第67話 いま

 始まりは一人の少女の物語から広がる。

 少女は幼き頃、知人のお姉さんに連れられ、よく一緒に動物園へと向かった。園内で見掛けるお客さんの表情は、どれも優しいものばかりで、その空間は温かいもので満ちていた。幼い頃の思い出は大人になるにつれ、忘却されてゆく……。


 しかし、少女はその記憶を胸にしまい大切に保管したのだ。


 そして、少しの時が流れた。

 彼女は子供頃に憧れた夢を叶え、動物園のスタッフとなった。


 それは彼女が想像したよりも遥かに大きな、そして、夢の詰まった世界であった。


 列島からなる超巨大総合動物園――通称ジャパリパーク。


 未知の物質“サンドスター”によって、人の姿に変化したけもの達“アニマルガール”が自由に暮らすジャパリパーク。それは普通の動物園と比べると、あまりに掛け離れたものである。しかし、彼女にとってはこのパークこそが日々を過ごす職場なのだ。


 まるで探検服の様な服装に、二色の羽飾りを立てた帽子を被り、黒のアンダーウェアと腰に小さなポシェットを付ける。片目の隠れた前髪に、黒髪のショートカット。瞳の色は茶色で、面倒見の良い性格の彼女。


 名前はイマ。ジャパリパークのスタッフであり、ヒトである。

 多くのフレンズからは『スタッフさん』や『帽子さん』などと呼ばれている。


「……ふぅ。キョウシュウエリアは、なんとか大丈夫そうね」


 彼女はさばんなちほーの片隅の木陰で休み、一息つく。

 島のあちらこちらを見巡るスタッフの一人として、その責務を果たしている最中であった。


「なんだか、大変そうだねー」

「あなたは……」

「フェネックだよー」


 そこへ現れたのはネコ目イヌ科キツネ属のフェネックである。


 シャツにベージュのカーディガンを重ね、白のミニスカートを着用。キツネ色のニーソックスを履き、同色の蝶ネクタイを首に巻く。フサフサとした尻尾と大きな耳を持ち、特徴的なジト目をしている。


 イマは自分の記憶を遡り、思い出そうとする。彼女にとって今はまだ、一アニマルガールに過ぎない存在であるフェネック。その一人に焦点をあて想起するのは、困難なものであった。その場凌ぎで、誤魔化しを利かせ様とする。


「そ、そうねっ。うん、覚えてたよっ! フェネック!! 久しぶりね」

「うーん……。なんだか怪しいなー……」

「ほ、ホントだって~」

「まぁーいいやー。帽子さん、またお仕事してるのー?」

「これが私達の日課だからねー。フェネックは何をしてたの?」

「散歩だよー。あっ、そうだー。今度、面白い友達が出来たから紹介するよー」

「友達? 楽しみねっ! そうだ、私は?」

「帽子さんは、帽子さんじゃないかー。勿論、友達だけどー……。それだけじゃないよねー」

「やったー! なんだか分からないけど、良い関係ってことでオッケーね」


 すると、イマにポシェット内の通信機から連絡が入る。すぐさま、インカムを着けると後輩スタッフの嘆きの音声が送られてくる。


『先輩~。イマ先輩~~!!』

「どうしたの?」

『今、私、ナカベチホーの水辺エリアに居るんですけど……』


 すると、近い音声の後方から何かを言い争う声が乗っていた。


『ひどいよっ! バンテンちゃんはなんでいつも私の意見を否定するのっ! もう我慢できない! ていっ(ぽこっ)』

『や、やったなー! お、表へでろウマシカーっ……!』


『ウマシカさんとバンテンさんが喧嘩してて……。助けて下さいよ~』

「はぁ……。またなの……。それ、ほっといても良いと思うけど……」

『そんなぁ~』

「分かった。後で向かうね。着く頃には終わってそうだけど、それまでは頑張ってね」

『無理ですよぉ……。二人共……、落ち着いて』


 仲裁に入る後輩スタッフの通信が切れる。

 彼女達の喧嘩はそれ程珍しいものでもなく、今もなお一緒に行動している事を考えると、“喧嘩するほど仲がいい”その関係性に中るものである。近しいからこそ、お互いが気を使わずに接してしまう。それは言わば、家族の関係の様なものなのだ。


「……ごくごくごく」


 イマは喉を鳴らしながら、乾いた体に水分を流し込む。

 フェネックはその様子をじっと見つめていた。


「これ、見る?」

「うん」


 イマが空になった水筒を手渡すと、彼女は興味津々にその構造を観察していた。


「なるほどー。これで水を保存して携帯出来るのかー」

「正解! フェネックは色んなものに興味を示すんだね~」

「知らないことを知るのは、楽しいものさー」

「もしかして、結構、頭良い?」

「どうだろうねー。自分では分からないよー」

「あはは……。それもそうだねー」


 彼女は会話をしながら、ぐっと体を空へと伸ばす。少しの休息を終えると、切り替えスイッチを自ら押した。


「っさ……、やるとしますかー!」

「お仕事に戻るのー? 頑張るねー」

「ははは……。それじゃあ、行くとするよー。またね、フェネック!!」

「はいよー。また~」


 そして、彼女は再び業務へと戻り、このエリアを後にした。

 

 彼女が去り、その場にポツンと残されたフェネック。いつもの空を仰ぎ見ると、彼女に退屈な時間が襲い来る。どうしようもなく、普遍的な日常。面白さに欠けるこの日々に、彼女は内心うんざりしていた。


 うつけた様に座り込み、力を抜いたその時に、ふと彼女の手に何かが触れた。


「ん……」


 そこに在ったのは、イマが忘れた水筒であった。

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