第660話困ったヴァイオリニスト  貴子(3)

貴子は、ヴァイオリンを弾きながら、第一楽章の半ばから珍しく気持ちの高まりを感じている。

「何?この子・・・高校生でしょ?ピッタリキッチリ合わせてくる」

「顔が可愛いかも、色白・・・肌がヌメヌメしている」

「やば・・・そんなこと思ったら、ドキドキしてきちゃった」

「ヴァイオリン弾かなきゃ・・・」


内田先生は、そこで確信した。

「貴子も、感じたのかな、史君の伴奏力」

「史君が貴子のリズム、テンポをしっかり読み切っている」

「貴子のテンポとかリズムが崩れれば、サッとカバーする」

「貴子自身は気づいていない」

「ただ、史君を見る目付きが、少し危険」


ヴァイオリン・ソナタは第二楽章に入った。

キチンとして表情を緩めない貴子にしては、うっとりと上気した顔で、メロディを奏でている。


レッスン室前の廊下で聴いている音大生たちにも、驚きが広がっている。

「あの貴子が、二楽章まで進んだ」

「いつも一楽章の前半で、伴奏者に怒って、やめちゃうのにね」

「うん、自分がミスしても、伴奏者のミスにする」

「でも、あのうっとり顔は何?」

「史君をチラッと見るけれど、顔が赤くなっている」

「貴子も史君フェロモンに感染したのかな」

「・・・それはそれでヤバイ」

「私も伴奏して欲しい」

「ついでにデート?」

「こら!恥ずかしい!」

・・・・・様々、驚きなどの声があがるけれど、ヴァイオリン・ソナタは第三楽章にまで進んだ。


貴子は、弾きながらうれしくて仕方がない。

「音楽って、こんなに面白かったのか」

「いつまでも弾いていたいなあ・・・できれば、この男の子と一緒がいい」

「とにかく可愛いし、呼吸を読んでくれるから弾きやすい」

「・・・ちょっと恥ずかしいけれど、愛し合っているような感じ・・・」

「・・・またドキドキしてきちゃった」


貴子はドキドキ感に包まれ、史は冷静な伴奏だけに専念、モーツァルトのヴァイオリン・ソナタの第三楽章が終わった。


内田先生が、二人に声をかけた。

「何とか聴けるようなモーツァルトになりました」

「二人とも、お疲れ様」


貴子は、まだドキドキしているらしい。

その胸を抑えて、声が出せない。


さて、史は冷静そのもの。

そして、時計を気にしている。

「内田先生、貴子さん、僕はそろそろ帰ろうかと」


内田先生は、頷くけれど、貴子は困ったような顔。


貴子から史に声をかけた。

「ねえ、史君、もう一曲どうかなあ」

「あのね、バッハを弾いてみたいの」

「お願いしたいの」


貴子にしては珍しく頭を下げている。


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