第30話 鉛筆をどうやって配るのか

 どうやって鉛筆を配るのか。本当なら、配送業者を使えば手っ取り早い。


「配送するには、IDカードが必要だからなぁ」

「これ、配送している人間が特定されたら、間違いなく暗殺されるよなぁ」


 僕たちは、すっかり頭を抱えてしまった。いつも色々なことを思いつく萌美さんですら、腕組みをしたまま何も話さなかった。


「手渡しで配るとかどうだろうか」メンバーの一人が言った。

「それはまずいだろう。渡す相手を全て信頼することが出来るか?」

「そうだよ、配った人のうち、一人でも裏切ったら、殺されてしまうぞ」


 確かに、人間を信頼できるかどうかを自分の主観だけで決めるのはかなり危険だ。こんなことは、神にしかできない。自分ですら、自分を裏切ることだってあるのだ。


「あ!」そのとき、しずくさんが、何かを思い出したように声を発した。

「しずくさん、どうしたの?」

「もしかしたら…」そう言って、しずくさんは地下室を出て、すぐに戻ってきた。


「あの、予備のIDカードを使ってみたらどうかしら」

 そう言って、しずくさんは自分以外の名前が書かれたIDカードを僕たちに見せた。


「一体、これどうしたっていうんだい?」

「誰なんだよ、この『渡辺不二子』って」

「この人は…存在しないの。架空の人なの」

「は? どういうことなのか具体的に説明してもらえないか?」

 メンバーたちはザワザワとしている。そりゃ無理もない。普通IDカードは一枚しかないはずだからだ。


 しずくさんは、逃亡の際に自分の新しいカード以外に2枚のカードを元婚約者の小川剛志から渡されたことをメンバーたちに話をした。


「小川剛志って、財務大臣の濱田薫子大臣の夫じゃねぇか」

「そうよ」

 濱田薫子議員は、剛志さんと結婚して半年後に財務大臣に就任している。剛志さんは次の衆議院選挙で立候補するだろうとも噂され、今期待される若手の一人となっていた。


「国家の中枢にいる人間が渡したカードって、これを使うのは危険じゃないのか」

「そうだよ、財務大臣ってさ、もう総理大臣候補だぜ? このカードを使ったら全員皆殺しなんてこと…」

「やばいよ、他の方法を考えよう」

 その場は、さらに混乱を極めた。しかし、しずくさんは動揺することはない。


「そもそも私は、彼の力で命を助けられたの。その代償として、剛志さんは濱田大臣と結婚をすることになった。彼以上に信頼できる人間はいないわ。大丈夫、このカードを使っても何も起こらない」


――心がズキン、とした。しずくさんは、まだ彼のことを愛しているのかもしれない。こんなことを言っている場合ではないけれど…。僕がどんなにしずくさんを好きになったとしても、彼にはかなわないだろう。

 だって、彼は自分の愛する人を守るために、身を挺して今の結婚に踏み切っているのだから。二人は強い愛でお互いに生きる選択をしたのだ。


「みんな、このIDカードにかけてみないか。他にもっと安全な方法があるならば、教えてくれ」

 誰も一言も発することはなかった。有効な手立てはもう思いつかない。ただ、一つだけ懸念事項が指摘された。


「IDカードはこのカードを使うとして、配送元の住所をどうするのか。それが問題だ」

「ああ、それがあったか!」

 あ〜あ、とみんな落胆の声をあげた。まさかここを起点にして配送することは許されない。


 その時、萌美さんが口を開いた。

「大丈夫よ。配送元のハッキングぐらい朝飯前よ。普通誰もこんなもの改ざんしないから、セキュリティも甘いし。私たち国防省もスパイ関係の資料を配送するとき、よくやっているから」

「おお!」

 みんなハイタッチをした。これで、安全に配送をすることができる。


 紙鉛筆のストックは全部で1,200本。100ダースである。この100ダースをどこに配送するのか。それをみんなで会議をし、決定した。




 翌日。ドドドドドという音を立てながら、ドローンがやってきた。僕としずくさんはドローンに鉛筆をつめる。


「剛志さんに足を向けて寝られないよ。IDカードをよく3枚もくれたよねぇ」

「あの人は、そういうところしっかりしていたから」

 彼女は、なつかしそうに目を細めた。本当ならここにいるはずがないしずくさん。お父さんがタブレット端末を拾わなければ、今頃剛志さんの奥さんになって、赤ちゃんと暮らしていたかもしれない。

 そんな幸せが奪われてしまって、いま本名を名乗れずに、ここにいるのだ、ここにいるしかないのだ。僕は、ズキンと胸が痛んだ。


 荷物を詰め終わった後、バーコードリーダーに住所を改ざんした『渡辺不二子』名義のIDカードを近づけた。

――何事も、何事もありませんように。


 ウィーン。ドローンは荷物を持ち上げていった。鉛筆たちを入れたコンテナが空にのぼっていくごとに、小さくなって吸い込まれていった。


「やった、やった!」

 僕たちは、ハイタッチをした。すると、しずくさんが僕に抱きついた。


「今だけ、今だけこうさせて」

 しずくさんは涙声だった。どういうつもりでいまそうしているのかはわからない。でも僕は、優しく彼女の背中に両手を添えた。



 それから1ヶ月後、鉛筆たちは自由を求めて動き始めた。もちろん、危険と隣り合わせで…。

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