時柴兄弟の変心

泡野瑤子

1

「いったい何なの、これ……」

 時柴太郎ときしばたろう時柴次郎ときしばじろうは、双子らしく同じ表情で驚き、同じ声で同時に同じ言葉を発した後、絶句した。

 無理もない。目の前で父さんが柴犬に姿を変えて、また人間に戻ったのだから。

 一九八五年三月、時柴兄弟にとっては、中二の三学期が終わって春休みが始まった日のことだった。二人は寝る前に突然父さんに呼び出され、初めて「柴犬体質」について聞かされたのだ。

 二人の反応は、三〇年後に太郎の息子がしたものとほぼ同じだった。つまり、「時柴家の男子は、柴犬に変身することがある」などという、あまりにも奇妙で常識外れな話を、しかし目の前で実演されてしまったからにはどうしても信じないわけにはいかなくて、ひどく困惑していた。

 二人は一緒の寝室に戻ったが、なかなか寝つけそうになかった。

「『胸毛が生えたら柴犬体質の可能性が高いから報告しなさい』って、父さん言ってたよな」

 二段ベッドの下段で、弟の次郎がTシャツの首元から自分の胸を覗いていた。今のところそれらしき毛は生えていない。でも父さんには胸毛があるのだから、息子にだって遺伝するかもしれない。一卵性双生児だし、生えるときは二人とも生えるだろう。

 ただ、柴犬体質などという摩訶不思議な現象が、従来の科学で説明できるとは、二人にはとうてい思えなかった。双子だから二人とも柴犬になるとか、またはならないとかいう保証はどこにもないのではないか。そもそも、中肉中背中年中間管理職の父さんが、ちっこくて愛くるしい柴犬に変身するのだから、この前習ったばかりの質量保存の法則とか、なんかそういう感じのアレを大胆に無視している気がする。

「まあ、俺は別に柴犬になりたいわけじゃないけど」

 二段ベッドの上から、兄の太郎ののんびりした声が聞こえた。

「どうせ柴犬体質なら、次郎と二人揃って柴犬になりたいなー」

「そうだねえ」

 次郎は兄に調子を合わせたが、内心では全く違うことを考えていた。

 俺だけが、柴犬体質だったらいいな。


 ***


 ひとつ断っておかねばならないが、次郎は太郎のことを憎んだり、嫌ったりしたことは一度もない。むしろ二人はとびきり仲良しの双子で、一心同体だったのだ。幼い頃からお揃いの服を着るのが好きで、両親でも見分けがつかないくらいそっくりだった。ただし二人とも丸坊主だったのは、小中学校の校則のせいだ。

 両親は二人を平等に愛したが、時には兄弟の間で不均衡が生じることもあった。母さんがケーキを半分に切ったとき、太郎のほうがちょっとだけ大きかったとか、縁日の屋台でくじを引いたら次郎だけが当たったとか。

 たかがその程度のことでも子どもは機嫌を損ねがちなものだが、二人が喧嘩をしたことはほとんどなかった。二人とものんびり屋で、細かいことを気にしなかったせいかもしれない。

 小学校に入ってから中学校を卒業するまで、二人は一度も同じクラスにしてもらえなかった。混乱を避けるために別々のクラスに分けられるのだ。クラスメイトも担任の先生も違うのだから、もう平等とはいえなかった。それでも休み時間にはいつも一緒に遊んだし、家に帰ってからも同じだった。

 おもちゃや漫画本は二人の共有財産だった。中学に入学した年には、二人でお年玉を出し合って、念願のファミリーコンピュータ、いわゆるファミコンを買った。臙脂えんじと白の筐体きょうたいに、有線で二つのコントローラが繋がっていて、なぜかコントローラⅡにだけマイクが付いている、いまや懐かしのゲーム機だ。

 その後二人がお小遣いを出し合って買ったソフトも、どれも二人プレイができるものばかりだった。一番のお気に入りは、もちろん赤と緑の服を着た双子の兄弟が活躍するあのゲームだ。最初はお姫様を助けに行くのではなく、土管から出てきた敵キャラを倒すゲームだった。

 学校の成績も、二人はほとんど同じだった。理数系がちょっと苦手で、体育はもっと苦手。マラソン大会では「最後まで一緒に走ろうね」などと空々しい約束を交わさずとも、二人は毎年並んで最後尾近くを走っていた(本当は、半分以上は歩いていた)。

 勉強や運動では等しく目立ったところのない双子だったが、ひとつだけ飛びぬけて得意なものがあった。

 絵だ。

 物心ついたときには、二人はもうクレヨンを握っていた。漫画絵を描くより写生画を描くのが好きだったから、両親にはちょっと変わった子どもだと思われていたようだ。父さんも母さんも絵は下手くそなのに、不思議だった。

 二人が幼稚園に通っていた頃、絵描きを目指す貧しい少年とその愛犬のアニメが放映されていた。二人とも大いに感情移入して毎週観ていたが、あまりにも悲劇的な最終回を迎えると、揃っておんおんと泣きわめいて両親を困らせた。もしもこの物語がハッピーエンドだったなら、太郎は本当に自分の息子を「時柴パトラッシュ」という名前にしていたかもしれない。

 小学生のとき、二人はたくさんの絵画コンクールに応募して、たくさん賞をもらった。六年生になる頃には、賞状や副賞のトロフィーがリビングや玄関に飾りきれないほどになり、父さんが書斎として使っていた小部屋の本棚を占拠してしまった。

 小学校の卒業文集に、二人は将来の夢についてこう書いている。

「次郎といっしょに画家になること 時柴太郎」

「太郎といっしょに画家になること 時柴次郎」

 二人はいつも一緒だったし、これからもそうだったはずなのだが――。

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