第9話

アパートから離れ、二人は先ほど通り過ぎた鳥居の前に戻ると、参道を歩く。門前町の朝は早い。既に饅頭や蒸かし芋の香りが漂っている。

こつん、と、ヒノエは法師さまの肩に頭を預けた。

「悪かったな……その、私用の揉め事に巻き込んだ挙げ句、噛み付いちまってさ」

「気にしてくれるなら、後でやさーしく舐めて欲しいなぁ。おちんちんもね!」

「そんぐらい、いくらでもしてやるよ。一週間近くあんだろ?法師さまが根を上げる程搾りとってやる!」

法師さまは、肩に乗る頭をクシャクシャっと撫でた。

彼は時々思うのだ。ヒノエという少女(とは言い切れない年齢や身体のつくりをしているが)は、真っ直ぐ過ぎて鈍感になってしまったケモノのようだ、と。彼女を宥め、あやすのは、猛獣を手懐けている気分になるのだ、と。ヒノエを支える他の客人たちも、きっとそんな危うさに惹かれているのではないか?温泉街の春をひさぐ者たちは誰一人として、一人の者が独占して良い存在ではないと聴いている。あの温泉街に婚姻制度は無く、街一つが大きなギルドであり、家族なのだろう。

外部からの客人として訪れているだけの彼には知る事の出来ない事情もあるのだろう。だからこそ、春をひさぐ者たちを愛するならば、足しげく通うのが一番の支えになる。

「……さま?法師さま、ボーっとして、寝ぼけてんのか?」

いつの間にかボーっと思考の海に潜っていたらしく、法師さまの目の前には心配そうに覗きこむヒノエの顔があった。

チュッ。

目の前のヒノエの唇に、法師さまはキスをする。あまりに近い距離だ。したくもなるだろう。普段なら殴られるかひっぱたかれるかだ、身構えた瞬間。

「まぁ、バスん中じゃお預けだったからな。今の一回ぐらいは見逃してやる。代わりに饅頭買ってくれ!」

殴られなかった。代わりに饅頭を要求された。

「どこの土産屋の饅頭が良いのかな?注文してきて」

「あそこ。あの凄い目立たない店のやつ」

ヒノエは自ら指差した饅頭屋に近づいていく。確かに目立たない。が、蒸かしたての饅頭の優しく甘い香りは、まごう事なき饅頭屋。

「すいませ〜ん、饅頭2つ!」

「はいよー!お嬢ちゃんいい時に来たね、蒸かしたてだよ」

「おおっ!法師さま、饅頭蒸かしたてだってさ!ラッキーだねっ!」

法師さまがポケットの小銭を出し、ヒノエが饅頭を受け取る。顔のシワは素敵な笑い皺という風貌の饅頭屋のおばあさんはニコニコしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る