7話
小学校3年生で塾に入ってから2年近くが経とうとする頃、恵子は始めての挫折を経験した。
今まで塾で授業を聞いていれば大抵の事は理解出来たし、クラス分けテストでも点数維持かそれ以上を取り続ける事が出来ていた。だから、塾に入ったとはいえ、周りと比べて勉強らしい勉強などしてこなかった。
けれど点数は人並み以上。偏差値でいえば60~70。レベルの高いと言われるS塾でもトップクラスにいた。出来るから勉強しないのではなく、勉強出来ないけど出来ちゃった、といった感じだった。
しかし、小学校高学年頃になると周りの気の入れ具合がガラッと変わる。
小411月の月例クラス分けテストで恵子ははじめてクラスを落とされた。少しショックだった。
だが、色々な事に慣れすぎて育った無頓着さのお陰で幸か不幸か大してその事に執着はしなかった。引きずり過ぎなかったと言えば良く聞こえるが、逆にクラスを上げようと頑張る事もなかった。
正直に言えば、クラスなどどうでも良かった。それに恵子は勉強の仕方を知らなかったし、集中力も著しく欠如していた。そんなだからテストの度にコースはずるずると下がり続けた
もちろん親も激怒した。
S塾は質の高い塾であると同時に授業料も他塾と比較してずば抜けて高かったから余計に。父親が怠惰で遊び呆けてばかりいる恵子の家の収入ではS塾の学費を支払い続けるのが厳しかった。銀行員として優秀に働き、人並み以上に稼ぎのあった祖父も既に他界し、ギリギリの状態であったのだ。
塾に通うことは嫌いではなかったから、塾を辞めることは嫌だった。それに、少しの時間であっても窮屈な家を離れられるのが楽だった。母の顔も、父の顔も、弟の顔も見るだけでストレスだったし、同じ空間にいるというだけで苦痛だった。家にいて、いつ突然親が怒り始めたらと思うと、本当に精神的に辛かった。
また、塾のある街に出れば沢山の面白い物があった。誰にも怒られる事なく、人混みの中に溶け込めているのが何だか嬉しかったし、楽しかった。
しかし、ある日両親にそろそろ塾やめようと言われた。心の中では猛反対していたが、口には出せなかった。
結局S塾は小6の6月でやめることになった。受験まで1年を切ったところでの断念だった。悲しくはなかったし、悔しくもなかったが、今まで学校では頭の良いふりをしてガリ勉キャラでいたので、どんな顔をして学校に行けばいいのかわからなかった。
実際小学生なんてものはそんな事でどうこう言うものではないので、大して何も言われる事はなかったが。
今にして思えば、自分は小さい頃からかなり感情が麻痺しているのだなと思う。故に、努力することが出来なかった。努力以前にあの頃は当たり前の事すらしっかり出来ていなかったのだなと思う。
もし、あのとき最低限だけでもしっかり勉強していれば今頃色々と違った人生を歩んでいたのだろう。
ただ、どちらが正解かはわからないが。
けれど、私はその後地元の公立中学校で大切な仲間に出会えたので、これはこれで正解だったのだろう。
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