1-6. フレーム問題とその克服

 

  6

 

 月坂博士の論文のうち幾つかはインターネット上でも読むことができた。

 ただ難解だった。一見しただけで手に負えないことがわかる複雑怪奇な内容で、わたしはあっという間に音を上げた。それが先生と話した水曜日の夜。

 だけど、別に論文の中身がちゃんと理解できる必要はないと思い直したのが翌々日の金曜日だ。わたしは近所の図書館に出かけた。

 そこに行けば工学教授の論文が収容されていると睨んだわけではない。なんとなく調べものに向いていそうだと思ったのと、あとは単に家にいるのが嫌だった。


 冷房の利いた図書館で、備え付けの端末を使って月坂博士の論文リストをプリントアウトした。連名のものも含めると全部で二百件近くある。これが多いのか少ないのかはよくわからないけれど、素人目にも研究分野がかなり多岐に渡っているらしいことは理解できた。

 一般に専門とされている義肢に関する論文はほとんどが若い時分のものだった。その後、三十代半ばごろから生物学や情報工学、機械工学、数学、理論物理学などの領域に手を広げている。それから臨床心理学。タイトルには自閉、アスペルガー、発達障害などといった言葉が並んでいた。


 この時点で、先生と話をする上でのネタはほぼ掴んだようなものだと思ったけれど、わたしはもう少し調査を進めた。複数の論文で共同研究者となっている人物が何人かいたから、彼らの研究テーマを調べてみたのだ。

 結果は概ね期待した通りだった。ポストマンという言葉こそなかったものの、「義肢に関する技術を応用した感覚器官の拡張」やら「ブレインマシンインタフェースによる義体制御の可能性」やら「シンギュラリティ以降の人類進化」といった見るからに怪しい論文が次から次へ出てくる出てくる。ネットで噂になるわけだ。あるいは論文執筆者の彼ら自身が好事家の正体なのかもしれないけれど。


 月坂博士の論文が最後に発表されたのは亡くなる二年前だった。タイトルは「癲癇てんかん患者における脳波の量子化ビット数について」。共著者なし。閲覧許可はされていない。ネットで検索をかけてみても目ぼしい情報は見当たらない。

 ついでにてんかんという病気のことも少し調べた。脳の神経活動が活発になりすぎて発作が起きる病気らしい。詳しいことはわからないけれど、義肢と直接の関係がなさそうなのは明らかだ。


 得られた収穫はわたしにとって、どうやら博士に関するインターネット上の噂話は根も葉もないでたらめってわけでもなさそうだ、と結論付けるに十分だった。自分で言うのもなんだけど、乏しい手掛かりからよく調べたものだと思う。意外とこういうことに適性があるのかもしれない。

 そこから次の水曜日までは、いつものようにデラシネで見知らぬ誰かとくだらないお喋りをしたり、隣町のショッピングモールで時間をつぶしたり、あるいは家でゲームをやったり、図書館から借りてきた本を読んだり、ネットで調べ物をしたりして好きなように過ごした。


 夏休みが近づいてきていたけれど、それももはや自分とは関係のないイベントのように感じられた。

 何しろ期間としてはもう夏休みの倍くらい自主的に学校を休んでしまっている。

 

  *

 

「やあ、三條君」先生はいつものように頬杖をついてハードカバーの本を読んでいた。「今日は少し早かったね」

「ちょっと張り切りすぎましたかね」

 言いながら向かいのソファに腰掛ける。先生がちらりとこちらを見た。

「やれやれ」彼は本を閉じて立ち上がった。「暑い中ご苦労様。麦茶飲むよね」

「いつもありがとうございます」


 立ち上がり、冷蔵庫を開けて、麦茶を取り出す先生。透き通った茶色の液体がコップに注がれていく。

 わたしは座ったままそれを見ている。

 すっかり当たり前になった光景。

 変わらない。わたしが先生に何を言おうとも。わたし達の日常は、何も変わらない。いつまでもいつまでも。

 だからいつまでも、ここに居させてほしい。


「もうすぐ夏休みだね、三條君」麦茶のコップを手に先生が戻ってくる。

「わたし、随分前から堪能してます」

「元気そうで何よりだ」先生は麦茶を一口飲んで軽く腕組みをした。「宿題は捗ってる?」

「ええ、まあ……」どう話そうか迷っていたけれど、向こうから切り出してくるなら好都合だ。「先生のお父様はずいぶん色んなことに興味があったんですね」


 先生はぴくりと眉を持ち上げた。見たことのない反応だった。彼は無言のままこちらを見つめている。続けなさいという意思表示だろうか。


「特に四十代に入る頃から、臨床心理学に関連した研究が増えているようでした」わたしは思ったより挙動不審にならず、落ち着いて話すことができていた。「発達障害とか、自閉症とか……。詳しくないんですけど、どちらかといえばそれって、先生の専門分野に近いんじゃないですか」

「本当に調べてきたみたいだね」驚いたような呆れたような、それでも少し楽しんでいるような複雑な表情で先生は言った。「父が何をしようとしていたのか、わかったかい」

 わたしは慎重に言葉を選んだ。ネットの怪しいサイトに書かれている無責任な流言をそのまま口にするのはやめておいたほうがいいと思ったからだ。

「いえ、よくわかりませんでした」そう言って首を振る。「ロボット、脳、発達障害。この辺りがキーワードなのかなって気はしましたけど、わたしの知識では論文の中身を理解することまではできなくて」


 先生は少し間を空けて口を開いた。

「父の主要な研究分野は義肢だというのが一般的な認識かもしれないけれど、より正確には制御用のインタフェースが彼の専門だ。人間の身体は、脳から発せられる電気信号が神経によって伝達されることで動いている。この信号を受信して、機械を動かす命令に変換するプログラムの開発が、父の当初の研究だった」

「義手とか義足を、本人の意思で動かせるっていうやつですね」

「そう。月坂教授はその仕組みにおける、人間と機械の連結部を主に担当していたというわけだ」そう言って、先生は窓の外を見た。「ごく簡略化して説明してしまえば、当初は人間の脳から発せられる信号を機械の身体向けに変換するだけだったインタフェースを、双方向のやりとりが可能なものに改良するというのが後に父のライフワークとなった」


「双方向、ですか」わたしは首をひねった。

「脳は外界からの刺激を得て活動する。脳の仕組みを語るうえでフィードバックの機構は外せない。そこで、機械の身体が受けた刺激を脳に返してやるってことを考えたわけだね。これが実現すれば、義肢はただ欠損した腕や足の機能を補うだけじゃなくて、あたかも本物の手足のように生きている実感を齎してくれるようになる。これが博士の志だった」

「つまり……義肢を通じて手触りとか、温度とかを感じられるようになる?」

「そういうこと」先生は頷く。「だがその研究の過程で父は悪魔と出会ったんだ。ファウスト博士のように」


 わたしは息を呑んだ。

 先生は淡々と続けた。

「義肢を脳からの信号によって制御できるなら、そして義肢が受けた刺激を信号化して脳に伝達できるなら。それなら、人体そのものを機械化し、人間の意識をデータ化してしまうことも原理的には可能ではないのか。そういう発想に父が至るまでに時間はかからなかった。この構想はやがてポストマン・プロジェクトと名付けられた」

「そ、それって」喋ろうとして、喉の渇きに気が付いた。麦茶を流し込んでから続ける。「人間をロボットにするってことですか」

「というよりも、人間とロボットの区別を曖昧にしてしまうって言い方のほうが正しいのかもしれない」先生は腕組みをしたまま、外にある大きなケヤキを見ている。「だが、実現にはもちろん幾つもの大きなハードルがあった。とりわけ厄介で明確なのが二点。まず第一に、脳の機能を代替するハードウェアおよびソフトウェアが必要だ。そして二つ目に、デジタル信号とアナログ信号を相互に変換する際に不可避的に生じる情報の欠損をどう扱うかという問題がある」


 わたしは小さく頷いて続きを促した。

「一点目の問題はきわめて困難だがシンプルだった。それは義肢における単純な性能面の話と同じことだ。とはいえ解決すべき重要な課題がひとつある。フレーム問題だ。それについては後で話そう。

 ややこしいのが二つ目、信号変換のほうだ。量子論の流儀に則るなら、すべての連続量は離散的な数値で表現できる。数値化が可能ということは、原理的には情報は一切のロスなく伝達可能だ。

 ……とはいえそれはプランクエネルギーの単位までデータの解像度を上げられる前提の上での話であって、現実には到底不可能な話だ。信号変換を行えば必ずデータは劣化する。

 かといってアナログ信号をそのまま伝達するなんて芸当もまた不可能だ。波を放っておけば勝手に弱まるのと同じでね。人体はニューロンとシナプスという生体機構を利用して情報の損失を抑制することに成功しているが、少なくともそれと同程度まで信号変換の精度を高めてやる必要がある」


 たぶんわたしの頭の上には既にクエスチョンマークが二つか三つくらい浮かんでいるに違いない。

 そんな様子を見て取ってか、先生は立ち上がって部屋の隅にあったホワイトボードを引っ張ってきた。


「さて、閑話休題だ。三條君、フレーム問題という言葉を知っているかな。例え話で説明しよう。僕は三條君がここへ来ると、いつも椅子を立って麦茶を入れるね。毎回同じことをするのは面倒だから、今度から人工知能を搭載したロボットにその役目を代行してもらうことにした」

 先生はホワイトボードに油性ペンでぶさいくなロボットの絵を描いた。ここまでの文脈がなければ象形化された串おでんか何かだと思うところだ。

「これを仮に月坂君1号とする。

 1号は冷蔵庫の蓋を開け、麦茶の入ったポットを取り出し、冷蔵庫の蓋を閉め、コップを二つ棚から出して、麦茶を注ぎ、僕らのもとへ持ってくる。

 職務遂行能力に長けた1号は見事に給仕の仕事を成し遂げた。しかし我々に差し出された麦茶にはなんと黒光りする大きな虫が浮いていた。

 彼は目的のために必要な行動を漏れなく把握し実行することができたが、棚のコップに虫の死骸が入っているという不測の事態には対応できなかった。気が利かない奴だ」

 哀れ月坂君1号は大きなばってんマークをつけられてしまった。その下に端正な筆致で記されたのは『唐変木』の三文字。


 先生は続ける。

「頭にきた僕は月坂君1号をスクラップにして、新たに2号を雇い入れることにした」

 そう言って彼は新しい串おでんを描き加えた。

「2号は1号が持っていた機能に加えて、業務中に起こりうるアクシデントをあらかじめ考慮するという画期的なサブルーチンを持っている。

 彼は仕事熱心なので張り切って職場にやってきた。しかし月坂君2号は冷蔵庫の蓋を開けようとして、その場でぴたりと動かなくなった。

 2号が考えていたのは、例えばこんなことだ。もし冷蔵庫の中身がぱんぱんに詰まっていて、開けた瞬間に崩れてくるような事態が発生したらどうなるか。あるいは、冷蔵庫に超高圧の電流が流れていて触った途端にショートしてしまう心配はないか。もしくは冷蔵庫の蓋がどこかの仕掛けと連動していて、開けた瞬間に床が抜けるのではないか。はたまた冷蔵庫が実は死んだ月坂君1号を改造して作られたもので、触れたが最後、前任者の職を奪い取った自分を粉々に粉砕してしまうのではないか。

 ……要するに彼は一種の不安障害だった。強迫観念の迷宮に入り込んでしまった2号はその場で廃棄処分となった」

 油性ペンは無慈悲にも2号に襲い掛かる。バツ印と一緒に与えられたのは『心配性』の称号だ。


 ペケがついた二体のロボットをよそに、先生はなおも続けた。

「続く3号は、アクシデントとはいってもあまりに荒唐無稽であり得ないものとか、そもそも業務の遂行に関係のない事態は考慮外とするよう作られた」

 ホワイトボード上に生産されるロボット3号。

「しかしそいつは一歩たりとも動き出すことはなかった。

 何故なら彼は古代ギリシャの哲学者だったからだ。『まず初めに業務の遂行に関係する事態とは何か、定義しなくてはなるまい』と考えたわけだ。

 そして一つ一つ、この世で生じうるありとあらゆる出来事をリストアップし、彼の崇高なる業務との関連性に従って分類し始めた。そうして月坂君3号は遠い世界へと旅立って、そのまま永遠に帰ってくることはなかった」

 三体目のロボにも無能の烙印が押された。彼には『哲学者』という名がついた。


「フレーム問題とは、物事を考える際に一定の枠組み、フレームを設けておかないと考慮すべき事態が無制限に膨れ上がってしまうことを指す。現在の人工知能が特定の機能に特化したものばかりになっているのは、突き詰めればこれが理由だ。明確なルールがある、限られた世界においてのみ彼らは人間を超える能力を発揮できる」

 バツ印のついた唐変木、心配性、哲学者の三名が油性ペンの黒い枠で囲われた。そうして先生は枠の上部へ「FRAME」と書き足す。


「改めて確認するまでもなく、僕はこのロボットたちと違って麦茶を入れられるし、もし万が一コップの中に虫がいたら叩き割って捨てられる。人間だからね。

 でも、人間はどうしてフレーム問題に陥らないんだろうか。これについてはっきりした結論は出ていないけれど、僕は『フレーム問題は解決されていない』という説を推す。人間はすべての事象を考慮しているわけではなくて、考えてもしょうがないと判断したところで思考を放棄してしまうだけだ。

 そうやって、ある時点で正しさを諦めてとりあえず行動を優先するのが、有限のリソースでフレーム問題を克服するのに必要なことだという考え方もできる。そうであるならば、これは人工知能の本質的な限界などではなく、純粋に技術の問題になる。チェスや将棋で最適解を探索するAIも可能性の枝刈りを行っている。原理としてはそれと変わらない」


 右手で持っていたペンにキャップをすると、先生はそれを使って左掌をぺちぺちと叩き始めた。

「フレーム問題は、一般に人工知能との関係で語られることが多い。だけど人間の中にもこの問題に悩まされやすい種類の人々がいる。その最たるものが自閉スペクトラム症だ。多くの人が自明とすることをすぐに理解できない。理解できないから行動できず、あたかもフリーズしたかのように見える。さもなくば自分の置かれている状況がわからずパニックに陥る。

 言ってみれば古代ギリシャの哲学者だって似たようなものだね。普通に生きていく上では、『そんなことを考えて何になる』と言いたくなるような些末な疑問に躓いて、そこで一生を過ごすのが哲学者という人種だ。

 何が言いたいかっていうと、少なくともフレーム問題という観点から見る限り、人間と人工知能の間に埋められない本質的なギャップがあるかどうかは怪しいってことだ。そしてどうやら、見方によっては自閉スペクトラム症の人はそうでない人よりも、人工知能に近い可能性がある。

 父はその点に目を付けた。それこそがまさに晩年の彼の研究の根幹をなす部分だった。

 自閉症という言葉はずいぶん多くの人に知られるようになったけれど、単にサンプルの観察結果を集めたものとしての『傾向』じゃなく自閉の『本質』が何なのかを答えられる人はほとんどいないだろう。それは、神経が備える信号変換の精度の問題だ。しばしば自閉スペクトラム症の特徴として取り沙汰されるような振る舞いや認識の差異は、あくまで副次的なものに過ぎない。彼らを特徴づけるのは、外界から受信する刺激の波形を神経が量子化する過程なんだ。

 月坂博士はこのように仮説を立てた。一般に自閉的傾向とみなされるものは、神経の信号変換に伴う情報欠損に脳が適応した結果であるにすぎないのではないかと。個人によって症状に大きなばらつきがある理由もこれで説明できる。神経の伝達機能は千差万別、まさに連続体スペクトラムだ。

 ともあれこのアイディアは、先ほど掲げた二つの大きな問題を同時に解消できる可能性がある。博士はこう考えた。アスペルガー症候群と呼ばれる者の一部は生身から機械の身体へ、自分の脳から作られた脳への移行をスムーズに行えるのではないかと」


 不思議だ。

 先生の言っていることは、大筋ではモモちゃんとほぼ同じに思えた。

 モモちゃんは自閉スペクトラム症がなぜポストマン研究に関係するのかをきちんと理解していなかった。その点を先生はかなり詳細に説明してくれはした。これが門外不出の、月坂博士が死んで失われたはずの研究成果ってことだろうか。ただ何にせよ、わたしからすれば「よくわからない」という感想に変わりはない。

 にも拘わらず、わたしはモモちゃんの話を聞いたときのように「御伽噺」とは思わなかった。先生の言っていることはきっと現実に起こっているんだろうと感じた。それが不思議だった。

 わたしはもしかして先生の言うことなら何でも信じてしまうようにできているんじゃないだろうか。恋は盲目という言葉もある。わたしは今、先生を前にして正常な判断能力を失っているのではなかろうか。


「先生は……」わたしは熱に浮かされたように呟いた。「先生は、ポストマンなんですか」

 どうしてそんなことを口走ったのか、自分でもよくわからない。

 先生の目に、ひどく暗い色が差したのがわかった。あらゆる光を吸い込んでしまいそうな闇の色。わたしはその黒体のような瞳に釘づけになった。

「この話には、ひとつ大きな穴がある」彼は能面のような表情で言った。「もし僕がポストマンだとしたら……僕は、いつから僕だったのだと思う?」

 先生が教えてくれた話をわたしは思い出す。

 テセウスのパラドックスだ。

 船を修理するために部品を取り換えていくうちに、すべてのパーツが入れ替わってしまったとしたら、それでも船は同じ船のままであり続けられるのか。


「……わかりません」

「だろうね」先生は顔を俯けて目を伏せた。「一度データ化が済んでしまえば、原理的にポストマンが死ぬことはない。見た目も知識や記憶も再現できる。もちろん死んだ場合は最後にバックアップをとったときの状態に戻るわけだから、多少の欠落は生じるけれど。少なくとも外から見たときに、同一性が失われるということはない」

 あのとき、先生は言っていた。

 誰がなんと言おうとも自分は自分だと言い切る自信がない。もしかしたらテセウスの船のように、以前とはまるっきりの別物になっているかもしれない、と。

 もう一度、先生の瞳の色を見ようとしたけれど、全てを飲み込んでしまいそうな真っ暗闇は瞼に覆われていた。


 わたしは言った。

「先生のことが好きです」

「だろうね」

「こっちを向いてください」

 先生の目がわたしを見た。呼ばれたのでつい、というような軽い動きで。

 それはいつも通りの眼差しだった。優しくて少し眠たげで、だけどひんやりと冷たい。

「君は頭がいいから、よくわかっていると思うけれど」先生はゆっくりと言った。「それは、言ってもどうにもならないことだ」

「先生は、きっとわかっていないと思いました」わたしはちょっと早口になる。「どうにかなるとか、ならないとか。そういう問題じゃないです」

「気持ちは伝わると思うかい」

「はい」揺れそうになる声を抑えて頷いた。「だって先生は、わたしを見てくれました」


 先生はすぐには何も言わなかった。

 そうして何秒か、何十秒か、何分か、時間の感覚が曖昧になってよくわからないけれども沈黙があって、それから口を開いた。

「人と人とが理解し合えるとでもいうかのような、あるいは我々人間が世界を理解できるとでもいうかのような、そんな錯覚を引き起こす現象が確かに存在するということと、しかしそれはしょせん錯覚でしかないということとの間に、我々のすべての葛藤が根差している」


 その言葉を、わたしは以前にも聞いたことがある。

 一字一句違わず同じ言葉を。

「父が、若い頃に書いた文章だ」先生はちょっと笑った気がした。「おかしな人だろう。何の研究者だかわからない。彼はきっと本当は詩人にでもなるべきだったんだ」

「あれは、お父様の言葉だったんですね」


 言ってわたしは思い出す。

 とても大切な記憶と、切っても切り離せない悲しみの両方を。

 それは、先生に初めて会った日のこと。

 そして、わたしが謹慎処分を受けることになったときのことだった。

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