往路

 コレットの部屋を出て自室に戻り、扉を締める。

 私は自分の手を見る。

 今は何の変哲もない、もう何十年も代わり映えしない手を私の目に映している。

 魔法を使用するとその際の膨大な消費で全身がちりちりする感覚に苛まれ、それと同時に手がうっすらと透過して見えることがあった。

 最近はもう残存魔力も減ってきたのが影響してか何事もない時でも時折手がうっすらと透過していることがある。

 魔素の密度が薄くなって、見せかけの偽物である体の維持に支障が出ているのだろう。


 私は自分の終わりを未だ知らない。

 魔法を使いすぎた時に、破壊の痕ばかりが残る形になって私自身が跡形もなく消えるのだろうか。

 人の死のように誰かに看取られて消えていくのかもしれず、あまりの外傷に存在を放棄せざるを得なくなるのかもしれず、呪いで魔力の継続的な消費を強制されて存在を全て流出させてしまうのかもしれなかった。

 それに、私が喚び出された時にギャレットと交わされた契約も未だ成されぬままだ。


 多分これが根源から感じる、恐怖の感情なのだろう。

 脳裏に染み出した感情を振り払うように私は支度を始める。

 それからすぐに気がついた。

 そうだ、武器がない。

 鉄塊はグレイベアド戦で失ったままだった。それにこれから魔族領に行くことを考えるとあまり目立つ獲物を持っているのも良くはないだろう。

 しかし今から武器屋の開店を待ってのんきに行くのもな……。

 自然と私はこの屋敷の倉庫を漁ることを思いつく。

 高そうなものは避けてそれなりに持ちそうなものなら魔族領についてから買い替えてもいい。


 倉庫の場所は事前に聞いていたので迷うことなく足を運ぶ。

 夜も深まった時間帯で、誰にも合わずに倉庫に辿り着いた。

 倉庫は当然といえば当然だが使わなくなった備品、調度品、売れば高値が付きそうな品が多く、私が探しているような武器に類するようなものはほとんどなかった。

 儀礼用の杖、儀礼用の槍、宝石が埋め込まれた斧、樫の弓、魔力の篭った……おそらく神木かそれに準ずる素材で作られた木刀、魔族領にしかない黒木で作られた木刀、王国軍で採用されているサーベル。

 儀礼用は論外だ。弓も私には扱いきれまい。斧……は高そうだしやめておこう。量産品のサーベルか木刀か……。

 実用性を考えるなら断然サーベルなのだが、私のような流れ者が軍刀を所持しているのはいらぬ軋轢を生む可能性がある。

 となると、


「これしかないか……」


 消去法で木刀になった。

 木刀もこれが本当に神木か何かの削りだしなら多分これ一本で土地と家が買える。

 黒木刀もそこそこ値が張るが前者に比べればどう転んだとしてもマシだ。

 ということで、黒木刀を借りていくことにした。

 結局刀と名のつくものを持つことになってしまった。へし折らないように気をつけなければ。


 昔エルフの住まう地で出会った人間の青年に、二週間ほど手ほどきを受けたことがある。

 龍脈の流れ、空気の流れ、気の流れ。そういったものを沈殿させて、流転させ、一気に発する。そういう剣術というより発勁を主軸とした動きだった。

 今までの私にはない概念での戦法だったので面白くはあったが、どれくらい身についたかといえば未だに剣を使わないのが答えだ。

 中途半端に気を込める、というやり方だけはそれなりに習得できたように思うが、逆にそのせいで余計に武器をへし折るようになってしまった気もする。

 あの男はまだ生きているのだろうか。腰が低く、日々の食事もなんとか食いつないでいるような極貧の有様だったがどうやっても戦死する様だけは思い浮かばなかった。


 私は自室に戻ると、地図を広げて辿るべき経路を確認する。

 小さな村、中規模の商業都市を経由して国境、魔族領に入り街を一つ経由して召喚陣に至ることになる。

 召喚陣自体が使われたのはもう何年も前の話だ。召喚陣付近から痕跡を辿って関係者に会うのは難しいだろう。

 召喚陣付近には恐らく魔族の門番がいるはずだ。連中を強襲して情報を聞き出せれば早い……だろうが、武力行使で行くのは後ろの方の手段にしたい。あくまでも敵地なのだ。魔族領の街で情報収集をするのが現実的だろう。

 あの辺りの街ならまだヒトの商人の往来もあるはずだからそこまで目立ちはしないはずだ。


 とにかく、早い方がいい。

 支度を終えて立ち上がる。

 魔族領にトラウマのある一人と、不慣れな一人を連れて行くくらいなら一人でいったほうがよほど効率がいい。

 そう思っていたのだが。


「随分早いご出立ですね」


 深夜にこっそりと玄関を出ようとしたところでレッカに声をかけられる。


「……ただの散歩だ」


 旅装を終えたコレットとレッカが既に待機していた。コレットは起こされたのかまだ若干眠そうだった。

 見破られていた気まずさから、なんとなく適当な返事を返してしまった。

 だがそういう部分までお見通しであったらしい。


「では、我々もお付き合いしますよ。たまにはいいでしょう?」


 その後、諦めてレッカに導かれるままに進むと既に街の外に竜車が用意されていた。


「完全に読まれていたというわけか」


 レッカは私の言葉に自慢げに口角を上げる。


「お見通しです。今後出し抜こうなどとは思わないことですね」


「俺がどこへ行こうとしているか知っているのか?」


「お嬢様に呪いをかけた魔族を探しに行くのでしょう?」


 レッカはこともなげに言ってのけた。その言葉に迷いもためらいもない。


「ああ。だが……お前は大丈夫なのか? その……」


 言っていいものか迷う。何と言えばいいのだろう。本人がいいというのなら良いのかもしれないが、いざ魔族と事を構えた時に怯懦に負けてしまわれると困るのはこちらだ。

 私の不安を笑い飛ばすかのように、レッカはくすりと笑っていった。


「もう昔の話です。それに、今はお嬢様の身が第一ですから」


 何もわかっていなさそうなコレットの視線が私とレッカの間を行き来していたが、やがて蚊帳の外にいることにむくれてか黙ってさっさと竜車に乗り込んで横になってまった。

 判っていると思うが、と念押しをして私はレッカに言う。


「ウォンテスターの名は今後使えない。コレットには……少々厳しい道中となるぞ。特に魔族領ともなれば、俺も身の保全については保証できん」


「構いませんよ。お嬢様も覚悟の上です」


 強い眼差しでレッカは言った。私も思わず頷き返す。そしてレッカは口を開いて次の言葉を言うべきかどうか逡巡して、


「お嬢様も、取り戻したいのです」


 何を、とは問うまい。

 コレット自身も召喚術が使えなくなったことで己の半身と大事な思い出をたくさん失ったのだ。


「判った。行こう」


 私も竜車に乗り込む。レッカは見送りに来ていた使用人のクラウスに何か引き継ぎを残しているようだった。

 私もクラウスにはギャレットへ経過を伝えるために書文を託した。それ以外はこれと言って特に言葉は交わさなかったが、殆どメイドとしての仕事をしている姿を見なかったレッカとは違い、あまり表には出ず黙々と仕事をこなしていたその姿は表敬に値する。

 私は帳から顔を覗かせてクラウスに向かって軽く目礼をした。レッカと話しながらも私の所作に気がついたのか、控えめな笑みを浮かべて軽い目礼を返してくれる。しっかりした男だと思う。


 雇いの御者は一先ず最初の目的地である村、クウェラットまで送り届けてくれるらしい。

 クウェラットで新たに次の目的地であるアクラドまでの足を探す、という算段だ。

 この辺りはまだ平地で、そこまで急がせていないからか竜車の振動も心地よい程度のものだった。


「クウェラットは一度訪れてみたかったのです」


 流れる外の景色を眺めながら、ふとレッカが言葉をこぼす。


「何か特産品でもあるのか?」


「いえ、そういうわけではないのですが。ただ、豊作と子宝に非常によく恵まれていて、村人全体の幸福度が非常に高いらしく一体どのような村なのかと気になっていたのです」


 ふむ。地図上で見る限りはそんなに豊穣の地という感じは見受けられなかったが。しかしそれなのに噂に伝わるほど豊作で知られているというのは確かに興味は湧く。

 レッカが思い出したかのように手を鳴らし、


「そうだ、クウェラットといえば人形技術が有名ですね。あれが特産品に当たるのでしょう」


「人形技術?」


「ええ。最近は新作を見ないですが、直近では王都観劇場の花形であるスティア・ユーテンゼンの人形が出たときは数ヶ月待ちの需要があったと聞きます」


「聞いたことはあるな。デフォルメ人形だろう?」


 私もギャレットも観劇に関心がなく観に行ったことはなかったが、スティア・ユーテンゼンはそれはもう凄い人気で、劇団で城下町を回ると言った話が出るやもう凱旋パレードでもやっているのかと言うほどの賑わいがあった。


「はい、おそらくそれかと思います。何でも、絶妙なブサ可愛さがあってそれが王都子女の心を掴んで離さないのだとか」


「あ! それ、もしかしてダンテルセ人形も作ってた!?」


 先程まで夢の世界に片足を突っ込んでいたコレットがものすごい食いつきを見せた。


「ええ。あれは供給が追いつかないまま生産終了になってしまってものすごい高値がついているとか」


「そんな貴重な代物だったんだ……。お祖父様に誕生日プレゼントに頂いてしまったのだけど、お祖父様の家に置いてきてしまって……」


 そこからしばらく私には全くわからない人形トークで二人は盛り上がっていた。

 小鳥のさえずりのような二人の会話を聞きながら私は幌から外を覗き見る。まだこの辺りは草原がなだらかに続いているだけで平和だ。

 話が一段落つくと、レッカが私の方に向き直る。


「話してたら色々思い出してきました。クウェラットですが、あとは酒場や宿屋で出している名物料理にチーズがありますね。ハムと組み合わせたものとか、チーズを揚げたものとか」


「普通のチーズとは違うのか?」


「牛じゃなくて山羊のチーズみたいですね。王都でも探せばおそらく手に入れることはできるものではありますが、メニューして出してるのは珍しいかと。クセのあるチーズですからね」


 なるほど、訪れてみたかったと言うだけあってレッカは中々に詳しかった。

 私もコレットも関心して聞いている。

 決して大きな村ではないらしいが、これだけ噂として伝わるくらいならなるほど確かに嬉しい悲鳴が出るような土壌があるのだろう。

 その後、コレットは全力で食べ物のことを妄想していたら酔ったらしく、横になって早々に寝入ってしまった。


 しばらく少し揺れるようになってきてガタガタと竜車の揺れるままに身を任せていたが、ふと黙ったままも良くないと思って武器のことを話すことにした。


「ところで、非常に言い辛いことがあるのだが、ここまで来てしまったので話そうと思う」


「何ですか? 催したのですか? 酔ったのですか? 停めてもらいましょうか?」


「違う違う、武器のことだ」


「武器……?」


「ほら、調達した武器を早々に壊されてしまったから……」


 ああ、とレッカが得心したように頷く。


「そう言えばそうでしたね。……え? もしかして何も持ってきてないんですか?」


 レッカの表情に乏しい顔からも十分に気持ちが伝わってくる。これは正気を疑うような顔というやつだ。


「いや、持ってきてはいるよ。ただ、ほら、あの家の倉庫から借りてきた」


「……まあ。お嬢様もそんなに気にされないでしょうし、私も目をつむりましょう。ただあの倉庫は別に武器庫というわけでは無いのでそんなにあなたが使えそうなものはなかったように思いますが」


 私はそこで黒木刀を取り出した。


「マジですか」


「他に良さそうなものもなくてな」


「サーベルとかもう少し武器っぽいのもあったはずですが……」


「それも考えたのだが、王国の印があるものだったからさすがにちょっとな」


 レッカはそれはそれで得心がいったらしく、少しだけ黙る。


「まあ……それは……確かに……でも……ええ……?」


 納得はしたものの理解はし難かったらしく、懐疑的な視線がちらちらと飛んでくる。


「大丈夫だ。これはこれで戦い方がある」


 心もとない、という単語も漏れなくついてくるのだがそこまで言わずともよいだろう。

 レッカは私の言葉に押し切られるように渋々ながら納得する。


「それよりお前は大丈夫なのか? あまり魔族領でいい思い出を持っていないとか聞いたが」


 私の言葉にレッカは片眉を釣り上げた。そしてすぐに諦めたようにため息をつく。


「話の出処はオルガナですか。まあ……いい思い出はありませんね。しかし今は過去とは状況も違いますし、その時一度死んだ身です。そんな身の上でお嬢様を送り出すわけには行きませんとも」


 言いながらレッカは僅かに眉根を寄せる。まだあまり消化しきれていないように見えた。

 レッカは竜車に常設されているタオルケットを二枚取り、一枚をコレットにかける。


「すいません、私も少し眠ります」


「ああ」


 レッカが自分でタオルケットに包まるのを見届けると私は幌から顔を出して周囲の様子を伺う。

 日が沈み始めていて、竜車は太陽の沈む方角とは逆に走っている。

 まるで光から逃げて闇に突っ込んでいくようだ、と思いながら私は静かに席に背を預けた。

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