第586話老落語家とマスター(3)

「それと・・・」

何やらマスターには、含みのある様子。


師匠と弟子がマスターの顔を見ると、マスターは言葉を続けた。

「師匠にお願いしようかなあと思うことがありましてね」

マスターがフッと笑うと、美幸は何か感づいた様子。

美幸も、ニコニコしている。


師匠は、マスターと美幸の笑顔が、理解できない。

「こんな老いぼれ・・・あ・・・それを言っては叱られますなあ」

「でも、そのお願いとやらは何でございましょう?」


マスターは、その笑顔を真顔に変えた。

「実は、ここのカフェ・ルミエールのビルを利用して、様々な文化講座を開講する計画になっているのです」


マスターの真顔に、師匠も真顔になった。

「はぁ・・・それはそれは、素晴らしいことで」

美幸が、サッと差し出した開講パンフレットに見入っている。


マスターは言葉を続けた。

「その講座の中に、師匠にもご参加をいただきたいのです」

「日本の心、人の心を伝える講座ということで」

「本物の芸ということも・・・」


師匠は、腕を組んで考え込む。

しばらく、沈黙が続く。

弟子も、その師匠の真剣な顔に、何も言うことができない。


その師匠がようやく口を開いた。

「ありがたいお話でございますねえ」

「日本の心、人の心、本物の芸など、背中がかゆくなるようでございますよ」

「でもねえ、私も芸人なんですよ」

「芸を頼まれて、断ることは難しい」

師匠は、ここでようやく相好を崩した。

いつもの柔らかな顔に戻った。


マスターは、ホッとした顔。

深く師匠に頭を下げる。


師匠は、柔らかな顔で

「もともと、落語なんですよ」

「頼まれれば、どこでもしゃべります」

「それが、このご立派なビルというのが、ちと恥ずかしいというだけで」

「しかも、文化講座などという、私ども芸人からすれば高嶺の花みたいなねえ」

と、言いながらも、その目に光がある。


マスターは、その師匠の目の光がうれしい。

「ここの文化講座には、本物の芸とか本物の学識を持った人でなければ、呼びません」

「それに師匠のお話が加わるのなら、本当に素晴らしいと思いましてね」


美幸が、三杯目のカクテルを師匠の前に。

「一度、寄席にも伺いたいと思います」


師匠は、本当にうれしそうな顔。

「ありがたいねえ、こんな綺麗なお嬢様に・・・」

「こんな美味しいお酒をいただいて、そのうえ私どものざっかけない寄席にまで」


マスターはそこで、また、たくらんだような笑顔。

「師匠たちが納得していただければ、このビルで寄席もできるんです」

「そうなれば、今ここにいらしてくれているお弟子さんとか、いろんな芸人さんの芸も・・・」


師匠は、ますますうれしそうな顔。

「はぁ・・・美味しいお酒に、美味しい話」

「これじゃあ、もうろくなんて、言っていられませんや」


マスターの誘導で、カフェ・ルミエール文化講座に、落語が加わり、また寄席構想もできつつある。














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