廃城 1

 オルガナのそんなには遠くないよ、という言葉を信じて向かってみればとんだ大嘘だった。

 いや、距離的な意味では一週間もかからないくらいではあったから大嘘というのは言いすぎかもしれない。


 クオッグの大森林に入ってからが苦難だった。

 差し迫る生命の危機こそなかったが、大樹への道のりは大変の一言に尽きた。


 森に入ってしばらくは何の変哲もない道のりだったのだが、森が深まるに連れてその様相は一変する。

 なにせ、コレットの身長の倍ほどもある根がうねうねと地面を這っているのだ。

 地面と根っこの境目の区別がつかない。ここまで安定してないとむしろそういう風に整備された不安定な道にすら思える。


 鬱蒼としていて薄暗い中、梢の隙間から差し込んでくる陽光のお陰でなんとか視界は確保できるが何より湿度が酷い。

 空気がじっとりとして肌にまとわりついてくるようだ。

 いや、気のせいではない。歩くたびにまとわりついてきた空気が汗と一緒にこぼれ落ちて足取りを重くしている。

 ここはもはや呼吸が出来るだけの水中のような感覚だ。

 ただでさえ暑いのに湿度のせいでめちゃくちゃになっている。


 さらにはカサカサガサガサギャーギャー……そう言った音や声が絶え間なく聞こえてくる。木の葉が擦れる音、虫の鳴き声、獣の声、鳥の鳴き声、何かと何かが接触して起きる音、そういうのを全部ぶち込んだ音を耳が拾う。

 自分の身長くらいある根をよじ登るために手をかけたら、親指ほどの虫が悠然と伝っていく。

 コレットはお嬢様だし虫とか大丈夫なのだろうか、と思っていたら最初のうちこそいちいち反応していたものの、私と一緒に汗だくになって疲労困憊になってきたらどうでも良くなってきたらしく手や服の上を虫が這っているくらいでは全く動じなくなっていた。

 多分虫とか以上に疲労が酷すぎて構っていられないのだろうと思う。


 あまりこういう風に森をひーこら言いながら進んだ経験が私になかったため、これは普通なのか? とレッカに聞いたら何の苦もなさそうにひらりと根を乗り越えながら「クオッグの森ですから」と答えになっているのかよくわからない返答を寄越す。

 この道中大変なのは主に私とコレットで、別に身軽でもない我ら二人はひーこら言いながら草木をかきわけ、根をよじ登り、時に波打つような這い方をしている根の下を潜り抜けながら進んでいた。


 対してレッカとオルガナは足取りも軽く、レッカは従来の身軽さで障害物を苦ともせず、草木が障害となる場合は時に木を駆け上がり、幹を蹴って幹から幹に飛び移るなど理解を超えた身軽さと無尽蔵なのかと錯覚するほどの体力で移動する。

 水を被ったような汗のかきかたをしている我々に比べ、レッカとオルガナはまるで運動していい汗流しましたと言わんばかりの汗のかき方だ。

 オルガナは我々に付き合ってゆっくり進んでくれてはいたものの、風の精霊の加護があるだとかでレッカと共に少し様子見のために先行する際は短い距離ながらも風を起こしてそれに乗って滑空するという涼し気な移動法を我々に見せつけた。

 多分、私とコレット、レッカとオルガナで別々に行動していたら後者の移動効率は段違いのものになっただろうと思う。


 いっそ私も空を飛んで移動してしまえれば楽なのにとも思う。そして私は飛ぶための魔法を使うことが出来る。

 だがここで使うわけにはいかない。

 そもそも大樹の場所が判らない以上空で迷子になるだけだ。

 そして何より飛ぶ類の魔法や魔術は少ないらしく、非常に目立つのでできるだけ使わない方がいい、とギャレットから忠告を受けている。

 私も目立ちたいわけではないし、徒歩の移動に不満があるわけではない。

 あるわけではないのだが、さすがにここばかりは空を飛んで移動できたらなあと考えざるを得ない。

 砂漠で水を求めるようなものだ。

 木々の天井を突き抜けて、風を切りながら動くのは絶対気持ちがいいに決まっている。

 だが妄想上ではここよりは遥かに湿度の低い上空で、ゆるく滑空して風を浴びる私は、実際には樹の根元を滝のような汗をかきながらひいひい言いながら進んでいる。


 道中、コレットが頬を土で汚して疲労を滲ませた顔に精一杯の笑顔を浮かべて、


「私、イムカさんが一緒で良かったです……。レッカとオルガナさんと私だと、多分、惨めさしか残らなかったと思うので……」


 あまりにも悲しいことを言うので、なんと反応してよいやら私も迷ったもののコレットの言う内容には概ね同意できたので、


「よく覚えておけ、こっちが現実だ。あいつらが特殊なんだ」


「ですよね……安心しました……」


 そんな会話をした後また黙々とした行軍に戻る。



 そもそも、召喚契約のできる大樹とはどれなのか見渡す限り大樹だらけで判別がつかない。

 オルガナはそんな中をあまり迷う様子も見せず進んでいくので、判る人には判る何かがあるのだろう。

 途中で小さな川が流れている地点で休憩を挟みつつ進んでゆく。

 木の根のせいでほぼ意味を無していないが、緩やかに傾斜がついているようで、我々はおおよそ川の上流方面を目指して歩いているようだった。

 その後も延々樹木の海のような道を歩き続けて、本来の目的すらうすぼんやりとしてきた頃に私はこっそりコレットに尋ねる。


「どれを見ても普通の樹木にしか見えないのだが、本当にこの中に意思疎通のできる大樹というものがあるのか?」


 コレットはさすがに召喚術師を名乗るだけあってその辺りは多少わかっているのか、


「そうですね、もうすぐだと思います」


 返ってきた回答を私は少し意外な気持ちで受け止める。


「そうか、お前もそういうのがちゃんと判るのだな」


「判りますよ! もう! ……イムカさんはどうやら特定の一本だと思ってらっしゃるようですが、樹齢を経た大樹群が森の中で魔素を通して集合的に知性を得た結晶が私たちが言っている”大樹”です」


「つまりは森そのものの知性があって、その窓口となっているのが大樹ということか?」


「そんな感じです。魔素が特に濃い箇所があるので、その辺りまで行けば会えま……会うというのも変ですが、会話できますよ」


「そうか……」


 てっきり私は大樹の一本に顔でもついていて、そいつが喋りだしたりするのかと思っていた。

 そこからもう少し歩き、コレットの言うとおり少し酔いそうなくらい魔素が濃い区域に入る。

 ともなくして、


『我らが森に何用か』


 風が木の葉を揺らすような木々のさざめきと共に意味をなした声が振ってきた。顔がないからどこを見ればいいのか判らない。


「あの、た、大樹様! その、今日は召喚術師として契約をお願いしに参りました!」


 汗まみれのコレットがいち早く反応して言葉を返す。

 大樹からは唸り声なのか森のさざめきなのか良く判らない音が帰ってきて、少し間が開く。


『お前のような者が、何故?』


「わ、私だって背伸びがしたい!」


 大樹に冷静に問われてテンパったコレットが謎な回答を返す。


「大樹様、あの、この者は何らかの原因により召喚術が行えなくなっておりまして。初心に戻るつもりで……とは言いましてもかつて召喚術師であった身の上ですから契約できる者もある程度限られておりまして、その上でこの度僭越ながらお願いしに伺った次第です」


 オルガナが混乱するコレットの代わりに説明をする。

 コレットはオルガナの言葉を聞いて我に返ったのか、湿気と汗を吸いすぎて水に濡れたようになっている袖で今一度顔の汗を拭うと、目を輝かせて両手を握りしめるとそのまま返答を待つ。


『お主と契約するのは……危険な賭けとなりそうであるな』


 返答は決して色よいとは言えないものだった。


「何だ? 危険って」


「さあ……」


 私はレッカと顔を見合わせる。


「いい子にしますから! どうか何卒お願いします!!」


 コレットが開いた両手を合わせて深く腰を折る。

 こんな堂に入ったお願いの仕方は、昔立ち寄った大都市の商家前とかでしか見たことがない。こいつは本当に国の筆頭有力貴族の血族なのだろうか。


『そういう問題ではないのだが……』


 大樹は困ったように言った。


「おい、困らせてたってしょうがないだろう。駄目なら駄目で仕方がないから帰るぞ」


『まあ待て。……そうだな、我々には困っていることがある。お主にその問題が解決できれば高い危険を背負ってでもお主と契約しても良いぞ』


 大樹のその言葉にコレットの目がきらきらとあふれる光が見えそうな程にきらめき、


「本当ですか!? 任せてください!!」


 両の手を握りしめてなんでも聞きますとばかりにコレットは答えた。

 どういう危険かは良く判らないが、高い危険を背負ってでも契約するということはこの大樹……というより森が抱える問題も相応に難易度が高いのは間違いない。

 かくしてその大樹は言った。


『グレイベアドを討伐して欲しい』


 まったくやめておけばいいのに、コレットは無謀にも受けて立った。


「判りました!」


 安請け合いをするコレットを尻目に、私はレッカに尋ねる。


「グレイベアドとはどんなモンスターだ?」


 力ある存在がわざわざ頼んでくるのだ、格別に厄介な相手なのだろう。響き的に森に住み着いた熊か何かだろうか。

 そんな私の素朴な疑問を吹き飛ばすかのように、凍りついたような声のレッカが応えてくれた。


「グレイベアドは……廃城の大狼の名前です……」


 その声を背中で聞いたコレットが固まる。

 やっぱりあまり考えずに受けたなコイツ……。


「あの、大樹様? えーと、その、お言葉を疑うわけではないのですが、廃城の狼に貴方がたが何の迷惑を被っているのですか?」


 オルガナでさえもがここでそういう流れになるのは完全に予想外だったのか、狼狽する様子を隠さずに大樹に問いかける。


『城に巣食っていた狼や脳喰らい、亡霊が奴のせいで城の外に出歩くようになり、森の生態系を乱しているのだ』


 知ったこっちゃねえ。

 あやうく喉元まで声が出かけていた。危ない。これは私が受注するか否かを決める依頼ではなく、あくまで受注主はコレット。そして私はそのお守りだ。

 認識を新たに上書きし直して平静を取り繕う。


「……一応聞くが、ボス狼を倒して、出歩き出したアンデッド共が帰るのか?」


『帰りはしないだろう。しかし奴らの行動範囲は少し広がりすぎた。もう出てこなくなるのならそれだけでも十分だ』


 ならせめて頼むのは周囲の排除程度にしろよと思う。

 もしかしたら、過去にもこうして何度か召喚術契約をエサに大ボスの討伐を依頼されて帰らぬ人となった召喚術師の卵がいたのかもしれない。


 聞いてみようか。


 もしそれで適当にはぐらかすようなら、信用できないと言ってコレットの首根っこを掴んで帰ることも容易くなるだろう。肯定するようなら熟練の冒険者ですら返り討ちにするような狼相手にするのは荷が重すぎると言えるし、否定するようならグレイベアドが冒険者にとってどれほどの脅威か理解していないと適当に難癖つけて帰ることもできる。

 どう転んでも断る理由には十分だ。


「確認してお」


「やります!!」


 こうと思うんだが、と言い始めの段階でコレットの威勢のいい声に飲み込まれる。

 このガキ!

 こっちがせこせこ生存フラグを立てるためにつまらぬ策を練っていると言うのに……。


『頼んだぞ。……だが』


 大樹は言う。


『お主らの森での歩みを見ていると廃城にたどり着くのも一苦労そうである。一人、我らの眷属から案内を出そう。……ジグアタ!』


 大樹が名前を呼び、少しの間を置いて近くでガサガサと音がなったかと思うと一人のデミヒューマンが現れた。


「は〜〜〜〜い、お呼びです……か」


 呑気な声と共に現れたそのデミヒューマンは腕が四本あり、複眼や触覚が頭についていて、はねが髪の毛のように頭から垂れ下がっている。黒い結膜に紫の瞳。それらの特徴から鑑みると……。


「蛾の人だ」


 コレットが小さく呟く。

 確かにどの特徴をとっても蛾のデミヒューマンにしか見えない。

 事実そうなのであろう、ジグアタと呼ばれるデミヒューマンはちょっと困ったような笑顔を浮かべながら我々と大樹を交互に見る。


「えーと、あの?」


 ジグアタは四つある手のうち二つにお玉と調味料を持っており、……あきらかに料理の途中だった。何か……何というか……父親に呼ばれて顔を出したら見知らぬ客人が居て戸惑う娘みたいなそんな情景を想起させる。そういう距離感なのだろうか。


『お前に仕事を頼みたい』


「え、えぇー……やりますけど、今ですか? 今じゃないと駄目ですか?」


 ジグアタの目が大樹を見て、我々を見て、手元を見て、来た方向をちらりと見る。

 露骨に後にして欲しがっていた。

 どちらにせよ、今からと言われたところで対応できないのはこちらも同じだ。早朝から歩き通しで、コレットの体力が限界なのが傍目にも判る。私は体力は問題ないがさすがに汗だくなので休憩は入れたい。

 レッカやオルガナも身軽だとはいえ流石に疲労はあるようだった。


「大樹よ。俺たちも今日は長く歩いて疲れた。今日は近くで野営させてもらおうと思う。なのでジグアタには明日、案内を頼みたい」


 私が言うと、途端にジグアタの顔が明るくなる。


『そうか。それならばそうするとよい。一つ言うておくが、ジグアタが案内できるのは廃城前までだ。こやつは戦闘を得手とはしておらぬからな』


 言われて私は横目でジグアタを見る。お玉と調味料を持って前掛けをつけているその様は確かに、強そうには見えない。


 大樹はその後言葉を続けようとした様子だったが黙り、しばらく逡巡した後で結局言葉を紡ぐ。


『……けしかけはしたが、グレイベアドは人には余る存在だ。城まで行ってみて怖気づいたら帰るが良い』


「忠告痛み入る」


 最後の良心だったのかもしれない。

 今更だ。


 私としてはさっさと帰りたいのだが、言い出したことに意固地になる面倒な性格のお嬢様と、血気盛んなメイドがその選択を許しはすまい。

 だが、コレットがそれでやる気が出るというのならそれはそれでいい。私はコレットの召喚術が上達して、勇者召喚をこれならば行えるという水準になりさえすればどういう道を進もうが問題ないのだ。

 廃城で狼のボスが暴れていようが、そのせいで逃げ出した下っ端が周囲を荒らし回そうが、そして荒し回されてそこをナワバリとする連中が困ろうが知ったことではない。


『ジグアタ、どこか開けたところへ案内してやれ』


「はい〜」


 ジグアタは空いた手で軍式の敬礼めいた所作をして返事をする。当人のどこか安心したような表情とその所作のゆるさもあって全く緊張感はない。


「俺からも一つ要求がある」


 去る前に、私は一つ口を挟む。


『何だ』


「”顔”を用意しておけ。顔のない相手は話し辛い」


『考えておこう』


 そうして大樹との邂逅は締めくくられた。

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