廃城 4
グレイベアドが人狼に近い性質を持つというのは予想外で、呪縛剣すら持っているというのは最悪のおまけだったが、幸いだったのはその動きはまだ見た目通りだったことだ。
俗っぽい言い方をするなら動きが大振りなウスノロだ。
剣身を赤々と燃え上がらせる炎、グレイベアドの放つ禍々しい瘴気、そしてヒトの数倍もある体躯という存在感によって覆い隠されているがただ闇雲に剣を振り回しているだけだ。
グレイベアドがレッカに向かって袈裟斬りに剣を振り下ろし、この世の法則に縛られれない炎の煌めきが追従する。
レッカは半回転して器用にその一撃をかわすと、曲刀のリーチを氷の刃で倍ほどに伸ばしてグレイベアドの足に斬りつける。
オルガナはレッカの対角上から法剣と呼ばれる、魔術で生み出す直刀をグレイベアドに投げつける。
グレイベアドはそれらの攻撃を受けてもほとんどダメージはないのか、さしたる反応も示さず、デタラメにしか見えないような剣の振り回し方をする。
一撃ごとに炎の線が伸び、炎は剣筋上に少しだけ滞留して消えていく。
だが、私もグレイベアドとそう変わらない。デカくて重いばかりの鉄塊を振り回すウスノロだ。
とにかく弱らせないといけない。手に足に胴に、私も闇雲に打撃を入れる。
ダメージは少なくとも、重い鉄塊でがすがす殴られるのはやはり鬱陶しいのか単純に一番近くに居るからか、グレイベアドは私に向けて剣を振るい出した。
剣の一撃を避けても風圧で殴られ、追従する炎の熱が舞う。
修正しよう、こいつは動きが大振りなウスノロではなく防御が固くて動きが大振りなウスノロだ。
その時、手数が足りないと思ったのかオルガナが更に攻撃をするべく術を発動しているのが見えた。
聞いたことがあるだけで見るのは初めてだ。
秘術に数えられる魔術で、血の召喚と呼ばれる術だ。己が血と媒介物を以って、一時的な上級召喚を行う術。
あんなものも使えるのか、という感心と同時に確かあの魔術は教会の禁術指定だったような、
『ルゥゥオアアアアーーーーーーーーーーーーー!』
グレイベアドが吠えて一気に意識を持っていかれる。最初の吠え方とは違う、攻撃としての咆哮だった。
音波で空間が震える。でたらめな声圧と振動、さらには熱気が体に叩きつけられる。
私が怯んでいる間にオルガナの喚んだ召喚獣がグレイベアドに襲いかかった。
禁術のせいなのか単純に失敗なのか、全身が漆黒の人型だった。
鎧の形状からして軽装の教会騎士に見える。兜のせいで見た目は判らない。わざわざ禁術で呼び出すほどだ、何か名のある騎士なのだろう。だが見た目がどうであれ、禁術で召喚される召喚獣にまともなのは居ない。
そういう風に作られた戦闘人形のようにグレイベアドに斬りかかっている。
私は自分の頬を伝う汗に気がついた。これは冷や汗ではない。
グレイベアドの呪縛剣の炎の置き土産として温度が上昇しているのだ。徐々に体力が奪われていく。持久戦には持ち込ませられない。
しかし結界の保護でもあるのか、元々がそうなのかは判らないがグレイベアドは非常に固い。
この場ではほとんど焼け石に水程度にしかならないとは思ったが、私も魔法を使うための呪文を小さく呟く。
「我が理よ、雷霆の門を開け」
私の鉄塊が、グレイベアドの持つ炎の呪縛剣のように雷を纏う。纏った雷の上げる音がグレイベアドの気を引いた。
グレイベアドがめちゃくちゃな剣筋で私に向けて剣を振るう。
一撃、二撃、三撃。
どれも当てる気があるのすらわからない雑な大ぶり。剣筋を走るかのように炎が湧き上がる。
間近で燃え上がる炎のせいで温度が数度くらい上昇した気がする。
もしかすると、そういう戦法なのかもしれない。熱で体力を奪い、消耗してきた所を狩るという。
レッカにオルガナ、コレットも熱のせいで大分消耗している。
髪が汗で額に張り付き、顎から汗が滴るくらいには体の水分が出始めている。
レッカと禁術の騎士が手や足を斬りつけているすきに、私が鉄塊を叩きつけ、オルガナがすぐさまその場所に後追いの法剣を叩きつける。
コレットを見る。コレットは使える限りの支援魔術を放ち、そしてすきを見て召喚を行おうとしていたようで足元に幾つかの簡易召喚陣を描いた後がある。
よそ見をしたのが行けなかった。
グレイベアドが繰り出してきた切り上げを避けきれず、咄嗟に鉄塊で受け止めようとしたが雷を纏った鉄塊が何の抵抗もなく切断された。
後ろに跳ねて距離を取り、手に持つ鉄塊を見る。長さが半分になってしまった。
距離を取った私を見て、グレイベアドが頭を下げる。そしてそのまま低音の唸り声を上げ始めた。これは獣の呪文だ。
だが頭を下げる、という行動に警戒している間にグレイベアドは呪文を唱え終わっていた。グレイベアドが勢いよく全身から発火し始める。
その炎に呑まれてグレイベアドの付近にいた禁術の騎士が一瞬で消滅した。
「まっずいっ!!」
オルガナが叫ぶ。それに何か返そうとしたレッカが一瞬でグレイベアドに蹴り飛ばされ、グレイベアドがそのまま壁を蹴って体ごと突っ込んできて私を手で払いのける。
「がはっ……!」
払いのけるとは言っても、全速力の土駆竜に跳ね飛ばされたようなものだ。衝撃、壁に叩きつけられた衝撃で思わず鉄塊を取り落とす。
「レッカ! イムカさん!」
コレットが泣きそうな顔で両手で杖を握りしめているのを見て、私は首を横に振る。
くそ、声が出ない。
コレット、来るな。
そう叫ぼうとするが、肺に空気が送り込めていない。
このまま呼吸に意識が向いていても死ぬ、そんな気持ちでなんとか玉座の間を見ると、オルガナが己の周囲を円形に囲むほどの法剣を作り出してグレイベアドの目を潰すべく斬り掛かり、距離を取っては法剣を投擲、残った法剣で体を斬りつけつつ再び目を狙いに行って時間を稼いでくれていた。
レッカは……、床に伏せたまま動いていない。
くそ、やはり熱で体力を奪って、こちらがグレイベアドのウスノロ具合に慣れてきたのを見て戦法をまるっきり変えてきたのか。
コレットが何やら術を使おうとしているのが見える。やめろ、余計なことはするな。グレイベアドの関心は今のところお前にはまったく向いていないんだ。
そう祈るように思うも、コレットは我々を護るために呪文を完成させる。
「
コレットが攻勢魔術を放つ。数十もの白い魔術で作られた槍が集中してグレイベアドの腕を刺し、グレイベアドが剣を取り落とす。
『コレット!!』
私とオルガナの声が重なる。
怒ったグレイベアドが咆哮して踏み込み、コレットが奴の攻撃の間合いに入る寸前、オルガナが己に耐炎魔術障壁を張って横合いからグレイベアドの背中に飛び乗る。
「さっせるかあーーーーーーーーーーーーーーー!」
オルガナはありったけの魔力を腰に刺していた短刀にぶち込み、それをそのままグレイベアドの首に突き立て、飛び降りた。
短刀から流入してきた魔力が暴れまわっているのか、グレイベアドは首を振り回す。
「ルゥゥアァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
グレイベアドはそのまま力任せにオルガナを蹴り飛ばした。魔力を使い切っていたオルガナは為す術もなく壁に衝突し、そのまま意識をなくしたように崩れ落ちる。
「オル……」
コレットが慌てて駆け寄ろうとするが、グレイベアドが足を踏み出したことでその場に硬直する。完全に恐怖で身が竦んでしまっていた。
間に合わない。
既にグレイベアドの目はコレットを捉えており、燃え盛る腕先にある鋭利で巨大な爪の切っ先をコレットに向けて振りかぶり、
「
私が魔法を放つ。
グレイベアドの爪の切っ先がコレットに振り下ろされ、
『ルゥゥゥゥアアアアアアーーーーーーーーーーーーーーー!』
グレイベアドの爪がコレットに届くより前に、雄叫びを上げながら後退った。直後に私の放った魔法がグレイベアドを横合いから叩き、グレイベアドを吹っ飛ばす。
私の放った魔法は明らかに間に合っていなかった。
グレイベアドの爪に貫かれたコレットごとふっ飛ばしていてもおかしくはなかった。
一体何が起きたのだろう。
それはすぐに判った。
倒れたグレイベアドの首筋に、正面から蒼と黒の毛並みを持つ犬が喰らいついていた。あいつがグレイベアドの首を噛み切りにいったおかげで、コレットはすんでのところで生き延びたのだ。
だがこのタイミングといい、獣の姿といい、あれは……。
頭を軽く振る。ぼうっとしている場合ではない。
私はコレットの元に駆け寄る。
「すまない、危うく死なせるところだった。大丈夫か?」
コレットは私の差し出した手を掴みながら、顔は伏せたまま、
「ええ、大丈夫です……。大丈夫、イムカさんが魔術が使えるのにみんな死にそうになるまで全然使ってくれなかったりしましたけど、全然だいじょうぶです!」
めっちゃ怒ってる……。
腰が抜けて恐怖に魂も抜けんばかりかと思っていたが、軽口が叩けるくらいなら大丈夫そうだ。足をしきりに細かくもじもじさせているのは少し漏らしたのかもしれない。その程度で済んだのなら上々だ。さて、あとの問題は全てが済んでからのコレットのご機嫌取りだろうか。
どうしよう、と私の途方に暮れた心境が顔に出ていたのか、コレットはくすりと笑い、
「冗談ですよ。ありがとうございます」
そう言って弱々しい笑顔を浮かべた顔をあげる。そしてそのままグレイベアドを見る。
「あれは……」
「……はい。私の精神獣、です」
それは、初めて見た、ちゃんとしたコレットの召喚獣だった。
恐ろしく獰猛で、一目散に相手の生命を噛み切りに行くような獣。そんな印象だった。精神獣は術者の心を映し出すもう一つの姿というのならコレットにもそういう一面があるのだろうか。
「ちゃんと呼べるんじゃないか」
「普段は呼んでも出てきてくれないんですよ、あれも一応私なのに。死にそうになったから出てきてくれたのかもしれませんが」
ふうん、と生返事を返しながらコレットの精神獣を眺める。出てきてくれたのならそれに越したことはないと思う。だが不自然に黒い毛並みがなんとも不吉なものを思わせる。あれは地毛なのだろうか。
「でも私の精神獣は昔お祖父様と、」
喋っていたコレットの言葉が止まる。
グレイベアドが地響きすら聞こえてきそうな唸り声を上げながら再起動する。肘をついて巨躯を起こし、首に喰らいついたコレットの精神獣を掴む。
まだそんなに力が有り余っていたのかと思うほどの、空気を揺るがす咆哮。グレイベアドの声は若干高めで、その咆哮は台風の時に暴風が家屋をすり抜けているような音にも聞こえる。
「あぐっ……」
コレットが両腕で肩を抱いて苦しみだす。
咆哮のせいか、と思ったが違う。グレイベアドに掴まれた精神獣が握りつぶされているせいでその苦痛がフィードバックしているような苦しみ方をしている。
レッカとオルガナは倒れたままだ。
私は自分の武器の鉄塊を目で探して――それより先にグレイベアドの呪縛剣を見つけた。炎は既に消えている。
駆け寄り、手にとった。私の鉄塊より重い。だが、持ちあげられないほどではない。
私は呪縛剣を引きずりながらグレイベアドに近づいていく。
グレイベアドも私に気づき、私の持っている剣に目をやり、握りしめていたコレットの精神獣を投げ捨てた。
それから四足になり、低い唸り声をあげながら私を警戒する動作を見せる。血走ってギラついた目が私を捉え、僅かに開かれた口から粘性の強い唾液がこぼれ落ちている。
ふう。
ため息をつく。
一撃だ。一撃に魔法を乗せて引導を渡してやる。
剣の間合いまで駆け寄り、呪縛剣を大上段から振り下ろす。
グレイベアドはそれを横に跳んで交わし、大口を開いて私を一飲にしようと突っ込んでくる。
私はそのまま呪縛剣をグレイベアドの口の中に突き立てた。
「
魔法の衝撃でグレイベアドを吹き飛ばす。
その際にグレイベアドの牙が私の腕の表面を撫でていったが為に腕から血が吹き出し、一瞬で私の意識が痛覚で埋め尽くされる。
だが私以上に痛手だったのはグレイベアドの方だったはずだ。
体の内側から重力門を開かれて内蔵を奪いつくされ、この世界における生命維持ができなくなる。
グレイベアドは己の剣を飲み込んだまま、数歩後退って倒れ、か細く鳴くとそのまま事切れた。
数秒ほど後、グレイベアドを維持していた魔素が崩壊し、魔素が光の花火のように視界いっぱいを埋め尽くし、やがて消える。
グレイベアドが消えた為だろう、玉座の間に渦巻いていた瘴気が薄らいだ。きっと部屋を覆っていた結界も消えたはずだ。
私も安心して倒れ込む。
安心したせいか、今まで堰き止めていた感覚が一気に流入してくる。
何かを考えようとする片っ端から痛みに上書きされるほどに縦に裂かれた腕が痛む。
だが次の瞬間頬を撫でる生暖かくて湿っている何かの感触で慌てて目を開いた。
「わう」
コレットの精神獣だった。黒いまんまるの目で私をじっと見つめている。
珍しい、と思う。
私は本当にこういう獣に好かれない性質なので、自分から寄ってくる獣など本当に数えるほどしか会ったことはない。
コレットの精神獣は少しの間私を見つめていたが、何かを伝えようとするかのようにぐりぐりと鼻っつらを押し付けてくる。
「おいやめろ……」
「イムカさん! ……すぐ治しますね」
いつの間にか側に来ていたコレットが、小さく呪文を唱えて杖をかざすと傷口が光に包まれて治っていく。大騒ぎしていた痛覚のお祭りが引いていく。
治癒魔術がなければ冒険者なんぞになるものは半数以下になっていただろう。
「ありがとう、助かった」
腕の傷が消え、私は腕をさすりながら体を起こす。
だがコレットはうつむいたまま顔を上げずに黙り込んでいた。
そして顔を上げないまま、恐る恐ると言った調子で口を開いた。
「イムカさんは……その、何故魔術が使えるのにあまり使おうとしないのですか?」
コレットの言い淀み方にお前が魔術を使っていればもっと楽に事が運んだものを、という意が幾重ものオブラートに包まれて伝わってくる。グレイベアドにトドメを刺したのが私の魔術によるものということは知っているのだ。
コレットの疑念ももっともではあるし、ここであまり言い逃れめいたことをいうのも信頼関係を築く上ではマイナスにしかなるまい。
私は事実の一部を端的に話すことにした。
「何故、の問いに簡単に答えると、だ」
コレットは小さく頷いて顔を上げると耳を寄せてくる。
「私の魔術は特殊でな。魔術を使いすぎると私は死ぬ」
硬直した。
「な……、え、その、それは……まさか、イムカさんも呪いを……?」
呪い……呪いという言葉は正しくない。それは単にこの世界での私の在り方だからだ。
姿こそ変えているものの、私も所詮ギャレットに喚ばれた獣に過ぎない。
だが今はそれをコレットに話すべきではないと思う。
「呪いではない。そう運命づけられている」
我ながらこのごまかし方は下手すぎる。もしかしたらいずれ気づかれるかもしれない。……まあ、その時はその時だ。
「さあ、レッカとオルガナを介抱して帰ろう。いや、先に大樹に契約を迫るほうが先だな。よくやったよ」
言葉を失っているコレットの頭を軽く小突いて言う。
コレットは思い出したかのようにのろのろと顔をあげると、
「あー、えーと、あの、ちょっと色々びっくりしていて頭が回っていないのですが、そうですね。そうしましょう……」
心ここにあらずな様子で視線を巡らせ、よろよろと立ち上がってそのまま近くに居たオルガナの方へ歩いて行く。
気がついたらコレットの精神獣の姿はどこにも居なかった。
あの状態のコレットがわざわざ戻したとは考えにくい。恐らく、自分の意志で引っ込んだのだろう。
別段コレットと反目しているような印象も受けなかったが、何故コレットの呼び出しに答えてやらないのだろうか。
気まぐれなだけ、と言うには少々違和感がある。
何か訳が――、
つい今しがたの会話。
コレットは何と言っていた?
『イムカさん”も”呪いを……?』
も?
コレットが呪いを受けている……?
あんなド天然の箱入りが呪いを? 私は自分が至った結論が受け入れられずにいる。
まさか、と思う気持ちが大きい反面、それによって召喚のための経路が潰されているのなら全てに説明がつく。
だが、何故だ? そもそも本当に呪いを受けているのか?
ぐるぐると自分の中で結論の出ない思考を空回りさせていたところでふと我に返り、先程私の話しを聞いたコレットもこんな心境だったのかもしれないな、と少しだけ笑う。
頭を振る。
今考えても結論は出るまい。
落ち着いたらオルガナにでも聞いてみよう。何か心当たりの一つくらいでるかもしれない。
割には合っていない気がしたが、少なくともコレットの召喚術を上達させるという点においては最初の一歩を踏み出した。今はそれで良しとしよう。
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