第68話 いちごいちえ
あれから二日後。
イマが残した水筒を持ち歩き、彼女が時折休みに来る木陰へと、時間を計って顔を出すフェネックの姿があった。しかし、待ち人の姿は未だになく、表情は変わらずとも、内心は落胆している彼女。見切りをつけ、明日の昼過ぎに希望を託す。既に時間は夕暮れとなり、さばんなちほーは辺り一帯がオレンジ色に染まっていた。
「…………」
日が沈めばイマがここを訪れる事はない。
フェネックはそれを理解していた。彼女の中では飽く迄推測となるが、普段の勤務時間や行動パターンから、ヒトはある程度の規則をもって生活を営んでいる事が見て取れた。
これはヒトの中に存在する一つの“倫理”、けもので言う所の“掟”に当てはまるものである。
タイムリミットが刻々と迫る。
フェネックは今日も新しい刺激を受けず、何ら変わらない一日を終えようとしていた。
すると……。
望み薄を裏切る様に、見晴らしの良い遠方からバテバテになりながら近付いてくるイマの姿が。
「――っあ!!」
フェネックは思わず声を漏らした。
その姿が左右に揺られながら、徐々に木陰へと接近してくる。
「ぐっは……、はぁ……はぁ……」
到着すると同時に、ぜえぜえと息を上げながら仰向けに倒れるイマ。
それを嬉しそうに見下げるフェネック。
「帽子さん、遅いじゃないかー」
「さばんな……ちほー……、広過ぎ……。それに、暑いよ……」
「これでも真昼よりは過ごし易いんじゃないかなー?」
「……ごくん。昨日が、ゆきやまちほーだったから余計にそう感じるのかも」
イマは呼吸が整い始めると、身を起こして、フェネックの両肩をぽんと掴んで凝視する。
「んー? えー……」
何をされるのかと、身構えるフェネックを前にイマが自慢げに言い放つ。
「フェネック!」
「んー?」
「フェネック!!」
「はいー?」
「ほら、あってるでしょ? フェネックね」
自分の名前を連呼され、困惑する彼女であったが、それがすぐにどういう事だが察しがついた。以前のイマの様相から、彼女の物覚えの悪さが感受でき、それが今の状況と直接結びつく事も納得出来る。
「うん。帽子さんってー、名前覚えるの苦手なんだねー」
「へっ!? そ、そんなことないよー。まさか、ジャパリパークのスタッフとあろう者がそんな有様なんて……。ね?」
「ね? って言われてもねー。さばんなちほーが誇るトラブルメーカー、ジャンプ力に長けたヒョウ柄模様のネコ科のフレンズの名前はー?」
「え!? えーっと……、ォ……オセロット?」
「ブー! やっぱり、ごっちゃになってるんじゃないかー」
「しょうがないの……。ほら、フレンズの娘が沢山居るから……。けど、フェネックはしっかり覚えてたでしょ? それに、仕事なんかは物覚えが良いって褒められるんだからっ!!」
「けど、スタッフとして、フレンズの名前を間違えるのは致命的なんじゃないかなー?」
「改めて言われると、へこむわね……」
がっくしと肩を落として俯くイマだが、フェネックの的確な突っ込みにも折れない精神で、即座に切り替える。
「大丈夫っ!! 今のところ、仕事に支障はないわ! ちゃんと名前も覚えられるから……、いつか」
「ホントかなー……? けど、私も知らないフレンズが沢山居る訳だし、同じ様なものかー」
「けど、一回会った娘の名前は覚えてた方がいいよねっ。再会した時、忘れてたら、きっとショックだろうし……。うん、頑張ろう!」
「それ、私だよー……」
「フェネックは……、最初の一人目だから、許してっ」
「まー、別にいいけどさー」
すると、フェネックはふと何かを思い出し、内に携帯していた物をイマに差し出した。
「そうそう、これだよー」
その手中にはフェネックとイマを繋ぎ止めた、忘れ物の水筒がある。「あっ」と彼女は思い返して、それを大事に受け取った。
「フェネック、持っててくれたんだ……。ありがとね」
「うん……。あれー、これを取りに来たんじゃないのー?」
「違うよ。フェネックの様子を見に、ね。『元気のないフレンズが居るー』って、ちょっと耳にしたもんですからー」
「元気がないわけじゃないさー。退屈なのに変わりはないけどねー」
すると、イマは人差し指を立てて、更に付け加える。
「因みに、帽子さんは、理由無くして会いに行くのが気恥ずかしいから、そんな話を聞いたと嘘をついたのです。ちゃんちゃん……」
「はは……。なんだか、ヒトって複雑なんだねー。分からなくもないけど、私達は嘘が得意じゃないからなー」
「そうそう、複雑なのさ。名前が覚えられない程度にはねー。うんうん」
「それは帽子さんだけなんじゃないかなー?」
「がっくし……」
二人は木陰で休みながら、色んな会話を繰り広げた。ジャパリパークの情報や、フレンズ達の交友関係、それに互いの価値観や、他愛もない話も。それは互いを知るには余りにも短い時間。しかし、彼女達の時間はここからが始まりだったのだ。
偶然の出会いで紡がれた二つの生が、一つものを創り出す。これも又、偏に運命と呼ぶのだろう。そして、そこに又、加わるべくして加わる一人のフレンズが居る。それはきっと、繋がりからなる必然的な出会い。
これは一期一会の物語であるのだから。
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