信じて送り出した最愛のエルフ妹がアンデッドのリッチになって帰ってきた
キリタニ
第1話 信じて送り出した最愛のエルフ妹がアンデッドのリッチになって帰ってきた
「――――なさいっ」
「うみゅ……」
わさわさと、柔らかい布団の中に寝返りを打つ一人の女の子。
木造りの窓から漏れてる陽光が、もうそろそろ昼前になってきたけど、女の子は未だ覚める様子はない。
何者かが呼んでいるようだが、朧げな意識には届いてないようだ。
「起きなさい!アイナリンド!」
「はわ!」
耳元から甲高い声に呼ばれて、女の子がベッドから跳び上がるように身を起こした。
「あぅ……イーリちゃん、声大きいよぉ」
アイナリンドと呼ばれる女の子は眠たげな目をこすりながら、ベッドに座り込んでしまった。
水中を漂う水草のうねりよりなお柔らかに波を打つ碧色の髪が、着崩れたネグリジェから見える艶めかしい白い肩から垂らして、扇のようにベッドに広がる。
座ったままでもわかるような小柄に幼い仕草だが、子供とは程遠い、女性らしさを持つ整ってる顔立ちと、白い服を窮屈そうに押し上げる豊かな膨らみとくびれた腰回りが色気を漂わせている。
「こうでもしないと起きないからでしょう、貴女は」
対して、イーリと呼ばれるもう一人の女の子はスレンダーな体型をして、同じ碧色の髪を肩まで切り揃えて、すらりと伸びた背筋と手足から精悍さを感じられる。
対照的な二人だが、一つ共通してるところがある。
耳が、笹の葉のように尖ってる。
そう、二人はエルフである。
「いつまでも降りてこないと思ったらまだ寝てるなんて……。それと、イーリはやめて、もう子供じゃないんだから愛称じゃなくて名前で呼ぶの、もしくは姉上で」
「はーい、イアヴァスリルちゃん」
「ちゃんって……まあいいわ、朝食を作ってくるからを早く着替えて」
「はーい、むにゃむにゃぁ……」
「寝るな!」
最後にアインリンドの頭を引っ叩いて、イアヴァスリルが部屋を出た。
姉上で、とイアヴァスリルが言ったけど、二人は実の姉妹ではない。
エルフは母系の宗族社会であり、一人の大婆様から数えて三つの世代が一つの宗族。
宗族の中では、同じ世代の子供は親が違うだろうが皆兄弟、一番年上の子が長兄、長姉となっている。
だから長姉であるイアヴァスリルは、三十六番目の妹であるアインリンドと三十歳も違ったけど、ちゃんとした姉妹だ。
そもそも長命なエルフにとって、三十年くらい大きな違いでもなんでもない。
そして家が近いこともあって、アイナリンドは生まれてからイアヴァスリルと一緒に育ってきた。
「イアヴァスリルちゃん、何か手伝う?」
着替えが終わって、台所の様子を伺ったアイナリンド。
手際よく朝食をテーブルに並べていくイアヴァスリルが、丁度ミルクを温めようとしているとこだ。
「もうすぐ出来てるから、テーブルで待ってて」
「あ、私がやるよー」
「だめ!」
先にミルクポットを手にして、呪文を唱える。
「
「あー……」
呪文が終わった途端、高熱を帯びていくポットを思わず手放して、ミルクを床一面に零した。
器用に零したミルクを回避したイアヴァスリルは指を頭に当てて、顰めた眉元を揉み解すようにした。
「だから
「ごめんなさい……」
「いいよ、私が片付けるからテーブルで待ってて、ね?」
頭を撫でて貰って、アインリンドは素直に台所を出た。
「「いただきます」」
暫くしたら、二人がテーブルを囲んで、少し遅れた朝食を食べ始めた。
優雅な手つきでナイフとフォークを操り、咀嚼の動きを感じられないように器用に食べながら喋っているイアヴァスリル。
それに対して、アイナリンドは最低限のテーブルマナーを維持しながら、ただ食を楽しんでいる。
「昨夜また夜更かししてたの?」
「うん、アサシン君の調整をしていたの」
アサシン君というのはアイナリンドが作ったゴーレム。
魔術に長けるエルフでありながらも通常の魔術はからっきしのアイナリンドは、ゴーレム魔術に限って右に出る者がないと言えるほど優秀である。
「やっぱり、作業に集中するのはいいけどほどほどにしなさい、身体壊すわよ」
「はーい」
「で、何をしたの?アイナの事だからまた凄いの作ったでしょう?」
「えへへ、あのね……」
灰色の瞳を輝かせて、楽しそうにゴーレムの話をしているくアイナリンド。
もう見慣れてるけど、その屈託無い笑顔を見て、イアヴァスリルもどこか満ち足りてるようだ。
と、その時、
「あちっ」
喋りながら熱々のミルクを飲もうと火傷しそうになった。
「あ、ミルク温めすぎちゃったかな、ごめんね」
「ううん、熱々のが好きだからいいの」
「でも猫舌でしょう?貴女」
「頑張って飲む、あふあふ、あちち」
口を開けてミルクを冷やしていくスタイル。
それを見て、イアヴァスリルも苦笑いを禁じ得ない。
「ほら、舌見せて。
一瞬、白い光が広がり、火傷一歩手前の舌が元に戻った。
初級の神術だけど、ほぼ無詠唱でそれを唱えたイアヴァスリルの腕の高さが伺える。
「ありがとう、そういえば今日の朝食なんだか豪華だね、何か特別な日なの?」
「貴女ね……今日はアイナの《巡礼》の日でしょう?」
「あ、そういえば」
「はぁ、心配だわ……」
呆れた顔しているイアヴァスリルの口から出てた、《巡礼》というものは、エルフの成人式である。
182歳(十つの神と四つの元素が混じりあうという思想から、14×13=182である)を迎えたエルフは、成人式を経て、社会的に「大人」と認められる。
しかしアイナリンドは今や二ひゃ……二○○歳(○はゼロではあらず)であるにも関わらず、未だに成人式を経験していない。
その原因は、先の大戦だ。
「心配しないで、イアヴァスリルちゃんも簡単だって言ったでしょう?」
「私の時とは違うのよ、今度は新しいダンジョンだって言うし」
「そうか、もう《白樺の谷》じゃなかったね……」
「ええ、あの戦争のせいで」
エルフの《巡礼》というものは、簡単に言えばダンジョンを巡り、最下層から戻れば達成と認められるシンプルなものだ。
そして《白樺の谷》生まれのイアヴァスリルは、エルフの聖地でもあるダンジョン《虹彩竜の夢郷》で成人式を行った。
しかし、約百年前、一人のネクロマンサーが世界を滅ぼすため、アンデッドの軍勢を率いて全ての種族に戦争を仕掛けた。
後に《災いの御子》と呼ばれる彼は、何人もの強力なヴァンパイア、リッチを含め、異世界の存在さえも従わせ、生きとし生ける者の敵と名乗り出す。
当時お互いの縄張り意識が高く、常に緊張状態の各種族、エルフ、ヒューマン、ドワーフ、ジャイアント、ハーフリングもそれなりの協力体勢を組んで、アンデッドの軍勢に迎撃した。
当時まだ百歳を超えたばかりのアイナリンドも戦場に駆り出され、強力なゴーレム達を率いておっとりとした様子と似合わぬ戦果を挙げた。
そして、数十年にも渡る大戦の末、《災いの御子》は消え去った。
種の生存を賭けた戦争に勝ち抜いたが、エルフは最大の生息地、《白樺の谷》を失った。
緑に満ちた森が、清らかな水がアンデッドに汚染され、エルフどころか、いかなる生物も生きていられない、アンデッドだけが跋扈する《死の谷》と化した。
遠く離れた土地で国を再建したエルフは、百年をかけて、ようやく成人式を行う余裕が出た、というわけだ。
「でも大丈夫だよ、私こう見えて強いんだから、戦場でいっぱい倒しちゃっただもんね」
「それ以外じゃ全然ダメだから心配するでしょうダメエルフ」
「うぐっ……」
「ね、アイナ。やっぱり私が付いて行ったほうが」
アイナとはアイナリンドの愛称である。
なんでイアヴァスリルをイーリと呼ぶのがダメで、アイナリンドをアイナと呼ぶのは良いのかっていうと、それはイアヴァスリルがお姉ちゃんだから。
「保護者同伴の巡礼なんて聞いたことないよぉ」
「私は保護者じゃなくてお姉ちゃんなの!」
「同じだよ、もうイアヴァスリルちゃんは過保護なんだから」
「はぁ……」
結局、アイナリンドは終始暢気なまま、そしてイアヴァスリルは心配してそわそわしながらも朝食を終えて、アイナリンドを送り出した。
「さて皆さん、出ておいでー。
ダンジョンに入るなり、アイナリンドは
そしてアイナリンドが丹精を込めて作り上げた三体のゴーレムはというと、
半人半馬のイージデ君は大盾と馬上槍を持ってアイナリンドの守りに徹し、あらゆる方向からの攻撃に対応して体を変形して、攻撃を一身に受け止め、そのすべてを弾いた。
蜘蛛の形をしているアサシン君は岩壁を這い回って、死角に回り込んで、小型のモンスターを片っ端から仕留める。
人型のゴーレム、ブレイダ―君の両腕は蛇腹剣となっていて、斬撃の嵐を巻き起こして中距離から複数の敵を殲滅。
三体のゴーレムはアイナリンドの指揮の元に、完璧な連携を果たして、次から次へと襲ってくるモンスターを難なく撃破していく。
行儀よく両足を揃えてイージデ君の背に乗っているアイナリンドは、鼻歌をまじりにダンジョンを進んでいた。
ゴーレム達の驚異的な戦闘スペックもそうだが、アイナリンドの指揮能力も冴え渡っている。
普段からまったく想像できないが、いざ戦いになると、その研ぎ澄まされたセンスは老練な戦士でも追いつかないほどであると、エルフの宿老達が評していた。
パカラパカラと、まるで物見遊山のように、ダンジョンの最奥に辿り着いた。
そこには一つの祠があった。
その祠の中から《巡礼の証》となる短剣を持ち帰れば、《巡礼》は達成だ。
大昔に偉業を成せた一人のエルフの冒険譚をモットーにしている儀式だと聞いているが、エルフさえも忘れ去るくらい遥か昔なことだから、真かどうかも定まらない。
「短剣は……あった。よし、帰ろ」
と、その時
『ゴォォォォォォォン!!!』
そんな簡単に帰しちゃあこっちの沽券に掛かるかんな!とでも言わんばかりに、一体のモンスターが襲い掛かった。
それは
しかし通常の
身体も二回りも大きくて、巨木と見紛うほどの巨躯と、燃え盛るのような龍鱗。
「えー、ハーフドラゴンの
ダンジョンはドラゴンによって作られたものである。そのため、ダンジョンの中は常にドラゴンの魔力に満ちている。
たまに、魔力の淀みから《龍晶石》という魔力の結晶が生まれる。
龍晶石は魔道具の素材としても優秀だけど、、大体の場合はまずモンスターに食らわれる。
龍晶石を食べたモンスターは特殊な進化を辿り、ドラゴンの一部の特徴や能力を手に入れる、それがハーフドラゴンだ。
ハーフドラゴンの
隕石でも落ちたのような低い振動音がダンジョンに響き渡った。
アイナリンドはひょいとイージデ君から飛び降りた
さすがにハーフドラゴン種が相手じゃ侮ってはいけないようだが、その顔に緊迫感の一欠けらもない。
「
ガシャンっと、ブレイダ―君の蛇腹剣が倍の長さを持つ鎖となって、
機敏性はともかく、力では勝っている
人間一人を隠せるほど大きいな盾を、馬の下半身ならではの瞬発力で盾突き、巨人を突き倒した。
すかさずアサシン君が近づき、楔のような八本足でその前額、両膝、両肩を貫いた。
エルフでしか鍛造できない金属イシルディンから作られ、さらに《鋭利化》の
地面に磔られた
そこに、馬上槍を大きく掲げるイージデ君がトドメを――
「――元素に戻れ、
遠くから伝わった詠唱と共に、緑色の光線が
『ゴォォォォォォォン!!!』
一瞬、
毛糸並に細いビームなのに、その照射された箇所から肉体が消え去り、空洞になってゆく。
やがてその風穴が広がり、瞬く間に
そして、魔術の方向から疾風のように駆け寄ったのは、
「アイナ!無事なの!?」
ローブとマスクを被ってる変人だ。
身体のラインと声から女性だと分かるが、緑色のローブとマスクで全身を隈なく隠し、手には先端が七つに分かれた杖。
とてつもなく怪しい人物である。
「アイナ、怪我ない?まったく、こんな危ないモンスターを用意するなんて、長老たちは何を考えているの、あとで
実を言うと、このハーフドラゴンの
エルフが成人するたびに行われる慣例行事にこんな危険なモンスターを出すわけがないし、そもそもハーフドラゴンなんてそう何匹もいるはずがない。
しかし緑色の女性はそんなこと構えやしない、アイナを傷つけるものには死を、とマスクの奥から覗く冷たい眼光が語っている。
「あのー怪我はどこもありませんが、どなたですか?」
「わ、私はイ……グリーン!通りすがりの探索者よ!」
「グリーンさんですか、先ほどはありがとうございました」
実はもうトドメを刺す寸前だったけど、助けに来てくれたのは確かなんだから、素直に礼を言った。
でも、とアイナリンドが続いた。
「どうしてグリーンさんは私の名前を知っているのでしょうか?」
「うっ」
首を傾げ、ただ単に知らない人から愛称を呼ばれて疑問を思ってしまう。
そんなアイナリンドを見て、イア……グリーンは慌てて口を開いた。
「ま、魔術で知ったの!」
「はぁ、魔術で名前が分かるなんて凄いですね」
「う、うむ」
「それと、今の魔術は変化系魔術最上級の
「い、いや……そうでもない」
「そうなんですか、私の姉も凄腕の魔術師で、魔術の話が大好きなんです。グリーンさんのような凄い探索者がいると知ったらきっと喜びます」
「うむ、では私はそろそろ」
「あ、なんなら、家にいらして頂けませんか?先ほどの礼も兼ねて精一杯ご招待します、姉の料理はとても美味しいのですから、きっと満足できます」
「いや!私はまだ用事があるので、そろそろ行くよ!君も寄り道せず、まっすぐに家に帰りなさい!」
「え、ええ、分かりました……」
来た時と同じように、疾風のように消えていったグリーン。
詠唱なしで喚起系の中級魔術
ともかく、これで《巡礼》は終わった。
後は帰るだけ、のはずだが
「あら?これは……?」
「あの子、いくらなんでも遅すぎる……」
アイナリンドの家で、そわそわしながら彼女を待っているイアヴァスリル。
《巡礼》は確かに成功した。
この目で見届けたし、長老たちからの報告もあった。
《巡礼》のダンジョンからエルフの町まで、距離にしては一日強。
なのにアイナリンドがダンジョンを出てから、もう三日も経ていた。
そろそろ探しに行こう、うんそうしようと決めた時。
『イアヴァスリルちゃん、ちょっと町の外まで来てくれる?』
これは遠方に言葉を届かせる魔道具で、一回で伝えられる言葉は少ないが、有効範囲は広い。
内心訝しがりながらも、イアヴァスリルは町を出た。
そして、町の郊外で、驚愕の真実が彼女を待っていた。
「ごめんね、イアヴァスリルちゃん。私、リッチになっちゃった」
「なんでえええええええええええ!?」
イアヴァスリルの叫びが森に木霊する。
ダンジョンの奥に居た時は何もなかったのに!?
あれから一体何があったの!?
「そのね、《巡礼》はちゃんと終わったよ、短剣も取れたし。あ、ダンジョンで凄い人にあったよ、グリーンさんって言う人で、イアヴァスリルちゃんと同じくらい凄い魔術師でーー」
「それはいいから、その後のことは?」
「えっと、ダンジョンで昔の人の工房を見つかって、どうやらリッチの隠れ家だったらしいよ。中には研究資料がいっぱいあって、ついつい読みふけてるの」
リッチとは、魔道を極める者が永久の命を求めて、儀式によって自らの魂を材料にして、
リッチは魂を命匣に宿し、
大戦の時、リッチと何度も遭遇したアイナリンドは、職人の性か、その
「その中に、
「まさか、作ったの?」
「はい……」
「この、アホおおおおおおおおおおおお!!!」
パシーン。
思わずアイナリンドの後頭部を引っ叩いた。
しかしそのわずかの接触だけで、自分の生命力が吸い取られたのを感じて、イアヴァスリルは自分の手を見て震えた。
リッチの身体は、触れるだけで命を刈り取る力がある。
「貴女……本当にリッチに……」
「ごめんね……イアヴァスリルちゃんごめんね……」
イアヴァスリルの頬に伝わる涙を見て、アイナリンドも嗚咽しながら何度も何度も謝った。
暫くしたら、イアヴァスリルがくいっと涙を拭いて、力強くアイナリンドを見つめた。
「良く聞いて、アイナ」
「う、うん」
「まず、リッチの
接触だけで生命力を吸い取る能力、
そして少し試したら、アイナリンドもどうやら出来てたらしい。
彼女の肩に手を置き、イアヴァスリルは言った。
「アイナ、一緒に逃げよう」
「逃げる?」
「うん、エルフの町は結界に守られてるから、アンデッドじゃ入れないの。そもそも長老たちはリッチだと知ったら、たとえアイナでも殺すのよ」
アンデッド滅すべき、慈悲はない。
それくらい、先の大戦がエルフに残した爪痕が大きかった。
「だから一緒に逃げよう。大丈夫、私が居るから」
しかし、アイナリンドは首を振った。
「ううん、イアヴァスリルちゃん。町の皆は、イアヴァスリルちゃんが必要なの」
「そんなのどうでもいい!私はアイナと――」
「ダメだよ」
指でイアヴァスリルの唇を塞げた。
「私ね、考えたの。私のせいでイアヴァスリルちゃんを困らせたくない、だから一人で出ていくわ。幸い、ゴーレム職人は元々成人式が終わったら独り立ちして、自分の工房を作らねばならないの」
「でも、それじゃアイナは一人になるじゃないか!」
「仕方ないの、これは私が悪かったから、ごめんね、最後までこんなダメエルフで」
「最後とか、言うなよ、バカ……」
涙を流しつつも、結局イアヴァスリルはアイナリンドを説得できず、彼女を断腸の思いで送り出した。
こうやって、思わぬ形でアイナリンドの独り立ちが始まった。
彼女はかつての故郷、《死の谷》と化した峡谷に来た。
相変わらず上級アンデッドが跳梁跋扈、日夜問わず闊歩しているだが、彼女を襲うものはなかった。
当然だ、今や彼女も「仲間」だから。
ここで工房を建てよう、と決めた。
掘削用のゴーレムを出して、半年も掛けて地中深くで工房を作り上げた。
これで誰にも見つからないだろう、と。
自ら人から離れることを望んでいるようになったアイナリンド。
そして、
一年が過ぎて、工房が完成した。
五年が過ぎて、人恋しくて人の町に降りるも迂闊に
十年が過ぎて、引き籠って作業三昧。
五十年が過ぎて、引き籠った結果、戦闘用じゃないゴーレムを沢山開発した。
百年が過ぎて、人の町、再び。
「随分街の雰囲気が変わりましたね……」
アイナリンドにとって、百年なんて自分の人生の半分もない短い間だったが、ヒューマンにとってそれは数世代も渡る時間。
百年前と比べて、人が増え、衣類も食べ物もがらりと変わって、良く知らない売店や工房も林立している。
丁度収穫の季節でもあり、町は祭り色に染まり出している。
そんな街の雰囲気に飲まれて、アイナリンドは目移りしそうになりながら、人ごみの中に揉まれていく。
ドサ。
「きゃ」
一人の女の子が、足がもつれてアイナリンドにぶつかった。
「大丈夫?」
「ううん」
俯いて小さく首を振り、足速く走り出した子供は瞬く間に人だかりに消えた。
首を傾げるアイナリンドも、特に気にしていない、久しぶりの町を堪能した。
勿論、
やがて日が暮れ、そろそろ町を出ようと思ってるアイナリンドは、自分の荷物がなくなったのを気付いた。
ゴーレムや大事なものは
しかし手に持ってたバッグがなくなった。
その中には町で買った珍しい玩具と本、少量のお金、着替え、そして何より、昨日夜遅くまで調べていた、自分の
見た目は華美なペンダント、中には呪文が記されたパピルスが入っている
不滅のアンデッド、リッチは
逆に言うと、
早く見つからねば。
いざ集中すれば限りなくハイスペックの彼女は、その他の事がすべて頭から抜け落ちてしまう癖があります。
しかしだからこそ、自分の今日一日の行動を振り返ってみると、すぐに原因を突き止めた。
「さあ、出ておいで、
昏い色をしている竹とんぼを大量にばら撒いて、命令を下す。
竹とんぼはゆっくりと空に浮かべ、町のあらゆる所へ消えていく。
《不可視》と《隠密》の
しかしアイナリンドの《天眼》は、《複眼》とは一味違う。
《天眼》は、学習できる疑似人格を内蔵して、長い間を掛けて成長を果たし、視覚情報をある程度に選別してアイナリンドにフィードバックすることができる。
だから
だが、一時間過ぎても、目標を補足できなかった。
「……」
しかし、アイナリンドに慌てる様子はない。
今は黄昏時、大通りの人通りも疎らで、そしていくら《天眼》でも密室と地下に入れないから、成果を出せなくても仕方ない。
明日まで待とう、この道に再び人が溢れ返る時まで。
それがあの子の「勤務時間」だから。
「ねえ、少しいい?」
案の定、翌日の正午、大通りの隅に昨日ぶつかった女の子を見つかった。
アイナリンドに声を掛かられて、一瞬びくっとしたが、すぐ走り出そうとした。
それを難なく捕まって、大通りから枝分かれた裏通りまで連れて来た。
「昨日、私のバッグを取ったの、君でしょう?ううん、大丈夫よ、別に君を責めたりしないわ」
逃げ出そうとしてる子供の肩を軽く抑えて、それだけで、子供はまるで枷にかけられたみたい動けなくなった。
リッチになったお蔭で、元々か弱い女性だったアイナリンドも、そこいらの男を圧倒できる力の持ち主である。
女の子は小柄で痩せっぽち、ボロ布のような服を着て、体のあちこちに青アザが見られる。
そして何より、首の後ろに奴隷の入れ墨。
ヒューマンの奴隷制度についてよく分かりませんが、奴隷がどういう存在自体は知っている。
だからこの女の子がどういう生活してきたのを一目で分かった。
「ねえ、お腹空いてない?良かったらこれ食べて?」
先ほど買ってた揚げパンを女子に渡す。
彼女はパッと面を上げ、信じられないと言った表情でアイナリンドを見た。
「大丈夫よ、君をどうこうするつもりはないわ、食べ物が欲しいならまだあるわ。ねえ、その青アザ痛、誰がぶったの?」
子供は揚げパンにむしゃぶりつきながら、アイナリンドの言葉を聞いて、急に泣き出した。
ポツリ、ポツリと喋り出す女の子は、自分がどうしてアイナリンドのバッグを取ったのかを話した。
女の子は奴隷である。
しかし普通の奴隷ではなく、前の主が殺されて、本当なら奴隷商人が引き取って貰うはずだが、盗賊たちに攫われて下っ端として働かせている。
盗賊共が彼女をまともに育てるわけもなく、毎日虐げられて、食事が欲しければ、盗ったものと交換しなければならない、下手したら何日も食事にありつけないこともあった。
「そうなの……」
女の子の話を聞いて、アイナリンドはなんとか彼女を助けたと思った。
「私はただあるものを取り戻したいの、君がもし何かが欲しいなら、全部あげる。ほら、これも」
子供の手を取り、幾つかの銀貨ともう一つの揚げパンを渡した。
目を見張って、銀貨を見つめていた女の子。
それも当然だ。
この数枚の銀貨だけで、彼女は一ヵ月も生きていけるのだから。
「お願い、私のバッグがどこにいるのかを教えてくれたら、君をいじめた悪い人も全部倒すよ?そうしたら君はこんな生活とさようならできるのよ?」
女の子はアイナリンドの顔をじっと見つめて、やがてコクリと頷いた。
そして、奴隷の女の子の案内で、曲がりくねった路地を抜けて、一つのボロ屋に辿り着いた。
押したら落ちるじゃないかと心配になるほどボロい扉を押し開けて、中に入ると、そこは一つの廃れた酒場だ。
そこで、彼女を待っているのは――
「へへへ、これはずいぶん良いカモが来てたな」
彼女がボロ屋に入るなり、五人の男に包囲された。
そのリーダー格みたい男が口元を吊り上げて、ナイフを舐めた。
「おっと、外にも五人がいるから、逃げると思うなよ?」
そしてアイナリンドをここに連れて来た女の子は、素早く彼女の側から逃げて、部屋の隅で小さくなっている。
蹲って頭を抱え、目と耳を塞いで、小動物のようにガタガタと慄いてる。
「ふん、よくやったな、今日はメシたっぷり食らわしてやるよ」
ここへきて、さすがのアイナリンドも自分が嵌められたことに気づいた。
勿論、最初から仕組んでいたことだ。
きっとこれまでも、彼女を探し出して、荷物を取り戻そうとしてた人が何人もいるのだろう。
その悉くを盗賊が待ち伏せしている場所に案内するのが、彼女のもう一つの仕事だ。
でも彼女にとって、自分を探し出したのに、怒鳴りつけることも脅かすこともせず、あまつさえ食べ物とお金を渡してくれる人は初めてだ。
この人なら、本当に自分を助けてくれるかも、とも思った。
だが結局、彼女は今の状況を選んだ。
アイナリンドの言葉を信じきれないわけではない、自分の幸運を信じきれないのだ、変化を恐れていたからだ。
今までの人生に、幸運という概念がなかった。
変化は即ちもっと暗いどん底に落ちることしかなかった。
だからアイナリンドが示した明るい未来より、彼女が渡してくれた数枚の銀貨を選んだ。
今ここで、アイナリンドが死んでくれれば、この銀貨のことは誰にも知られない、彼女だけのものになる、と。
自分が渡した、たった数枚の銀貨で、アイナリンドは売られたのだ。
「おいよく見てたらいい女じゃねぇか、それもとびっきりの」
今のアイナリンドはローブを被って、エルフの特徴である耳を隠している。
大戦の後、エルフはヒューマンとの交流を断っているため、ヒューマンの町でエルフが現れたら一騒ぎになる、だから隠した。
しかし整ってる容姿と、所謂「男好き」なプロポーションは隠せなかった。
「おいおめーら、抜け駆けすんなよ、俺が楽しんだ後くれてやるからな」
下卑に顔を歪め、男はアイナリンドに近寄る――
そして、首の上部が切り飛ばされた。
「――――何を、楽しむおつもりなんですか?」
酷く失望した表情で、起伏のない口調で呟いた。
その横には、
正確無比の剣筋で、瞬きよりも早く盗賊のリーダーの首を刎ねた人型のゴーレム、ブレイダ―君。
あまりにも驚異的な急変に、盗賊たちはついていけず、その場でわなわなと震えてばかり。
あとはただの殺戮でした。
一人、二人殺されて、盗賊共がようやく今この場において、自分は狩人ではなく獲物だと気づいて、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
しかしいつの間にか出て来たか、影に潜んでいる蜘蛛型のゴーレムのアサシン君がそれを許すわけがない。
そして、最後の一人。
「あとは、貴方だけですね」
「ひぃっ!殺さないでくれ……頼む!金ならやるから!お前の荷物も!」
「どこですか?」
男は震える指で、ある場所を指差した。
そこからはアイナリンドのバッグ、あと色んな人の荷物と財布があった。
しかしバッグの口を開けて、アイナリンドは眉を顰めた。
「この中には一つのペンダントがあるはずです」
「し、知らないよ!ボスがどこかに売ったかも!」
「そう……」
これ以上、彼に一切の興味を失ったように、アイナリンドは隅で蹲っている女のに近付いた。
目と耳を塞いだ彼女は、それでもこの部屋に起こった惨事を感じ取ったのか、アイナリンドの足音にびくっとなった。
「ねえ、もう君をいじめる人はいないよ?」
「……」
ぶるぶると首を振る女の子。
「そう。なら、私と来る?」
「……」
女の子は手を解けて、アイナリンドを見上げた。
小柄のアイナリンドよりさらに低く、痩せっぽちの彼女に、アイナリンドは微笑みかけた。
今度こそ、小さく頷いた。
「よし、じゃ帰ろうか」
今はひとまずこの子を安置するのが優先だ。
「止まれ、そこの女ァ!」
しかし、女の子の手を引いて、大通りに戻ったアイナリンドは、後ろから呼び止められた。
振り返ってみたら、そこには二十人ほどのならず者が道一面を占拠してた。
そして前にも、わらわらとゴキブリのように十数人が湧き出した。
いきなりガラの悪い人たちが数十人も現れて、町人は混乱している。が、官憲を呼ぶ人はいなかった。
それくらい、この盗賊団の恐ろしさが、この町に浸透しているかもしれない。
「さっきのお礼はたっぷりと返させてもらうよ!」
「懲りない人たちですね」
さっき部屋の隅でガタガタ震えてる男が、仲間を率いてアイナリンドをとり囲む 。
彼らの愚かさに、思わずため息を吐いた。
「てめー何言ってんだ、ひん剥いてやるぞーー」
取り囲んだ一人の男が、武器をアイナリンドへ突きだそうと、これもまた、頭が切り飛ばされた。
あとは、ただの繰り返し。
一人、また一人、見えない剣筋と見えない暗殺者に惨殺されていく盗賊団。
やがて最後に残ったのは、悪運が強いというべきか、やはりさっきの男だ。
しかし、さっきとは状況が違った。
「く、来るな!こいつを殺すぞ!」
いつの間に、男は奴隷の女の子を攫ってナイフを喉に当てている。
彼らには到底理解できないが、どうやらアイナリンドはこの子を助けるつもりだということだけを知った。
ならば人質にするのは当然だ、彼らにとっては。
「ゴーレムを下がらせろ!早く!」
「……」
アイナリンドは言われるままアサシン君とブレイダ―君を下がらせた。
「金を出せ!その
「ねえ」
「なんだ!早くしろ!こいつがどうなってもいいのか!」
「私が人質になってあげる、だからその子を解放して」
「あん?」
「私のこと、好きにしていいよ?」
「ッ!」
生死の境に瀕して、酷く興奮している男は、それでも目が血走ってアイナリンドを見つめる。
ローブの上でも分かるような豊満なプロポーションに、あどけなさと気品を漂わせる容姿。
「い、いいぜ!武器を捨てろ!」
「元々持ってないわ」
「ならローブを脱げ!」
言われるままローブを脱いだアイナリンドに、周りの人たちが息を飲んだ。
動きやすさを重視したノースリーブのブラウスに、スカートから伸びる黒タイツ、ローブの下にはさっきよりさらに性的な魅力に満ちている肉体。
そして、笹の葉みたいな耳。
「エルフだと……俺はついてるなへへへ……」
「これでいい?」
「ああ、目を閉じてこっちこい!」
男は女の子を手放し、無防備にも目を閉じたまま男に近付いたアイナリンドの手首を摑んで、その首にナイフを当てようと――
あっさりと、崩れ落ちた。
この一瞬の接触だけで、彼の生命力を吸い取るには十分だった。
「大丈夫?怪我ない?」
「う、ううん」
女の子が首を振り、心配しているようにアイナリンドの手を取った。
「良かった、私も大丈夫よ」
「あ、ありがと――」
女の子が礼を言いかけた、その時、
「このアマァ!!!!!」
崩れ落ちた男が、最後の気力を振り絞って、アイナリンド――ではなく、女の子にナイフを振り下ろした。
「きゃ」
市街では大きな体が邪魔になるため、イージデ君を出さなかったのが仇になったか、アイナリンドは自分の身体で女の子を庇うほかなかった。
そして、ナイフは彼女の白い胸元に吸い込まれた。
「は、ははぁ、ざまあみやが……へ?」
ナイフに刺されて、眉一つ動かさないその姿、そしてさっき崩れ落ちた男の様子。
それは町人に、かつてこの地におわすリッチの伝説を思い出させた。
盗賊団が現れた時以上、パニックに陥った町人を横に、アイナリンドはただ、女の子のほうに向けた。
「あ…ぁぁ…ひっ!」
そして、その瞳から読み取れたのは、恐怖だ。
アイナリンドはその場から逃げた。
「本当に、いいの?」
「うん、お願い、イアヴァスリルちゃん」
「アイナ……」
アイナリンドの地下工房の隠し部屋に、一つの石棺があった。
華美な竜胆のレリーフが飾っている棺に、リッチの
誰にも開けられないためだ。
その中に、アイナリンドが横になっている。
あれから、アイナリンドは
そして数日後、百年ぶりにイアヴァスリルと連絡した。
自分を封印してください、と。
「大いなる源の欠片として命じる――」
魔術に長けてるエルフの中でももっとも優れる魔術師であるイアヴァスリルは、魔術、神術の他、ユニーク魔術も修得している。
ユニーク魔術とは、一部の人たちにしか伝われない原理不明な魔術。
中にはゴーレム魔術のように、少数ながらも幾つかの家族が「お家芸」として古くから伝えられ魔術もあり、習得の術が確立されていない、たまに生まれてくる天才しか使えない魔術もある。
イアヴァスリルの霊魂魔術は、後者だ。
「形なき永久に生きるものよ、今、輪廻の輪から汝を掬い上げよう――」
魂だけを封印する魔術、
ただ魂の一切の動きを止めて、深く眠らせる魔術だ。
しかし、再び誰かと接触したら目覚める可能性もある故、アイナリンドはここ、厳重に閉じ込めた地下工房と攻性トラップの石棺を自分が封印される場所に決めた。
「アイナ……アイナリンド……」
涙が、頬を伝う。
百年ぶりにようやく会えた最愛の妹が、何もかも諦めた表情していた。
きっと何しても心から私を受け入れようとする人はいない、私は人の負担にしかなれません。
イアヴァスリルは憤った、アイナリンドの力になれなくて、彼女を繋ぎ止める最後の糸になる資格もない自分に。
「生と死の境界をなくし、永久なる安らぎを与えよう――」
膨大な魔力を指先に集中して、アイナリンドの前額に当てる。
「おやすみ、アイナ」
「おやすみ、イーリちゃん」
一瞬、紫色の光が爆ぜた。
光の波が引いた後、そこには眠りについたアイナリンドと、棺に寄り掛かって声を殺して泣き崩れたイアヴァスリル。
封印が完了した後、イアヴァスリルは石棺を起動して、工房全体を最上級の魔術で包み込み、地上と繋がる道を壊し、工房を地下何キロも深くに埋め込む。
誰にも、アイナリンドの眠りを邪魔させないように。
こうして、リッチになったエルフは長い長い夢へと旅立った。
彼女が待つ、運命の人が来るまで。
信じて送り出した最愛のエルフ妹がアンデッドのリッチになって帰ってきた キリタニ @kuma5566
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