第4話 メディチの願い

「ねえ、シノブ君さあ、何で僕を描いてくれないわけ?」

 机の上で完璧なポーズを決めたメディチがぶつぶつと文句を言う。メディチの前でキャンパスを広げたシノブは先程からメディチではなく、教室の外の景色を描いているのだ。

「確かに、風景画が上手いのは認めるけど、今日は僕がモデルだよ、ねえ、聞いてる、シノブ君」

 メディチの言葉はそのまま風に流されていくようだ。シノブは淡々と景色を切り取っていく。

「ああ、無視ですか、無視ですか。この僕を無視するとか、ちょっとありえないかなって。君の家、僕の財力で潰しちゃうよ」

 ぱんっとメディチの頭が叩かれる。

「メディチさん、小学生相手に何言ってるんですか」

 美希がメディチをさっとシノブの前から持ち上げる。

「だって、彼、僕のこと無視するんだもん」

 えんえんと泣いたふりをするメディチの瞳からは涙は流れていない。

「メディチさん、仕事ですよ、仕事。好感度ですよ、好感度」

 念仏のように美希が囁きかける。

「この業界は好感度が命ですよ」

 メディチは美しい顔に憂いを浮かべ、頷く。

「確かに石ちゃんの言うとおりだね。僕が大人げなかったよ。好感度のために、僕はあえて耐えよう」

 とは言え、シノブは全く口を開くことはない。

 石膏と小学生、どちらが石膏でどちらが小学生か目をつぶっていたらわからなくなってしまう。

「ああ、もう駄目だよ。何かの拷問だよ、これは」

 メディチが文字通り崩れ落ちた所で授業の終了のチャイムが鳴った。

「本当にシノブ君って大人しい生徒なんですね」

 崩れ落ちたメディチを拾い上げながら美希がいしみじみと呟く。

「大人しいなんてもんじゃないよ。まるで石膏と話してるみたいだったんだからね」

 唇を尖らせるメディチは相当頭にきているのだ。

 ナルシストで自信家のメディチは無視されることに慣れていない。

 それはメディチへの宣戦布告と同義ですらあるのだ。

「あいつ、絶対許さないよ。僕の足の指を舐めさせてやる」

 メディチはもちろん胸像なので足の指などないことは一応注意しておく。それに小学生に足の指を舐めさせるなどBPO的に絶対NGな発言であることも重ねて注意しておく。

 翌日もシノブはメディチを無視して一人で外へ出て行こうとした。

「ちょっと待ってよ。シノブ君、どこへ行くのさ」

 シノブは何度か目をパチパチさせただけで、そのまま教室を後にした。

 取り残されたメディチの頭から怒りの湯気が立ち上る。

 真っ白な顔を真っ赤に染め、ついに発狂するに至った。

「絶対、足の指舐めさせてやる」

 メディチは見えない足でシノブを追って駆け出した。

 もちろんメディチは胸像であるので、傍目からはどう見ても走っているようには見えない光景ではある。

 シノブは学校脇を流れる小川のほとりに腰を降ろしていた。

 小川の流れを描いているシノブの背中は、それ自体がとても絵になっており、怒り心頭だったメディチも幾分かは冷静さを取り戻した。

「おい、シノブ。僕をこうまで無視するとはいい度胸だと、一応褒めておこう」

 まさか石膏がおってくるとは思っていなかったのだろう。

 シノブはきゃっと小さな悲鳴を上げて川に落ちそうになる。

 メディチの見えない手がそれを何とか防いだ。

「初めて声を聞いたね、しゃべれるんなら最初からしゃべりなよ」

 シノブの脇に胸を下ろすと、メディチは小川を見つめた。

 綺麗な光景だ。

 水面に光が反射し、宝石のように輝いている。

 宝石はメディチの大好きなものの一つだ。

「なるほど、確かにこの景色が美しいのは認めよう。そして、この美しい景色を描きたいと思うこともまあ、認めよう。だけど、だからといって、僕を無視するのは絶対に認めないからね」

 シノブは小さく頷く。

「わかったら、返事。さっきもう声は聞いてるんだから、恥ずかしがらない」

「はい」

 シノブはもっと小さく頷いた。

「うん、よく出来ました、だね」

 メディチは黙々と描かれるシノブのキャンパスを覗き込む。

「シノブは本当に絵が上手いね、でもどうして景色ばっかりなんだい」

 その手が僅かに止まり、描いていた水面に微かな濁りが生じる。

「僕は人を描いちゃいけないんだ」

 シノブが描いた人は不幸に見舞われる。

 シノブが最初に書いたのは祖父だった。病状の祖父を励まそうと、一生懸命その顔を描いた。シノブが描き終えるのと同時に、祖父はこの世を去っていた。

 次に描いたのが従兄弟の高校生だった。その年、彼は大学受験に失敗し、それが原因で従兄弟の家族は離散した。

 それ以来、シノブは人を描くことをしなくなった。

 幼いシノブには自分の絵で人が不幸になるのが耐えられなかったのだ。それが例え、死期を悟った祖父の最後の願いだったとしても、大学受験に失敗したのは従兄弟がたんに勉強しなかったからだったとしても、シノブにとってその結果は変わらない。

「何だ、そんなこと。だったら僕は大丈夫、石膏だからね」

 そう言うとメディチは自慢の決めポーズを作る。

「さあ、美しい僕を描いて」

「駄目だよ、メディチさんまで不幸にさせちゃう」

 メディチは可笑しくて笑った。人の不幸を心配するシノブが可笑しかったのだ。

「ねえ、シノブ。君はまだ小学生だから知らないと思うけど、僕の一族はずっと昔、大勢の人を不幸にしたことがあるんだよ。それはもちろん僕の本位ではなかったけど、そんな人たちのことはそもそも興味すらなかったから、同罪だね。人は生きているだけでどこかで誰かを不幸にしてしまうんだ。それが嫌なら人を描くのをやめるんじゃなくて、石膏になるんだね、僕みたいに」

 シノブは目を丸くして、口をパクパクさせている。その表情はまるでマンボウだ。

「メディチさんはそんなに悪い人だったんですか。さっき僕を助けてくれたのに」

「別に僕は悪人じゃないよ。ただ生きるために君は動物を食べるだろ、それと同じように僕の時代は生きるために人を傷つけていた、それだけだよ」

 シノブの口がさらに高速でパクパクする。

「メディチさんは人を食べてたんですか」

「食べてないから」

 少し安心したようでシノブの口は少しゆっくりになる。

「メディチさんは何で石膏になったんですか?」

「お金があったし、何より美しい自分を完璧な形で残しておきたかったからかな」

 美しい顔のラインを何度も川の水面の映してみせる。

「自分に自信があるんですね」

「じゃなきゃ、アイドルなんてやってないって」

 シノブは真っ白なページを開くと、滑らかに手を動かしていく。

 その顔はどこか自信に溢れ、そして何より楽しそうだ。

「僕の自慢はこの首のラインだからね、しっかり描いてくれなくちゃ困るよ」

「こんなんですけど」

 そこには完璧なメディチがいた。自信に溢れながらも、慈愛を映す瞳はどこまでも深い。表面的な美しさが強調されがちな顔立ちにあって、その内面の繊細さと力強さがタッチに表れている。

「すごいぞ、シノブ。これは今までに僕を描いた画家の中でも5本の指には入る出来だよ」

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