第6話 ヘルメスにご用心
「アイドルって儲かります?」
眠そうな目をこするタケシの表情はどことなく疲れて見える。
それに対してヘルメスの真っ白い肌には染み一つない。
これが格差社会の縮図だ。
「まあ、それなりには。でも僕はむしろ副業の収入が大きいから」
副業という言葉にタケシの眠そうだった目がかすかに見開いた。
「副業、それ是非教えてくれませんか」
「タケシ君、君は小学生にしては随分お金に執着があるようだね」
タケシは寝癖のついた頭をくしゃくしゃとかくと、にやっと笑った。
少しだけ陰のある笑みだ。
「うち、すごい貧乏なんで」
タケシの家は村で唯一のパン屋である。
とは言え、この村にパン屋の需要などほとんどない。農家の跡取りが思いつきで始めてしまったこのパン屋は毎月赤字を垂れ流し続けているのだ。
「今までは、道が結構大変だったから、借金の催促とかあんま来なかったんだけど、新しい道が出来ちゃってからは毎晩なんですよ。あんな道作る金があるんなら、うちに恵んでもらいたいよ」
半ば本気で恨めしい視線を窓の外に送っている。
「誰かに恵んでもらったお金は死んだお金だ。自分で稼いだ生きたお金じゃないと意味がないよ」
ヘルメスの目が怪しく光る。ビジネスの神であり、お金のためには犯罪も厭わないのがヘルメスである。まあ、ヘルメスの時代は今とは異なる法律、価値観だったのだから、その全てが違法だったとは言えない面もある。
「例えばだよ、ここに腐ったリンゴが落ちている。そのままなら誰も買おうとは思わないよね」
タケシは当然のように頷く。
「でも、このリンゴを真っ赤に塗って光らせれば普通のリンゴだと思って買う人がいるかもしれない」
「それって詐欺でしょ」
ヘルメスは人差し指を振る。もちろん、ヘルメスには振るべき指はないのことは承知の事実だろう。
「僕は一言も普通のリンゴだとは言っていないよ、買う人が間違えただけだ」
突如突風のごとく美希が走りこんできて、ヘルメスの真っ白な顔に右ストレートを叩き込んだ。
「小学生になんちゅうことふきこんでるんだ、あんたは」
危うく窓の外に落ちそうになったヘルメスをタケシが何とか受け止めた。
「助かったよ、タケシ君。君は命の恩人だ」
「はい、お礼の方期待してますよ」
2人は視線を交錯してにやにやと笑った。
「お主もわるよのう、タケシ君」
「ヘルメス様ほどでは」
教室に気色の悪い笑い声が響いた。
「ここが家です」
ヘルメスの目の前にあるのは、廃れたラ○ホテルにしか見えない建物だ。メルヘンな建物は雨風でかなり痛んでいる。
「なかなか個性的な家だね」
「パン屋が上手くいかなくて、途中までパン屋兼キャバレー兼まあホテルをやってみたいです。俺が物心ついてからはパン屋だけですけど。過去の遺物ですね」
一体誰がラ○ホにパンを買いに来るのだろうか。タケシの自転車のカゴの中でヘルメスは眩暈に襲われた。
このどうしようもない一家を儲けさせてこそのビジネスの神であろう。
石膏の美しい顔に冷や汗が流れ落ちる。未だかつてない最悪のミッションである。
「親父、すごい人連れてきたぞ。ビジネスコンサルタントのヘルメスさんだ」
タケシに抱きかかえられたままの石膏にタケシの親父は丁寧に頭を下げる。
「これはどうもわざわざすみません。でもうちには代金を払う余裕なんてもうこれっぽっちも」
「大丈夫だよ、出来高払いでもう契約はしてあるからさ。」
この親父よりもこの息子の方が余程商売人の気質があるようだ。
乗りかかった泥舟とは言え、石膏はどこにも逃げ出すことは出来ない。下手に海に飛び込めば、そのまま海底へさようならなのだ。
「じゃあ、まずは売り物のパンを見せてください」
「何言ってるんですか、パンなんてないですよ」
タケシがごそごそと店の中から何かを持ってきた。
「うちの商品はこれですよ」
それは薄く肌触りのいいパンストだ。
「これはパンスト?」
「はい、パンストです。パンスト屋ですよ、うちは」
ヘルメスの頭痛が一層大きくなってきた。
「パン屋って言ってなかったかい?」
「パン屋って食べるパンだと思ってたんですか?食べるパンなら普通ベーカリーって言うでしょ」
げらげらと腹を抱えて笑うタケシにつられてヘルメスも笑うしかない。
「なるほどベーカリーか、そういうところだけは都会風なんだな」
パンストならばラ○ホテルでもキャバレーでも合点がいく。しかし、尚更なぜこんな山奥の村にパンスト屋を始めてしまったのか。店の奥で静かにパンストをたたんでいるタケシの親父に聞いても無駄だろう。
パンストをどうしたら売れるのか。
ヘルメスが石膏でなければ、一目散にこの燦燦たるパンスト屋を潰してしまっていただろう。
しかし、石膏だけに考えなければならない。
どうしたらパンストが売れるのか。
「タケシ君、君はパンストをはいているかい?」
「はくわけないでしょ、そんなの」
「では、どんなパンストならはきたいと思う?」
使いたくないと思っている人が使いたくなるのには決定的な何かが必要になる。
世界の気温が10度下がるとか、法律でパンストが義務化されるかなど、そのハードルは果てしなく高い。
「足が速くなるとか、頭がよくなるとか、あとはモテモテになるパンストなら」
小学生男児の思考はどこまでも純粋だ。無駄な自尊心や世間体、恥じらいで欲望をごまかすことはしない。古来より人間は誰よりも速く走り、誰よりも賢く、誰よりもモテたいという欲望を持っていた。
「君はまだ小学生なのに、ちゃんとリビドーを理解している」
生命には種の保存という使命がDNAに刻まれている。子孫を残すことが生まれてきた者の使命となるのだ。つまり、男女が仲良くして子供をつくることが根源的な生きる意味とも言い換えることが出来る。
タケシがそれを学校で学ぶのは中学生の保健体育の時間だろうが、知識は本能の中に眠っているのだ。
ヘルメスは涙を流して感謝した。ああ、神様、世界はやはり僕が生きるに値します。欲望は金になる。
「では、明日モテモテになるパンストを作ろうか」
東山奥村の山中には世界的にも希少なキノコが生息している。この小さく地味なキノコには猛毒が含まれており、一口かじれば全身を激痛が襲い、およそ3日間苦しんだ後、あの世へ行くことができる代物だ。そのため、村人は誰一人このキノコに触れることはない。そのお陰で、山の中はほとんどこのキノコで埋め尽くされているといってもいいほどだ。
「タケシ君、このキノコを知っているね」
ヘルメスが例の毒キノコを頭の上に乗せている。
「はい、毒キノコです。絶対に食べちゃいけないって」
「まあ、僕は石膏だから食べても死にはしないんだけど、かなり痛かったのは事実だよ」
「食べたんですか?」
タケシが頭の上にキノコを乗せた石膏から数歩後ずさる。キノコの毒は空気感染すると信じているのだ。
「いや、知らなかったもので。見た目はマツタケに良く似ているし。ああ、大丈夫だよ、この毒はもちろん他人に移ったりしないから」
古来より、毒は薬にもなると言われている。このキノコの成分中には生物を欲情させる物質が含まれていることがわかったのだ。
「このキノコのエキスをパンストに数滴垂らせば、モテモテパンストの完成だ」
疑わしげな視線を送る小学生に、ヘルメスはビジネス用のスマイルを向けた。何かを売りつける時は人を安心させる、包み込むような笑顔が大切だ。
キノコのエキスをタケシの手の甲に垂らす。
甘い香りが立ち上っていく。
「ヘルメスさん、なんかヤバイですよ、これ。体中が熱くなってきて、あそこがあそこが」
身悶えるような快感に襲われているタケシの様子をヘルメスはじっと観察する。
「エキスの濃度が高過ぎたかな。もう少し薄めにしよう」
またしても突然の突風がやってきた。
「ヘルメスさん、小学生に何してるんですか」
美希が左アッパーを繰り出そうとしている。が、キノコのエキスがこの場に充満していることに気づいていない。
「あれ、私なんか急に体が、熱い熱い、ああ、もう何か急に」
身もだえし始める美希にヘルメスはため息をついた。
「石本さん、急に入ってきては駄目だよ。今この空間には世界でも最強の媚薬が漂っているんだから」
「はあ、はあ、ヘルメスさあん、私を女にしてください」
舌足らずな声、潤んだ瞳、今にも服を脱ぎ捨てヘルメスの胸に飛び込んでこようとする。
「後が怖いな、これは。仕方がない、二人とも少し寝ていてくれ」
見えないビジネス鞄からヘルメスはスタンガンを取り出す。
「威力はマックスでいいか」
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