オルガナ 1
「昨日話していた召喚術のアテですが、連絡を取ってみたところ来てくれるそうです。一日か二日ほどかかるようですが」
朝食時、壁際で控えるレッカがそう言った。
私はレッカに、もうメイドとしての職分を置いて共に食卓を囲もう、今や上下関係などなく同じパーティを組む一蓮托生の仲間だと話した。コレットもそれに同調し、落ちこぼれの自分をきちんと立ててくれるのは感謝している、だが今は同じ目線で一緒に居てくれると嬉しいと言ったようなことをごにょごにょと言っていたが、レッカはその辺りは頑なだった。
使い込んだ曲刀なんぞを持っているからきっと訳ありで、昔からのメイドではないのだろうが、そのプロ意識は表敬に値する。
しかし一体どうやって来るのに一日か二日かかるところを気軽に”連絡を取ってみた”のだろうか。
遠方にいる相手に連絡を取る手段はもちろんないわけではない。
だが諸々の条件が整わないと使えないはずだし、もちろん個人で気軽に使えるようなものではない。
聞いてみようかとも思ったが、タイミングを失してしまった。
特に必要にかられているわけでもなし、まあ何かウォンテスター家とかメイド組織でそういった環境を持っているのだろうと私は一人納得しておくことにした。
食後、少なくともそのアテがくるまでの一日か二日どう使うかと考え、食べ終わって眠くなったのか食卓についたままずるずると椅子からずり落ちてゆくコレットに言う。
「では今日はひたすら召喚を行って感覚を掴む練習にするか」
「……、……はいっ! 頑張ります!」
コレットは若干眠りに誘われていたせいで私の言葉を噛み砕くまでに数瞬を要したが、私の言葉を飲み込むと椅子に座り直し、やる気充分とばかりに拳を握りしめた。
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コレットの住む屋敷は妙な扱いになっていた。
表札はウォンテスターではなく見知らぬ名前になっていて、どうやらこの屋敷もその見知らぬ名前の人の別宅扱いになっているらしい。
だが街の郊外にあるその見知らぬ名前の人の別宅といえど、家格はそれなりにあるのか土地は広く、庭もそれなりの大きさを持っていた。
木々が見苦しくない程度に手入れされているのはレッカを始めとする使用人たちがしっかりしているおかげだろう。
やがて準備を終えて中庭にやってきたコレットは昨日の冒険者スタイルとは違うちょっと地味めな動きやすさを重視した服装で、昨日と同じ杖を持っていた。
コレットの持っている杖は魔術師としては中程度の品質の杖だ。杖自体に意匠が凝らされた彫りが入っており、同ランク帯の杖としては中々の人気を誇っている。
少なくとも、召喚陣を書くための杖としては少し過剰な投資だと私は思う。
コレットはそれから頑張りますの言葉通り本当に頑張った。
そしてその全てが失敗した。
人には「見られていると緊張する」という状況があることを聞き及んでいた私は、コレットに居ないほうがうまくいく可能性があるか、と聞いた。
コレットの答えは決まりきっていた定形のように一言、「大丈夫です、見ていてください!」だった。
見ていたがまるで改善しないので、途中トイレと言って二度ほど長めに離れた。
結果を見る限り何の影響もなかったようだったが。
今日のコレットは一日中召喚術入門の初歩である召喚獣、ティリンギという獣を喚び出そうとしていた。ティリンギとは、ウサギのような魔獣である。耳が長く、小型の二本の角を持ち、尾が猫のように長いウサギである。
初級の回復魔法や物理攻撃、警戒などを行ってくれるため駆け出しの冒険者には欠かせない相棒である……と昨日借りて読んだ召喚術入門に書いてあった。
「本当に不思議だ」
夕方に差し掛かり、レッカが持ってきたレモネードを飲みながら休憩しているコレットは、私の言葉に首を傾げた。
「何がでしょうか?」
「昨日俺も少しだけ召喚術の本を読んだのだが、ティリンギ召喚あたりは初歩の経過点のように書いてあったのだが……」
うっ、とコレットが引きつった声を出す。
「わ、私だってできたことはある……ん……ですから……」
コレットは言いながら何かが引っかかったのか声が消えながら少しだけ首を傾げた。
「少なくとも遠い過去であることは伝わってきた」
私は返答しながら考えていた。できたことがある、とはどういうことか? 昔はできていたというのなら何故それが今できない? 召喚術を行っておらず、何かその、勘のようなものがなくなってしまったとそういうことなのであろうか。
基本的に呼び出す召喚獣とは契約をしなければならない。それは一部の例外を除いて召喚術というものを行う上での鉄則である。
ギブアンドテイクでならなければならない。
呼び出した事があるということは契約自体は成されていたのだろう。
私は今夜は契約に期間というものが定められているのかを調べることに決めた。
「も、もう今日は終わりにします……。何だか感覚を取り戻すどころか遠ざかった気がします……!」
コレットは私がじっと見ていたのが気に入らなかったのか、杖をぶんぶん振りながら顔を赤くして今日は失敗だったことを告げると足早に邸内へと帰っていった。
「言いたいことは判りますが……」
レッカが呆れたように口を開き、言葉を途中で止めると首を振って言い直す。
「無理に今のお嬢様に召喚術をさせようとしても徒労に終わるだけです」
私もレッカの言いたいことは判る。言いたいことは判るが、数をこなせば感覚が掴めると言い出したのはコレット自身であって、私ではない。
私は以前一人でフラフラしているときに、立ち寄った街の酒場で頬に平手打ちの跡を付けた酔いどれの男が言っていたことを思い出した。
『時にはよォ、女が理不尽な事を言ってきた時には何も反論せず、ただ謝っといた方が得策な時もあるんだゼ……』
今がその時なのかもしれない。
「すまん」
レッカも素直に私が謝罪してくるとは思っていなかったのか、一瞬目を白黒させた後、「別に責めているわけではありません」と慌てたようにフォローのような一言を挟むと小走りにコレットを追いかけて邸内へと戻っていった。
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結論から言うと、契約した召喚獣に契約期間というものは定められていないらしい。
その辺りの情報も基礎中の基礎であったようで、大した労を負わずにたどり着くことができた。
契約した召喚獣によほど嫌われるだとか、召喚者が召喚獣を裏切るような真似をするだとか、そう言った事態にならなければ召喚獣が呼び出せなくなるということはほぼないらしい。
稀に召喚獣が召喚者に対して牙をむくような状況もあるらしいが、さすがに読んでいたのが入門書なだけあってそうならないように信頼関係を築くことが大切ですと舌触りの良い締め方で終わっていた。
夕食後に自室に篭ってすぐにその情報に行き当たってしまったせいで特にやることがなくなってしまい早々に眠り、目が覚めたのは日の出前だった。
そのまま顔を洗うと、私は街に散歩に出かける。
若干の眠気が見える守衛に、早寝しすぎたので気分転換をしてくると言い残して街の方へ足を伸ばしたまでは良かった。
昨日読み解いた情報と、コレットの現状を照らし合わせて首をひねりながら散策していたらあまり見覚えのない場所にまで足を運んでしまっていた。
現在地は大体街の南東辺りだろうか。空はまだ薄暗く、少し冷え込みを覚える。
流石にこの時間は人や動物もまだ起き出していないと見えて、幕開け前の芝居の裏方に紛れ込んでしまったような気持ちになる。
街の外壁沿いに歩いていると、やがて中央の門が見えてそこで二人の衛兵と旅行者らしき人が何やら揉めているのが見えた。
こんな時間に辿り着いて中に入れてもらえないとは旅行者も災難だな……。
「だーかーらー! さっきから言っているだろう? これは召喚術に使うんだってば!」
聞こえてきた召喚術という言葉に釣られて門の方を見る。
女だ。若干痩せぎすで、肩あたりまで伸びた髪色は灰色がかっており、そう珍しくもない碧い目は釣り上がり気味になって衛兵に食って掛かっている。
あまりこの辺りでは見ない特徴だった。私はあまり人種の判別が得意ではないのでヒト種かどうか判らない。ぱっと見る限りヒト種に見えるが、正直なところドワーフやエルフ、果ては亜人程度ならそれと判る特徴がなければ見分けがつかない時がある。見分けがつかないときは大体ヒト種だし、多分ヒト種だろう。
そしてその旅行者に朝を迎える前から食ってかかられる衛兵も若干苛立っているようで、
「骨なんか黒魔術くらいにしか使わないだろうが! ただでさえ最近は物騒なんだから火種になりそうなものを持ち込むんじゃない!」
その言葉に便乗するかのように衛兵2も、
「大体召喚術に触媒を使うなんて聞いたことがないぞ。いくら召喚術に詳しい人が減ってきてるからってそう言うやりかたはどうかと思うな」
「ああああああああ〜〜〜〜〜〜〜!!」
旅行者は頭を抱えてしゃがみ込み、立ち上がり、しかめっ面で何を言うべきか考えた後何も浮かばなかったのか手をダランとした。
そして諦めて帰るのかなと事の成り行きを見守っていた私を見つけると、迷惑なことに声を張り上げて話しかけてきた。
「あ! いいところに! お兄さん! その出で立ちは魔術師だろう!? 説明してくれよ! この衛兵さん達がいくら言っても召喚術の触媒を信用してくれないんだ!」
衛兵たちがそれぞれ助けを求めるかのような表情と面倒が増えたと言わんばかりの表情で私を見る。その奥で旅行者が両手を合わせて話を合わせてくれと言わんばかりに無言で祈っていた。
あー……早起きするんじゃなかったかな……。
その出で立ちと言うが、普段着でその辺の人間と変わらない格好なのだが、今の私に魔術師要素があるのだろうか。
どうしようか、と逡巡してもしかしたらこの旅行者がレッカの招いた先生かもしれないと思い立ち、一応口裏を合わせておくことにする。
「そうだな。高度な召喚術になると調整が難しくなる。その調整の簡略化として触媒を用いることで非常時にも素早く召喚を行うことができる」
出任せである。実際そういうこともあるかもしれないが、少なくとも私の知識にはない。
衛兵たちは偉そうに嘘講釈を垂れる私を胡散臭げに見る。
「あの……あんた本当に魔術師か?」
当然といえば当然なのだが、衛兵は控えめに私にその真偽を確認してくる。召喚術師ではないが、魔法は使える。厳密には名乗るならば魔法使いであって魔術師でもない。
使えるものは使え、と以前ギャレットに言われたこともあるし高名なウォンテスターの名を使わせてもらおう。
「俺を疑っているのか? 俺はかのギャレット・ウォンテスター公の付き人だ。公の召喚術にも何度か立ち会ったこともある。信用出来ないならウォンテスター家にも問い合わせてみるといい」
衛兵たちは二人で少しの間何やら話し込み、やがて諦めがついたように旅行者に言った。
「判ったよ、入るといい。だが何か問題を起こしたらすぐとっ捕まえてやるからな」
「はいはい、好きにしてくれ。別に問題を起こしに来たわけじゃないことくらいいずれ判るさ」
既に日の出は訪れていて、旅行者は朝日の眩しさに目を細めながらようやく街へ入る許可が出たことに安心したように伸びをする。
衛兵は若干名残惜しそうに街へ入る為の書類を作っていた。
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少し後、私は通りに人影もちらほら見えるようになってきて起き出した街の中を旅行者と歩いていた。
「ありがとう、助かったよ。まさか土壇場でギャレット卿の名前が出せるなんて大した機転だね……」
あはは、と疲れ気味に笑う旅行者は、どうやら私が言ったことを嘘八百と捉えたらしい。
「ちなみに何の骨かは知らないが本当に召喚術に使うのか?」
「そうだよ。なあんだ、知らなかったんだ! ごめんね、巻き込んじゃって」
「いや、まあそれはいいのだが……。それより、」
私が言葉を続けるより早く、旅行者が言う。
「そうだ! よかったら朝ごはんでも食べてかない? どこか美味しいところあったら教えてよ! 強行軍で来たからお腹ペコペコでさあ」
「いや、悪いが。俺も散歩してただけだからな。日も出てきたことだしそろそろ戻らねば。朝から外で食ってきたなどと言っては家主の心象を悪くするかもしれん。これでも居候だからな」
具体的にはレッカ辺りが微妙に不快そうな表情をする気がする。元々あまり良くなさそうな心象をこれ以上悪化させるのは避けたい。
旅行者はそんな私の言葉に気を悪くする様子もなく、
「あー、そっか。この街の人だもんね。ごめんごめん。それじゃあ、ありがと! ほんと助かったよっ! また機会があれば!」
そう言って荷物を背負ったまま別の路地へと抜けていった。
そして戻った私を待ち受けていたレッカは、「朝からどちらへお出かけだったんですか?」と不快そうに言ったのだった。
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