第16話 『正義』を刷る

いち、じゅう、ひゃく、せん、まん…。

僕は、IDカードに記録された金額を数えた。

「さ、500億円!」

こんな金額、スマホゲームでしか見たことがないぞ。嘘だろ…。


「しずくさん、預金の利率っていったいどれぐらいある?」

「えっと、だいたい1%ぐらいかな。これだけ高額になってくると、もっと高い金利をもらえると思うわよ」


つ、つまり…放っておいても利息だけで、少なくとも年間5億円。21世紀の物価で考えても500万円。贅沢さえしなければ、何もしなくても暮らしていける金額ではないか。


もう危険な目にあうこともなく、平和に一生を終えていける。僕はそう安堵した。


ところが、彼女は僕が想像もしないことを言い始めた。

「この500億をどうすれば、国を変えることができるかしら」

「おいー!」

思わず、漫才風に突っ込んでしまった。


「しずくさん、よく聞いて。剛志さんが言っていたこと覚えているでしょう。もう二度と街に出てはいけないと。通販があるから、買いたいものは変える。ここでゆっくり生きていけば命の危険もない。

余計なことを考えるのはやめよう」

「余計なこと? 」


しずくさんの顔が一気に厳しい表情へと変わった。


「あなた、それを生きていると言えるの?

自分たちさえ安全であれば国のことなんてどうでもいいっていうわけ?

 ただ食べて飲んで排泄しているだけが生きることじゃないわ!」

「そうは言っていないよ」

僕はムッとした。昨日あんなに怖い目にあったじゃないか。2人で命の危険を感じて震えながら手を握ったじゃないか。


「父は、この国の不正を暴くために命を失ったの。骨も粉になるほど焼かれたの。父の死を無駄にして、自分たちは平和に生きろって?」

「いやいやいや」

もう、僕は半ばしずくさんにあきれていた。


「500億円は僕たちが一生を生きていくには十分すぎる金額だけれど、国を変えるには全然足りないよ」

21世紀で言えば、5億円だぜ。5億円で国を変えるなんて言ったら精神が病んだのかと思われるぞ。


「それをこれから考えるのよ。考えることをやめなければ、絶対に何か答えが出てくる。

そもそも、あなたたち21世紀の人間が考えることをやめたから、こんな国になったんじゃないの?」

「なんだよそれ…。そんなこと僕は知らないよ。しずくさん、もう少し冷静になって。

僕は、今日は印刷会社、いや印刷博物館にいまから行ってくる」


ー本当にちょっと冷静になってほしい。

運動靴を履き、1人印刷博物館に僕は向かった。


「もう、しずくさんは何なんだ! そもそも僕がかくまってあげて、それに僕のお金で一生を守ってあげようというのに」

しずくさんがあまりに恩知らずに思える。一歩一歩進めるたびにしだいに腹が立ってきた。


そうこうムカムカしているうちに印刷博物館に到着した。

周りを見渡しても誰もいなかった。入り口の自動ドアが開いた。


かつて、同僚と一緒に働いていたオフィスにはガラーンとした空間が広がっている。

ガラーンとした空間に中にポツポツと印刷機が10個ほどたたずんでいるだけなのだ。説明のパネルも、案内表示もない。


「あれ? どういうこと?」

僕は、印刷機を見て、1つのことに気がついた。置かれている印刷機は全て、僕が職場で慣れ親しんだものばかりなのだ。

博物館というのに、一体どういうことか。21世紀の機械しかないなんて。


そこに、1人のおじいさんが現れた。

どことなく、僕がお世話になった社長に似ている。


そのおじいさんが僕の前にパッと手を出した。握手かなと思って手を近づけると、

「入場料1万円」と言った。


「あ、すみません」

1万円か。貨幣感覚に慣れていないので、ぼったくられた気持ちが否めない。

僕は、IDカードを差し出した。すると、おじいさんはバーコードリーダーをかざした。


「めずらしいものばかりだろう」

「ええ、まあ…」

ー正直、3年前まで慣れ親しんだものばかりで、なんの新鮮味もないが。


「ただ、置いてあるものが21世紀のものばかりですね」

その言葉を発した時、おじいさんのゆるんだ表情が急に引き締まった。


「君、なんでそれを知っているのか?」

「え…」

ー何かマズイことを言ってしまったのか。心臓がまたバクバクとしてきている。

僕はおじいさんの斜め上を見た。監視カメラがガッツリついている。

ああ、よけいなことを言いたくない。


「あ、僕は印刷マニアなんで」

ヘラヘラと笑って、適当にやり過ごすことに決めた。

「そうか。印刷に興味がある人間なんて、まだ存在していたんだな」

おじいさんは遠い目でなつかしそうな顔をして笑った。


おじいさんの名札を見た。

「藪中 浩」と書かれている。僕がお世話になった社長の苗字と同じだ。


「21世紀は、いい時代だった。紙の書籍がたくさん売られていて、新聞やテレビも自分たちが正しいと信じたものを自由に表現できたから。

 僕たちも、若い頃は、ここにある印刷機でたくさん『正義』を刷ってきたんだ」

「あの、22世紀になってどうして、紙の書籍や新聞が消えてしまったのですか?」


僕は、スマホで22世紀の憲法や法律も徹底的に調べていた。どこにも紙の書籍や新聞の販売を制限する内容のものはない。

 今日、ここに来たのは気分転換の意味もあった。でもそれだけじゃない。髪の書籍や新聞が消えた理由、これを知っている人がいるかもしれないと思ったからだ。


おじいさんは力なく言った。

「僕たちが言論をお金に変えてしまったからだ」

「それは…一体どういうことなのか教えてくれませんか」


おじいさんは、話し始めた。















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