v ポーズ

 

 1

 

 夏休み最後の週、山田から一緒にダンジョンに潜らないかと誘われて、僕は二つ返事で了承した。

「でも山田が『ブレイン』の本クエのほうを進めるなんて珍しいな」

「俺だって一応これのプレーヤーだからな」

「てっきりスキンが一番豊富にあるVRスペースくらいの認識なのかと思ってた」

「それがこのゲームの一番いいところであることは間違いない」

 それはそれでどうなんだろう、と僕は思った。

「ほらこの間アニバーサリーとかで新しくクエストが実装されたんだろ? せっかくだしそれやろうぜ」

「別にいいけど、山田、去年のやつとかクリアしてる?」

「いや、どうだろうな……なんか空中でオークと戦うのはやった」

「それ、最初から実装してるやつだろ。今年のアップデートは結構条件厳しいから、山田は参加できないんじゃないか」

「なんだと」

 図星だった。山田はトリガーとなるクエストをクリアしていなかったため、クエストが発生しなかった。

 しょうがないから僕たちは二人でちまちまと昔実装されたボスを倒しに行き、やっと新しいクエストが現れたと思った時には、気づけばすっかり夜は明けていた。

「さすがに今日はもう俺無理だわ」

 山田がへたり込む。しょうがないから山田と一緒に山田のパーソナルルームに行く。ログハウスの周りの畑は、ひまわり畑に戻っていた。ひまわり畑は朝日を浴びて、夜露をキラキラと輝かせていた。

「なあ山田」

「なんだ」

「なんで僕をクエストに誘ったんだ」

 山田はなんで今更そんなことを聞くんだ、とでもいうような怪訝な顔をして、あっさり答えた。

「だってお前最近元気ねえから」

「……僕ってそんなにわかりやすい?」

「そうだな……アドベンチャーゲームの分岐くらいにはわかりやすい」

 僕は大雑把に狙いたい子を選択していけば狙いたい子のルートにたどり着ける程度にはわかりやすいらしかった。

 山田が肩をたたく。

「まあ元気出せよ? 最初からお前と西條さんじゃ釣り合わなかったんだって」

「僕は別に西條さんに振られたわけじゃねえよ!」

「え、でもお前ら付き合ってただろ?」

「……つきあってなんか、ないよ」

 僕は血の涙を流せそうな顔で歯を食いしばって告げた。

 ええーじゃあなんで一緒に海なんて行ったんだよ、と山田が言う。それにはいろいろ事情があったんだ、と答えると、山田は疑わしそうに僕を見た。というかもし僕と西條さんが付き合っていたら、山田は誘わなかっただろう。

 山田は全然わかっていなかった。しょせん山田だった。

「じゃあそのいろいろな事情ってなんだよ」山田が問う。

 僕には、その事情がいまだに理解できていない。

「なあ山田」

「だから、んだよ」

「世界で一番のゲームってなんだと思う?」

 僕が聞く。山田は、前にも同じことを聞いてきたな、と言った。

「前はお前は『レディアントシルバーガン』って答えた」

「まあ、あの時は手に入れた直後で興奮してたからな」

「じゃあ違うのか?」

「違うともいえるし、違わないともいえる」

「どういう意味だ?」

「世界で最初の対戦型電子ゲームって何か知ってるか?」

 山田は突然話を変えた。僕は戸惑いながら答えた。

「微妙な点はあるけど、やっぱり一番は『Tennis For Two』だろ」

 『Tennis For Two』はブルックヘブンの物理学者が開発した世界初のコンピューターゲームである。作られたのは1958年、オシロスコープとアナログコンピュータで実現したそのゲームは、オシロスコープの上に表示される光の軌跡で表されたボールを互いに打ち合うというゲームだった。

 その『Tennis For Two』がどうしたのだろう。まさかあれが世界で一番のゲームとでもいうのだろうか。

 僕が聞くと、山田はそういうわけじゃない、と言って続けた。

「『Tennis For Two』の一番すごいところはよ。その名前だと思うんだ」

「名前?」

「俺はあのゲームを実機でプレーしたことはねえ。お前もねえだろう。でも、例えばよ。いきなりあのゲームをして、これはテニスのゲームだっては思えると思うか?」

 僕は考える。『Tennis For Two』は最初期の電子ゲームである。だから大変シンプルである。奥行きの概念もなく、ただ単に光の軌跡を二人ではじき合うというゲームだ。一応真ん中にバーも立っているし、言われればテニスとわかるかもしれないが、微妙であることに間違いはない。

「俺もそれがテニスだってすぐにわからねえと思う。でもよ『Tennis For Two』っていう名前聞いたらテニスってわかるだろ? 俺が言いたいのは名前も含めてゲームっていうのは一つの世界を表してるって話だ」

「世界……」

 山田が続ける。

「一つのゲームは一つの世界なんだよ。世界があるからただの棒がラケットになるし、ドット絵のキャラの人生に共感できるし、絵の中の女の子に夢中になれる。俺はそれは全部、面白くて大事な、世界で一番のものだと思う。だってそれが一つの世界なんだぜ? 一つの世界と別の世界を比べて優劣をつけるなんてできるわけないだろ?」。

 山田は心からそれを信じているようだった。僕にはなんとなくそれがわかった。

「だから、世界中のどのゲームも、世界で一番のゲームなんだ」

 山田が僕を見る。強い、自信に満ちた目が僕を射抜く。

 僕は、こいつは本当にゲームが好きなんだなと思った。

「……でもお前『ダライアス外伝』と『Gダライアス』比べたら外伝のほうが面白いっていうんだろ?」

 僕が問う。

「それはなあ……」山田が困ったように僕を見た。

「僕はGの方が好きだ」

「お前、ゲームの趣味悪いよな」

 僕は不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 僕は世界で一番のゲームのことを思った。世界で一番の世界のことを考えた。

 

 『ブレイン』をログアウトすると自分の部屋が見えた。

 僕の部屋はいつも通りだった。壁に張り付くように据えられたベッド、窓際には机が見えて、その隣に本棚があった。僕の世界はいつも通りだった。

 メールが届いていることに気が付いた。

 差出人は西條さんで、今度会わないかと言っていた。

 

 2

 

 西條さんと紙屋町の福屋の前で待ち合う。

 西條さんはいつも通りのラフな格好で僕を温かく迎えてくれた。

「久しぶり、水城君」

「久しぶりです、西條さん」

 西條さんと会うのは慈恵総合病院でばったり会って以来のことだった。そのあともちょくちょく連絡は取りあっていたが、直接会う機会がなかったのだ。僕が何か言う前に西條さんが口を開く。

「ところで水城君は待ち合うって言葉についてどう思う?」

「そうですね、素敵な響きの言葉だと思います」

「でも待ち合うって、言葉の割には一方が一方を待たせてるだけだよね?」

「……すみません」

 待たせた僕は頭を下げた。

「『アンデルセン』のケーキセットで許してあげましょう」

 西條さんはにっこりと笑う。僕は、やっぱり西條さんは天使みたいな人だと思った。

 

 『アンデルセン』は本通りのアーケード街にある洋食屋で、ケーキセットは900円だった。

「それで水城君の方はどうだった?」紅茶のカップを両手で抱えた西條さんが問う。

「ダメですね」僕は申し訳ないと思いつつ、正直に答えた。「ひかりからは何の連絡もありません」

 あれから二週間、僕は何度がひかりに会おうとした。メールを送り、一度などは直接病院に訪れた。けれど、ひかりは連絡一つくれなかった。

「西條さんの方はどうですか?」

 僕の問いに西條さんは無言で首を横に振った。

 二人でため息をついた。

「ひかりちゃんがこんなに強情だなんて」

 西條さんはフォークで皿の上に残ったミントをつつきながらため息をついた。

 僕たちはひかりと連絡を取ろうとしていた。ひかりがなぜ僕たちに黙ったまま二人と会っていたのか知りたいと思った。けれど、ひかりは何も言ってくれない。まるで初めからそんな人いなかったかのようだ。

「確かにさ、ひかりちゃんは、昔から変わったところがあったよ」

 西條さんはため息をつきながら言う。

「でも、根はとてもいい子だったと思うんだ。いろいろと馬鹿にされたり、悪戯をされたりしたこともあったけど、本心では私になついてくれてると思ってたのに、なんの連絡もくれないなんて」

 西條さんは、正直、悔しい、と小さな声でつぶやいた。

「……西條さんはひかりの目的は何だったのだと思いますか?」僕が訊く。

「ひかりちゃんの目的?」西條さんは繰り返した。「ゲームを作ることだったんじゃないの?」

「でも、僕に見せた試作版と西條さんに見せた試作版は違ったのですよね?」

 僕が確認する。西條さんはこくんとうなずいた。

 僕らはあれからメールでやり取りをし、ひかりが何をしていたのかを探ろうとした。

 それがわかれば、ひかりがなぜ連絡を絶ったのか分かるかもしれないと思ったのだ。

 話題は当然、ひかりの作っていたゲームについてのものとなった。

 ひかりが僕に体験版をプレイさせてくれたゲームはサスペンスホラーという趣のものだったが、西條さんのものは違ったらしい。西條さんがやったのはギャルゲーで、クラスの女の子や病院に入院している深窓の令嬢と仲良くなるゲームだったそうだ。深窓の令嬢とは、もちろんひかりのことだ。頭が痛くなる話である。

 ひかりは自分をお勧めキャラだと言って、西條さんに攻略させようとしていた。

「でも、なんで西條さんに攻略されたがっているんですかね」僕が当然の疑問を口にする。

「その方が華があるからと言ってたよ」

 確かに西條さんは活発で明るい健康的な美人であり、ひかりの方はというと、黙っていれば病弱で色白ではかない雰囲気の美少女で通る容姿をしているので、二人が並べばさぞかし華やかなCGが表示されることだろう。でもそれはギャルゲーというより百合ゲーである。

「えっちいシーンも取りたいって言ってた」

 僕はひかりのゲームの作り方を思い出す。

「やっぱり、ひかりはビアン……」

「ひかりちゃんが同性愛者かどうかはわからないけど、でもやっぱり私のこと好きだったと思うんだ」

 僕の言葉を遮り、西條さんは続けた。

「ひかりちゃんにゲームを教えたのは私なんです」

「西條さんが?」僕は意外そうに彼女を見て、それから納得した。確かに彼女は小学生の時からゲームが好きだと言っていた。それなら、友達の女の子にゲーム一緒にやろうというのは当たり前かもしれない。

「ひかりちゃんは体も弱いし引っ込み思案で、あんまり友達がいない子だった。でもほら、ゲームなら体弱くてもできるでしょ?」

 西條さんは昔を懐かしむように微笑んだ。

「ひかりちゃんはゲームすごく上手いんだよ。私が本気でやって勝てないと思ったのはあの子ぐらい。あ、『ブレイン』には何人か勝てない相手がいますけどね。でも、ひかりちゃんの入院期間が長くなるにつれて、それも疎遠になっちゃって」

 だから嬉しかった、と西條さんは言った。久しぶりに会った時、ゲームを作ろうと言われて。また、ゲームの話題で盛り上がれるとわかって、とても嬉しかった、と西條さんは言った。

 僕は西條さんとひかりの会話を思った。きっと二人は楽しくゲームを作っていたのだろう。

「じつは私、一つ思いついたことがあるんだ」

 僕は西條さんを見る。

「今日水城君を会いたいと思ったのも、それについて話したかったからなんです」

 西條さんがここまで言うということはきっと何かがあるのだろう。僕は先を促した。

「でも、その前に一つ聞きたいんだけど、水城君はひかりちゃんについてどう思う?」

「どう、とは?」

 僕は意味が分からずに聞き返した。

「ひかりちゃんのこと好き?」

 僕は思わず咳き込んだ。

「何言ってるんですか!? 相手は小学生ですよ!?」

「? 別に子供とだって友達にはなれるよ?」

「ああ、そういう……」

「……水城君はどんな愉快な勘違いをしたの?」

「なんでもないです。でも、なんですか? 僕がひかりを友達と思っているかどうか? なんでそんなことを聞くんですか?」

「いいから教えてよ」

 西條さんが問う。僕はひかりのことを思い出す。

 ひかりはかなり変わった小学生である。人のことをからかってばかりだし、僕のことを適当なアシスタントくらいにしか思っていない。その上すごく頭がよくて、そして何よりゲームが好き。

 僕は確かに、ひかりのことを悪しからず思っているのかもしれない。

「でも、僕がひかりのことを友達だと思っていたらなんだというんですか?」

 僕の問いに西條さんは答えた。

「ひかりちゃんの目的はそれだった、ということはありえない?」

 僕は西條さんの言葉の意味を考える。

「つまり私たちと友達になるためにゲーム作りなんて言い出したってことはありえないかな?」

「友達になるために?」

「うん」西條さんは頷いた。

「一緒に何か一つの目標のために努力するって、人と仲良くなるのに一番いい方法だと思うの。実際私はこのゲーム作りを通じてひかりちゃんとより親しくなれた。水城君は違う?」

 僕はもう一度ひかりと一緒にいた時間を思い出す。突然始まる謎のクイズ、理不尽なボケと強要される突っ込み、パンツ……

「水城君?」

「いえ、別にひかりの下着のことなんて思い出していませんから」思わず答える。

「下着?」

 西條さんはじっとりとした目で僕を見る。僕は慌てて言葉を継いだ。

「下着は置いておくとして、確かにそうですね。ひかりに親愛の情を感じないこともないこともないこともないです」

「それは置いておいていいのかな……」西條さんの視線が揺れる。

 パンツや理不尽なボケは抜きにしても、確かにひかりといる時間は楽しかった。ひかりは頭の回転も速いし、普通に話しているだけでもかなり面白い。素直に認めるのも割と癪だけど、ゲーム作りを通じて彼女と仲良くなったという気がしないでもない。

「とにかく、確かに一緒にゲームを作るというのは親しくなるきっかけとして機能することには同意しましょう。だからひかりは友達が欲しくてそんな話を僕たちにしたと、そういうことですか?」

「うん」西條さんはうなずいた。

 確かに西條さんの理屈も一理あるかもしれない。そしてそう考えると、僕と西條さんで別のゲームを作っていたことも問題なく理解できる。だって作るゲームそのものはそれほど重要ではないのだ。大事なのはゲーム作りという過程なのだから。

 でも――

「でも、まだ疑問点は残りますよ」僕はまだ納得していなかった。

「例えば何?」西條さんが問う。

「例えば、どうして僕と友達になろうと思ったのか、とか」僕が答えた。

「わからないけど、水城君のゲームアプリのファンだったとかありえないかな?」

 西條さんは当て推量を口にする。そういえばひかりに会うきっかけになったのは、僕が昔作ったクソゲーだった。そのことは西條さんには話していないが、一応納得できなくもない。

 僕は別の疑問を口にした。

「でも、それならどうして、ひかりが友達を欲しくなったんでしょうか?」

「その理由って必要?」西條さんが首をひねる。「友達がいたら楽しい。だから友達が欲しい。それで十分じゃない?」

「……」

 西條さんの言うことは正しいのかもしれない。

 ひかりは単に友達が欲しくてゲーム作りなんてことを言い出したのかもしれない。

「でも、もしもそれが正しいとしたら、あれはどうなるんですか?」

「あれ?」西條さんが首をかしげる。

「世界で一番のゲームというのは、なんなのですか?」僕が訊く。

「単純に考えると、気を引くために大げさに言った宣伝文句ってことじゃない?」

 西條さんの言うことは自然であると僕も思った。世界で一番のゲームなんてものはただのホラでただ単に僕たちの気を引くためにつけた宣伝文句と考えるのはとても自然である。

 だって人生のようなゲームなんて思いつかないから。

 世界そのもののようなゲームなんて思いつかないから。

 世界で一番のゲームなんて、そんなの作れそうにもないのだから。

 それはわかる。

 でも僕は信じたかった。

 ひかりの言葉を。

 ひかりは世界で一番のゲームを作ろうとしたのだと。

「なんで?」西條さんが問う。

「それは――」

 その理由は簡単だ。僕が世界で一番のゲームを作りたいと思うからだ。そんなゲームを作って、プレイしたいと思うからだ。つまり僕はひかりに夢を見たのだ。

「それに、ひかりは確かに理不尽で、不条理で、さんざん僕のことを馬鹿にしたけど、でもゲームに対する情熱は本物だったと思います。僕はこの三か月間、ひかりと週一であったけど、ゲームに関することしか話さなかったんです。そんな子が、ゲームのことで嘘をついたなんて思いたくない」

 自分が感情論を言っていることは知っている。僕は自分がこれほど馬鹿だということに驚いた。

 西條さんを見ると、西條さんは母のような慈愛に満ちた目で僕を見ていた。

「水城君はひかりちゃんが好きなんですね」西條さんが優しく言う。

「……なにか愉快な勘違いをしていませんか?」

「ううん、そんなことないよ?」

「それならいいんですけど」

「つまり水城君は小学生が好きなんですね?」

「より悪化した!」

 最悪である。西條さんにロリコンだと思われたら、僕は生きる甲斐がない。

「西條さん」

「なんですか」

「僕は別にひかりが好きなわけじゃないです」

「ふむん?」西條さんがこてんと小首をかしげる。大変可愛らしい。

「ただひかりが作るゲームが気になるだけで」

「つまり体だけが目当てだと?」

「いや体は別に目当てではない……」

「まさか心だけが目当てなの!?」

 西條さんが驚愕する。心だけが目当てっていうのはどうなんだ。求められる女性としては嬉しい、のか? というか心は欲しいけど体はいらんって、魔王かなんかなのだろうか。

 考えているとわけがわからなくなったので、僕は話を無理やり元に戻した。

「とにかく、僕はひかりは本気でゲームを作っていたと思うんです。別に僕たちと親しくなりたいからとか、そんな不純な理由ではないと思いたいです」

「ふーん」西條さんは不純な理由で少女に近づくロリコンを見る目で僕を見る。

 とてもつらい。

「というかその目、やめてもらえませんか、お願いします」

 少し考えて、西條さんは小児性愛者を見る目で僕を見た。器用な人だった。

 僕が黙って侮蔑の視線に耐えていると、西條さんはふっと口元を緩めた。

「わかりました」

 何をわかったのだろう。

「やっぱり水城君は好きなんだよ」

 僕は口を開きかけた。

「水城君は、本当にゲームが好きなんだよ」

 僕は口を閉じた。

 恥ずかしくなって目の前のコーヒーをすすった。冷えたコーヒーは苦かった。

「でも水城君、もしそうだとすると、つまりひかりちゃんは本当に世界で一番のゲームを作りたいから私たちに頼んできたとしたら、ちょっとおかしくない?」

「なにがですか?」僕が問う。

「例えばひかりちゃんは私に見せたゲームと水城君にやらせたゲーム、別々に二つのゲームを作っていたみたいだけど、これって変だよ。だって究極のゲームが二つはないでしょ?」

 西條さんはようやく話を戻してくれた。僕も頭を切り替える。

 確かに、西條さんの言うことは正しい。もしも本当に究極のゲームを作りたいのなら二つ作る必要はない。なぜならそれは究極なのだから。だけどひかりは僕と西條さんと二つのゲームを別々に開発していた。それは確かに矛盾である。でも、別にその言い訳は考えられないわけではない。

「……考えられる答えは二つあります。一つは、その二つのゲームは実は一つのゲームであるという答え」

「ギャルゲーとサスペンスホラーって、食い合わせ悪いような……」

 僕もそう思う。とはいえ、世の中には野球ができるギャルゲーなんてものもある。一概に否定はできないだろう。でも普通に考えると一つのゲームにするのは難しそうである。僕はもう一つの可能性を口にした。

「それからもう一つは、あの二つのゲームは実はブラフで、本命のゲームが別にあるという可能性です」

「本命……でもなんで私たちにその本命を隠すの?」

 西條さんの疑問の答えを考える。なぜだろう。もし仮に僕らにブラフのゲームを開発させたのだとしたら、その理由は何故だろう。

 僕は彼女が最高のゲームを作るために行動していると信じたい。それなら、彼女が隠すのも理由はそれのはずだ。僕は考えを口にした。

「もしかしたら僕たちに教えたら作れなくなるから、とか」

「なんで作れなくなるの?」

 西條さんが問う。もちろん僕はその答えを知らない。だから考えるしかない。本命を隠す理由を。

「……中身を知ったら、僕たちが作るのを止めようとすると考えた、とかどうでしょう」僕は考えて答えた。「例えばゲームの内容があまりに反社会的だとか」

「あるいはもっと明確な犯罪行為であるとか?」西條さんが後を継ぐ。

「そうですね」僕は頷いた。具体的にはわからない。とにかく、何か一般常識に照らし合わすと、悪いことを含んでいるゲームなら、そういうゲームなら、共同開発者に秘密にするというのも自然じゃないかと思う。僕がそう言うと、西條さんは、そうかもね、と頷いた。

「でも、もしそのゲームが何らかの法律を犯していると知ったら水城君はひかりちゃんを止める?」

 西條さんが問う。

 もしも世界で一番のゲームが、何かの法律を犯していたとして。

「いえ……たぶん止めないでしょう」僕は素直に答えた。

 犯罪並みに面白いゲーム。むしろ上等じゃないかと僕は思う。

「たぶん私も止めないよ」西條さんも同意する。僕は少し驚いた。

「意外ですね。西條さんは正義の側の人だと思っていました」

「普通の犯罪行為なら止めると思うよ? でも世界で一番のゲームならそれくらい当然かなって」

 だから止めないよ、と西條さんは言った。

「大体行き過ぎた快楽って犯罪行為だよね? 麻薬とか、賭博とか。強すぎる快感は悪なんです」

 だからきっと、世界で一番のゲームも悪なんです、と西條さんは言う。

 西條さんに言うことは正しいかもしれないと僕は思った。

「でも、私たち二人とも犯罪行為を止める気がないなら、さっきの推定は成り立たないってことにならない?」

「ひかりが僕たちの考えを正確に把握していなかった、という可能性はありますね」

「それは確かにそうだね」西條さんは同意した。「でも、まだほかにも説明がつかないことがあると思うな」

「例えばなんですか?」僕が問う。

「例えば、どうして私に水城君のことを、水城君には私のことを黙っていたのか」

 そういえばそうだ。どうしてひかりはそのことを黙っていたのだろう。

「それもゲームが作れなくなるからだと思う?」

 西條さんが問いかける。

「無理やり説明しようとしたらできなくもないですよ」

「ほんとに?」西條さんが疑わしそうに僕を見る。僕は考えながら答えた。

「例えば、ひかりは僕たちの脳の状態を使ってゲームを作ろうとしていましたね? 西條さんもひかりに手伝っていると知ってから西條さんに会うのと、それを知らずにいきなり西條さんに出会うのでは、きっと僕の脳の状態は違っていたはずです」

「つまり、私のことをよく知らない人だと思っている水城君のニューロンの発火が、ゲームの作成には必要だった、そういうこと?」

 西條さんが確認する。僕は頷いた。

 もちろんこんなの全部推測だ。ひかりが本当に何をしようとしていたかは、ひかりに聞くしかわからない。僕はひかりの頭の中が知れればいいのにと思った。

「でも確かにそうだよね。ニューロンの発火が私たちの意識と認識のすべてなんだから。ひかりちゃんが理想のゲームを作るためには、私たちのすべてをコントロールしなくちゃいけないんですよね。それってとても大変だと思うな」

「でもそれくらいしないと、作れないんだと思います」

 人生のようなゲームは。

 世界そのもののようなゲームは。

 世界で一番のゲームは、それくらい遠いのだ。

 僕は自分の作ったゲームのことを考えた。あれらはどこかを変えたら世界で一番のゲームになれるだろうか。とても無理だろう。どうすれば世界で一番のゲームは作れるのだろう? ひかりに何が見えていたのだろう?

「本当にゲームで人の人生を再現できるの? 世界でもいいけど、そんなもの本当に作れるのかな?」

 西條さんが素朴な疑問を口にする。

 ゲームで世界を作る。とても難しいだろうな、と思う。

「でも、ゲームの自由度はそこまで達するだけのポテンシャルがあるんじゃないかって僕は思うんです。実際、ゲームの中にはそういう世界のシミュレーションのようなゲームがありますよね? 例えば『マインクラフト』や『シムシティ』なんてのはまさにそういうゲームです」

「名前だけは聞いたことあるけど、古いゲームだよね?」

「ええ、どちらも2000年くらいのゲームです。『マインクラフト』はブロックを自由に動かしてものづくりをできるゲーム、『シムシティ』は街を発展させるシミュレーションゲームです。これらのゲームではものづくりや街の経営という現実の世界の一部を再現したゲームと言えると思います」

「つまり世界そのものみたいなゲームになってるってこと?」

 西條さんが訊く。僕は首を横に振った。確かにこれらのゲームはとてもよくできたゲームだ。世界の要素をゲームの要素としてうまく落とし込み、一つの世界を作り上げていると言えると僕は思う。でも、同時に、これらのゲームは世界のほんの一部の要素を取り出したに過ぎない。それは少し考えればわかるだろう。『マインクラフト』はゲームの世界でものを作ることを主眼に置いたゲームであり、それ以外の点についてはかなりおざなりだ。水の挙動は不自然だし、空気に至ってはそもそも存在しない。『シムシティ』も都市の開発発展という一点に集中したゲームであり、それ以外の点については無視していると言っていい、僕たちの住む世界の基本的な法則、例えば物理法則すら再現されていない。

 そういう意味では世界そのものとは程遠いものだろう。

 でもこういう方向を突き詰めていけば、まさに人生のようなゲームにたどり着く、究極のゲームに至ると考えるのはダメだろうか。僕がぼんやりとイメージする究極のゲームはそういうものである。

「でも水城君」西條さんが口を挟む。

「なんですか?」

「水城君は勘違いしていると思う」

「なにをですか」

「例えば、空気がきちんと再現されていることって、ゲームにとってそんなに重要かな?」

 どうだろうか。僕は考えた。

「私はそんなに重要じゃないと思う。だって私たちの日常生活で、空気を感じることってそんなにないから。空気くらいならまだ感じることはあるかもしれないけど、でも例えば重力は? もっと微弱な力について、私たちが日常で感じることってほとんどないんじゃないの? そんな普段の意識に上らないものは、やっぱりゲームでもそんなに重要じゃないと思う」

 それは確かにそうかもしれない。

「でも、それじゃあゲームにとって大事なことって何でしょうか?」

「それはたぶん私たちにとって大事なことと同じだと思う」

「大事なこと」

「好きな人とか、嫌いな人とか。好きな風景とか、好きな行為とか、とにかく私たちが意識しているそういう世界だと、私は思う」

 僕たちが意識する世界。僕たちの感じる世界。

 西條さんの主張は単純だ。僕たちが感じないものはゲームに必要ない。それは確かにそうだろう。何も分子の一つ一つまでゲームで再現する必要はない。というか、再現したところで、プレイヤーには違いが判らないだろう。

 だから必要なものは限られる。

 世界とは何だろう。人生とは何だろう。

 世界そのものみたいなゲームとは何だろう。

 人生のようなゲームとは何だろう。

 僕は、何か引っかかるものを感じた。

 それは西條さんも同じようで、彼女も下を向いて考え込んでいる。

 世界とは何だろう。僕たちの世界は何だろうか?

 僕の見るこの世界は、僕の意識は、僕の認識は、すべてニューロンの活動によって作られる。

 そしてひかりは何をしていた?

 僕たちのニューロンの活動データを収集していた。それは一人の人間の世界そのものだ。

 それが世界で一番のゲームの素材だと言っていた。

「まさか、水城君」

 西條さんが何かに気が付いたように顔を上げる。

 じゃあ、世界で一番のゲームは――

「僕たちの世界、脳の中そのものか」僕は思わずつぶやいた。

 

 3

 

 それが答えなのか? だからひかりは僕たちのデータを、僕たちの世界を採集していたのか? でもそれなら納得できなくもない。だって脳の活動は人間のすべてだ。それを超えるものは、確かに世界には存在しない。

「でもそれはおかしいよ」西條さんが口を開く。

「確かに私たちの生きる世界が究極のゲームだって言われたら、まあそうかなあって思わなくもないよ。でももしもこの世界が世界で一番のゲームなら、わざわざ作る必要なんてない。だって私たちはみんな、そのゲームをプレイしているじゃないですか」

 確かにそうだ。西條さんの言っていることは正しい。僕たちはみんな、望むと望まざるとこの世界を生きざるを得ない。もしもこの世界が本当に文字通り世界で一番のゲームなら、わざわざ新しくゲームとして作る必要はない。

 それに、と西條さんは続けた。

「それに、私はこの世界が世界で一番のゲームかって言われると、ちょっと納得できないところがある」

「それはなぜですか」僕が問う。

「だって、私たちの人生って、そんなに面白い?」

 西條さんは言った。

「人間関係とか、勉強とか、それこそ病気とかこの世界は結構つらいもん。そりゃすごく幸せになることもあるよ、ゲームで勝ったときとか最高に楽しいし、友達と話してるときすごく楽しいこともある。でも、だからってこの世界が一番面白いゲームだとは思えない」

 西條さんは僕を見た。

「水城君にとって、この世界は世界で一番なの?」

「それは……」

 どうなんだろう。別に面白いことばかりじゃない。楽しいことばかりじゃない。少なくともそれは事実だ。

「でも、西條さんがそんなことを言うなんて、少し意外です」

 美人で素敵で人当たりもよくて明るい、まるで天使のような西條さんは幸せなんだと、僕は勝手に思っていた。僕が思ったことを素直に言うと、西條さんは笑って答えた。

「そんなの、普通だよ」

 

 その後、僕たちはそれ以上の結論を得ることができなかった。

「やっぱり私、ひかりちゃんと何とか連絡をつけてみせます」

 僕たちはそれ以上の結論を得ることができなかった。別れ際、西條さんはそう告げた。

 そのまま瞳で僕はどうするのかと聞いてくる。

「僕は……」

 言い淀む。西條さんの言うことは正しい。もしも僕たちの脳内をそのままゲームとみなしても、それは世界で一番のゲームにはならないと思う。でも、まだ、どこか、気になるのだ。

「水城君?」

「いえ……僕も僕なりにアプローチしてみます」

「うん、お願い」

 西條さんが背を向ける。

「西條さん」

 僕はその背中を呼び止めた。西條さんが振り返る。

「ひかりは西條さんと作っていたゲームをなんて呼んでいたかわかりますか?」

「ゲームの名前?」

「ええ、ありませんでしたか?」

 西條さんは少し考えて、ライフ、と言った。

「ひかりちゃんはあのゲームを『ライフ』って呼んでいました」

 それは、僕に見せたゲームと同じ名前のゲームだった。

 

 4

 

 なぜひかりは僕たちのニューロンのデータを集めたのか。

 なぜそれを僕たちに黙っていたのか?

 そして、世界で一番のゲームとは何なのか。

 家に帰って一人になると、また同じ疑問が心に浮かんでくる。何故だろう。何なのだろう、ひかりのやろうとしたことは。

 世界という発想は結構いい線を言っていたんじゃないかと思ったのだ。

 だって世界の中に世界より大きなものなんて存在しない。世界が一番のゲームだと言われたら納得する得ない部分がある。

 でも、西條さんの意見も正しいと思った。

 生きていくことは面白いばかりじゃない。人生は楽しいだけではない。苦しいことも山ほどあるし、つらいこともいっぱいある。それは僕も同じだし、西條さんもそうだと言っていた。

 ひかりはどうなんだろうか? やっぱりひかりにとっても面白くないんだろうか?

 病院から一歩も出られないひかりは、どう思っているんだろうか。

 考えていると、西條さんからメールが届いているのに気が付いた。

 

『今日はいろいろありがとう。話せて嬉しかった。ひかりちゃんについてはもう少し考えてみるよ。

 話が変わるけど、今度『コロシアム』の大会があるんだけど出てみない? わからないことがあったら教えるよ?

 いつでも連絡ください』

 

 思わず苦笑する。西條さんは本当にあのゲームが好きらしい。

 僕は大会に出ることはないと思う。正直な話、『コロシアム』はそれほど好きではない。たぶん苦手だからだろう。やっぱりうまくプレイできるゲームは楽しいし、へたくそなゲームはつまらない。

 楽しむためには正しい遊び方がわかっていないといけないのだ。

 正しい遊び方。

 そういえばそんなことをひかりも言っていた。

 あれはどんな文脈だっただろうか。

 一瞬、何かがひらめく。

 なんだろう。なにがひらめいたのだろう。

 そのひらめきが消える前に。

 僕は息をつめて考える。

 例えば、そう例えばの話だ、もしも世界で一番楽しいゲームがあったとしても、それの遊び方がわからなければ、その楽しさはきっとわからないだろうと僕は思う。

 どんな面白いゲームも。不当な縛りプレイをしていては楽しめないだろう。

 縛りプレイ。

 正しい遊び方。

 最高のゲーム。

 それなのか?

 だからひかりは僕の、西條さんのデータを集めたのか。

 常識では考えられない。

 でも、ひかりなら、あのベッドの上から一歩も動けないあの女の子なら、そう考えてしまってもしょうがないんじゃないか?

 だって彼女のプレイは、とても強く制限が架けられたものだったのだから。

 

 僕はひかりにメールを送る。

 

 『橘ひかり様、

  

  世界で一番のゲームが何なのかわかった気がします。

  直接会って話したいのですが、いつなら都合がつきますか?

  

  水城清晴』

 

 返事はすぐに返ってきた。

 ひかりは、来週の月曜日、午後4時に慈恵総合病院の802号室に来いと言ってきた。

 

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