第5話 マルスの弟子
マルスは考えた。なぜ自分が森の中を疾走しているのかを。これは石膏である自分に最も似つかわしくない光景だ。
「師匠、次は何をすればいいですか?」
マルスの下から声が聞える。ヒカリちゃん(男)がマルスを背負って森を駆け抜けているのだ。
「ああ、次か、次はあの目の前の木に登ろうか」
ヒカリちゃん(男)は元気良く返事をすると、そのまま20メートルはあろうかという巨木を苦もなく駆け上がった。
マルスの目から見てもヒカリちゃん(男)は特質すべき戦士である。生まれた時代が違えば、マルスを余裕で上回る勇者になっていただろう。
「師匠、次は」
「そのまま、倒立だ」
「はい」
そもそもはマルスが校舎の裏山に消えたというヒカリちゃんを追っていたところから始まった。この時はまだヒカリちゃんに対して何の知識もなかったため、その呼称からマルスはヒカリちゃんを女の子だと思っていた。
「なぜこの俺が小学生を探さなければならないんだ」
そうぼやきながら校舎の裏山の入口に立った。マルスもまた胸像であるため、本来の意味では立っていない。
山は深く広い。素人の、しかも石膏が簡単に足を踏み入れてよい場所ではないのだ。
無理をしてヒカリちゃんを探さなくてもいいのではないかと、兜を脱ごうとした時、森の奥から雄たけびが聞えてきた。
懐かしい。これはグレゴリーのそれと良く似ている。
雄たけびは徐々に近いづいてくる。
マルスは久々に血が滾るのを感じる。
目の前に現れたら、必殺の右ストレートを打ち込んでやる。
石膏ながらマルスの口元が不敵に上がる。
しかし、現れたのはグレゴリーではもちろんなかった。それ以上の巨大さと素早さを兼ね備えた何かだ。
「あれ、こんな所に何で銅像が置いてあるの?」
巨大な影が首をかしげる。
「俺は銅像じゃない、石膏だ」
「ああ、石膏なの、で、何でこんな所にあるの?」
マルスは巨大な影を真っ直ぐに見据える。足があったら一目散に逃げていただろう。
「ヒカリちゃんを探している」
巨大な影は少し考えると、嬉しそうに笑った。
「何だ、僕を探してたのか、でも何で石膏が僕を探してたの?」
「石膏だが、石膏じゃないぞ。おれはマルス、戦いの神だ」
ヒカリちゃん(男)は驚いたように手を上げると、その場にひれ伏した。
「神様。じゃあ、師匠と呼ばせてください」
そのままヒカリちゃん(男)に担ぎ上げられて、現在に至っているのだ。
石膏ボーイズの中で最も重いマルスでもヒカリちゃん(男)にしてみればランドセルと同じだ。
ヒカリちゃん(男)は普通の両親の間に生まれた。
農家である両親は逞しい跡取り息子の誕生を大いに喜んだ。
しかし、マルスは知っている。
ヒカリちゃん(男)は決してそのためだけに生まれてきたのではないことを。
この圧倒的なポテンシャルは地上最強と言っても過言ではない。
この山奥の村になぜか地上最強の生物がひっそりと生活していたのだ。
マルスとヒカリちゃん(男)の出会いは偶然ではなく、運命だとヒカリちゃん(男)の背中に揺られながら感じていた。
マルスは石膏である。四肢を持ち、自由に森を駆け回るヒカリちゃん(男)を羨ましくないと言えば嘘になる。ヒカリちゃん(男)は好きなときに好きな場所へ、好きなように行けるのだ。
マルスはヒカリちゃん(男)の背中に揺られながら、時の流れと共に失ったもののことを考えていた。
そして、失ったものがあれば得たものもあることを考えた。
このお気に入りの兜は石膏になって得たものの一つである。今ではなくてはならない兜も昔はいつも被っていた訳ではない。
石膏ボーイズもそうだ。
昔はもちろん石膏ボーイズなど存在しなかった。
マルスがアイドルになるなんて想像すらしなかった。
この世界は不思議だ。
ヒカリちゃん(男)にはこの森よりもずっと広い世界が待っているのだ。
「なあ、ヒカリちゃん。お前はこの森を出たほうがいい」
「それは出来ません、例え師匠のお言葉でも。僕の居場所はこの森と家族のいる村だけです」
「なあ、ヒカリちゃん、お前は本当は怖いんじゃないのか、外の世界が、学校が、だからこうして森にこもっているんだ」
ヒカリちゃん(男)は返事の変わりに大きく吼えた。山全体を震わせる雄たけびだ。
「その気持ちはわからないでもない。だが、お前は外へ行くべきだ」
「ここも外もかわりはありません」
「行ったこともないのに、随分知ったような口をきくな。ヒカリちゃん、世界はお前が思うよりずっと広いんだよ」
「師匠、もう黙ってください。これ以上何か言えば、本気で叩き壊しますよ」
ヒカリちゃん(男)がマルスを睨みつける。
マルスはむしろ大きく笑った。
「やっぱりな、ヒカリちゃん、お前、本気で叩けば俺が壊れると思ってるだろ。石膏を舐めるんじゃねえぞ」
石膏の硬さは石の硬さではない。意思の固さだ。
「やれるもんなら、やってみろ。この意気地なしの、ポンポコピーが」
この幼稚な挑発に我を忘れたヒカリちゃん(男)の渾身の頭突きがマルスの兜を捉えた。
季節はずれの除夜の鐘が山中にこだましていく。
そのままひっくり返ったのはヒカリちゃん(男)の方だった。
「なかなか重い一撃だったぜ、ヒカリちゃん」
巨大なヒカリちゃん(男)をさすがにマルス一人では運ぶのは大変である。裸であるマルスはどこからともなくスマホを取り出す。
「イッシーに迎えに来てもらわないと」
そこでマルスは固まった。
「圏外かよ」
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