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「花火大会のとき友達来るから、裏山の空地使わせて」

その晩、家族揃った食卓で、流星は何気なく言ってみた。

「もしかして、女の子?」中二の妹がからかう。

「さて、それはどうかな」流星ははぐらかした。

「お赤飯炊かなくちゃね」母さんは嬉しそうだ。

「…………………………」

 父さんだけが、険しい表情に変わった。

「だめ?」

「いや……父さんはいいけど、じいちゃんが何て言うかな?」

「まさか! 矢沢永吉やざわえいきちじゃあるまいし、わざわざおじいちゃんに許可を取らなくても大丈夫でしょうに」

 母さんが横から助け船を出してくれたが、父さんは首を縦に振らないし、流星の世代には矢沢永吉がいまいち分からない。

「そうだ流星、明日じいちゃんに会いに行こう。そのときに許可をもらおうな。父さんも仕事休みだし」

「ええっ? 電話じゃだめなの?」

「いいじゃないか、たまには男二人でドライブも。な、流星」

「まあ、暇だから別にいいけど……何で俺だけ?」

 父さんは、なんだか様子が変だった。


***


 流星が小さい頃、じいちゃん夫婦は近所に住んでいたが、十年前、定年退職をきっかけに、田舎暮らしがしたいと言って隣県の山村へ引っ越してしまった。三年前にばあちゃんが亡くなってから、じいちゃんは一人暮らしだ。

 朝早く自宅を出発し、片道二時間の道のりを経て、流星が車から降りたとき、村にはさわやかな風が吹いていた。この辺りは都会と違って、夏でも涼しい。正直に言って、流星はじいちゃんの家のほこりっぽい匂いが苦手だ。けれども都会では手に入りがたい広い庭と、どこまでも続く青い空や緑の山々が見える景色は悪くなかった。

 わん! わん!

 じいちゃんの家の庭に、見慣れない白っぽい犬がいた。おそらく柴犬の仲間だろう。子犬ではないような気がした。つぶらな瞳は愛くるしかったが、どことなく老成して見えたからだ。首輪はしていないが、毛並はきれいだし、とても野良犬とは思えない。最近飼い始めたのかな? 父さんは知ってたんだろうか?

 流星はたわむれに犬に話しかけてみた。

「ねえ、じいちゃんいる?」

 わわんわわん!

 犬に聞いてもしょうがないよな、と流星はインターホンを鳴らそうとする。が、それより先に父さんが勝手に玄関を開けた。鍵は掛かっていなかった。田舎とはいえ不用心じゃないか? と流星が思っているうちに、柴犬がすばやく上がりがまちを駆け上がった。そのまま右側のふすまを前脚で器用に開け、和室の中から「わん」と流星たちを誘うように吠える。

 父さんが靴を脱ぎ始めた。

「お前も上がりなさい」

「ちょ……いいの? 犬が中に入っちゃったけど」

 父さんは「いいから早く」と言って気に留める様子もない。

 和室に入ると、柴犬は、床の間の前に敷かれた座布団の上にちょこんとおすわりしていた。いつもならじいちゃんが座っている場所だ。犬のくせに、上座を占拠している。父さんは、その隣にある座布団の上に正座した。

 柴犬が右の前脚を伸ばして「わん!」と吠えた。その先に座布団がある。まるで「そこへ座れ」と言っているかのようだ。流星が胡坐あぐらをかくと「わんわん! わんわん!」としつこく吠える。

「きちんと正座しなさい」

 父さんが厳しく言った。何で? 俺、何か怒られるようなことしたっけ? 流星は釈然としなかったが、それに従った。

 わん、わう、わわんわんわんわん?

「流星、お前、今年いくつになった?」

「え? 四月で十六になったけど」

 ぶるる。わんわわわんわんわんわんわん?

「そうか。女の子と花火を観たいそうだな?」

「俺、女子とは一言も言ってないけど」

 ぐるるるる! わんわんお、ばうおわわんわわん?

「黙って聞け! では聞くが、胸毛は生えているか?」

「はあ? 何それ? ていうか、さっきから何で父さんが犬の通訳してるみたいになってんの?」

 ばうおわわんわんわんっわわんわんわん!

「胸毛は生えているのかって聞いてるんだ!」

「は、生えてないよ……ねえ、これ何?」

 父さんと柴犬が顔を見合わせて、同時にこくりと頷いた。突然怒鳴られた流星には、全く状況がつかめない。

 柴犬が後ろ脚で立ち上がった。

 あおおーーーーーーん!

 柴犬は遠吠えを始めたかと思うと、どういうわけか、その身体から強い光を放ちだした。あまりの眩しさに流星は目を覆う。

 五、六秒くらいで、その光は止んだようだった。流星が恐る恐る目を開けると、そこにいたはずの柴犬の姿が跡形もなく消えているではないか。だが、その代わりに――ああ、なんということだろう――そこには、一糸まとわぬ姿のじいちゃんが立っていたのだ。

 枯れ木にも似た祖父の老体を、まじまじと見る勇気はなかった。ただ、残り少ない頭髪と同様に白くなった胸毛だけが、やけに流星の目に焼きついて離れなかった。

 驚き過ぎて声も出ない。流星の目の前で、犬がじいちゃんに化けたのだ! 何これ手品? どういうトリック?

「タネも仕掛けもないぞ」流星の心を見透かしたかのように、じいちゃんがいつものしわがれ声で言う。「見ての通り、じゃ」

「驚くのも無理はない。俺だって、初めて知ったときはお前と同じ反応をしたもんだ」父さんが後に続いた。「実は、さっきの柴犬の正体は、じいちゃんだったんだよ」

 じいちゃんがずいっと一歩前に出た。

「口で言ってもにわかには信じられんじゃろうから、まずはやって見せたんじゃ。流星、お前ももう年ごろの男じゃ。これから、お前に時柴家の男子にのみ代々引き継がれる秘密を話す。……覚悟はいいか?」

 突然柴犬から全裸のじいさんに変身しておいて、覚悟もへったくれもあったものではない。

 流星は混乱した頭をどうにか整理して、目の前にぶら下がっているモノから顔を背けて言った。

「……とりあえず、服着てからにしてくれない?」

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