人形屋敷 2
ここまで来たらもうこちらとしては逃げられなかったし、神父も逃がすつもりはない。
レッカが神父の退路を塞ぐ形で道の前に立ち、コレットをいつでも逃げられるように自分の後ろへ下がらせる。
神父はそんなレッカの挙動を気にした様子もなく、槍を杖のように付き、空いた手で胸元のシンボルを握りしめ、しばらく苦しそうに呼吸をしていた。
やがて回復してきたのか深呼吸を一つすると我々に向き直る。槍の切っ先は上に向けたままだ。我々に対して戦意はないらしい。
「爺さん、お前……」
「何のためにここまで来た? ここにはお前らが求めているようなものは何もない」
「連れの落とし物を探しにな。それよりあんただ。ただの神父がこんな廃村の地下洞窟で一体何をしているんだ? 宝探しか?」
レッカが逃がすつもりは無いということを主張するために剣を握ってわざと音を立てる。
「…………」
神父はしばらく難しい顔をしていたが、やがて納得がいった顔になった。
「俺がこの村の惨状を引き起こしたとでも思っているのか? それなら残念だな。ここの村は村人たちが選択してなるべくしてなった結果だ。俺がここに居るのは俺のやり残しのためだ……と、言っても納得しないだろうな」
神父は一旦そこで話を切ると、携帯水筒を呷る。
「魔王の遺物。ここにはそれがある。そしてファーシニル教はそれの回収と管理が仕事だ」
「そのようなおぞましいものの気配は感じられませんが」
レッカが警戒心も顕に食って掛かる。
人形が動いて襲い掛かってくるだけで十分おぞましいとは思うのだが、レッカはもしかしたら違う何かを感じ取ることができるのかもしれないと思い口を挟まずに私は沈黙を貫く。
「それは……、もういい。一から十まで説明してやるほど暇じゃないし義理もない。通らせてもらう」
その言葉をきっかけにレッカが構え、神父も槍を持ち替えて地面を蹴る。
「待ってください!」
コレットが杖で地面を小突くと植物の蔦が神父の腕を絡め取って動きを止める。
次の瞬間には蔦は全部斬り落とされたが、勢いを殺されたせいか神父はコレットを睨みつけたが足を止めて槍の切っ先は一旦おろした。レッカが戦意の行き場をなくして面食らった顔をしている。
「先程も使っていたが……その娘は奇っ怪な術を使うな」
「奇っ怪じゃないです! 召喚術です!!」
「召喚術? この時勢にか」
「どの時勢でも召喚術です!」
コレットがむっとした顔で言い返す。そしてまっすぐに神父の顔を見つめ、
「私達もここまで踏み込んでしまった以上は何があったか見届けたい……です」
神父が一瞬言葉に詰まる。大きくため息をついた。
「なら来い。善意と正義感の成れの果てを見せてやる」
神父はそう言うと毅然とした足取りで入り口へ向かう。レッカも今度はすんなりと道を開けて神父を通した。
私とレッカは顔を見合わせたが、大人しく続くことにした。
実際、何があったかは気になる所だった。
そのまま生体壁の前まで戻って来ると、神父は槍で中心を突く。
突いた箇所を中心に、ミチミチと何かがちぎれるような嫌な音を立てながら人が通れるくらいの穴が開いた。
同時に、
『ィィィイイぃィィィいいいいいいぃィィィィィィ』
甲高い断末魔のような悲鳴が洞窟中に反響する。
思わず耳を塞いでしまうほどだった
穴から流れてきた粘性のある黒い液体が足元まで届く。
神父は気にせず奥へと足を進め、それに続いた我々も穴の向こうに居たソレを見た。
息を呑む。
成れの果てと呼ぶに相応しい異形が居た。5メートルほどの体躯に体中から棘が生えていて三足に腕が五本、半身が引きちぎれたような胴体に面長の顔は右に目が三つ、左はほとんど口になっていた。
閉じることのできない口からは粘性の強いよだれがぼたぼた落ちている。顔の上の方に人の顔らしきものがさらにいくつかくっついていた。
奇形の獣、と一言で表するにはおぞましすぎる姿だった。これならばまだ先程の死体人形のほうが可愛く思える。
「あいつは……」
「魔王の遺物を人が使うとああなるのさ」
「人……なのか」
「ああ」
獣は顔の右側についた三つの目を我々に向けていた。肺に穴でも空いているような、聞いてるだけで苦しくなってくる呼吸音だけが聞こえてくる。
ここまでの異形になる過程で本当に気管に穴でも空いているのかもしれない。というより中の人体構造がまともに保たれている可能性のほうが少なかったが。
「攻撃……してきませんね」
レッカが不思議そうに言う。
神父が一歩前に出て獣の顔を見上げて優しい声で語りかける。
「ラトリー。遅くなってすまなかったな。お前なんだろう?」
思わず私とレッカ、コレットは獣と爺さんを交互に見てしまう。
正気で言っているのか。
だが次の瞬間その疑念は驚愕に変わった。
『じいちゃん……待ってたよ』
応答するように聞こえてきた声は獣が発したものには違いなかったが、それは洞窟中に反響していた。その声は枯れてこそ居たが少女の声をしていた。
「久しいな。しばらく見ない間に変わっちまってびっくりしたよ。俺としては元気で……健康でさえ居てくれればそれでよかったんだが」
『…………』
獣……いや、ラトリーは神父の言葉に苦しげな呼吸音を返すのみだ。
「ラトリー、お前は優しすぎたんだ。やはり無理にでも俺が連れていけば良かったのかもしれん」
『いいんだ、ありがとう。なあじいちゃん、村の人たちは……?』
恐る恐るといった調子で問いかけたラトリーの言葉に、一瞬神父の顔に憤怒が浮かんだ。だが次の瞬間には、落ち着いた調子で言葉を返す。
「ああ、今はこの村から離れているよ」
ラトリーは身じろぎでもしたのか、勢い良くぼたぼたと黒い粘液がラトリーの体の節々から溢れ落ちる。
コレットが怯えたように私の服を掴んだ。
『じいちゃん、その人達は? 新しいパーティなのか?』
「いや、通りがかった旅人だ」
神父の言葉にラトリーは目をこちらに向ける。目を向ける、とは言ったものの異形と化した三つの目がこちらを見つめてくる中で平常心を保つのは並大抵の努力ではない。人であることを辞めた者が、こちらを覗き見ている。
『一人……私と同じような呪いがあるな』
「何!?」
ラトリーのその一言はさすがに予想していなかったのか、神父が驚いた顔で振り返る。
『解呪……してやりたいが、あたしじゃ無理そうだ』
「……その、どうやれば解呪できるか、判らないだろうか」
思い切って私もラトリーに問いかけてみる。
『すまない、判らないな……。ただ、そのまま侵食してしまうと私と同じような、”こちら側”になるかもしれない』
「…………そうか」
解呪術自体はないのか、と聞きたいところだったがそんなものがあるのだったらこのラトリーという娘もこんな姿にはなってはいまい。
だが諦めて引き下がる私とは対照に、私の服を掴むコレットの手に力が入り、
「あ、あのっ!」
肉が軋むような音がしてラトリーが僅かに身じろぎし、ラトリーの三つ目がコレットを捉える。
「わ、わわわ、私、か、回復魔術でしたら少し使えるので、もし、苦しいようでしたら何か……」
『……ありがとう。でも、私はあらゆる魔術を弾く体になってしまっている。回復魔術とて例外ではないんだ。気持ちだけ受け取っておくよ』
震えながら勇気を出して口を開いたコレットをこれ以上怖がらせないようにか、ラトリーもその口調はとても優しかった。
コレットは素直に「判りました」と言って引き下がる。
だが、その表情は胸の内の感情をまったく隠せていない。ラトリーの言葉を聞いて悔しさを噛みしめるような顔でうつむいていたし、顔をあげた際にも泣き笑いのような強がりを貼り付けるのが精一杯な様子が見て取れる。
『なあ、旅人さんは何でこんなところまで来たんだ?』
何で……何でと問われると困るが、解答としては一つしか無い。
「この村は通過点だったんだが、落とし物を探しにきてどうも踏み込みすぎたようだ」
『落とし物?』
ラトリーの言葉に、コレットが勇気を奮い立たせて私の横に立って言う。
「お祖父様に頂いたネックレスをこの村の何処かで落としてしまい……」
コレットがうつむく。洞窟内にはラトリーの荒い呼吸が反響している。
いきなりラトリーから肉の塊が剥離して落ち、コレットがびっくりして小さく悲鳴を上げて私の後ろに隠れた。剥離した箇所から血の泡のような気泡が浮かび、新たに先程の壁のような見た目の肉が再生する。
ラトリーは特に気を払う様子もなく言葉を続ける。
『そうか……そいつは災難だったね。でもほら、安心しなよ。その落とし物はあんたの後ろにあるそれだろう?』
そう言われて振り返ると、入ってきた穴のすぐ脇に確かに紐の切れたコレットのネックレスが落ちていた。
「……! こ、これです! え、でも、どうして」
コレットが恐る恐る拾い上げると、祈るように握りしめている。
『良かったな、もうなくさないようにしなよ』
「お前……」
神父が何とも言えない表情をしていた。
『じいちゃん、あたしもなんとなく判ってる。村はもう……ないんだろ? 多分、あたしのせいで』
「ラトリー! 決して、決してお前のせいなんかでは……」
『ありがと、じいちゃん。……あたしも小さないいことを積み重ねていたつもりだったのに、どこで間違ったん……ゴホッ』
ラトリーの口から大量の黒い粘液がこぼれ落ちてラトリーの言葉を塞ぐ。
「あのっ……」
コレットがありったけの勇気をかき集めてきましたといわんばかりに声をかける。
呼吸すら辛そうなラトリーの異形の目がコレットを捉える。
「ありがとうございます、あの、本当に……!」
『なあ……せっかくだ。自分のためでいい。絶対、絶対に……解呪法を見つけなよ』
「は、はい……! もし、見つけたらすぐに来ます! ラトリーさんも、その、」
『…………?』
「元に戻れたら、と、友達になりましょう!」
『…………判った。約束するよ』
コレットとラトリーの会話が終わると、ラトリーと二人で会話がしたい、という神父を残して我々は外に出ることにした。
重い足取りで出口に向かって我々は歩きだす。
一歩進む度にコレットの目に涙が溜まっていく。
ラトリーの声は洞窟中に反響して、ラトリーの元から離れていっているはずの私達にもよく聞こえた。
『なあじいちゃん……じいちゃん……』
ラトリーの声は少し救われたような声色をしていた。
神父の声は聞こえず、ラトリーの声が続く。
『じいちゃんはやっぱりアタシの憧れで、勇者様だ……アタシも、じいちゃんに近づけたかな……』
間。
『へへっ……、ァ…………』
褒められた悪戯っ子のような笑い声がして、それきり声は聞こえなくなった。
空間が死んだような沈黙が襲いかかってくる。
おそらく、もう二度と聞こえることはないだろう。
無言で我々は足を進める。
レッカが鼻をすすり始めたコレットの手を握っていた。
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屋敷の外で待っていると、やがて疲れ切った顔をした神父が出てきて我々に気づくと顔をあげて言った。
「人形共はもう動くことはない。この村はただの廃村になった」
神父の、自分の意志ではなく、背負った義務のために動いているような有様になんと声をかけたものか迷う。
「その……ラトリーはどうしてあのような姿になったんだ? 話した感じは全然……」
「言っただろう。魔王の遺物のせいだ。性悪な魔王の遺物が囁いたのだろう。なんでも願いを叶えてやる代わりに、人間性をもらうと」
「人間性?」
「遺物の性質にもよって違うが……この場合は人としての外見だったと言うべきか」
神父は少し黙り、携帯水筒をあおるが中身が空っぽだったのかすぐにしまう。
「ラトリーは母親の面影を残す、赤毛の綺麗な娘だった。血筋もあって、こんな村には惜しいくらい魔術の才があった。ラトリーはほぼ独学と俺が渡した教本で魔術を自分なりに使えるようにしていたようだったが、誰かがこの村に魔王の遺物を持込み、ラトリーにそれを渡した。
その結果、ラトリーの魔術は歪な形で飛躍的に上昇し、万能にも思えるほどの柔軟さを持ってしまった。
そしてラトリーはその善性を村人に利用されたのさ。村人の願いを叶え続けているうちに人間性を失っていき、どれが誰の願い事かもわからなくなり、ただただ人の願いの叶える願望器として利用され続けた結果、暴走を起こした」
「あの人形共がそうなのか?」
「あれも結果の一つだ。判断力の落ちたラトリーに、誰かが自分の人形とお話したいなどという願いを持ってくればそれは全ての人形に命を吹き込むことになる。そして数百居る人形に命を与えた結果、数百体分の対価を払いラトリーはますます……」
「だがあの人形共は命を本当に持っていたのか? 命を持っていたと言うにはあまりにも――」
あまりにも、お粗末だった。まだ魔術で大量に操っていたという方が納得できる。命があった、と言われて辛うじて納得できるのは最後にあった死体人形くらいのものだ。それでも、随分歪な形ではあったが。
「人形の機構なんぞ俺は知らん。だが人形共はラトリーを守っていた。それがラトリーが望んだ結果なのか、人形共が命を持った結果”親”を守ろうとしてたのかまでは判らん」
少し沈黙が降り、レッカが声を上げる。
「人形はラトリーを守ろうとしていたという話は判りましたが……何から?」
神父はしばらく考え込んだ。
「何だろうな。普通に考えればお前たちのような外部からの来訪者から、になるんだろうが。興味本位で村に踏み入られたくなかったのかもしれん」
「ラトリー自身が人形に隔離されていたという可能性もあったのではないですか? あの状態でしたし」
「いや」
レッカのその発言に対しては、神父は迷いなく否定した。
「ラトリーが居た場所には壁があっただろう。あれはラトリーが自ら作り出したものだ。少なくとも、ラトリーは自分の意志で外部との接触を断っていた」
そうでしたか、と呟いてレッカはそれきり黙り込む。
神父は少し迷ったように口を開き、そのまま言葉を発さなかったが結局言葉を続ける。
「ラトリーは判っていたはずだ。あの壁はラトリーの一部で作られていて、祝福された武器でしか開けられなかった。そしてここに祝福された武器を持ってくる物好きは俺しか居ない」
「あんたは何者なんだ」
じいちゃん、とラトリーは言っていた。勇者様、とも呼んだ。
「見りゃ判るだろ。落ちぶれた元神父だ」
言うだけ言って、言葉が足りないと思ったのかラトリーは、と補足する。
「昔組んでいたパーティの孫娘さ。ラトリーはそいつの血を引く最後の一人だった。ラトリーが力の制御ができなくなってからというもの、村の長老会の連中はほうぼうに散って逃げていた。俺はその連中を一人一人追い詰めて殺してやった。そして情けない話だがようやくラトリーと向き合う気になって戻ってきたのさ」
「神職が復讐に走っていいのか」
私の言葉を神父は鼻で笑い飛ばす。
「どうせお飾りだ。昔はちょっと名のある立場だったから名誉職として載せられただけだ。教会に金はたくさん集めてやった。だからその分こっちも利用させてもらってる。……今は追われる立場だがな」
そう言って爺は横目で槍を見る。
……なるほど。レッカの言う盗まれた、というのはあながち間違いでもないらしい。
え、と小さく声があがりそちらを向くと、レッカが驚愕の表情をしていた。
「まさか、貴方は……ウォドリク? いや、でも、そんな……」
「ウォドリク?」
「もう百年以上前に居た勇者の一行です。その代では魔王討伐を成し遂げたのは別の一行でしたのであまり名前は有名ではありませんでしたが、確かその代、巫女が居らず王女が直々に加護を授けていて治癒の加護を受けた聖槍を持つ勇者が居たと……」
百年……?
「勤勉だな。だが、もう勇者ではない」
神父のぶっきらぼうなその物言いは、レッカの言葉を肯定していた。
そして横目でコレットを見る。
「しかし今時召喚術師に会うとはな」
コレットが視線を受けて慌てたようにビッと背筋を伸ばした。
「あのウォンテスター家でも現当主も次期当主も召喚術に関してはそこまでだと聞く。もはや”勇者”と同じで衰退するばかりかと思っていたがどこに芽があるかは判らないな」
神父に何気ないようだが感心が混じった物言いに、さすがにこれもウォンテスター家の血筋だとは言いづらかった。コレットもどことなく気まずそうに目を逸らしているし、レッカに関しては目の前の神父が百年前の勇者だという衝撃から戻ってこれていない。
ところで、と話題を転換しつつさりげない風を装って神父に聞いてみる。
「あんたハーフエルフか何かなのか?」
「俺は人間だ」
「爺さんには見えるが、一体いくつなんだ」
「さぁな。忘れちまったよ。だが治癒の加護も徐々に弱くなってきている。いつまで動けるか判らん」
だから、と前置きして神父は消えそうにない暗い炎をその目に宿して言う。
「俺はこれからこの村を弔って魔王の遺物を持ち込んだやつを探しに行く」
治癒の加護も徐々に弱くなってきているという神父の言は皮肉にも動作の節々から感じられた。
最初見つけたときも治癒能力が弱くなっているから、受けたダメージから回復しきっていなかったのだろう。
私はその姿に自分の姿を重ねずには居られない。
神父は大きく息を吐き、
「お前たちは嬢ちゃんの解呪法でも探すんだな。ラトリーと約束したんだろう?」
そう言った後、神父は少し重い足取りで教会の方へと歩き始める。
コレットが神父の背に向けて何か言おうと口を開くが、その言葉はついに出ることはない。
代わりに杖を握りしめ、人形屋敷を向いて祈るように己の額を杖に押し当てる。
そうしてしばらく黙って祈っている姿を眺めていた。
コレットが踏ん切りをつけて顔をあげるのを待って、
「コレット、もうなくすなよ」
そう言って軽くコレットの肩を叩き、我々も神父とは異なる方向へ歩き出す。レッカも頷いて並ならぬ決意を湛えた言葉を吐く。
「行きましょう、魔族領へ」
召喚獣のつくりかた (°_゜) @Munkichi
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