第17話 こうして紙のメディアが消えた
「ちょっと待って下さい」
僕は、後ろの監視カメラについて、おじいさんに目で合図をした。
「ああ、大丈夫だよ。私の仕事は印刷の歴史について語ることだから。ここはね、そういう話をしてもいい場所になっているんだ。
私の祖父が、政府と交渉してそういう取り決めになったんだ」
「もしかして、その祖父って…藪中 功一さんですか」
おじいさんのつぶらな瞳をは3倍ぐらいになった。
「え、なんで知っているの?」
「あ、ネットで調べたんで」
ーやはり、僕がお世話になった社長だ。いま目の前にいるおじいさんが、お孫さんか。なんだか不思議な気分だ。
「祖父が、『紙メディアの仕事をやめる代わりに、歴史を語る権利だけは残してくれ』と政府に交渉したんだ。これからそのことについても詳しく話すよ」
おじいさんの話は次のようなものだった。
東京オリンピックが終わった翌年の2021年1月28日、突如、新宿の都庁ビルが爆破された。
多くの都庁職員が死亡し、当時の東京都知事も亡くなった。爆発の威力がすさまじかったため、都庁のまわりを歩いていた人たちも巻き込まれ、死亡者は1万人を超えた。
ショッキングなことに、犯人はミランダナオ教という新興宗教の信者たちだったのだ。
国民は、そんな宗教も聞いたことがないし、何よりも犯人が同じ日本人だったことに大きな衝撃を受けた。
「この国の自由と民主主義は、テロリストの脅しに屈しはしない!」
当時の守谷首相がテレビの前で力強く叫んだ。
おじいさんはその時の気持ちを次のように言った。
「暴力を手段にする連中から国を守る! そのためならどんなことでもするぞ! そう私は誓った。多くの国民も同じように考えた」
テロリストへの怒りが熱狂を産んだ。暴力を手段にするならば、こちらも暴力で守るしか無い。こうして、憲法9条の戦争放棄はあっという間に国民自身の手で撤廃された。
そこから、ジャーナリストたちの暗殺がさかんに行われるようになっていった。犯人は全てミランダナオ教の信者たちだった。しかし、国民たちはミランダナオ教の教会を見たこともなければ、信じている人を見たこともない。彼らの実態は全くわからずじまいのままだった。
「ジャーナリストの中には、ミランダナオ教の宗教集団の存在自体を疑う人たちも現れていった。しかし、取材を進める人間たちは根こそぎ殺されていったんだ。それで、国は、『ジャーナリスト保護法』という法律を作ったんだ」
「ああ、それがジャーナリストにICチップを埋めるってやつですね」
「そうだ。国民は『ジャーナリストを守らなければいけない』と真剣に考えていたから、法律の制定にみんな喜んだよ」
ああ、こうしてジャーナリストは管理されるようになってしまったのか。
「さらに、紙メディアの息の根を止める法案が通ってしまった。それが『ウェブメディア推進法』だ」
おじいさんは、深い溜息をついた。
ウェブメディア推進法とは、紙媒体をやめてウェブ媒体のみを取り扱うメディアは、国が返済不要の助成金を出し、無税にするという法案だった。
「当時、書籍や新聞、雑誌の売上が低迷していたメディアにとっては渡りに船だった。彼等はあっさりと紙媒体を捨てたんだ」
まっさきに潰れたのは本屋だった。新刊が出なければ、なんの面白みもない。古本屋も同じだ。流通が絶たれ、絶滅状態に追い込まれてしまった。
「そうこうしているうちに、国は図書館の書籍を電子書籍化してしまった。こうして図書館からも紙の本が消えてしまったんだ」
ーこれが、お金で言論を売ってしまったということなのか。
「そして、次に狙ったのが鉛筆だ」
「あ、鉛筆! 藪中さんはご存知だったんですかっ」
「もちろん、あれもまたウェブメディア推進法の影で死んでしまったな。タブレット端末の推進によって、鉛筆を使う人が激減した。結果、鉛筆業者も22世紀になる頃にはいなくなったしまった」
ーそうか、こうして鉛筆が消えてしまったのか。これもまた国家の陰謀なのか。
「同じ時期に『愛国法』という法律も成立してしまった。これは、テロ計画を事前にキャッチするために国民が書いたものを全て国家が傍受するという法案だ」
「あ、これは僕も聞いたことがります。あの…。書いたものが全て国に監視されるってことですよね。これっておかしいことだと思わなかったんですか?」
「もちろん、思ったさ…でも都庁ビルの爆破映像を見るたび、みんな恐怖で他のことが考えられなくなったんだ。自分たちもいつテロリストに殺されてしまうのかと」
ー目に見えにくい敵への恐怖心を国家がうまく利用したのだ。
「この法律が出来てから、国に少しでも批判するような意見を持ったとしても、発言できなくなっていった。そういう発言をすると、テロリストだとみなされて逮捕される人も出てきたからだ。
自分たちが恐怖から開放されるために成立を望んだ『愛国法』がいつのまにか、自分たちを恐怖でがんじがらめにしてしまったんだ」
僕は、政府の見事な仕掛けを知り、もう何も言えなくなってしまった。
ミランダナオ教の教団については、今もなお謎に包まれているのだという。これすら、国が仕掛けたものではないのだろうか。僕は口から出かかったけれど、ぐっと飲んだ。監視カメラが回っている。
「こうして、紙メディアが消えて、思ったことが記録できない時代になってしまったのですね」
その一言だけを僕はポツリと言った。
「そうだね。現在は印刷もデジタルで情報が全て国に集められている。それに電子メディアは常に検閲されていて、国家がふさわしくないと思われるものは世の中に出せないようになっている」
ーああ、21世紀の人間の恐怖心が、22世紀の人たちをこんなに窮屈にしてしまうなんて。
「あの、ここにある機械は全て使うことができるんですか」
「まあ、使えるけれど、監視機能がついてしまっているね」
ーそうだよね。やっぱり。
「そろそろ、帰ります。ありがとうございました」
「楽しかったよ、君。名前はなんというんだい?」
「横山大五郎です」
「またおいで。楽しかったよ」
おじいさんは、右手を出した。
僕はIDカードを探した。
「ちがうよ、握手だよ」「ふふ」
おじいさんの手はとても暖かかった。
ああ、22世紀はなんて時代なんだろう。
「21世紀のあなた達のせいで、こうなった」としずくさんが怒るのも無理はない。
僕だって、印刷の仕事に、そこまでの意義を感じたことは一度もなかった。
ただ仕事をして、食べて、飲んで、寝て、また生きて…。
22世紀にいる今も同じ生き方を繰り返すのか。確かに、それじゃ駄目だ。
玄関の前についた。
ーよし、しずくさんに謝ろう。
そう決心して、扉をあけようとした、その時。
背後から「ドドドドド」という爆音が鳴り響いた。
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