iv バトル

 1

 

 七月になった。

 ひかりとのゲーム制作は順調に進んでいる。

 それと並行して進めてきた僕個人のゲーム制作の方も佳境を迎えていた。

 

 僕はもう一度保存されたデータファイルを確認した。前もって作っておいたリストと照会して最終確認する。録り忘れたらまた1時間で1980円である。僕の月間小遣いの半分近い出費は、そう何度もしたいものではない。それは避けたい。

 僕は目を皿のようにしてそのリストを確認し、それから大きく息を吐いた。

「収録はすべて終了しました」

 僕の声を聴いて、マイクの前に立った西條さんはほっとした様子でため息をついた。

「お疲れ様でした」

 ペットボトルのお茶を持っていくと、西條さんは「ありがとう」と受け取ってからすぐに蓋を開け、喉を鳴らしてお茶を飲んだ。30分ほどだけど声を出しっぱなしだったのだ。喉も痛くなるだろう。季節はもう梅雨が終わろうとしている。夏服の半そでからのぞくまぶしい二の腕が視界に入った。

 視線に気づいた西條さんが何か問いたげに僕を見る。

 僕は嘘をついた。

「道徳と宗教について考えてました」

「絶対嘘だー」

 一瞬で見破られてしまい、僕は視線をそらした。

 僕と西條さんのゲーム作りは最終段階に入ろうとしていた。今日はスタジオに来て西條さんの声を収録していたのだ。

 本当を言えば、わざわざスタジオまで借りて収録する必要はないのかもしれない。言ってしまえば僕のゲームはしょせん暇つぶしのフリーゲームなのであり、製作者もプレーヤーも気軽にできることが最大の魅力のゲームである。

 でも僕は、こと西條さんに関することに限りは手を抜きたくなかった。嘘までついて手伝ってもらった手前、できる限りのことをするのが礼儀だと思ったのだ。

 本通りのアーケード街にほど近いこのスタジオは、僕がスタジオを探していると聞くと山田が教えてくれたものだ。

 あいつはこの町のことを知り尽くしている。

 そのあとで「でもなんでスタジオがいるんだ?」と聞く山田に対して、僕は「西條さんの声を録るんだ」と答えた。山田は血の涙を浮かべて僕を見た。比喩ではない。『ブレイン』のアバターにはそういうことをする機能があるのだ。

「そういえば水城君」

「なんですか」二人で撤収作業をしていると西條さんが話しかけてきた。

「私は結構、水城君のこと知ったと思うんだ」

「まあ、そうかもしれないですね」僕は西條さんの意図がわからずあいまいに答えた。

「水城君がゲームが好きだってことも知ったし、実はフリーゲーム制作者としてそこそこ名が知れてるってことも知ったし、妹さんが好きだってことも知った」

「あ、そういえばあれありがとうございます」

 僕は西條さんの話で思い出したことを口にする。

「何のこと?」西條さんは頭の上に疑問符を浮かべた。

「妹のプレゼント。この間誕生日だったから渡したら、とても喜んでました」

「ああ、そんなこと……べつにいいよ。当たり前のことだもん」

「でも、僕一人じゃ妹の服なんて絶対に選べなかっただろうから……妹の代わりにお礼を言わなくちゃいけないと思うので」

「あはは、水城君は真面目だなあ」

 西條さんは照れたように頬をかいた。それから西條さんは話を戻した。

「それでね、水城君、その割には私のことはあんまり話してないなーって思うんだ」

「そうですかね?」

 僕はちょっと考える。西條さんは天使のような方である。それは前から知っていた。それからゲーム好き。それも何となく知っていた。気さくで、明るくて、美人……確かにあんまり知らないかもしれない。

「私、水城君に知って欲しいことがあるの」

「知って欲しいこと?」

 僕の想像の翼が力強い羽ばたきを始める。

「あ、今なんかエロいことを考えたでしょ?」

「いえ、そんなことはないです。僕くらい真面目な男はほかにいません」

「本当に~?」西條さんが疑わし気に僕を見た。僕はできるだけ真面目そうな顔を作って見返した。

「まあそのカピバラ顔に免じて多少の妄想は許してあげましょう」

 僕は世界最大のげっ歯類が、餌のキャベツを飼育員にとられた時のような顔になった。

「それでね、今度来て欲しいところがあるんだけど」西條さんはもう一度話を戻す。

「来て欲しいところ?」

「うん」西條さんは頷いた。「今度メールで送るから、きっと来てね?」

 よくわからないけれど、僕は絶対にその場所に行こうと心に決めた。

 数日後、西條さんからのメールが届いた。

 添付されていたのは、今度『ブレイン』公開2周年を記念して行われるイベントの一つ、コロシアムのエキシビジョンマッチの観戦チケットだった。対戦カードは『ウェストストライプvs. ジャックダニエル』。時間は今週末の7時からとなっていた。

 

 2

 

 久しぶりに『ブレイン』の山田の元を訪れると、山田は相変わらずゲームをしていた。僕が知らないゲームだった。たぶん昔のアーケードゲーム。一緒にやるかと聞かれた、気が乗らなかったので断った。僕はゲームが一区切りつくまで外で待つことにした。

 作業小屋風のログハウスは相変わらずだが、周りのひまわりはアジサイに変わっていた。なぜ梅雨時にヒマワリで七月に入ってアジサイなのか。季節感のない奴である。

 しばらくすると、山田が僕を呼びに外に出てきた。

「何しに来たんだ?」山田が聞く。

「なあ山田、ジャックダニエルって知ってるか?」

「ウィスキーだろ」

「いやそっちじゃなくて」

 僕はコロシアムのプレイヤーの方について聞いてみた。すると山田は「ああ、そっちの方か」と理解したようで、「知ってるも何も、今のコロシアムの日本チャンプだろ?」と、こともなげに言い放った。

 なんでもジャックダニエルはコロシアムが実装されて以来一度もその座を渡したことのない絶対王者として知られており、世界でも最強のプレイヤーの一人として認知されている超有名人らしかった。

「というかなんでおまえ知らないんだよ。俺よりよっぽど対人プレイしてるだろ?」

「山田は一緒に冒険してくれないし、ランダムcoopだとなぜか何言ってるかよくわからない相手と一緒にプレイすることが多いんだ」

「お前ブラックリストかなんかに載ってんじゃねえの?」

 山田はさらりとひどいことを言う。僕みたいな紳士的なプレイヤーがそんなものに載っているはずがない……たぶん。

「で、そのジャックがどうしたんだ?」山田が先を促す。

「そのプレイヤーについて何か知らないか? 実は女子高生だとか」僕が訊く。

「いや、ジャックはほとんど素性が知られていない謎のプレイヤーとして有名だからな。実は運営が用意したボットなんじゃないかなんて噂もあるくらいだ」

「ボットを用意するメリットがないだろ」

「そうでもねえよ。人間強い奴って本能的に好きだからな。野球だって、巨人V9時代に今のプロ野球人気が確立したわけだ。強い奴がいる方が人気が出るんだよ」

 僕は巨人V9時代なんて知らないが、それは確かにそうかもしれない。

「今度そのジャックとウェストストライプが試合をするんだってな」

「ああ、これは熱いぜ。ウェストは去年のタイトル戦の挑戦者だし、それに最近は更に速さに磨きがかかってるみたいだからな。俺も生で見たいけど、チケットプレミア化しちまって全然手に入らないんだよ」

「前々から思ってたんだけど、VRゲームで生とか中継とかって区別、本当に必要か?」

「あるんだよ! ゲームの実機プレイと仮想マシンが違うのと同じだ! VRにも生と中継で違いが! てめえゲーマーのくせにそんなこともわかんねえのか!」

 なぜか山田が激昂する。が、山田のアバターは現実の山田に比べるとだいぶ威圧感がないので僕は冷静に返した。

「錯覚だろ?」

 山田は吠えた。それと同時に視界がログハウスから雑踏に変わっていた『ブレイン』のリスポーン地点。セントラルタワー前だ。プライベートルームから強制的に退出させられるとここに転送される。どうやら山田を怒らせてしまったらしい。

 僕は歩きながら考えた。

 西條さんはなぜあのチケットをくれたのか。一番あり得そうなのはアレだ。けど、僕が言うのもなんだけど、あまりにも安直すぎるし、もう少しひねるのではないだろうか。

 でも、他に思いつかない。

 僕が結論を得られるより早く時間は過ぎて、いつの間にか週末になっていた。

 僕はいそいそと『ブレイン』にログインした。どこに行くのかと電子アシスタントが聞いてくる。僕は一言「コロシアム」と告げた。

 コロシアムは大盛況だった。

 そしてその中心にその二人はいた。桜色の髪をした細身の少女――ウェストストライプとそれに向き合うようにたたずむ巨漢、ジャックダニエル。ジャックダニエルは大きな男だった。黒い甲冑に身を固め、隆々たる筋肉を身にまとい、身長は2メートルを超えるだろう。もちろん甲冑が見た目通りの防御力を発揮するゲームではないが、周りの観客に手を振り笑顔を振りまくウェストと、静かにたたずジャックのサイズの違いは圧倒的だった。

 それを見て、僕はウェストを応援することに決めた。

 花火が揚がる。『ブレイン』2周年を記念する花火が。

 そして二人の対決が始まった。

 

 勝負は最後の11番目までもつれ込んだ。

 最初の2本を連取して優勢に立ったウェストだが、その後はジャックが盛り返し、今行われている最終11本目も終始ジャックが圧倒している。守りを固め、堅実に攻撃を繰り出すジャックに、好きを見つけられないウェストは防戦一方になっている。最初の二番はそれでも隙を見つけたウェストがそこから怒涛の攻めで勝負をものにしたが、今のジャックにはそれすらないらしい。

 ウェストが大きく後ろにジャンプする。距離を置いたウェストはちらりと観客席を見た気がした。それから桜色の髪をした少女は、その間合いを一気に詰めた。ジャックの裏拳が迎撃する。直前、何かが舞い上がった。僕には何かわからなかった。砂だ、と周りの観客が言うのが聞こえて、僕にも状況がわかってきた。彼女はジャックにぶつかる直前で砂をかけたのだ。それが目に入ったのか、ジャックの動きが止まる。叩き込まれる連打、みるみる削れていくジャックのゲージ。盛り上がる観客の歓声。そして少女は、とどめの一撃を放った。真上に飛び上がるような飛び膝蹴りは確かにジャックの顔面をとらえた――かに見えた。

 ジャックが面覆いの向こうで、にやりと笑った。

 空中に飛び上がり、無防備に体をさらすウェストに、無常な拳が叩き込まれた。

 歓声は悲鳴に変わった。

 

 勝負が終わって次第に人が捌けていく。

 僕もそれについて帰ろうとして、西條さんから一通のメールが届いていることに気が付いた。

『西側Bスタジオで待っています』

 ネットで調べると、スタジオとは控室のことらしい。紛らわしいゲーム用語である。

 Bスタジオってどこだろう。僕はコロシアムのマップを検索した。場所はすぐにわかった。どうやらコロシアムのステージの出演者が入る場所らしい。僕はゲートを抜けて、そちらに向かった。

 Bスタジオの中には、案の定先ほどまでステージで激闘を繰り広げていた桜色の髪の細身の少女、ウェストストライプその人がいた。ウェストは居心地悪そうに身をよじり、それから「……こんばんは、水城君」と、言った。僕の良く知る、西條さんの声だった。

 僕は少し考えて、

「わーまさかウェストがさいじょうさんだったなんて」

 とおどけた。ウェストは――西條さんは肩を落とした。

「そりゃ、わかるよね? 名前も西條でwest stripeだし」

 西條、西だからWestで条だからStripe。彼女のハンドルネームは自分の名前を英訳しただけだった。

「やっぱり単純すぎたかなあ。ずっと使ってるから愛着はあるんだけど、ばれるのは嫌だし」

「そんな気にすることじゃないですよ。僕だって水城でWater Castleですし」

 僕が言うと、それもそうだね、と西條さんは顔を上げた。

「でも、なぜ僕に教えてくれたのですか?」僕は訊ねた。

「それはこの間言った通りだよ。少しくらい水城君には話してもいいかなーって思ったんだ」

「なるほど」僕は神妙な顔をして頷いた。

「それに私がゲーマーだって、隠すのも限界かなって」

 それについてはだいぶ前から知っていた。けれど、僕はそのことを西條さんが話してくれたことをとても嬉しいと思った。

「西條さんは、なんでコロシアムを?」

「好きだから。一番、直接誰かと戦える気がするんだ。人に勝つのは楽しいじゃない。でも勝つまでに、なんというかフィルターがありすぎるのは苦手で。コロシアムはシンプルです。人と戦って打ち負かす。それだけ……水城君はやらないの?」

「僕はああいうゲームはあんまり得意じゃなくて」

「なんとなくわかるかも、水城君対戦ゲーム苦手そうだもんね」

 西條さんの言うことは正しい。僕は人と対戦するタイプのゲームが苦手である。格ゲーもそうだが、それ以外の、例えばパズルゲームとかRTS、もっとアナログな将棋や囲碁の類まで、僕は苦手だ。

 なぜかは自分でもよくわからない。

 僕がそのことを伝えると、西條さんは「水城君は、なんというか他人が要らない人なんだと思う」と、さらにひどいことを言った。

「うーん、別にそういうつもりじゃなくて、なんというか、水城君って自分で自分が欲しいものを創れるじゃない」

「別に作りたいもの何でも作れるわけじゃないですけど」

「でも作りたいと思った時作ろうとすることができる。それってすごいことだと思うんだ」

「……」

 僕は反応に困る。西條さんは続けた。

「私の友達に、水城君みたいにゲーム作ってる子がいるんだけど、あの子もやっぱり人と争うのは苦手って言ってたし」

 僕は顔も知らない西條さんの友達に共感を抱く。機会があったら話し合っていろいろしゃべれたら楽しいかもしれない

「蹂躙するのは好きって言ってた」

「そいつは僕とは違うな!」

 なんで僕の周りの人は、こうみんな話にオチをつけたがるんだろうか……

「あのゲーム、そろそろ完成するね」

 西條さんは話題を変えた。あのゲームとは、西條さんに手伝ってもらって作ったあのゲームのことだ。つまり、僕と西條さんの現在の関係はそろそろ終わりを迎えるということである。

 ふと頭の中に全然違う考えが浮かぶ。

 ここで西條さんに告白したらどうなるだろう。

 僕は西條さんのことが好きだ、と思う。

 西條さんも僕のことを嫌いじゃない、と思う。

 嫌われていたら、ここに僕たちはいないはずだ。

 もしもここで告白したら、彼女はオーケーしてくれるだろうか?

「水城君?」西條さんは、何か言いたそうに僕を見ている。

 僕は、なんで自分がこんなことを考えているのかわからなかった。

「すみません、ちょっとぼーっとして」

「水城君は次のゲームについて何か考えているの?」

「次のゲーム?」

「うん、今作っているゲームが完成したら、水城君はまた新しいゲームを作るんでしょ?」

 次のゲーム。言われるまでそのことを考えないでいた。なぜだろう。

「私、次のゲームはもっときちんとゲーム開発にかかわってみたいな」

 僕は驚いた。

「また手伝ってくれるのですか?」

「必要な声だけ録ったら他人ってこと? 水城君、冷たい。そんなに冷たいと氷城くんになっちゃいますよ?」

「そういうつもりはないんです。ただ、次のゲームのことなんて全然考えていなくて……そうだ、西條さんはどんなゲームがしたいですか?」

「言ったら作ってくれるの?」

「僕の気が乗って、かつ僕に作れそうなら」

「楽しいゲームがいいな」

 僕らは次に作るゲームについて話し合った。西條さんがこんなゲームを遊びたいと言う。僕はそんな曖昧な仕様は作れないとか、ゲームとして破綻しているとか文句を言う。そんな僕を西條さんは、そんなに簡単にあきらめたらだめだよ、と叱る。

 僕たちのゲームはありえないほど壮大な話で、信じられないほどシンプルな話で、実現できるかわからない機能の話で、まるで夢のような話だった。僕にはそれが、まるで世界で一番のゲームみたいに思えた。

「西條さんは、ゲームが好きなんですね」

 僕が訊くと西條さんは――西條さんのアバターは天使のような笑顔を浮かべた。

「うん、大好き。水城君もゲームは好き?」

 西條さんが聞く。僕の答えは決まっていた。

「ええ、大好きですよ」

 

 3

 

 いつものように月曜日の夕方、僕はひかりの元を訪れて、なぜかゲームをしていた。『ファンタシースターオンラインepisode1&2 plus』(GC版)だった。ひかりの部屋にはGCの実機があったのだ。僕は本日三回目のレアドロップをひかりにかすめ取られるのを横目に見ながら、襲い掛かる原生生物たちを必死に防いでいた。

 なんで僕はこのゲームをしているのだろう……

「どうやらわからないようですね」

 ひかりは唐突に切り出した。

「どうして後ろからテクニックを撃っているだけの私が、的確にレアドロップを取れるのかを」

「いやそっちじゃない」

「じゃあ気にならないのですか?」

「まあ気にはなりますけど」

「人徳の違いでしょう」

 間違いなく、徳を積んでいるのは僕の方だと思う。

 僕は無理やり軌道修正した。

「なぜ僕たちはゲームをしてるのですか?」

 僕は続けた。

「僕たちはゲームを作ってるのではありませんでしたっけ?」

「ええ、その通りです」

 ひかりがうなずく。

「じゃあなぜ?」

 僕は当然の質問をする。

 僕たちはゲームを作っている。でもゲームっていうのは放っておいても勝手に出来上がるものではない。プロットを作り、シナリオを立て、仕様を決定し、イベントを作り、そしてそれらをゲームに実装する。大体において、非常に地味な作業である。

 ひかりがどうやって僕の脳の情報からVRを作っているのか、詳細については教えてもらってないので確実なことは言えないが、おそらく地味な作業の繰り返しであることは間違いないと思う。

 だけど僕は、ひかりの病室に来てそういう作業を全くしていない。

 やることと言ったらひかりと話したり、ゲームしたり、ひかりが次に集めてほしい情報について聞くことくらいだった。

 まあそれでもα版ができているのだから、僕が文句を言う筋合いはないのかもしれないけど、でもやっぱり手伝うと言った手前、何かしないと落ち着かない。

 僕が言うと、落ち着いた声でひかりは言った。

「今ここで作業しない理由はいくつかあります」

 ひかりが続ける。

「一つは私のVRの作り方はどうやらあまり一般的ではないようですので、水城さんにやってもらっても効率が良くないと予想されるからです」

 確かにひかりの作り方は僕が勉強した方法とは全然違う。手伝うためには一から勉強しないといけないだろう。

「それからもう一つは、このゲームは私一人の手で作りたいからです」

 ひかりが言う。

「このゲームは私のゲームです。私が考えて、初めて作るゲームです。確かに水城さんには多大な協力をしてもらっています。でも、私は『ライフ』を自分のゲームだと思いたいです。だから、できればその作業は私一人でやりたい。誰にも邪魔されたくない……そう思います。これは私のわがままでしょうか?」

 僕は初めて自分がゲームを作った時のことを思い出す。

 熱に浮かされたようにして、ほとんど勢いだけで作ったゲームのことを。あの時の僕は、きっと誰かが手を貸そうとしても断っていただろう。僕は自分には完全な世界が見えていると信じていた。人の手は邪魔だとさえ思ったことだろう。

 もっとも、その結果は悲惨なものだったが。

 僕の結果は大失敗だったが、その一方で、ゲームの歴史の中には、ほとんど一人のゲームクリエイターの独創が作り上げた傑作と呼ばれるものがある。『バンゲリングベイ』や『シムシティ』を作ったウィル・ライトや『ウルティマ』のリチャード・ギャリオットなんかが代表だろう。

 ひかりが僕のパターンかウィル・ライトの方かはわからないが、最初のゲームなんだし、好きに作ればいいか、と僕は思った。

「僕にできることはなんでも手伝いますからね、遠慮しないでくださいね?」

 僕が言うと、ひかりは、はい、と頷いた。

「でももう水城さんには十分手伝ってもらっています。水城さんは様々な場所に取材に行ってくれています。水城さんがいなければこのゲームはできません」

「それは、まあそうかもしれませんが」

「それに、こうやって水城さんとお話をするのも私には重要な時間です」

「一人で考えていると煮詰まりますからね」

 僕は自分の体験を踏まえて言った。ゲームを一人きりで全部作るのはつらい作業である。気分転換に人と話すのはいいことだし、それに一人でずっといると煮詰まって新しいアイディアが出てこなくなるのだ。そういう意味でも、いつでも相手をしてくれる相手というのは貴重である。そういう存在だと言われると、そこまで悪い気もしない。

「私も、どうやったら水城さんが生き生きとした突っ込みをしてくれるかを考えている時が一番創造的になる気がします」

 僕の存在は本当に必要なんだろうか……

「実際とても、本当に心から感謝しているのですよ?」

「はあ」

「実感がわかないようなので、プレゼントを用意しました」

 そう言ってひかりはベッドの中をごそごそと探る。なんだろう。というかなんベッドの中にしまっているんだ。僕は存在を無視されたサイドテーブルへ同情の視線を向けた。

 ひかりは何かは白いものを手渡してきたので、僕はあまり期待せずに受け取る。ひかりのことだ。どうせレトロゲームとか、古い攻略本とか、そういうものだろう。いらないわけじゃないが、僕は古いゲームの実機はほとんど持たないので、遊べない可能性が高いし、やっていないゲームの攻略本を眺めてもそれほど面白くはない。

 もっともこういうのはプレゼントをくれたという事実が嬉しいわけで、僕はまずひかりに、ありがとう、と謝意を表した。

「で、これはなんですか?」

「私の下着です」

 それは確かにパンツだった。まだ体温が残っており、かすかに温かい。僕はフリーズした。

 何も言わない僕を見て、ひかりは何か理解したのか、聖母のような微笑みを浮かべてから、いそいそと病院着の中に腕を入れた。

「パンツじゃなくてブラがよかったとか、そういう問題じゃない!」

 僕は下着を放り投げた。

「こんなもん持ち歩いてたら捕まるわ!」

「そんなことないです」

「いや捕まる」

「水城さんなら大丈夫ですって」

「根拠は何だ!」

「だって水城さん今まで捕まっていないでしょう?」

「僕は今まで女子の使用済みの下着を持ち歩いたことなんてない!」

「ああ、そこは安心してください。別に私が今履いていたものじゃありません」

「え、でも、体温が残ってた」

「お腹で温めていたんです。秀吉みたいに」

「秀吉の出世譚で例える行為としては最低の行動だな!」

 あと、その例えだと、僕は50になる前に殺される。

 それ以前に性犯罪者として人生が終わる気がしないでもない。

 というか何のためにそんなことを……

「水城さんが生き生きと突っ込むかなあと思って」

「突っ込んだよ。満足か」

「ええ、とても」

 ひかりは満足そうに笑みを浮かべて僕を見た。ほんと、なんで僕はここにいるんだろう。

「ところで水城さん」

「なんですか?」

「本題に入りたいのですが」

「最初から入りましょうよ……」

 僕は脱力した。

 

「取って来て欲しい体験があるのです」

「いいですけど、何をすればいいんですか?」僕が訊ねる。

「海へ行って欲しいんです」ひかりが答える。

「海?」僕はわけがわからず問い返した。「海で何をするんですか?」

「海へ行って、海へ入ります。砂のお城を作って、海の家でカレーを食べる、そんな感じのことをしてきて欲しいんです」

 つまり海水浴をしてきて来いということらしい。なぜそんなもってまわった言い方をするのだろうか。

「水城さんは海水浴のプロではないだろうと思ったので、できるだけ具体的に伝えようと思ったのです」

「海水浴のプロなんてどこにいるんだ……」僕は突っ込んだ。

「たぶん湘南とかその辺にいるんじゃないでしょうか」

「ああ」

 僕はなんとなくひかりの持つイメージを理解した。

「ていうか水城さん、海に行ったことはありますか?」ひかりが問う。

「自慢じゃないですけど、僕はインドアのプロですからね。海なんて行ったこと、あるわけないじゃないですか」

 僕は思い切り胸を張る。ひかりに向かって胸を張れる機会なんてめったにないから、全力である。

「そうですか」

 ひかりは哀れみの目で僕を見た。とてもむなしかった。

「……実際海って何するんですか?」僕が訊く。

「だから泳いで、お城を作って、カレーを食べるのです」

「ちなみにひかりは海に行ったことはありますか?」

 ひかりは嫣然と微笑んだ。

「あるわけないじゃないですか」

 僕は不安になった。不安になって、一人で行くのは嫌だと答えると、ひかりは一人じゃなくてあの二人と一緒に行って欲しいと答えた。あの二人って誰だろう。

「山田祐樹と西條桜の二人です」

 言われてみれば当然である。僕は遊びに行くのではなくてゲームの取材に行くのである。一緒に行くとしたら登場人物の二人しかありえない。

「でも、なぜ海なんですか?」

 僕が訊く。ひかりは微笑み答えた。

「水城さんは知らないかもしれませんけど、海って、とても楽しいそうですよ?」

 

 できれば西條さんと二人で行きたいと思ったが、そんなこと言ってもひかりは聞き入れてくれないだろう。

 その日の夜、僕は西條さんと山田にメールを送った。西條さんが暇でありますように、山田は諸事情で来れませんように、と祈っていたら二人は二つ返事で了承してくれた。

 西條さんが来てくれるのだけ良しとしよう。

 

 4

 

 日々はあっという間に過ぎて行った。

 夏休みに入り、二人と海へ行く日の前日になった。

 僕はその日、ひかりのもとを訪ねた。これもやっぱり月曜日で、例によって例のごとく、夕方の午後4時だった。

「そういえば前から気になっていたのですけど、この時間ってなにか意味あるんでしょうか?」

 ふと気になって聞いてみると、ひかりはあっさり答えてくれた。

「単純に、検査とかのスケジュール的に月曜の夕方が都合がつきやすいという話です」

 考えてみれば当たり前の理由である。

「それで、これが例の物です」

 そう言ってひかりが取り出したのは、鮮やかな黄色をしたヘアバンド型の端末だった。

「今、水城さんがつけているのは海の中に入ることまでは想定していませんからね。海に行くときはこれを着けてください」

 きっと浜辺ではとても目立つことだろう。

「……ちなみにこの色に何か意味はあるんですか」

「もちろんです」ひかりは答えた。「水の中では波長の長い光はすぐ反射されてしまうので、赤は見えにくいのです」

「なるほど」僕は一瞬納得しかけて、でもよくよく考えるとヘアバンドを見えやすくする意味なんて全くないことに気が付いた。

 僕が突っ込むと、ひかりは驚いた顔で僕を見た。

「そこに気が付くなんて」

「馬鹿か!? 君の中では僕は相当な馬鹿野郎なのか!?」

 ひかりは気の毒そうに僕を見た。それは頭が悪い子を見る教師の目だった。

「で、色の理由は何なのですか?」もう一度同じことを聞くと、ひかりは、まあ趣味ですが、と白状した。他人につけるものに対して自分の趣味を優先させないで欲しいと切に願う。

「勘違いしないでください。水城さんをかわいくする――もとい苦しめるのが趣味なんです」

「そんな趣味はすぐに捨てるべきだな!」

 僕は疲れて近くの椅子に座りこんだ。椅子は足が壊れていた。僕はバランスを崩してしりもちをついた。

 ひかりは、気の毒そうに僕を見ていた。

「ちなみにその椅子は水城さんが壊した奴ですから。水城さんが来る日なので出していてもらいました」

「本当に君は僕を苦しめるのが趣味みたいだな!」

 僕は無理やりその椅子に座って顔を覆った。姑にいびられる嫁の気分である。しかもうちの姑の攻撃力たるや、完全にオーバーリミットしている。

「ところで水城さん」ひかりは話題を変えた。

「なんですか」

「どうしてまだ、世界で一番のゲームが作られていないのだと思いますか?」

 僕は顔を上げた。

「あるいは逆でもいいです。世の中には評価の低いゲームは多数あります。その中から世界で一番つまらないゲームはまだ決められていません。それはなぜでしょうか?」

「それは、同じゲームでも人によって評価は異なるからじゃないですか?」僕は考えながら答えた。「例えば、世の中にはクソゲー愛好家という人種がいます」

 世の中には多数のゲームがあり、残念ながら評価されないゲームもたくさんある。しかしそういうゲームには往々として根強いファンがいるものである。つまりある人にとって最低のゲームでも、別の誰かにとっては最高のゲームになりうるのだ。だから最高や最低のゲームなんて決めようとしても議論は紛糾してなかなか決まらない。

「しかし同じゲームなのに、なぜ評価が人によって異なるのでしょうか?」

「それは、プレイが人それぞれ違うからじゃないですか?」

 僕は慎重に言葉を選ぶ。

「例えば同じゲームをプレイしても、人によって全然違うプレイになります。縛りプレイを愛してやまない人もいれば、チートコードを使う人もいます。プレイ方法が違うなら、評価が異なることも当然です」

 僕は知り合いのシューターを思い出す。そいつは絶対にボンバーを使わないと決めてどんなシューティングゲームもする。それでボムを使わないとクリアできないとわかると烈火のごとくキレるのだ。ただの馬鹿だが、そいつと僕の評価が一致しないのは当然だ。

「ではなぜ、人によってプレイは違うのでしょう?」ひかりは更に突き詰める。

「それは――」僕は言葉に詰まる。

 なぜ同じゲームをしているのに僕とひかりは違うのだろう。僕と山田は違うのだろう。

 代わりにひかりが答えた

「それは人が違うからです」

 僕はそんなの当たり前だと思った。ひかりは僕の不満を無視して続けた。

「人の脳は人によって違います。ニューロンの数も、その間のシナプス結合も、全く異なったシステムです。ある脳にとって快い感覚刺激となった外部の入力も、別の人に取っては不快な刺激となることもあります。私たちは個人個人で異なった人間です。すべての人間にとって最も快い入力を定義することは極めて困難です」

「だから世界で一番のゲームなんて決められない、と言いたいのですか?」

 僕が後を継ぐ。

「いいえ」ひかりは言う。「困難と不可能は違います」

「じゃあどうするんですか?」

「一つの手段は、基準を一つ定めてしまうという方法です」

「基準?」

「つまり、ある特定の人を取り、その人にとって一番のゲームを世界で一番のゲームと定義する、という方法です」

「それは――」

 どうなんだろうと僕は思う。

「この方法はあながち無茶とも言い切れません。いくら違うと各個人で異なると言っても、脳の構造は良く似ています。ある人にとって最高の代物は、別の人間にとってもそれなりに良いものである可能性は高いでしょう。場合によっては、それは世界で一番と言えるものになるのかもしれません」

「でも仮にその方法で頑張るとして、その人にとって最高のゲームがすぐに見つかりますかね?」

 僕が疑問を抱く。

「見つかるでしょう」ひかりは断言した。

「その根拠は……」

「人間の脳が取れる状態は高々有限だからです。具体的には脳の中には1000億個ほどのニューロンがあると知られています。ニューロンは発火した状態――膜電位が上がった状態と、基底状態の二つしかありません。言ってしまえば、人の脳は0と1が1000億個ほど並んだ数列程度しか自由度がありません。人間の感情や認識には明確な限界が存在するということです」

「つまりその限られた状態の中で、最も幸せな状態を探してきて、それを実現できるゲームを探せばいいって、そういうことですか?」僕がまとめる。

「そういうことです」ひかりはあっさりと頷いた。

 僕はその数を思った。めまいがするほど大きな数だと思った。

「あるいはもっと統計的な定義の仕方も考えられます」

「統計的?」

「例えばいろいろな人が集まってあるゲームをどの程度面白いかを決めて、それらの平均値や中央値など、特徴的な値を定義し、それらの高低で面白さを定義する、という方法です」

「レビューサイトとかはそれに近いですね」

「そうです。前者は一人のゲーマーが運営する評価サイトなどが近いでしょう。その二つの中間的なものとしてはファミ通のクロスレビューのようなごく少人数による合議制とでもいえるものがあります」

 そこでひかりは考えるように少し間を置いた。僕は先を促す。

「それで、ひかりはどちらがより正しいと思うのですか?」

 ひかりは答えた。

「私は、どちらの方法にも不満を覚えます。前者ではその特別な一人をどうやって取ってくるのかが不明ですし、後者では、そもそも統計を取る母体によって結論が変わるという点で不完全です。私はこのような問題が生じるのは、そもそもゲームの楽しみ方を間違えているからだと考えます」

「楽しみ方?」

「人はまだ、本当のゲームの楽しみ方をわかっていない」

「本当の楽しみ方」

 僕はひかりを見る。彼女の言い方が気に入らなかった。ゲームの楽しみ方なんて人それぞれだ。あるプレイ法が正しくて、別の方法が間違っているなんて、そんなはずはないと思った。けれどひかりは楽しそうに僕を見て、微笑んだ。

「水城さん」

「なんですか?」

「私は水城さんに期待していますよ」

「だから何がですか?」

「海、楽しんできてくださいね」

 僕は彼女の中で言いたいことはもう言い切ったのだと理解した。

 

 帰り際に思いついたことを聞く。

「そういえばひかり」

「はい」

「君、誕生日いつ?」

「誕生日ですか? しかしなぜそんなこと聞くのですか?」

「いやちょっと気になって」

 僕は語尾を濁した。ひかりはじっと僕の目を見て、それから8月の日付を口にした。

 カレンダーを確認すると、その日は二週間後の金曜日だった。月曜日じゃないのが少し残念だったけれど、その日を覚えておこうと僕は思った。

 

 5

 

 ところで僕たち、より正確には僕と山田は、海の楽しみ方というものを全く理解していなかった。

「よく考えたらな」

 海パン一丁の山田が言う。筋骨隆々とした巨大にそのブーメラン水着は似合いすぎて怖い。

「なんでわざわざ人間が海に入らないとならないんだ」

 なぜだろう。それはきっと深い疑問である。

「俺たちはもともと海の生き物だったのに、海の中の生存競争に耐えられなくて陸に上がったんだぞ? つまり俺たちはみんな、海の中では生存競争に負ける定めなんだよ。それなのになんで海なんて入るんだ。必死こいて陸に上がってくれたアカンソステガのことを考えたら、海の中なんて入れないはずだ」

 僕は日常生活の中で、いちいちアカンソステガやカンブリア生物爆発のことを考える人間はお前くらいだと教えてやりたかったが、僕も僕とてそういえば自分が水泳苦手だったことを思い出して鬱になっていたのでそれどころではなかった。

 だいたいそんなに嫌ならなぜ来た。僕が聞くと、山田は何を当たり前のことを聞くんだという顔をして言った。

「そりゃもちろん、西條さんが来ると聞いたからな」

「お待たせー!」

 その山田が来た理由が僕たちのもとに走ってくる。赤いビキニに身を包んで、健康的な肌をさらすその姿は、確かに来る理由には十分だと思った。

「二人とも準備運動はしたの?」

「いや、まだだけど」

「ダメだよ! いきなり海に入ったら心臓が止まるんだから!」

「わかりました、きちんとしていきます」

「それならよろしい。私はもうしたから、お先に行くね!」

 そう言って西條さんは跳ねるように海に駆けて行く。僕たちはその白い背中を見送った。

「いやほんと、人生って時々神ゲーだよな」

 山田がしみじみと言った。僕もそれには同意した。

 

 とりあえずひかりに言われたこと、砂のお城、カレーを済ませ、僕は水面に浮かんでいた。浮かぶと言っても足はついているので、正確には立っているという方が正しいのだが、足がつかない場所まで行く気にはなれなかった。

 砂のお城はすでに風化して、もはやただの砂の塊にしか見えなかった。カレーは海の家に売っていなかったので、代わりにカレーうどんを食べた。これで許してもらうしかない。

 一体この行為になんの意味があるのだろう。

 ひかりの作っているゲーム『ライフ』は山田を侵している細菌兵器の秘密を探るサスペンスホラーであるはずだ。その中には海水浴場のシーンなんて出てこない、と思う。もちろんあれから話が急展開して、という可能性も全くないとは言い切れないが、それは難しいだろう。だいたい、そんな支離滅裂が本当に面白いゲームになるだろうか。

 となると、この行為には別に意味があるのだろうか。

 例えばもっと、裏の意味が……

 つらつらと考えていると、突然、背中を強く押されて僕は海の中に突っ込んだ。塩辛い水が口に入ってくる。僕はもがき、すぐそばにあった何かに縋りついた。

 目を合わせる。すぐそばにあった何かは、西條さんだった。

「……ごめん」

「いや、こっちこそごめん。後ろから押したの私なんだ」

 僕たちはゆっくりと離れた。いやべつに気になんてしていない。僕は紳士的だと全世界的に有名なのだ。

「ところで水城君は何してたの?」

 気を取り直して、西條さんが聞いてくる。

「海に立っていました」

「……その前は?」

「砂のお城作ってた」

「……水城君って、意外とお茶目だよね」

 僕も時々そう思う。僕は話を変えた。

「そういえば例のゲーム、公開しましたよ」

「あ、知ってる。私の友達――『ブレイン』での友達の方だけど――が教えてくれたんだ。こんなフリーゲームがあるけどいいんですかって」

「ああ、やっぱり西條さんのところにも届きましたか。名前だけ見たら完全に西條さんのファンゲーですからね」

 僕が言っているのは西條さんの声を使ったフリーゲームのことである。

 声を収録し、微調整も終え、僕はゲームを公開した。主人公の美少女がばっさばっさと悪人をなぎ倒していく、爽快ベルトアクションである。ゲームの名前は『West Strike』にした。最初は他の名前にしていたのだけど、西條さんの正体を知って、どうしてもこの名前にしたくなったのだ。

 思い返せば僕がウェストストライプの方を知ったのも、ちょうど西條さんと話すようになるちょっと前のことだった。このゲームの主人公のイメージも彼女に引っ張られていた気がする。つまりこの名前に変えるのは運命だったのだと思う。

 彼女の声がきれいだったからか、それとも『ブレイン』の有名人、ウェストストライプにあやかったからか、『West Strike』は好調にダウンロード数を伸ばしていた。この調子ならダウンロード数の自己ベストを更新できるかもしれない。

「ありがとうございます」僕は西條さんに頭を下げると、西條さんは手のひらをぶんぶんと左右に振って照れたように頬をかいた。

「いやいやいや、私は声を出しただけだから」

 それに、と西條さんは続けた。

「それに私の友達も言ってましたよ。久しぶりにVR以外のゲームしたけど、結構楽しめるって。それは私の声とかより、単純に出来がいいからだと思うな」

 僕は、西條さんにそんなことを言ってもらえれてとても、心の底から嬉しいと思った。

「それに私もテストプレイの時、水城君の今までのゲームの中では一番面白いなって思ったし」

 それは僕のほかのゲームが全然ダメだということだろうか……西條さんはそんな僕の不安にも気づかないらしく、朗らかに笑っていた。僕は、ああ、やっぱり西條さんは天使のような人だと思うのだった。

「水城、西條さん、ビーチバレーやりません?」

 突然現れた山田は手にふわふわのバレーボールを持って僕たちを球技に誘った。3人でどうやるのかと聞くと、そんなの僕か山田のどちらかが一人で二人分の役割をすればいいだろ、とこともなげに言い放った。僕は西條さんの運動神経を思い出した。

「それ、絶対やめた方がいいと思うけど」

「んだよ、自信ねえのか?」

 山田が不敵に笑う。僕は山田の挑発に乗ることにした。要は一人チームにならなければいいのだ。それならあとは運だけである。

 最終的に僕と山田のチームは西條さん一人にコテンパンにされたのだった。

 『ブレイン』の女王は伊達ではないのだ。

 

 海から戻ると、僕はひかりへの誕生日プレゼントを探しに出かけた。何が好きなのかわからない。いや、ゲームは好きなんだろうけど、ゲーム自体は大概持ってそうである。僕は考えた末、家に戻って短いゲームを作ることにした。

 2週間はあっという間に過ぎた。

 そして、ひかりの誕生日がやってきた。

 

 6

 

 ゲームを送るだけならメールでもできた。

 でもそれじゃああんまりかなと思って、僕は直接ひかりのところにゲームの入ったメモリーを持っていくことにした。

 ちょっとしたサプライズである。

 会う予定は入れてないので、もしかしたら会えないかもしれないが、その時は受付の看護師さんに渡しておこう。頼めば時間を見つけてひかりに渡してくれるだろう。あれから毎週通っているうちに、僕たちはすっかり仲良くなっていた。

 僕は家を出て電車に飛び乗った。慈恵総合病院までは30分ほどである。

 

 病院はいつも通り大きく静かだった。僕は建物に入ってまっすぐに受付に向かった。

「あれ、清晴君、どうしたの? 今日は予定に入ってないけど?」見知った看護師が声をかけてくれる。

「ええ、そうなんですけど、ひかりに渡したいものがあって」僕は事情を説明した。

 僕の話を聞いてくれた看護師は、申し訳なさそうに僕を見た。

「難しいですか?」僕が聞く。

「ごめんなさい。でもひかりさんに予定に入っていない人は絶対に通すなって言われているの。それに今、ちょうど誰か来てるみたいだし」

 看護師は心底申し訳なさそうに言った。そこまで言われたら、引き下がるしかない。僕はゲームを保存した半導体メモリーを預けて帰ることにした。

 と、僕が踵を返そうとしたその時、エレベータが到着した。それは受付横の、1階と8階にしか止まらないエレベータだった。僕が毎週使っているものだ。僕はなんとなく足を止めた。エレベータから一人の女性が下りてくる。

 僕はその人物を見て、思わず声を上げた。

「西條さん?」

「あれ、水城君?」

 エレベーターから降りてきた女性、西條さんは驚いたように僕を見た。

「水城君もお見舞い? それともどこか悪いの?」

「いや、僕は別に悪いところはありません。水城君もってことは西條さんも?」

「うん。友達が入院してるんだ」

 僕はなんだか嫌な予感がした。

「あの、その友達の名前を聞いてもいいですか?」

 西條さんは怪訝な顔で僕を見た。僕は慌てて言葉をつないだ。

「その相手、橘ひかりって言いませんか?」

 西條さんは目をまん丸にして僕を見た。

「なんで知ってるの?」

「僕の相手も橘ひかりなんです……」

 僕たちは病院を出て、近くの喫茶店に向かった。二人でひかりについて話し合ってみることにした。

 

「それにしても驚いた。私たちが両方ともひかりちゃんの知り合いだったなんて」

 西條さんはひかりのことをひかりちゃんと呼んだ。

「それに二人とも同じことを手伝っていたなんて……」

 西條さんの言葉に僕は頷いた。

 西條さんは昔からひかりの友達だった。

 昔、まだひかりが入院しっぱなしではなくて、入退院を繰り返していたころ、ひかりの家と西條さんの家はご近所さんだったそうだ。それで体の弱いひかりを心配して、西條さんは何かと面倒を見ていたらしい。僕にはその光景が容易に想像できた。きっと昔から西條さんは世話焼きだったことだろう。

 ひかりが病院から出られなくなってからも二人の関係は続いていた。とはいえ年に数回ひかりの元を訪ねる程度だったそうだ。

 それが今年に入り、ひかりからメールが届いたのだ。

「桜お姉ちゃんに手伝ってほしいことがあります」

 と言われた西條さんは、一も二もなく請け負った。西條さんにとって、体の弱いひかりの願いは拒否できるものではなかった。

 ひかりの願いは、ゲームを作るので手伝ってほしい、とのことだった。

「それで私はひかりちゃんにもらったVR端末――端末って言っても私からアクセスはできなかったけど――を着けていろんな場所に行ってたんだ」

 ひかりが西條さんに渡したVR端末は、僕のヘアバンド型のものとは異なり、大きなバレッタ型のものだったらしい。どうやら細部では微妙に違うようだ。

「でも大体の状況は同じですね。それで僕はキャラを集めてほしいと言われていましたけど、西條さんは何を頼まれたのですか?」

「私の方は特に作曲家を見つけてほしいって頼まれてた。自分じゃ曲は作れないからって。幸い、うちの学校のブラバンは結構優秀だから、そこにお願いしてBGMは作ってもらったんだ」

 となると僕が聞いたBGMも実はうちのブラバンが作ったものだったのだろうか。

「細かいところは違うけど、おおよそは同じって感じかなあ」

「そうみたいですね……」

 二人とも話し終わって、僕たちは黙り込んだ。

 状況を整理しよう。

 ひかりは僕以外に西條さんにも同じようにゲームの制作の手伝いを依頼していた。基本的にはやることは同じ。VRイメージを作るための、データを集めてほしいというものだった。でもなんでだろう。なんで僕たち二人に協力を仰いだのだろう。素材をたくさん集めたいという動機は理解できる。だってひかりのゲームは素材がそろわなければ作れないのだから。だから複数の人間に頼むってことだってごく自然なことである。

「でもなんで、そのことを隠したんでしょう」

 僕は疑問を口にする。

 西條さんは、もちろん答えられなかった。

「……ひかりちゃんに聞いてみるというのはどうかな?」

「メールでってことですか?」

「メッセージアプリとかじゃなくて、ひかりちゃんに連絡を取るなら一番は電話です。病室に有線電話があるんですよ」

 言いながら西條さんは僕を見た。

「なんですか?」

「私端末とかつけてないから、水城君から電話してほしいなって」

 そういえば西條さんは普段は端末を着けない派だった。僕は言われるままにIP電話を起動し、西條さんのいう電話番号を入力した。呼び出し音は一向にやむ気配がない。1分ほど続けて、僕はあきらめた。

「出ませんね」

「ひかりちゃんめ、今度会ったらぱふぱふの刑なんだから」

 なんだその刑罰っぽさを感じない刑は。僕は一度その刑を受けてみたい気がした。

 ふと思いついた疑問を口にする。

「そういえば西條さんは週に何回くらいひかりに会っていたんですか?」

「週に一回」

「毎週金曜日の午後ですか?」

「うん。毎週金曜午後4時から。それがどうかしたの?」

「いえ、僕は毎週月曜午後4時と決まっていたので、西條さんの時間も決まっていたのかなと思って」

「そっか。確かに私の時間もいつも同じだったよ……あれ、つまり水城君は今日はひかりちゃんに会う日じゃなかったってこと? 今日は何しに来たの?」

「ひかりに誕生日プレゼントを渡しに来たんです」僕は正直に答えた。

「そっか。私と同じだね」

 以前西條さんが話していたことを思い出す。妹のような友達にプレゼントを渡すのだと言っていた。きっとそれはひかりのことだったのだろう。

 結局僕たちは結論を得られないまま喫茶店を出た。

 一度病院に戻っても調べてみたがやはり大した情報は得られなかった。どうやらひかりは看護師たちにとって逆らえない存在らしい。

 僕たちはもやもやしたものを抱えたままその日は別れた。まあでもまた会う機会はある。来週の月曜日はひかりに会う予定の日なんだから、そこで聞けばいいだろうと、その時の僕はそう思っていた。

 

 その日の夜、ひかりから一通のメールが届いた。

 ひかりはまず、誕生日プレゼントありがとうございますと述べていた。そういえばメモリーチップのことは忘れていた。たぶん受付に忘れて行ったのを、看護師さんが持って行ってくれたのだろう。

 そして、僕が2週間で作った即席ゲームの欠点を10行ほどずらずらと並べていた。

 短い。

 主人公と敵の関係が不明瞭だ。

 敵がなぜこんなに動きが遅いのかもわからない等々、僕は思わず苦笑せずにはいられなかった。

 そして最後に、ひかりはもう一度ありがとうと書いた。


『これまで多大な時間を私のために割いていただき本当に感謝しています。

 もう、私のところには来なくて結構です。

 今まで、ありがとうございました』

 

 橘ひかりは、僕の人生の中から消えてしまった。

 月曜日はまた、空白の曜日となった。

 

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