 ショッピングモールで遊びたいなら、誰かに行ってもらってそれを体験すればいい。

「生き方を変えればいいんです」

 海に行けないならば、誰かほかの人に行ってもらって、その人生を自分のものにすればいい。

「キャラクターを変えればいいんです」

 どうしてこんなこと思いついたのか、自分でもわからなかった。でも、思いついたらこれが真実としか思えなかった。

「自分以外の人生を生きればいいんです」

 僕はひかりに問いかけた。

「ひかりは、僕の人生の一部を集めるために、ゲーム作りを持ちかけましたね?」

「はい」

「ひかりは、西條さんの人生の一部を集めるために、ゲーム作りを持ちかけましたね?」

「はい」

「ひかりは、他人の人生を自分のものにするために、僕たちの人生を集めましたね?」

 ひかりはうっすらと微笑んだ。

 

 3

 

「それで水城さん、今日はどんなご用件で来たのですか?」 

「来た理由は主に二つですね」

「二つ……一つ目は何ですか?」

「止めようと思いまして」

「止める? 何をですか?」ひかりは不思議そうに僕を見た。

「僕の人生をプレイするのを」

 僕は考える。確かにひかりの生活はあまり楽しくないかもしれない。辛いことが多いのかもしれない。それがどのくらい辛いのか、きっと僕にはわからない。彼女が、自分以外の人生がどんなものなのか知りたいと思うのは。当然のことだと言えるかもしれない。

 でも、僕は思うのだ。

 だからと言って、誰かほかの人の人生を遊ぶと言うのは、間違っていると思うのだ。

 確かに、僕の人生はひかりのそれより自由かもしれない。僕は健康で、行こうと思えば明日にでも海に行けて、友達と遊べて、恋愛もできる。

 でも、だからと言って僕の人生がひかりのそれより面白いとか、優れているとか、上等なものだとか、そんな風には僕には思えないのだ。

 西條さんは言っていた。自分の人生は別にそんなに面白可笑しくはないと。あの天使のような西條さんでさえ、そう思うのだ。

 人生は面白い。けど世界で一番ではない。それは世界のだれでも一緒じゃないのかと思う。人生は楽しくて、つらくて、美しくて、それは誰でも同じなんじゃないかと思う。

 それが、人生は神ゲーという言葉の、本当の意味なんじゃないかと思う。

 ひかりはひかりの人生を精一杯生きれば、それが一番素晴らしいんじゃないかと、そう思うのだ。

 これはきっと傲慢だろう。

 でも、だからひかりには僕の人生を体験なんて、しないで欲しい。

 そんなことを言おうと思っていた。

 でも恥ずかしいので言わなかった。

 その代わりに、「僕の人生は本当にもう、これっぽっちも面白くないので」と言った。

「そんなことないですよ」

 ひかりが答えた。

「水城さんの人生には、あの病院のベッドにいる飛び切りの美少女がいてくれるじゃないですか? それだけで勝ち組も同然です」

「すごい自信だな!」

 僕は思わず突っ込んだ。どうしてそこまで自分の容姿に自信が持てるのか、僕にはわからない。

「でも水城さんも私のこと『美少女』って思ってましたよね?」

 ひかりが言う、僕は言葉に詰まる。確かにひかりは黙っていればきれいでかわいい少女である。美少女と言うのもやぶさかではないし、そういう風に思ったこともある。でも、それを口に出すのは嫌だった。

 というか、なんだ、どういうことだ。僕はひかりの発言の意味を考える。

「……僕の3か月を体験したのですか」僕が訊く。

「はい」

 ひかりはあっさり頷いた。いろいろ言いたいことはあったけれど、僕はまず質問した。

「どうでしたか」

「そうですねいろいろ言いたいことはありますけど、導入が雑ですね」

「僕の人生にダメ出しされた!」

「あと、オチが弱いです」

「人生にオチとかいらないですから……」

「でも、そこそこ面白かったですよ?」ひかりが慰めるように言う。

「はあ、それはどうも……西條さんの方は体験したのですか?」

「はい」

「面白かったですか?」

「そこそこ面白かったです」

「僕と西條さんのではどちらが面白かったですか?」

 ひかりはすぐに答えた。

「同じくらい面白くて、同じくらい退屈でした」

 ちょうど私の人生と同じくらい、とひかりは続けた。

「そうですか」

「はい」ひかりは言った。「思った通りでした」

「思った通り……予想していたのですか?」

 ひかりは頷く。じゃあなぜ、と聞きかけてやめた。それでもひかりは確かめたかったのだ。自分よりも楽しい人生があるのか、自分がつまらない人生を送っているかどうかを。

 それなら僕が言うことは何もない。

 僕は気持ちを切り替えた。

「じゃあ、次を考えなくてはいけませんね」

「次?」ひかりは不思議そうに僕を見る。

「だってひかりは世界で一番のゲームを作るのでしょう? 今回の試みは失敗したかもしれません。でもそこで諦めるんですか? もっともっと面白いゲームを作ればいいだけの話じゃないですか。乗り掛かった舟です。僕も協力します」

 僕はひかりには特別な才能があると思う。例えば人の人生を遊ぶなんて方法は、僕一人なら絶対思いつかない。それを考えて、実現できるひかりなら世界で一番のゲームにたどり着けるんじゃないかと思う。だからこんなところであきらめてほしくない。僕はそんなひかりが作ったゲームをプレイしたいと思うから。僕が今日、ひかりに会いに来た理由の二つ目はこれだった。

 つまり、僕はひかりとのゲーム開発を再開するために今日ここに来たのだ。

 僕が言うと、ひかりはキョトンとした顔で僕を見て「ああ、すみません」と頭を下げた。

 僕は何について謝られたのか分からなかった。

「出来ているんです」ひかりが言う。

「何がですか?」

 僕にはわからない。

「作っていたゲームが」

「『ライフ』がですか?」

 僕にはわからない。

「人生のようなゲームが」

 僕にはわからない。

「世界そのものみたいなゲームが」

 僕にはわからない。

「世界で一番のゲームが」

 僕には、ひかりが何を言っているのかわからない。

「正確にはまだテストプレイ中なので、世界で一番かもしれないゲーム、ですが」

 

 4

 

「ところで水城さん。まだ気づきませんか?」

「何のことですか?」

「そうですね、例えば椅子とか」

 僕は椅子を見る。いつもの椅子だ。僕が壊して少し足が曲がってしまったパイプ椅子。足がちゃんとついていないのでグラグラする。僕はじっと足を見て、何か違和感を覚えた。

 このパイプ椅子は、こんな風に曲がっていただろうか?

 ひかりを見る。いつも通りの美少女小学生。僕はひかりの腕を取る。子供の高い体温を感じる、見た目通りに柔らかなで滑らかな肌。

 いつも通り、見た通り、なのに違和感は増していく。

 僕は目をつぶった。ひかりの腕だと思ったものをもう一度握った。それは、ほのかに温かい、ただの棒のように思えた。

 疑似触覚という言葉が頭に浮かぶ。

 震える手で頭を探る。頭についたヘアピン型の端末をむしりとる。

 めまいのような感覚。無理やり外部からニューロンへの刺激が切断される。

 僕は目の前のベッドを見る。

 目の前のベッドは、とても白く、滑らかで、ここ数日の間使われていないことを示していた。

 ひかりの姿はなかった。

 ARという言葉に頭が覆いつくされる。

 あのヘアピンは、VR端末だったのか。

 思い出す。病室の白さ。まるで何も映っていないディスプレイのようなだと思った部屋を。このためだったのか? ARを映すためにあんなにも白かったのか? でもだとしたら何のためにそんなことをするんだ。僕にはわからなかった。

 というか、ひかりはどこだ。

 病室を飛び出す。首を振る。白い廊下が左右に伸びている。人気のない廊下がずっと続いている。

 その途中、手術中という、ひどく不吉な赤いランプが見えた。

 今までこのランプが光っていたことは一度もなかった。

 僕は何かに導かれるようにそこに入って行った。

 彼女はそこにいた。

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