完全な世界

『「完全な世界」とは何かについて、幼い頃から考えていた』


 開いたテキストファイルは、そんな文言から始まった。かばんを背負った女性は、思わず眉間に皺を寄せた。

 ——それはおそらく、スヴァールバル種子貯蔵庫の創設者の言葉だった。


『少年時代、私はたしかにそれを完成させていた。完全な世界は、私の空想の中にあったのだ。多くの人がそうだったように』


 すると、画面が突然暗転した。

 数秒後、やけにセピアがかった映像が空中に浮かび上がった。21世紀初頭のアメリカの住居と思しき風景。キッチンにはいくつも瓶が並んでおり、その中はピクルスだったりオリーブだったり、杏の実だったりした。ビールの瓶もある。陶器の食器が棚に整然と並んでいる。生活の痕跡を薄めようという努力が感じられるが、食器についた水滴などが決して拭えない原始的な痕跡となって表れていた。

 そしてなにより、22世紀を生きる彼女から見れば、古臭く無駄の多い家だった。

 一人の女性がキッチンにやってくる。30代前半といったところか、外ハネのブロンド髪で、白いシャツにデニムという出で立ち。現代の美意識に照らし合わせても、美しい女性と言えた。

 美女は棚から茶色い缶を取り出した。——映像自体がセピア調のため茶色に見えただけかもしれないが、いずれにしても控えめに象られた花柄の加工以外には、さしたる特徴のないシンプルな缶だった。

 駆け寄ってきた子どもは、おそらく彼女の息子なのだろう。十歳ほどに見える少年は嬉しそうに缶と母親を見比べる。

 肩をすくめて、母親はその缶を開けた。中にはチョコクッキーが入っていた。


 少年時代、親に愛された日々。憧憬。


 そんな映像だった。それを見た女性は、絵空事だと思った。

 こんな世界が実現しなかったからこそ、今、人類は、滅亡したのだ。


 テキストには続きがあった。読み進める。



『しかし完全な世界は崩れ去る。

 ITの世界に足を踏み入れ、人々が働いている間にはその倍働き、人々が眠っている間には人並みに働くことで成功をおさめたが、心は冷めていくばかりだった。

 裏切られ、厚意を無下にされ、勝負を降りられず、人々を切り捨てることを強要された。

 そんなとき、いつも夢想するのは、完全な世界だった。

 働きながら、高級車を乗り回しながら、高いところから夜景を見下ろしながら、女を抱きながら、金に心を蝕まれるのを実感しながら——つねに、『完全な世界』とはどういうものなのかを考えつづけた。


 結果。

 そのために必要なものは、

 

 

 

 の3つだと思い至った。この発想が『スヴァールバル・フレンズ・プロジェクト』の基本理念の雛形となるのである。


 人間の悪意や薄汚い欲望に曝され、乾いた心の中で、その想いだけは瑞々しく残り続けたのだ。

 そして私は、そういう実感から目を逸らさないことでここまでのしあがってきたのだ。その自負はある。

 どうしても、完全な世界を実現したい。それができるのは、私だけだ。

 そう思った。

 しかし、方法はわからなかった。

 さっぱりだ。


 「完全な世界」って、どうやって作ればいいんだ?

 途方に暮れているところ、私は日本のソーシャルゲームに出会った』



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