第19話 悲しみの意味は自分で作るもの

「うそ…」

そう言って、しずくさんがスマホを手から離した。僕はそれを床に落ちる手前であわててキャッチした。そして画面を覗きこんだ。


『濱田薫子議員(48)結婚、お相手は20歳年下の議員秘書小川剛志氏』


ー剛志さんが青い顔をしていたのは、これだったんだ。

しずくさんは、密かに指名手配状態になっていた。政府はしずくさんを一旦キャッチした。剛志さんがそこを情報操作して、僕たちを釈放した。

…それは、バレたら恐ろしい罪だろう。それに、小川さん一人の力でそもそもできることではない。彼は総理候補の濱田議員の力を借りたんだ。その対価がこれなのか。


「ああ…」しずくさんが両手で顔を覆いながら、ヘナヘナと倒れこんだ。何もなければ、二人は今頃結婚していたのだ。


正義を貫くことが愛しあう二人を引き裂くなんて。愛しあうがゆえに手放さなければならないなんて…。僕は、拳をギュッと強く握りしめた。そして、膝を叩いた。

「くそ! くそ! くそ!」


母の姿が突然頭に浮かんだ。貧しいながら僕を育てた母。でも僕が調子に乗って車を買ってきてドライブに連れて行ったばかりに…。母の人生は終わった。僕の人生も夢もそこで止まった。そして22世紀に車で、昨日も今日も明日も同じような人生を送り続けていたのだ。


突然、僕は立ち上がった。彼女を腕を引っ張った。

「何? 今はもう何もしたくない」

「ダメだ、ダメなんだ!」

「痛い!」


彼女の訴えを無視し、僕は外に彼女を連れ出した。

雲ひとつにない青い空の下に、緑を忘れた山々が僕たちを囲んでいる。

目の前には畑が広がっている。


「うおおおおおおお」と僕は叫んだ。こだまが聞こえ、やがて消えていった。

「しずくさん、僕たちがこんなにつらい思いをしても、景色は昨日と同じだ。

 何もしないで、ただ悲しんでいるだけなら、ずっとこのままなんだ」

しずくさんは黙って、僕の話を聞いている。


「悲しみに意味を持たせるためには、前に進むしかない」

「ええ」

涙を流しながら、しずくさんは答えた。


「まずは、この景色から変えよう。しずくさん、これから作戦を立てよう」

僕は、しずくさんに握手を求めた。彼女はそうっと両手を添えた。


「そうね、私は世界を変えようとしているんだもの。自分の失恋ぐらいでくじけていたらダメよね」

目には涙、白い鼻水。美人な彼女からは遠い、苦々しい表情。それでも、ふんばろうとする姿は、僕が今までみたしずくさんの中で一番美しかった。




2118年2月。あれから1年が経過した。僕たちのカフェはちょっとした有名店になっていた。

駐車場工事の途中で温泉が湧いたのだ。小さいながらも温泉施設を作った。一般客は入湯料を1万円、地元の人達には無料で開放をした。「温泉に入れるカフェ」として口コミが広がった。


21世紀の書籍がつまっている書庫の本の一部はカフェに移動させた。紙の本がやはり珍しいということもあり、本を読むだけのためにやってくるお客さんも集まってきた。商売としては21世紀以上に成功している。


30人ぐらいが入ることができる地下室も設置した。大きな一枚板のテーブルに、椅子がずらっと並んでいるだけのシンプルな部屋だ。ここに、仲間のジャーナリストやメディアの人たちが集まる。話し合った記録は、もちろん鉛筆で書かれた。議事録ノートは、片隅の小さな本棚に並べられている。


定休日の月曜日。僕たちは、猫車をガラガラと言わせながら、山にいた。


山といっても標高300メートルのなだらかな山だ。道もしっかりと舗装しているので猫車を押すのも大変なことではない。


僕たちはしっかりと黒い岩石を目利きしながら猫車にサクサクと乗せていった。

「ああ、この山がなかったらもうだめだったわね、私たち」

しずくさんが、ニッコリと笑って言った。

「そうだね、黒鉛がなかったら鉛筆はあるもので終わっていたからね」

そう、僕たちは鉛筆の材料になる黒鉛を採掘するために山にやってきたのだ。


黒鉛に粘土を配合してコネて乾かすと芯ができる。これを紙にしっかりとギュウギュウ巻きつけていく。こうすると、紙鉛筆ができる。立派に字が書ける。

これらの作業はすべて、定休日に畑で行う。


そして、大量の鉛筆を地下室の運ぶ。仲間が必要な分だけ持っていけるようにテーブルの上に置いておく。


「ふぅ」僕たちは汗だくになりながら、全ての作業を終えて、カフェのスペースでお湯を沸かした。これからコーヒータイムだ。


「まさか500億円がさらに増えるなんて考えたこともなかったわ」

「本当だね。お金を儲けるつもりなんてなかったのにね」

僕たちは笑いながら、マグカップに口を当てた。


「でも、この1年…何も進めることができなかったな」

「うーん、これからどうしたらいいんだろうね」

ーそう、僕たちがしたいことはビジネスではない。革命である。


「明日、これから1年どうしていくのかみんなで話し合いましょう」

そう、明日は10名の仲間たちが地下に集まる日だ。全員が都合がつくわけではないし、全員が毎回集まると目立ちすぎる。だから3ヶ月に1度10名ずつやってくることになっている。半年に1度総会をするときだけ30名が集結する。


なぜ、定休日の月曜日に集まらないのか。それは、休みなのに人気カフェ店に人が集まっているとなるとまわりに違和感を与えてしまうからだ。


火曜日午後7時。店は相変わらず、お客で混雑をしていた。そんな中、仲間たちが集まり始めた。午後8時から会議は開始する。しずくさんは、仲間たちのために、地下にカレーライスを運びはじめた。


ポトン。

しずくさんのエプロンのポケットに何かが入りこんだ。

その時、密かにポケットの中に盗聴器が仕掛けられたことに誰も気づくことができなかった。

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