第3話 聖ジョルジョの戦い
「ハルコちゃんは何で委員長をしているんだい?」
ハルコはまるで石膏のように無表情だ。
聖ジョルジョは会話の糸口となればと石膏に出来る最大限の笑顔とフレンドリーさで質問をした。
「他に誰もやらないからです」
が、それに対して石膏以上に冷たい視線が返ってきたため、聖ジョルジョの笑顔に呆気なくひびが入る。
そんな傷ついた聖ジョルジョを気にすることもなく、ハルコの手は動き続ける。しかし、その一方で同じ線を何度も引いては消して、引いては消してを繰り返しているため、デッサンは遅々として進んでいない。
「そんなに正確に書こうとしなくていいんだよ。まずはさっと書いてみればいい」
「いえ、ちゃんとやらないと気がすまないタイプなんで」
ハルコに睨みつけられた聖ジョルジョは遥か昔に対峙したドラゴンのことを思い出した。
ドラゴンの瞳のほうがまだ幾分温かみがあったようにすら感じる。それはドラゴンには明確な敵対心があったからだ。今、目の前にいるはずのハルコからは何も感じとれない。
「そんな睨みつけないでもらいたいんだけれど」
「ジョルジョさんには負けますよ」
なぜか睨み合いのような緊迫した時間が流れていく。2人の視線が真正面から衝突する。
その間もハルコの手は黙々と動いているが、絵は依然として進んでいかない。
「ハルコちゃんは完璧主義者なのかな」
「別にそうは思っていません、ただちゃんとやりたいんです」
硬直した睨み合いは石膏の十八番だが、聖ジョルジョが小学生を相手に本気を出す訳にもいかない。
聖ジョルジョはわざと視線を外した。
「ちょっと、動かないでもらえますか」
ハルコの視線がぴくっと動く。
「あれ、全然絵は進んでないから、全く問題ないと思うけれど」
「そういう問題じゃないと思います」
ハルコの目に明確な苛立ちが浮かぶ。
今日初めて見せる感情の色だ。
「やっとハルコちゃんの表情が見れたかな。ずっと無表情じゃ石膏になっちゃうよ」
「石膏に言われたくありません」
「知らないと思うけど、石膏って意外に表情豊かなんだよ、これが」
「さっきからずっと同じ顔してますよね。こんなくだらないことはもうやめていいですか?村長さんにも言っておきます、教育は芸術だなんて馬鹿なことはやめるようにって」
ハルコが筆箱をしまうのを待っていたかのように、チャイムが鳴った。
「ジョルジョさん、なんか気まずい空気じゃないですか?」
様子を見守っていた美希の表情は心配そうだ。
「いや、正直どうしたらいいのか、とても小学生には思えないんですよ、ハルコちゃんは」
「すごい大人びてますもんね」
「と言うよりも、何か窮屈そうな、痛々しいようなものを感じるんです」
ハルコのあの石膏のような表情が、聖ジョルジョには引っ掛かっていた。
「明日、もう一度ちゃんと話してみます」
しかし、翌日学校にハルコの姿はなかった。
「どうするんですか、ジョルジョさん、ハルコちゃん、休んじゃいましたよ」
美希が泣きそうな顔で聖ジョルジョの肩にすがりつく。
「すぐにハルコちゃんの家に行ってください、ああ、本当にどいつもこいつも問題ばっかりおこして」
聖ジョルジョの頭を思い切り引っ叩くと、そのまま走り去っていった。
ハルコの家は立派な生垣に囲まれた大きな屋敷だった。
聖ジョルジョはその玄関の前に立って、考えていた。
「来てしまったのはいいが、この後どうしたらいいものか」
聖ジョルジョが玄関の前に立ち尽くしていると、家の中から犬の鳴き声が響いてきた。
玄関の前にいる不審物の存在に気がついたのだ。
玄関越しに警戒心が伝わってくる。
「ポチ、静かにしてなさい。はい、どなたですか」
玄関が開くと同時に巨大な犬が飛び出してくる。
しかし、ただの犬が聖ジョルジョに対抗できるはずもない。聖ジョルジョはドラゴンスレイヤーなのだ。その鋭い視線に尻尾を巻いて家の中へ逃げ帰っていく。
「ジョルジョさん、どうしてここに?」
ジャージ姿で、頭をちょんまげにしたハルコが立っていた。
聖ジョルジョの姿を確認すると、先程の犬と同じ速さで家の中へ逃げ帰ろうとする。
その背中を聖ジョルジョはさっと捕まえた。
教室で見たしっかりとした印象とは正反対の姿だ。
「ちょっと待ちなさい。ハルコちゃんが今日欠席だと聞いて、心配して来てみたんだよ」
「放してください。てか手がないのに何で掴んでるんですか、警察呼びますよ」
警察という言葉に聖ジョルジョの見えない手が緩む。
石膏とはいえ逮捕はされたくない。
「まあ、まずは元気そうでよかった。で、今日はなんで学校を休んだんだい」
玄関の前に佇む石膏とハルコの睨み合いが再開するかに思えた。が、ハルコが早々に視線を外した。周囲を気にすると、聖ジョルジョを抱きかかえると家の中へ連れ込んだ。
「ここじゃあ、恥ずかしいんでとりあえず中へ入ってください」
もちろんハルコ一人では聖ジョルジョを持ち上げることはできない。
いつの間にか聖ジョルジョの下に先程の犬、ポチが潜り込んで背負う形になっている。
そのまま居間の真ん中にどんと置かれると、目の前に仏壇が鎮座している。
天井には代々の当主の顔が大事な跡取り娘に近寄ってきた石膏を吟味するようににらみつけてくる。
その視線を聖ジョルジョは一掃する。彼らはそれが聖ジョルジョだと気がついて、深々と頭を下げた。石膏とは言え、聖ジョルジョは偉大な存在であることを忘れてはいけない。
「お茶でいいですか、それともコーヒーの方がいいですか」
「お茶でお願いします」
とは言え、今はただの石膏である。聖ジョルジョも正座をして丁寧に頭を下げた。
「誰にも言わないでくださいね、こんな格好でいること。ポチ、駄目でしょ、そんなところ舐めちゃ」
先程からポチが聖ジョルジョのいたるところを嘗め回してくすぐったい。
「ああ、そこは駄目だ」
ポチの執拗な攻撃にさすがのドラゴンスレイヤーも涙目になる。
「わざわざ心配して来てくれたんですか?」
ハルコはテーブルにひじをついたまま、お煎餅を頬張る。
昨日の石膏のような無表情はどこにもない。ころころと表情のかわる年頃の女の子がそこにいる。
「ああ、まあ、そうなんだけど。ハルコちゃん、昨日と大分印象が違うみたいだけど」
パリっとお煎餅を噛み砕くと、お茶をずずっとすすって幸せそうにため息を吐く。
「そうですかね?まあ、オンとオフってこんなものじゃないですか、普通」
小学生とは思えない発言に聖ジョルジョはのけぞりそうになる。
ただ聖ジョルジョの背中ではポチが丸くなっているため、実際に仰け反ることは出来ない。
「ハルコちゃんは大人だな、小学生なのに、はは」
「ジョルジョさんは子供ですよね、いい年した石膏なのに、へへ」
ハルコは二枚目のお煎餅を袋から出すと、半分に割って聖ジョルジョの口へ差し出す。
「はい、あーん」
覆わず開かない口を開いてしまった。しばらくお煎餅を2人で食べる不思議な時間が続いた。
「ハルコちゃん、委員長は好きかい?」
「好きなわけないでしょ。でも、あの中で委員長するなんて私しかいないんですよ。それってジョルジョさんも一緒じゃないんですか」
聖ジョルジョは遥か昔ドラゴンを倒した。
他に誰もそれをする人がいなかったからだけであって、自らノリノリでドラゴンを倒しに行ったわけではない。伝承ではそう思っている人も沢山いるかもしれないが。
しかも、ドラゴンを倒してしまったら最後、石膏になってまでもその功績を称えられる羽目になった。
「私の場合は、幸運なことに小さな学校の委員長で済んでるわけだし、それくらいは良しとしなくちゃ、ね。それに高校卒業したら絶対こんな町出るんだから、それまでは我慢我慢」
「将来、何かしたいことが決まっているのかい?」
「ううん、全然。ただね、ここにはいたくないし、あとは石膏にはなりたくないかな。石膏ってずっとそのままでいなくちゃいけないんでしょ、そんなの私には無理だもん」
ハルコの瞳の奥に昨日と同じ冷たい石膏の顔が微かに浮かんでいる。
ハルコの心の中には自分でも気がついていない怪物が巣くっているのだ。それは見つめられた人を石化するメデューサのようにハルコ自身を石にしてしまっている。しかし、聖ジョルジョは既に石膏だ。何も恐れることはない。
「ハルコちゃん、僕は石膏で嫌だと思ったことは一度もないんだ。なぜなら、どんな姿であろうと今、この瞬間を大切に生きているからだよ。もし、君が今を諦めてしまっているなら、それは君がなりたくないと言っている石膏と同じなんだ。我慢は大事だけど、今、したいことをすることの方がもっと大事だと思うよ」
聖ジョルジョの目の前の少女から表情が消える。
真っ白で冷たい仮面が全ての感情を消し去ってしまう。先程まで心地よかった空間が一気に寒々しい空気に包まれる。
「あなたにはわからない。石膏ボーイズなんて変なアイドルを好き勝手にやっているようなあなたには絶対にわからない」
聖ジョルジョの背中越しでポチが悲しそうに鼻を鳴らす。ポチもハルコの苦悩を知っているのだ。
「僕はハルコちゃんのことは何もわからない。でも、一人でずっと立っていなければならない気持ちはよくわかる。どうしようもない時も、どうにもならない時もある。石膏はそんな時も決して倒れられないし、もちろんどこにも逃げられない。ずっと立ってなくちゃいけないんだ。それにアイドルって馬鹿馬鹿しく見えるかもしれないけど、本当はすごい孤独なんだよ。でもそれは決して見せてはいけない。好きじゃなければ続けられないよ、アイドルは。だから、ハルコちゃんも一本の線を完璧に描こうと何度も消して結局描かないよりは、好きなように描いて見た方がいいんだよ」
ハルコのキャンパスは真っ白だ。これから何を描くかは自分で決めることが出来る。
聖ジョルジョは満面の笑みを浮かべた。石膏だからいつも通り険しい視線はそのままだが、大事なのはそこではない。
「何そのドヤ顔、それを描けっていうの?」
ハルコは思わず少し笑った。聖ジョルジョは笑うのが下手なのだ。ただ、それを今はよかったと思うこともできる。少女の仮面を壊すことができたのだから。ハルコは鉛筆を手に取ると、笑いながら勢い良く線を描いていく。躊躇なく、後悔なく、そして誇らしげに。それが今を生きるということだ。
「ねえ、どうかな、これ」
のっぺりとした聖ジョルジョがエロ目で微笑んでいる。下心見え見えのその笑みは聖人とは到底思えない。
「いや、さすがにそれはちょっと」
ポチが嬉しそうにワンとほえた。
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