第1話 『こちら、ス〇ーク』

 ガタッガタッガタッ


 目が覚めると唯ひたすらに青い空が広がっていた。

 度重なる夜更かしと不純な生活リズムが手伝って悟は寝覚めが悪い方なのだが、やけに揺れる木製のベッドの寝心地の悪さにしぶしぶ起き上がった。


「……は?」


 寝覚めが悪いとか言っている場合ではない。

 目の前に広がる光景の途轍もないインパクトに無理矢理覚醒させられる。


 ーー先程までベッドだと思っていたそこは、実は何かの荷台の上で、ゆっくりとだが流れる風景から動いていることが分かる。


 ……というかそもそも空が見える時点でおかしい。屋根がなくなってしまっているではないか。


 周囲の変化にひとしきり反応を示した後は当然次の思考に入る。


『ーーならどうして今自分は外にいて、何者かに運び出されているのか』


 引きニートは出て行け! と家族に家から追い出されたのだろうか? 若しくは誰かやばい人に売られた?

 卑屈のドツボに陥っていた悟は一瞬その考えに囚われるが、すぐにそれはあり得ないと首を振る。

 なぜなら両親とも決して悟に甘くはなかったが、常識人であり少なくともネグレクトするような人達ではなかったからだ。


 それを加味した上で、前述の考えが全て違うのだとしたら


「え、俺もしかして誘拐されてる!?」


 その考えに至った瞬間、ドクンッ! と大きく跳ねる心の臓に先程まで揺るやかだった呼吸はショパンのエチュードのような激しさを兼ね備え始めた。


「やばいやばいやばい逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ」


 悟は慌てて起き上がった。しかし震える足と揺れる荷台によりすぐに態勢を崩して前のめりに倒れ込む。


「痛ッ!!」


 ドカッと顎から床に倒れ込んだせいで、口内の肉を噛み切ってしまった。恐怖によって痛みは無かったが、口内を切って出た血が床に滴るのを視認して……

「キキッキキキッ!」

「へ?」


 鉄が擦りあったような、鼓膜から直接喉にまで響く高い音。何事かと思い、確認しようとする。

 音のする方向ーー揺れる荷台の動きに併せて木目を沿って流れる血ーーそれを伏せた体勢のまま目で追っていくと、

 流れる血の行き着く先にはーーキキッキキキ! と音を立てながら“悟の血を吸っている”赤い双眸をした白い兎が居たのだった。


「い!? いぎゃあああああああああああああ!!!!」


川奈 悟は気絶した。


※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※※


 ーー目を覚ますとそこは見慣れない天井だった。茶色く焦げたコンクリートには亀裂が入っており、寝かされていたと思われるのはベッドの上ではなく、所々が破れて中身の見えたソファだった。


(あれ? 俺何して?)


 起き抜けに、寝ぼけ眼を指で擦るt

「痛っ!!」


 途端、頬に痺れるような痛みが走った。触れてしまった親指を見るが、血がついている様子はない。直接触れた頬に外傷は無いようだが、舌を口の中に這わせると鉄を含んだような確かな血の味を感じた。


「これは……あの時の」


 脳裏に浮かぶ白い兎。

 見た目こそ普通の兎だったものの、伸ばしていた舌の形状は通常とは異なり、円筒状ーーストローのように液体を吸うことに特化しているように見えた。

 事実、悟の血をチューチューと捕食しているのをこの目で見たのだから間違いない。


 自分の血を異形な生物にチューチューと吸われるという、思い出せばかなり精神的にくる絵面だったが、もう一つの懸念を思い出した悟は即座に思考を切り替える。


(ここが一体どこかは分からないけど、手足は自由だし、気付かれない

内に早くここから逃げよう)


 それは自分が何者かによって拉致されているという事実だった。

 荷台の上では興奮しすぎて気付けなかったが、今の自分の服装は紛れもなく昨日寝るときに着ていたパジャマだ。これは悟が寝ている間に何者かに無理矢理連れて来られたということに他ならない。


 寝相でここまで来ちゃいました てへペロ! という可能性も無くはないが、今まで外に出ることを拒み続けてきた悟がもしその様な事をしでかす程の天然なら世話ない。


 出来るだけ物音を立てずにゆっくりと立ち上がり部屋を見渡す。

 天井やソファーの時点でうすうす感じていたが、部屋は全体的に質素なもので、電化製品は冷蔵庫らしきもの以外は一切置かれていない。

 家具らしい家具としては唯一大きめのテーブルが一脚だけであった。


 見るからに狭い家のようなので、家主ーーもとい拉致犯は外出中とみてほぼ間違いないだろう。

 しかし拉致された側というのは余裕の無いもので、心身的に極限状態に陥っていた悟は無人の屋内を息を殺して“匍匐前進”(ほふくぜんしん)。


 明らかにゲーム メタ○ギアの影響を受けている。


(こんな貧乏臭い暮らしをしているって事は、拉致犯の狙いはおそらく俺を人身売買、もしくは臓器提供をすることによる金目当て……)


 思わずゴクりと喉を鳴らす悟。そんな自分の悲惨な未来を想像してしまったのだから無理もない。


「……ふぅーー」


 息を吐いて立ち上がる悟。

 さっきからずっと本気で匍匐前進していたのだが、以外と難しいという事と悟の運動不足が手伝って進んだ距離は僅か30㎝。


「色んな意味で誰も見てなくて良かった」


 馬鹿馬鹿しい事を考えたのも数瞬、悟は目の前にあるものに気付く。


「うう、上に行く階段!?」


 部屋の灯りは豆電球が一つと淋しいものだったので、ブルーライトに犯され続けた悟の眼ではよく見えなかったが、紛れもなくそれは6段程の階段で、他に外へ出られそうな扉は一切無い。


 ーーしまった!これは非常にまずいことになった。


「ここはどこかの“地下”だったんだ……」


 ここにきてかなり痛いミス。

 昼夜の区別がつかず、地下に免疫が無かったのは仕方が無いが、それにしても部屋に窓が一切付いていない事に気づけなかった点は、反省すべきところだろう。


 おそらく上では拉致犯が待ち構えている。希望が絶望に変わった瞬間だった。

 ーーどう考えても犯人と【ご挨拶】を交わさなければならない。


 何か武器になる様な物はないかと辺りを見回すが、有ったのは足下に転がる一本の細い棒切れのみ。


 ……と、


 ガチャリッ!

「!!??」


『階段の扉の鍵が開く音』がした。

 急転直下でバッドエンドーー思わず転がる棒きれを拾い上げ階段下の死角となるスペースに身を潜める。


 ドクッドクッドクッドクッ!


 信じられないスピードで脈を打つ心臓。それに負けずとも劣らず、悟の脳はフル回転していた。


(こんな棒切れでヤれるのか!? いや、この端っこの尖った部分を使えば、俺のこの太○の達人によって鍛えられた豪腕なら……)


 豪腕ーーというには些か頼りない気のする悟の腕だったが、もし上手くいかなかった場合は秒間16連打のドドドッカカカッを食らわせてやると意味不明な意気込みをする悟は息を殺す。


(あ、バチが一本しかないから無理だ……)


 しかしそんな悟の事情を考慮してくれる程、世界は甘くない。


 ……キィーと開くドアの音。


(くそ、もう入って来やがった。けど……あれ?)


 トン、トンと“一段一段ゆっくりと階段を降りる音”が聞こえることに悟は少しだけ安堵する。

 何故なら“おそらく相手は一人で、しかも荷物を運んでいる等、何らかの理由で歩みが遅い”と予想できるからだ。


 悟は深呼吸して目を閉じる。


(……絵面的には、ヤれる!)


トン、トン、トン


 ーー階段の段数は6段なので6回目の音と合わせて飛び出す悟。


「これが俺の【ご挨拶】じゃい!!」


 やるならば思いっきりやれ。そう父から教わっていた悟は思い切り腕を振りかぶって飛び込んだ。


 ーー“麻袋を抱えた猫耳の女の子に”


「「え!?」」


 まるで映し鏡のように同様の反応を見せる猫耳娘と悟。身長や見た目的には同年代か年下か、いずれにせよ絵面的には完全に悟が拉致犯だった。


 あまりに予想外だった犯人の容姿に撲殺を躊躇した悟はなんとか踏みとどまる事に成功し、思い切りフルスイングした棒切れはすんでのところで彼女の前髪を掠めるに留まった。

 ヒットすること無く振り上げ地点から大きく弧を描きようやく静止させる事が出来た右腕に、安堵の息を吐いた悟であったが、


ブオオーーッ!!


「……へ?」


 突如何故か『棒切れの先端から巻き起こった風』が彼女のワンピースを下から持ち上げ、下腹部より少し下と胸部の布きれを露わにしてしまう。


 ……非常に女の子らしく可愛らしい苺のプリントを眼に焼き付けて


(あ、Cぐらいかな)


 モニター越しにしか見たことが無かったにもかかわらず、適当な目算を付けて魔法のアルファベットを思い浮かべていた悟は目にする。


 ーー捲り上がっていた白のワンピースが降りてくるにつれて露わになっていく彼女の隠れていた顔を。


 笑顔だった。

 凄く笑顔がだった。

 凄くニコニコしていた事が印象的だった。


 パチーーン!!


 ーーそれはビンタが頬にめり込む音だった。まぁ、拳じゃなかっただけマシといえようか。


“数m跳んだ”悟は柱に頭をぶつけた。


(また口ん中噛んじまったじゃねぇか……)


 意識が遠のいていく最中、“パジャマのポケットから何か“黒い塊のようなもの”が落ちる”


 悟の意識は途絶えた。

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