第11話 母はどうして命を失わなければならなかったのか
気がついたら、2階のベッドで眠っていた。朝日がさしている。
ーあれ、僕は銭湯に行こうとして、タクシーがやってきて…
「大五郎! 大丈夫?」突然しずくさんの顔がぬぅっと出てきた。
「わわわわ!」僕は思わず大きな声を出してしまった。
「ああ、良かったぁ、無事で。突然倒れたからびっくりしちゃったわ」
しずくさんは、胸をなでおろした。
「ねぇ、やっぱり話を聞かせてちょうだい」
「なに?」
「ずっと『お母さん、お母さん』ってうなされていたわよ」
「あ…」
「これ、フラッシュバックでしょう」
僕は何も言えず、黙ってしまった。重たい沈黙が二人の間を流れる。
「また倒れられたら、私も困るの。いま、私たちは運命共同体だから」
「運命共同体?」
「そうよ、私たちは、お互いのために生きなければ生きていけないの。
だから、お互いのことをもっと知らなければいけない。
やらなければならないことがたくさんあるの。
あなたの人生は、もうあなただけのものではなくなったのよ。」
自分だけの人生ではなくなった…。僕はその言葉を聞いて心の芯が少しあたたかくなった。
もう、一人で生きていかなければいけないと決めていたから。
自分の十字架は一生自分で背負っていかなければならないと…。
「いいから、もう話をして。私はどんな話でも受け入れるから」
そう言って、しずくさんは僕の手を握った。
こうして、僕はこれまでのことを話始めた。
2014年8月。僕が東京芸術大学4回生の時、
僕の作品が「上野の森美術館大賞」で最優秀賞を獲得した。
「母」というタイトルの作品だった。
母は一度も結婚することなく、僕を産んだ。
そのことで、親戚から勘当され、母は一人で僕を育てなければいけなかった。
朝から晩まで働き続けた。お弁当屋と縫製のパートを掛け持ちし、家に帰ったら、シール貼りの内職をして生計を立てていた。
母は、「あなたがいるから生きていける」と僕をいつも抱きしめた。
怒鳴られたり、ブタれたりした記憶はない。母は、とても愛にあふれた人だった。
小学校1年生の時に、絵画コンクール小学生の部で文部科学大臣賞をとった。小学6年生までが参加するコンクールにもかかわらず、小学校1年生がとるということは当時前代未聞のことだった。
「お金がないせいで、才能を発揮できないなんてことはあってはいけない」母はそう言ってさらに必死で働き続けた。そのせいなのか、まわりの同級生のお母さんたちよりもずっと老けて見えた。
ずっと絵画教室で一流の先生から教えられたかいもあり、僕は現役で東京芸術大学で首席合格を果たした。
そして、「上野の森美術館大賞」を取得した時、あるお金持ちが僕の絵を欲しいということで自宅にやってきた。なんと、その額は1000万円だった。
母は、大事な絵だからダメだと反対した。でも僕はその反対を押し切った。
「絵はこれからいくらでも描くことができる。お母さんを早く楽させてあげたい」
僕はそう言って説得をして、その絵を売った。
ーここで、絵を売っていなければ、母は今も生きていたにちがいない。
売ったお金で、自動車教習所へ行き、自動車免許を取得した。そして真っ黒なベンツを買った。
僕は、世の中に見返したかった。貧乏に生まれて、母が苦労してボロボロになった。
なんで僕たちがこんなめに合わなければならなかったのかと何度も呪った。
だから、こんな世の中に「俺の勝ちだ!」といえる瞬間を望んでいた。
ベンツがまさに僕の勝利の象徴となったのだ。
そのベンツが僕の人生を大きく狂わせていくことになるとも知らずに。
ベンツを買ったその日、僕は母をドライブに誘った。
「ああ、こんな豪華な車に乗ることができるなんて思ったことなかったわ」
母は、とても嬉しそうな笑顔をしていた。
「でもね、お母さんはね、純一郎と一緒にいるだけで幸せなのよ。
ずっと幸せなのよ。本当よ」
乙女のようで愛おしかった。まわりの人から見れば僕は親孝行者を通り過ぎた、ただのマザコン野郎に見えたかもしれない。でも、そんなことはかまわなかった。
本当に母を愛し、尊敬をしていたから。
僕たちは江ノ島に向かった。海を見てのんびり過ごして、鎌倉野菜を買って帰ろうという計画を立てた。そんな時間の過ごし方をしたことがなかったから、ワクワクした。
いつも時間に追われ、身を粉にして寄り添って生きてきた。今この時間は、神様からのご褒美なのだ。僕はそう疑いもしなかった。
しかし、江ノ島につくことはなかった。
首都高に乗る直前、前方から信号無視をしたトラックがブレーキもかけず、僕たちの車線に突っ込んできた。
「危ない!」一生懸命にハンドルを切った。そこから意識はない。
次に気がついた時には、病院のベッドの上にいた。
病院の先生は、「こんなに軽傷で済んだのは奇跡的だよ」と言った。
「母はどこにいるのか」と聞いた。
先生は静かに言った。「お母さんは即死でした」と。
警察の話によると、前方のトラックが居眠り運転で僕たちに突っ込んできたとのことだった。
僕がハンドルを上手に切れたから助かったんだと励ましてくれた。
でも、車の写真を見せてもらってわかった。僕がハンドルを切ったから助手席がまともにトラックの衝撃を受けてしまったのだ。
「しずくさん、僕は自分の命を守るために、母を殺したんだ」
涙が止まらなくなった。
「ちがう、それはちがうわ、大五郎さん」
一生懸命しずくさんが首をふった。
「警察は『それが人間の生存本能なんだ。お母さんだって君が生きていて嬉しいはずだ』と励ましてくれた。でも、僕はただの本能で、苦労だらけの母の人生を一瞬にして壊してしまったんだ。
それから、車に乗れなくなったし、絵も描けなくなったんだ」
「あなた、自分をそんなに責めて…」
しずくさんは、僕を抱きしめた。
汗臭い。女の子なのに。でも、それも僕のせいだ。銭湯に行けなかったから。
「お母さんは、あなたが才能を捨ててしまうことを望んでいるわけない。
私がお母さんだったら、あなたが生きていることを天国で喜ぶわ。
お母さんの分まで生きなきゃ。一緒に生きよう」
僕は、しずくさんの胸で生まれたばかりの赤ん坊のようにオンオン泣いた。
ゴゴゴゴゴ。突然爆音が聞こえてきた。
窓ガラスがガタガタと振動し始めた。
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